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ここでは私が過去経験した駅寝を紹介したいと思います。昔は列車の接続や、已むに已まれず駅で一夜を明かしたことが正直なところで、その後は駅やその街の雰囲気を楽しみながら駅寝駅を探すようになり、近年は専ら撮影のため、前夜現地に入り駅寝をし、朝からロケハンというのが主流になってきた。

鉄道廃止から2年。バスの待合所に変わった駅舎は深夜も開放していた。53泊目 
1997.8.30 旧深名線 朱鞠内 EOS55 28-105mm

1・函館 (函館本線・北海道) 88年3月13日
青函連絡船最終日、確か青森を21時頃出港した臨時便八甲田丸でやってきた。船内でフィルムが切断してしまったため、フィルムを求めて深夜の函館の町を彷徨っていたら職務質問された記憶がある。まぁ小学生だったから当然か。駅に戻り、まだ青森に戻るには早い時間だったため、24時間開いている連絡線待合室で朝7時くらいまでベンチで寝た。硬いベンチにあまり熟睡できず朝起き上がると、目の前に徳光和夫が生中継をしていた。(ズームイン?) 。これを初の駅寝と定義づけよう。


 10時台の摩周丸で函館を出航した。この日ばかりは禁止されていた紙テープも復活した。(函館)

2・米子 (山陰本線・鳥取県) 90年3月30日
翌日廃止になる大社線目当てで18きっぷで乗り継いでやって来たら、ここで終列車になった、という感じで降りた。駅のコンコースは開放しており、3月だというのに自販機などの熱で構内は暖かだった。翌朝、12系だいせんに乗り出雲市へ。一日中大社線を撮影した。

3・米子 (山陰本線・鳥取県) 90年3月31日
大社線最終列車から乗り換え、また米子にやってきた。早朝から歩き回っていたため、冷たい床に直に寝、朝まで爆睡。また18きっぷ普通乗り継ぎで横浜に帰った。

4・川根長島 (大井川鉄道川井川線・静岡県) 90年7月27
大井川鉄道井川線の駅である。この年の10月、長島ダムの建設で井川線の水没区間の新線付け替えが予定されていた。この水没区間を踏破しようと友人のTとやってきた。375Mを静岡で降り、初電を乗り継ぎ川根長島に到着。Tと線路の上を千頭方に向かって歩き出した。懐中電灯を頼りにトンネルを歩き、途中撮影したり川で水遊びをしたりしながら、2駅先の川根唐沢に着いたのは夕方だった。列車に乗り再び川根長島に到着。駅舎は無人駅で、木造の駅舎内で寝支度をすると、数人の作業員が入ってきた。今夜この付近で保線工事をするらしく、駅舎を休憩所に使うため、留置している客車内で寝ていいと許可をもらい、二人で大喜びしながら客車内で就寝。翌朝、駅前商店のおばちゃんがおにぎりを差し入れてくれ、それを食らいながら井川まで乗り鉄をした。


林の中の小道を登るとある川根長島駅。駅前には雑貨屋が一軒。今も営業しているのだろうか?(川根長島)

5・米子 (山陰本線・鳥取県) 90年8月17日
夏休み、18きっぷで山陰〜九州を巡っていた。臨時ムーンライトや瀬戸内海夜行フェリーを利用して、この旅唯一の駅寝だった。前回と同じくコンコースで寝る。

6・厚木 (相模線・神奈川県) 91年3月
翌日電化を控えた相模線の気動車最終列車に乗りたかった。今回も友人Tと一緒である。最終は茅ヶ崎〜海老名行きで、これに乗ってしまうと横浜に帰る列車はなかった。また翌朝の厚木発1番電車にも乗りたかったので、海老名で最終列車を降りた我々は小田急で厚木にやってきた。駅寝といっても郊外の有人駅で、当然締め出しをくらう。明け方まで駅の軒下で寒さに凍えながら一晩過ごした。

7・米子 (山陰本線・鳥取県) 91年3月30日
またまた米子である。九州旅行の帰りに寄った。いつものようにコンコースで寝そべっていると、去年末から深夜、戸閉めをしているとのこと。駅軒下でうずくまっていたが非常に寒く、熟睡できず朝を迎えた。

8・備後落合 (芸備線・広島県) 91年8月
18きっぷで西日本を周っていた。三江線、芸備線を乗り継ぎ居眠りをしていたら終点の備後落合に着いてしまった。当時は有人駅で駅員さんに頼み、待合室で一晩過ごさせていただくことになった。しかし窓が開いていたため、巨大蛾が多数たむろしており、ビクビクしながら眠りに就いた。


朝霧の構内に佇む国鉄色は、米子に残った最後のオリジナル色であったキハ52128。当時は有人駅で、キオスクや立ち食いそばまであった。(備後落合)

9・佐奈 (紀勢本線・三重県) 92年3月
このへんから寝袋持参で本格的に駅寝をするようになった。今回は3月改正で引退するキハ82南紀を撮影するべく、原付免許を取り、買ったばかりの原付で横浜から走ってきた。伊勢湾をフェリーで渡り、鳥羽のスーパーで大量の食料を購入。この駅に到着後、最終列車までダラダラ食ってすごす。深夜キハ85の試運転列車が通過していった。

10・大曽根浦 (紀勢本線・三重県) 92年3月
今回もキハ82南紀撮影が目的だが、列車移動で撮影すべく綿密な計画を立ててきた。寝られそうな駅を車内から物色しながら下ってきたが、ココだ!とひらめいて降りた駅はホームに屋根つきベンチがあるだけの吹きさらしの駅だった。が、幸い今夜は南風で暖かく、ホームベンチで夜を明かした。

11・長安寺 (岩手開発鉄道・岩手県) 92年3月30日
岩手開発鉄道最終日のため18きっぷ乗り継ぎで到着。夕方、盛から撮影しながら歩いてきた。外は雨が降っていたが雰囲気の良い快適な駅で、まどろみの時間を過ごす。やがてこの駅で駅寝する集団がやって来たが、疲れていたのでそのまま就寝。


廃止前日。機械式気動車が到着。小雨の降る中、多くのお別れ乗客を乗せてやってきた。(長安寺)

12・気仙沼 (大船渡線・宮城県) 92年3月31日
岩手開発最終列車に乗った後、盛〜気仙沼の無人駅で寝ようと車内から物色していたが、結局終点まで来てしまった。有人駅なので締め出され、駅軒下で寝袋にくるまる。

13・添牛内 (深名線・北海道) 92年8月
初めての北海道ツーリング。小樽に早朝到着する新潟発のフェリーを降りた後、石狩湾岸を北上し留萌から留萌線、深名線沿いに到着。駅舎内にバイクを入れ雨でぬれた洗濯物を乾かし、ラジオを聴きながら快適な駅寝を楽しんだ。

  
開業時からの古い木造駅舎。かつての北海道にはこんな無人駅が多数あった。(添牛内)

14・上川 (石北本線・北海道) 92年8月
夜行急行大雪が停車することから深夜開放だろうと予想してこの駅にやってきた。チャリンコで北海道を旅している2人組と知り合い仲良くなり、さらに地元のおっちゃんが話しに加わり、旅の話に盛り上がる。やがておっちゃんが自分の家に来るように我々を招待したが、自分は駅寝をしたかったので断り、2人組みは荷物を撤収しおっちゃんの家に行ってしまった。2時間ほどすると2人組みは駅に戻ってきた。聞くと、おっちゃんの家は家とも呼べないほどの汚い小屋で、2人に金銭や物をひつこくせびってきたので逃げてきたという。その後も旅の話をし、団体改札前でみんなで寝た。


横のテントはチャリダーのもの。2リットルというタンク容量のzookでは北海道は巡れないので、ポリタンクを積んでいた。危険。(上川)

15・別保 (根室本線・北海道) 92年8月
駅舎に入るとすでに3人の旅人が盛り上がっていた。チャリダー、ライダー、鉄と手段は違えど同じ旅人として出会いにカンパイする。やがて一人が根室で調達したというカニをつかいカニ鍋パーティーが始まりご一緒させていただく。翌朝4人はそれぞれの地へ散っていった。


改築済みの別保駅。自分の原チャとチャリダーのチャリ。朝、別れの直前に撮った一枚。(別保)

16・斜里 (釧網本線・北海道) 92年8月
釧網線の無人駅で駅寝しようと考えていたが、立ち寄った斜里で2人の鉄がココで寝るというのでご一緒させていただく。夜、調子の悪くなった原付を整備して、明日の知床越えに備える。上川同様、団体改札前で寝る。

17・智頭 (因美線・鳥取県) 94年8月
今回は因美線内でタブレットの通過授受をやっていた急行砂丘の撮影で90ccのスクーターで徹夜で20時間連続で走ってきた。途中京都の綾部で速度違反で捕まり、また猛暑で智頭についたころには精神的、体力的にも限界で、駅の軒下に倒れこんだらそのまま朝になってしまった。翌日になっても撮影する気力は失せ、岡山に抜けて高松に渡り、徳島から東京行きのフェリーに乗って帰還した。

18・用瀬 (因美線・鳥取県) 95年8月
18きっぷで急行砂丘を撮影。92年に訪れたときには有人で通過授受もやっていたこの駅だったが、今回は鳥取〜智頭は自動化され無人となっていた。暑かったのでホーム上の待合室で寝袋に入った。翌朝寝過ごし計画が大幅に狂う。

19・朱鞠内 (深名線・北海道) 95年8月31日
深名線廃止に立ち会うべく原付バイクで参戦。新潟から乗ったフェリーで小樽に着いたのは早朝4時過ぎ。沿岸を走り留萌線沿いに内陸へ。深名線の追っかけをしながらやってきた。はじめ近隣の無人駅で寝ようと考えていたが、情報によると朱鞠内近辺の駅はほとんど空き(先客アリ)がないらしく、また今日何人か仲良くなった旅人が朱鞠内で寝るというので、自分も一緒に、この夜間施錠駅で一夜を明かすことに決めた。駅正面の2重扉にはすでに2,3人が場所をとっており、ホーム側の改札前で寝袋を敷いた。そのまま満天の星空を見ながら朝を待った。


さよならフィーバーで単行の気動車は超満員。自分はこの夜、右の駅舎のホーム側軒下に寝袋を敷いた。(朱鞠内)

20・添牛内 (深名線・北海道) 95年9月1日
深名線2日目。夕方この木造の雰囲気のある駅に到着。やがて札幌から来たという一人の青年(O島氏)が寝袋をもって入ってきた。彼もここで寝るらしい。快く歓迎した。2人で鉄話で盛り上がっていると3年前の岩手開発の最終列車に乗ったと話し、意外なニアミスをしていたことが判明。その後2人がさらに加わり、朱鞠内から幌加内への回送列車を皆で撮影した後、それぞれ床に就いた。


知り合ったO島氏(左)と記念撮影。このあとさらに2人が加わり、楽しい夜が更けていく。(添牛内)

21・政和 (深名線・北海道) 95年9月2日
今日は乗り鉄。名寄〜深川を往復した後、朱鞠内に置いていた原付に乗って政和を目指す。この駅は深名線の中でも人気トップ3?に入り、楽しい駅寝ができると期待してやってきた。深名線最後の夜、鷹泊、円山、特に上多度志は今夜「居酒屋上多度志」と銘打って大宴会が開かれているとのうわさを聞いていた。政和に着き駅舎に入ると案の定、7人ほどが盛り上がっていた。「ご一緒していいですか?」とたずねると歓迎された。この夜はみんな酒を飲み、旅話に花を咲かせ、過去、最も楽しい駅寝となった。駅舎も木造の北国仕様でサイコー。狭い待合室に皆寝袋を敷いて横になった。


22・深川 (函館本線・北海道) 95年9月3日
この日も乗り鉄。バイクを深川に置き深名線最終列車にのって名寄往復後、深川に着いた。駅はもちろん有人駅で、普段駅舎内は施錠されるのだが、最終列車に乗ってきた大勢の旅人のために急遽、待合室を開放してくれた。この夜、深川で駅寝したのはおよそ30人!自分はツーリング中のライダーの軍団と仲良くなりまた酒を飲んだ。翌日は雨の中、内陸を通り、苫小牧からフェリーに乗って帰った。本当に楽しい4日間だった。


23・木の下 (飯田線・長野県) 96年3月
飯田線元善光寺貨物が3月改正で廃止になるとかで、某RMの特集に煽られてやってきた。今回も原チャリ。高速は走れないので国道20号をひたすら走ってきた。大月付近で雨が降り、韮崎を過ぎると雪に変わった。上諏訪についたころには積雪していた。コケないようにビクビクしながら寒さと気力の限界を感じ、街中の木の下に着いたのは午前2時をまわっていた。翌朝は見事に晴れ、七久保の木曽駒ケ岳バックで上り貨レを待っていたら空荷のED62単機がやっきて落ち込んだ。


朝目覚めてすぐやって来た貨物列車。市街外れの駅だったので野宿するにはあまり落ち着かなかった。(木の下)

24・上片桐 (飯田線・長野県) 96年3月
ほぼ一日中晴れ。ある程度コマ数を稼ぎまぁ満足のいく撮影行だった。駅は扉の閉まる駅寝に適した駅で、自分はホームの待合室に寝た。ただ昨日の雪で濡れた服が乾かず不快だったので、服を脱ぎ新聞紙にはさんで、その上に寝袋を敷き体温で暖めたら大成功。快適に帰路に就いた。


25・梅迫 (山陰本線・京都府) 96年3月
この年の改正3月改正は大忙しだった。鶴見線クモハ12の置き換え。急行東海の特急格上げ。八高線の電化。先述の飯田線貨物廃止。東北の客レの電車化。そして今回は山陰線京都口の電化による、特急あさしお、急行丹後、みやづの電車化により消えるキハ181とキハ58の撮影にやってきた。舞鶴線や丹後由良の橋梁などで撮影をし、午前中寝られるか下見をしていた梅迫に到着。あまり駅の印象は覚えていないが一日中撮影で歩き回っていたので爆睡。翌朝、大雪。


26・真倉 (山陰本線・京都府) 96年3月
今までに見てきた駅の中でトップ5に入るくらいつくりが古い駅。土壁と一枚板の荷物台、極めつけが戦前に製作されたと思われる、歪みのあるガラス窓。(当時は平滑なガラス板を作る技術がなかった) 翌朝も降雪。

27・保津峡 (山陰本線・京都府) 96年3月
吹きっさらしのホーム上のベンチ。峡谷上にかかる橋上駅のため風が非常に強かった。駅周辺は無人地帯。寝ていると夜中、車で4,5人の男がやってきて、大声でわめきながら駅周辺で何かを破壊しているようだ。酒に酔っただけとは思えないほどの騒ぎ方で、恐ろしくなり彼らに気づかれないように息を潜めていた。翌朝、周囲を観察してみると、駅前の自販機が変わり果てた姿に・・・。その恐怖のため寝不足で、目が覚めたとき乗るべきはずの一番電車が出発するところだった。乗り遅れると本日の予定の飯田線撮影に間に合わないので、京都から新幹線で追いかけて¥5000の臨時出費。


新線切り替えで峡谷にかかる駅になった保津峡を通過するキハ181あさしお。右奥に見えるは旧線。(保津峡)

28・上涌谷 (気仙沼線・宮城県) 96年3月
96年改正で廃止の東北本線客レを撮るため18切符で北上中。最初隣駅の小牛田の待合室が解放されるようだったので寝る準備をしていると、酔った乞食が入ってきて臭かったので、仕方なくタクシーでこの駅に移動。すぐ脇を走る国道がうるさかったが駅は快適で熟睡できた。

29・大釜 (田沢湖線・岩手県) 96年3月
東北客レ撮影後、この駅へ。盛岡で銭湯探しに失敗したため、終列車が行ったあと、濡れタオルで体を拭き着替えた。翌朝は485「たざわ」を撮影しようと目論んでいたが、吹雪のため駅から全く動けずヒマをもてあました。

30・下島 (飯田線・長野県) 96年8月
この年の春にやっていたドラマ「白線流し」にはまっていて、酒井美紀ファンの友人N山と、ドラマの舞台となった松本に行こうぜ、とノリで原付2ケツで旅立った。長距離を2ケツで走ってきたため非常に疲労しており、適当に見つけたこの駅で旅装を解いた。買っておいた夜食を食べようと袋を開けると、缶ビールが破裂していて弁当が台無しになっており、空腹と暑さのため一睡も出来ず、結局松本へは行かず、朝になると貨物列車を一本撮ってすぐに横浜へ逃げ帰った。


列車撮影中、ついに倒れこむN山氏。本当に暑い一日だった。(七久保付近)

31・陸中大橋 (釜石線・岩手県) 96年8月23日
横浜を未明に原付で出発して雨の中一日中走り通して到着。駅舎は建て替えられたばかりの新しい待合室と、ホーム上に昔ながらの古い待合室があった。まだ明るいうちに到着してしまったため、ホーム上の古い待合室で雰囲気を楽しみながら翌日の予定を立てる。有名なオメガループの麓の駅なので、はるか山上を行く列車を見て楽しんだ。翌日はバイクを駅に置いて列車の旅。一関、盛岡、山田線、岩泉線に乗り一周してきて夕方到着。

32・蟇目 (山田線・岩手県) 96年8月24日
初めての山田線訪問。宮古のコンビニで夜食を買ってから、駅寝出来る駅をひとつづつチェックしていたら3駅目のこの駅に到着。なんだかジメジメした感じの駅で、不衛生な古い待合室で就寝。翌朝目覚めると、周囲に何匹ものヤマビルがうごめいており、腰を抜かした記憶があるが、幸い吸血される直前で目覚めたようで、何度もヤマビルがついていないかどうか寝袋をチェックしてから撤収した。

33・箱石 (山田線・岩手県) 96年8月25日
岩泉から細い峠を越えてようやくこの駅に落ち着いた。温度計を見たら真夏なのに16℃。半袖だったので雨合羽を着込んで体温保持。駅舎の扉の建て付けが悪く閉まらなかったので、ホーム上の小さな待合室で寝る。ガス欠直前で到着したので翌朝は移動を控え、駅近くの跨線橋からキハ52の5連を撮影。8時になって近くのガソリンスタンドが開いたので給油してようやく移動開始。


現在、この駅舎は壊されて、小さなログハウスの建物になった。(箱石)

34・細岡 (釧網本線・北海道) 97年3月3日
この春の改正で廃止になる釧網線の貨物を撮るためやって来た。18切符だったので昨日の朝に出発し、普通列車をひたすら乗り継ぎ夜行便の青函フェリーで渡道。2日がかりでようやく目的地に着いた。5年前にバイクで来たときは大湿原の小さな古い駅舎であったが、無味乾燥なログハウス駅舎に建て替えられていた。釧路からの終列車で降り、20分後の釧路行き最終列車をバルブ撮影しようとホームで待っていると、黒い大きな犬が吠え狂いながら突進してきた。背中を見せて逃げると飛びかかられそうだったので、後退りしながら駅舎に逃げ込む。バルブはあきらめて駅舎に入るが、ますます寒くなりそうだったので、朝撮影に必要なカメラの電池を懐に入れて暖め、ワンカップを飲み干し寝袋に入る。夜中、あまりの寒さに目が覚めた。何時だろうか?時計を見ると液晶が凍りついていた。壁掛けの温度計を見るとマイナス16℃!腹に入れ解凍し、動き出した時計を見るとまだ2時。とにかく寒く顔面の神経が麻痺してくるのが分かり、手足の感覚もなくなってくる。寝袋なんて何の役にも立たない。とにかくこのままでは危険だと感じ、駅舎の中を朝までひたすらグルグル走って意識的に生命を維持していた。翌朝、駅から徒歩10分ほどの撮影地にも行く気力さえなくなり、駅ホームから貨物列車を撮影。待ちに待った釧路行き一番列車に飛び乗った時は、本当に救われた気がした。

35・熊本 (鹿児島本線・熊本県) 97年3月
東京から青春18切符で普通列車を乗り継ぎやっと到着。豊肥本線のキハ52がなくなるとかで、わざわざ九州入りしたと記憶しているが、あまり動機は覚えていない。県庁所在地の大きな駅なので、夜中は追い出されるかと思ったが嬉しいことに開放。意外なことに周囲では旅人が数人、夜を明かしていた。自分はベンチを寄せ集めて横になる。さすが南国で3月だというのに暖かで持参した寝袋も要らなかった。

36・大嶺 (美祢線・山口県) 97年3月30日
大嶺線廃止に立ち会うべく大垣夜行乗り継ぎで最終列車で到着。廃止前日だというのに最終列車の乗客はたったの10人ほど。最終の回送を見送って寝る準備をしていると、いつも廃線間近になると出没するT氏が率いる軍団がやって来た。彼らはすぐに車に分乗して銭湯に行ったようだが、やがて戻ってきて大騒ぎするだろう。同じ最終列車で降りた輪行のチャリダー氏と、他に2名の旅人と仲良くなり、しばし4人で盛り上がる。そこにこの集落で駐在をしている非番のお巡りさんもやって来て話に加わり、大嶺炭鉱のことや大嶺線のことについていろいろ教えてもらった。1時間ほどして案の定T氏軍団が戻ってきて騒いでいたが、われわれは無視して就寝。


さよなら式典前。いつも静かな大嶺駅前は来賓、マスコミで賑わうことになる。(大嶺)

37・大嶺 (美祢線・山口県) 97年3月31日
 大嶺線最終列車に乗りこの駅に到着。最終回送列車を見送り待合室に入ると、早速職員の手によって運賃箱や時刻表が取り外されていた。明日の美祢線一番列車に乗って帰らなくてはならないので、南大嶺に戻るかここで駅寝するか迷っていると、同じ最終列車で降りたテツ2人組がここで駅寝するというので、ご一緒させてもらうことにした。3人で酒を買出しに、すっかり寂れた大嶺メインストリートを歩きながらテツ話をしていると、3人とも3年前の深名線廃止を経験していることがわかった。驚いたことにそのうちのT井氏は9月2日政和、9月3日添牛内と、自分と全く逆の順番の駅で駅寝をしていたそうだ。駅に戻ると南大嶺から歩いてきたと言う下関の人と仲良くなり、計4名で記念すべきJR発足10周年の夜を、今日使命を終えた駅舎で迎えることになった。T井氏と下関氏は寝袋に入り高らかにいびきをかいている。もう一人の同郷のO氏は寝袋を持ってきていないとのことなので、寒さを忘れるため話に付き合うことに。同郷なので共通テツ体験も多く、酒も回り話に熱中した。気がつくと時計は5時。乗るべき南大嶺発の始発まで40分もない。南大嶺まで2,8km。ギリで間に合う時間である。別れの挨拶もそこそこに、持参した懐中電灯の明かりを頼りに真っ暗な田舎道を小走りで進んだ。結果、無事一番列車に乗車。
38・坪 (南部縦貫鉄道・青森県) 97年5月2日
 南部縦貫鉄道の廃止を見届けるために原付で走り通しでやってきた。昨夜未明に出発してほぼ休憩なしで夕方到着。非常に風が強い日だったので、汗とホコリを天間林温泉で流した後、至近の天間林で寝ようと訪ねると、毎度毎度のことだがT島氏の軍団がいたので「一緒に駅寝していいですか?」と聞くと無視され腹が立ったので引き上げようとすると「今夜はここにみんな集合して一杯になるから他の駅に行ったほうがいいよ」と言われ、頭に来たので、ここ坪に移動。坪に到着するとすでに一人の青年が寝袋を敷いていた。彼はバイクで一関から来たと言い、東北をツーリング中だそうだ。寡黙な人物であまり話は盛り上がらず、それぞれ手酌で酒を呑んで就寝。


農家のような坪駅。夕方になると「坪ネコ駅長」が駅務につく。(坪)

39・坪 (南部縦貫鉄道・青森県) 97年5月3日
 一日中撮影と移動。今夜こそ天間林で駅寝をしようと訪問したが、またT島氏と軍団がいたので坪に移動。今夜は誰もおらず一人での駅寝だ。飯を食い終わって横になっていると、3人組みがやってきた。「こんばんは」とお互い挨拶を交わすとどこかで聞いたことのある声。3年前、深名線朱鞠内で一緒に駅寝した北海道のO島氏だ。4人で酒を飲みながら駅舎の写真を撮ったり、この駅に住み着いているネコ、通称「坪ネコ駅長」と戯れたりしながら楽しく時を過ごした。

40・坪 (南部縦貫鉄道・青森県) 97年5月4日
 大嶺線廃止の際、一緒に駅寝したT井氏が、南部縦貫最終日は天間林で駅寝したいと言っていたのを思い出し、天間林で最終列車を迎えたがT井氏は降りてこない。歩いてやってくるのかと思いながら1時間ほど待っていたが彼は来ず、また例の軍団の一人が車で乗り付けた。今日も軍団はここで駅寝するそうだ。直感で坪にT井氏がいるかもしれないと思い坪へ行ってみることにしたが、もしも坪で寝られなかったとき、またこの天間林に戻って寝るために、寝袋を天間林に敷いて場所を確保したまま土砂降りの大雨の中、坪駅に向かって出発した。途中坪川駅にも立ち寄ったが、見知らぬ旅人が一人駅寝しているだけ。T井氏ではない。やがて坪に到着すると一人の男が寝袋に包まりながら酒をあおっていた。T井氏だ! 再開を喜び合い、急いで天間林から寝袋を持ってくる。T井氏いわく、あとから数名今晩この駅で寝るためにやってくるそうで、そのうちの一人は深名線廃止の時に知り合った青年という。話の内容からもしや?と思い彼らを待っていると案の定、夕べのO島氏だった。T井氏とO島氏は深名線廃止の9月3日の夜、私が深川で駅寝していたとき、隣駅の留萌線、北一已で一緒に駅寝していたそうだ。O島氏の他には青森の自衛隊員O原氏、函館のO島氏の幼馴染K氏、ヨドバシカメラ社員のY氏とT井氏の計6人で南部縦貫鉄道の最後の夜に乾杯した。その夜は本当に楽しく酒がどんどん進み、結局最後まで残ったのは自分とO原氏で、Y氏が黙って注ぐ酒を飲んだくれながら、内容は覚えていないが大盛り上がりし、夜遅くまで何かを語り合っていた。結局自分は500ml缶ビール×2本、T井氏にもらったワンカップ、激安の25度の焼酎1リットルを飲み干し酔いつぶれてしまった。翌日目覚めると昼過ぎで、当然周囲には誰もおらず、一人取り残されていた。真っ直ぐ立つことも出きないほどの二日酔いで、枕元を通過する午前中の列車には全く気づかず、吐き気に苛まれながら寝具を片付けた。その後、二日酔いでバイクに乗り七戸に移動。列車に乗ろうとホームに立っていると吐き気が強くなり、とうとう南部縦貫のアイドル、DB除雪車に浴びせかけてしまった。猛省。

41・天間林 (南部縦貫鉄道・青森県) 97年5月5日
 南部縦貫鉄道最終列車で七戸到着後、4日目にして念願のこの駅で駅寝。他には夕べのT井氏、K氏、O原氏、そのほかK氏の友人が車で来た。リーダー格のK氏は最終列車車内で南部縦貫鉄道社長からもらったという日本酒1升瓶をラッパ呑みして酔いつぶれている。みんな疲れているせいか、すぐに就寝。翌朝K氏の友人が、青森県に拠点を置くのコンビニ「オレンジハート」で買ってきたおでんをガソリンコンロで暖めてくれて美味しくいただいた。


荒れ放題の天間林。駅舎は写真右側で、シンプルな木造駅舎があった。(天間林)

42・横川 (信越本線・群馬県) 97年7月23日
 長野新幹線開通により廃止となる信越本線碓氷峠の撮影に初めて訪れた。過去幾度か列車で通過したことはあったが、線路外から見るのは初だった。夕方横浜を125ccの原付で出発。当地からは国道16号、254号線で武蔵野台地を突っ切るのが最短ルートだが、確か八王子の市街を通過するのが単に嫌というだけで、国道20号で山梨県に入り小海線沿いに小諸側に抜けるという大迂回ルートで来た。小諸までは快適なナイトツーリングだったが軽井沢に着く頃雨が降り、碓井バイパスを安全運転で下り午前1時20分、横川に到着。屋根だけある団体改札に寝袋を敷いて就寝。山間の駅だが暑さでほとんど寝られず。翌日はさみだれの中、1日中撮影。


峠の前線基地、横川。夜中施錠なので、写真のタクシーの止まっているあたりの軒下に寝袋を敷いた。

43・横川 (信越本線・群馬県) 97年7月30日
 今回は最短ルートで早朝出発。午前の489の白山編成を撮影するため、その時間に合わせて出発してきた。今日は日中撮影のため峠を行ったり来たりしていた。夕方横川の西方にある霧積温泉に行くため、細い県道を片道20km山奥へ分け入る。静かで奥ゆかしい温泉宿だった。さっぱりして気分もよくなったので、ちょっと高いがこの宿に泊まってしまおうかと心揺れたが、当時極貧状態だったので、また雨の中20kmの山道を下り、前回寝た団体改札の屋根の下で、横からの雨でビショビショになりながら一夜を明かした。これが現実。

44・宮島 (宮島航路・広島県) 97年8月
 青春18切符を使って、美祢線のセキや、伯備線国鉄色381を撮影する旅の途中。三次で三江線に乗って長門市付近で駅寝の予定だったが、備後落合から乗った芸備線の列車が、台風に伴う大雨の影響で1時間ほど遅延し、三江線最終に接続できなくなってしまった。T井氏から宮島で駅寝したという話を思い出して、仕方なく広島へ出て最終の宮島連絡船に乗ってここにやってきた。翌日は宮島花火大会があるとかで船内はかなり混みあっていた。改札横のベンチで星を見ながら就寝しようとするが、暑さと蚊の攻撃に加え、祭り前夜のためナンパ目当ての連中がウロウロしていて落ち着かず、なかなか寝付けなかった。

45・上有住 (釜石線・岩手県) 97年8月22日
 125ccの原付による北海道ツーリング初日。未明に出発して国道4号、仙台から海沿いを北上し、日もすっかり落ちた頃、雨の中到着。昨年来たときはいい感じの木造駅舎だったが、隣の陸中大橋同様、新しく立て替えられていた。しかし居心地は大変良く、早く寝袋に入りたい衝動に駆られたが、まだ列車があるためラジオを聴きながら何をするわけでもなく2時間ほど過ごす。やがて駅舎内のスピーカーから最終列車が大雨で20分ほど遅れているとのアナウンスが入る。駅まで孫を迎えに来たというおばちゃんと少し世間話をし、遅れてきた最終列車を見送った後、寝袋を敷いて就寝。

46・岩手刈屋 (岩泉線・岩手県) 97年8月23日
 2日目。宮古の銭湯で入浴した後、漆黒の闇の国道106号を飛ばし、寝られる駅を探しながらこの駅に到着。古い木造駅舎内に入ろうとすると無人駅なのに鍵が掛かっている。そこでホーム上の待合室に移動すると鍵は開いており、ドアと窓が閉まっていたため虫が入ってきておらず非常に快適。ラジオでナイター中継を聞きながら、宮古市内で買ってきたコンビニ弁当を食い、歯を磨いて就寝。


97年の岩手刈屋。10年経ってもほとんど変化は無かった。まるでここは時が止まったかのよう・・。(岩手刈屋)

47・浅内 (岩泉線・岩手県) 97年8月24日
 今日は一日中雨だったので、岩泉線の撮影はほとんどできず、半日岩泉駅でボケッと時間を潰した。それも飽きたので今日の宿と決めておいたこの浅内駅に夕方移動してきたが、ガソリン残量が少なく、翌日早朝の撮影移動を考えて岩泉町内に給油のためにまた戻る。往復20km。浅内に帰ってきて最終列車をバルブしようホームで三脚を立てていると、暗闇の線路の上を歩いて老人がやってきた。その老人は毎日欠かさず散歩するのが日課であると言う。昔、この周辺は林業が盛んだったということ、この街が大いに賑わっていたこと、この付近で採れる製鉄用の粘土を釜石に貨車でピストン輸送していて、貨車が不足していたことなどを聞かせてくれた。「80過ぎてこうして元気なのはこの散歩のおかげ」と言って笑う。20分ほど話して、老人はまた線路を歩いて暗闇の中へと姿を消した。終列車をバルブした後、虫が多いのでホーム待合室で寝る。


土砂降りの浅内に到着した最終列車。駅舎ではなく、画面右奥の快適なホーム待合室で寝た。

48・田山 (花輪線・岩手県) 97年8月25日
 4日目。盛岡から花輪線沿いに走ってきた。日中は晴れていたが、盛岡を過ぎると大雨に。合羽から雨が染みてきたのと疲労とで限界を感じ、寝られそうな駅を探し始める。勘でなんとなく国道から右に曲がるとこの駅だった。買出しがまだだったので、駅前の何でも屋で唯一食べられそうな魚肉ソーセージと怪しいメーカーのアンパンを購入。駅舎内は古い木造だが手入れが良く行き届いており、ベンチには座布団もあったので、夜中は管理者が施錠しにくるのかと思ったが、幸いそういうことはなかった。翌日は小坂鉄道の茂内駅のタブレット通過授受を撮影後、十和田湖を巡り、七戸へ。3ヶ月前に訪れた南部縦貫鉄道の廃線跡を辿った。駅施設や線路は、たった3ヶ月でこれほどで荒廃してしまうものかと物思いにふける。この旅では後半、2年前廃止の際に撮影に出かけた、深名線の再訪を予定している。南部縦貫でこれじゃ深名線では一人泣いちゃうかもと思いながら、3ヶ月前さんざん世話になった天間林のオレンジハートで爆弾オムスビを買って、もう列車の来ないホームのベンチで喰らいついた。

49・有戸 (大湊線・青森県) 97年8月26日
 5泊目。野辺地で銭湯に入った後、ビールだけを買ってこの駅に到着。しばらくして上り最終列車がやって来て一人の乗客を降ろして行った。待合室でビールを呑んでいると、さっき降りた人が寝袋を持ってウロウロしている。同じ旅人として嬉しくなり話しかけてみた。案の定、この駅で駅寝しようと降りてみたら先客である私がいたのでどうしようかと悩んでいたと言う。埼玉から来たと言う彼と意気投合して、満天の星空の原野にポツンとあるこの無人駅ホームで、酒を呑みながらいろいろ語り合っていたが、なにせベンチが一人分の長さしかなく、彼はここを諦めて、間もなくやってくる下り最終で隣駅に去っていった。翌朝、隣の吹越駅に立ち寄ると昨日の彼がいたので、互いに旅の安全を誓い合い、彼は埼玉へ帰り、私は北海道へと旅立った。

50・吉堀 (江差線・北海道) 97年8月27日
 6日目。昨日は有戸を出発した後、下北半島を北上し続けていると、原子力発電所の敷地内に、誰も客がいない展示館があったので入って暇つぶしをしていると、案内嬢が「ご案内します」と勝手についてきた。入館者が他に誰もないのでヒマなのだろうか。汚い格好のツーリング中の自分に、マンツーマンで原発について説いている。「へぇ〜原子力ってこんなに安全なんですね」と心にもないことを言いながらその場を逃れ、大間未成線を見物してさらに北上。本州最北端の大間からフェリーで函館へ。いよいよ北海道。上陸後晴れていたのに木古内を過ぎると夕立になってきた。古い車掌車を改造した駅で虫が少しいたが、旅ノートがあったのでそれに書き込んだりしながら、一人楽しい夜を過ごした。

51・静狩 (室蘭本線・北海道) 97年8月28日
 7日目。今日は渡島半島の日本海側を北上して小樽方面に抜ける予定だった。昨日吉堀を出発後、江差線撮影をし終えて日本海に沿って北上を続けていると、やたらと警察車両や自衛隊の車が多いことに気づいた。瀬棚町を過ぎた頃、突如として国道が堅剛なバリケードによって封鎖されていた。そばに居た警察官に聞くと、昨日この先でトンネル崩落事故があったという。後で知ったことだがこの先の国道の島牧トンネルで大規模な崩落があり、通過していた車が生き埋めになって3名の死者が出ていた。あと1日早かったらと思うとぞっとしつつ、犠牲者の冥福を祈り、予定を変更して渡島半島を横断して内浦湾側へ出た。長万部で銭湯を探すが見つからず、函館山線の黒松内で銭湯を発見するが本日休業。風呂は諦めて駅寝駅を探す。日本の駅名50音順でラストの駅として有名な蕨岱で寝ようかと立ち寄ると、羽アリがびっしりと窓や床を埋め尽くしており、ここはやめて隣の二股に移動。しかしここもまた同じ昆虫博物館状態で、結局長万部に戻ってきた。虫に対処すべくコンビニで蚊取り線香を買い、この静狩駅にたどり着いた。今日もラジオでナイターを聴く。この年、ふるさとの横浜ベイスターズが何を血迷ったか優勝争いをしており、普段は野球に興味のない自分も、この年だけ、にわかベイスターズファンになり毎夜中継を聴いて熱くなっていた。虫もいなく快適な北海道らしい堂々とした古い駅舎だったが、本州と北海道を結ぶ大動脈の室蘭本線は夜中貨物列車が多く、そのたびに構内踏切が鳴りうるさくなかなか熟睡できなかった。

52・鶴沼 (札沼線・北海道) 97年8月29日
 8日目。翌日は札沼線末端区間の撮影をしようと考えていて、新十津川を目指して走っていると、途中で町民健康センターを発見。風呂に入りリフレッシュしたので、バイクで走るのが急に億劫になり、休憩室の畳の上でダラダラと時間を持て余していると、係りのおっちゃんが旅の話を聞かせてくれと親しげに話しかけてきた。しばらく話していると閉館の時間になったので、センターを後にし近くのこの駅へ。駅舎に入ると真っ暗で、おかけで虫もいなかったが暗くて不便なので、蛍光灯や配電盤をいじったりしているうちに復旧。珍しくすべてトタンで出来た駅で、そのせいか少し湿っぽい。旅ノートがあったので弁当を食いながら記入する。翌朝明るくなって気づいたのだが、待合室内にトイレが併設されている珍しい造りで、そのトイレが非常に汚い。そうと知っていたらこんな所で寝なかっただろう。


「村のうんこステーション」鶴沼。さわやかな駅周辺とと相反して、駅舎内は非常に不衛生だった。(鶴沼)

53・朱鞠内 (旧深名線・北海道) 97年8月30日
 9日目。あの伝説の夏から2年振りの深名線再訪。朱鞠内駅は当時と変わらぬ姿で、廃止後バス待合室に使われているらしく駅舎内に入ることが出来た。途中訪れた旧幌加内駅は、旅人のため夜中、駅舎をライダーハウスとして開放するそうだが、この日は幌加内そば祭りで幌加内周辺は観光客で人が多かったので、この朱鞠内駅にお世話になることになった。まだ16時でヒマなのでT井氏に手紙を書こうと、深名線フリークには有名な駅前の西山のじっちゃんの店ではがきを買う。じっちゃんはあの鉄道廃止以来、訪問する旅人が少なくなり覇気が無くなったように見えて、奥の居間でテレビを見ながら寝転がっている。バイクを置き、徒歩10分ほどの郵便局ではがきを投函した後、駅に戻り旅ノートに記帳する。そういえば2年前のちょうど今日、この駅で駅寝したことを思い出した。そして2年前と同じ行動を再現してみたくなり、夕暮れの中、30km離れた名寄まで買出しに出かけた。


19泊目の写真と比べて欲しい。廃止から2年後の朱鞠内。ホームに生えた草が物悲しい。(朱鞠内)

54・抜海 (宗谷本線・北海道) 97年8月31日
 10日目。今日走ってきたルートは、最高の天気で最高の道だった。途中、日本海沿いの原野を貫くオロロンラインでの見事な夕焼けは、道行く旅人の足を止めさせた。日本海に沈んだ夕陽の光が弱くなり、夜の帳が降りた頃、今日の目的地稚内に到着。昨日は風呂に入っていなかったので、地図で発見した稚内市民温泉保養センターに直行。しかしたどり着くとセンターは廃業したようで、南稚内駅前の公衆電話のタウンページで銭湯を探し目星をつけ、そこを目指すが分かりにくく、道行く人に尋ねながらやっと到着。着いてみるとホクレンのGSでもらったツーリングマップに、ライダーハウスも兼ねている銭湯として掲載されていたところだった。なるほどガレージには10数台のバイクが停まっており、今夜は駅寝をやめてここに泊まろうかと思ったが、5年前の初北海道ツーリングの際、根室で泊まったライダーハウスのあの独特の雰囲気が嫌だったので、風呂だけ入って駅寝することに決めた。入浴し終わり脱衣所で着替えていると、備え付けのテレビがただならぬ様子で何かを伝えていた。番台のおばちゃんに聞くと、イギリスのダイアナ元妃が交通事故で亡くなったそうだ。おばちゃんは聞きもしないのにニュースを詳しく解説し、最後に「これで彼女はやっとゆっくりできるね」と言う言葉が心に残った。そのまま風呂上りをゆっくり過ごしたかったが、終列車まで時間が無いので早々に銭湯を後にした。別に列車に乗ったり、写真を撮ったりするわけではないが、無人駅は終列車後、30分から1時間で消灯するため見知らぬ街で明かりの消えた駅を探すのは困難なためである。再び真っ暗になったオロロンラインを10kmほど南下して町外れのこの駅を発見した。おそらく開業当初から使われている年季の入った木造駅舎で、ホームと駅正面側と二つの二重扉に挟まれて待合室があり、北国の典型的な駅舎屋であった。まどろみの時間を、備え付けの旅ノートを読みながら過ごしていると、昔、有人駅だった頃のこの駅の駅長が、駅舎内で首を吊って自殺したことが書かれており、見なきゃよかったと後悔する。その夜は日本海から吹き付ける風がとても強く、古い駅舎の扉をガタガタと一晩中鳴らしていた。


日本の果てに佇む抜海。周囲は民家が草原に点々とあるだけだった。(抜海)

55・上川 (石北本線・北海道) 97年9月1日
 11日目。朝から走り通しで疲労していた。途中当麻付近で雨が降り始めた。普通列車が1日1往復しか走らない駅として有名な天幕で寝ようとし、漆黒の原生林の国道をひた走る。しかし平行しているはずの石北本線の線路が全く見当たらない。上川から10kmほど走ったところで不安に思い地図を見て確認すると、なんと層雲峡方面に行く国道を走ってきたことに気づく。慌てて上川方面に引き返し、間違えた分岐点を線路沿いに進むが天幕駅は見つからない。なぜだ?さらに不安に思いながら進むと、天幕より先の中越駅に来てしまった。ここで妥協して寝ようと思い駅舎に入ると、見たことも無いほどの大量の羽アリ達が天井をびっしりと埋め尽くしていた。しかしガソリン残量がほとんど無かったので我慢してここで寝ようと決心してベンチを見ると、半ミイラ化したスズメの死骸が・・・。さすがに気味悪いので再び雨の中を上川へ下る。燃料節約のため省エネ運転をしながら進んでいたが、街の明かりが見え始めた頃、ついにガス欠でストップ。市内まで2kmの距離だった。あの真っ暗な森の中の国道で停まらなくて良かったと思いながら、バイクを押して上川駅到着。5年前に寝たときと同じように団体改札口に寝袋を敷いて横になる。駅前の喫茶店の宴会がうるさかったが疲れていたのでそのまま就寝。

56・中斜里 (釧網本線・北海道) 97年9月2日
 13日目。今日、知床峠を越えると、途中で陽が落ちてしまうため、峠越えは明日に回そうと峠の麓に一番近いこの駅で旅装を解いた。まだ16時過ぎで明るい。止別のコンビニで買った食料をダラダラ食いながら時間を潰す。ちょうど忘れ物の文庫本があったのでそれを読んだあと、駅前の酒屋でビールを買おうとすると、なぜか自販機なのに瓶ビールしかなく、駅に持って帰ったあと線路に下りてホームのコンクリートの角に引っ掛けて開栓した。翌朝は雨。空瓶を酒屋に返してから知床越えに挑む。

57・別保 (根室本線・北海道) 97年9月3日
 14日目。今日は一日中雨。体温も極限にまで奪われ、釧路で銭湯に入ろうと市街に差し掛かると健康ランドがあったので迷わず入った。入浴料1300円はちょっと損した気分だが、追加で1000円払えば宿泊が出来るというので、今夜の宿は駅寝を諦めてここで寝ることにした。しかし入浴して暖まって体力が回復すると、追加料金を払ってでも泊まるのが惜しくなり、駅寝できる駅を探すべく、また雨の中をバイクで走り出した。雨だったのでいろいろ快適そうな駅を探し回るのが面倒だったので、5年前にも寝たことのある、この別保駅に向かった。最終列車を見送るのを待っていると、保線のおっさん2人がやって来た。ラジオでナイターを聞いていたので、野球の話と旅の話をして楽しむ。その後就寝。やがて周囲が騒々しく目が覚めた。薄目を開けて周囲を見ると、どうやらこの駅舎は新聞配送の中継地になっているらしく、毎朝ここで広告などを挟んだり、配達する方面に仕分けたりしているようだ。翌朝、帰りのフェリー内で着る服を洗濯しようと釧路市内でコインランドリーを探すが、1軒目は早朝で閉まっており、2軒目は500円と高かったので、今日もママレモン洗濯(食器洗いの中性洗剤で服を洗い、休憩中にバックミラーなどに引っ掛けて乾かす方式)で我慢しようと決めラッシュの釧路市外を抜け、襟裳岬を目指した。

58・楓 (石勝線・北海道) 97年9月4日
 15日目。最終日。「かえで」と読む。美しい名前だ。1日2回しか列車が来ない超過疎駅。2年前、深名線の帰りに立ち寄ったこの駅を再訪してみた。当時私が記入した旅ノート宛てに返信があったので、2年越しにそれを読む。そしてまたメッセージを書き込む。もしかしたらその私のコメントに返信があったかもしれないが、10年経った今でも確認できていない。というよりこの駅はいつの間にか廃止になっていて、今となっては確認のしようがない。
 旅ノートに書いてあった、ちょっとじんとくる話 〜 首都圏に住む男性による:「またこの駅に来てしまった。というのも私は昔、しばし旅をしており、ある時の北海道旅行中、ふと立ち寄ったこの駅で知り合った女性と遠距離恋愛を重ねて結婚した。やがて授かった子供には、二人が出会った思い出の駅名から取って『かえで』と名付けた。しかし経済的な理由から離婚。『かえで』は妻の方に引き取られた。『かえで』に逢いたい・・。気付けばまた北海道を訪れ『楓駅』に来てしまう。まぶたに浮かぶのは楽しかった思い出と、想像でしかない今の大きくなった『かえで』の姿。どうすることもできない・・。」
 というような内容で、この旅最後の夜ということもあり、一人センチメンタルな気分になって泣いた。勝手に今の『かえでちゃん』の姿を想像して・・・。


1980年代に開通した石勝線は高規格な軌道を備える。でも行き止まりの楓にやってくる列車は1日2本。狭いベンチで寝るのは辛かった。(楓)

59・乙女 (小海線・長野県) 97年9月
 飯山線のキハ58.28が撤退するため撮影の帰り。最初信越本線の平原(ひらはら)で寝ようと市街をさ迷っていたら、くぼ地の平原に佇む平原駅を発見。ドアも窓も無い吹き抜けの貨車改造駅だった。その晩は風が強かったので、他の駅を当たることにした。名前に惹かれこの乙女を選んだが、なんてことは無いただの市街地の無人駅で、まったりと酒を飲んで寝た。

60・東小諸 (小海線・長野県) 97年9月30日
 信越本線碓氷峠廃止当日。碓氷峠を下る本当の最終列車で横川に着き、登る最終列車となる特急あさまに乗り換え小諸で下車した。改札前でT井氏と合流。コンビニで弁当や酒を大量に買い込み、歩いて隣の東小諸に移動した。翌朝、小海線1番列車で小諸へ向かい、折り返してしなの鉄道となった165系で軽井沢へ。代替バスで峠を降り、横川から丸山まで線路上を歩き、再び列車が来ることのない軌道に思いを馳せた。


廃止翌日、歩いて丸山変電所付近にて。右がT井氏。65‰って結構スゴイ! (丸山変電所付近)

61・知和 (因美線・岡山県) 97年11月
 急行砂丘廃止1週間前。今は無き美作・津山ミニ周遊券で最後の通過授受を撮るためやってきた。2年前来た時には浮浪者が住み着いていて不安だったが、結局いなかった。非常に古い駅舎。昔ながらの一枚板の荷物台の上で就寝。

62・因幡社 (因美線・鳥取県) 97年11月
 急行砂丘撮影2日目の夜。今日は半日近く那岐駅で通過授受の撮影をしていた。那岐駅では、昔ながらの寡黙な駅長さんにお世話になったので、那岐を出発する直前、お礼にと缶ビールを差し入れしたら、「自分、酒飲めませんので」とぶっきらぼうに断られたが、とても温かみのある人物だった。本当に高倉健のよう。映画さながらのぽっぽやだった。那岐駅を後にし、智頭で食料を仕入れ、最終列車でこの駅の到着。荘厳な造りの古い駅舎だった。とても寒い夜だったが、その重厚な駅舎に守られた感じがしてとても快適に夜を過ごした。

63・大崎 (山手線・東京都) 97年11月
 駅寝と呼べるのか?この日、東京湾アクアラインが開通する前日で、開通に伴い川崎〜木更津を結ぶフェリーが廃止になると聞き、大学時代の友人、K内氏と最終便で木更津に渡った。この時間だと横浜に帰れなくても二子玉川のK内氏宅には着けるので、安心しきって港から木更津駅に向かうが、接続を逃し、二子玉川にすらたどり着けない時間だった。山手線最終で大崎で下ろされ、駅改札前で二人でゴロ寝。近くに浮浪者がいて臭く、熟睡できなかった。


最終便の切符を手に入れはしゃぐK内氏。この3時間後、我々は路頭に迷うことになる。(川崎港)

64・坪尻 (土讃線・徳島県) 98年2月6日
 四国徳島でサークルの合宿があり現地集合だったので、ミニ周遊券を使いドリーム豊田、急行かすが、新快速、マリンライナーで琴平に到着。自分ひとりだけを乗せた最終列車は山間を走り、周辺は無人地帯として有名な秘境駅、坪尻に到着。降りようとすると運転士から「ほんとにここで降りるの?」と聞かれ「装備は万端ですから!」と答えた記憶がある。木造の古い駅舎。列車が行ってしまい、物音ひとつ聞こえない静かな夜を過ごした。


周囲には民家ひとつ無い谷底の秘境駅。上り特急がスイッチバックの坪尻を通過して行く。(坪尻)

65・津軽今別 (津軽海峡線・青森県) 98年2月11日
 この春で廃止になってしまうワイド周遊券を使い列車の旅。津軽線最終に乗り、車内から駅寝できそうな駅を注意深く観察してここで降りた。冬の東北なので、万一戸閉めのできない駅で降りてしまったら命に関わる。ここだ!と意を決して降りた津軽二股駅。なんと待合室は施錠されていて入ることができなかった。ピンチ!しかし、併走する津軽海峡線の隣接した津軽今別駅はほぼ同駅構内で、こちら海峡線津軽今別ホーム上の待合室で夜を明かす。非常に寒かったが、買ったばかりの新しい寝袋で快適に睡眠を取れた。翌朝は津軽線一番列車に乗り青森へ。

66・両石 (山田線・岩手県) 98年2月12日
 2日目。この日も宮古からの列車に乗り一つ一つ駅寝駅を車内から探す。昨日は偶然にも助かったが、今日も命が掛かっている。なかなか戸の閉まりそうな駅は無く、ついにあと1駅で終点になってしまった。ここなら最悪街まで歩けると思い飛び降りた駅は、かなり野宿に適しており、高台に聳え立つこの駅待合室で一晩過ごした。

67・千曳 (東北本線・青森県) 98年2月14日
 3日目。昨日、一昨日のようなスリリングな駅寝駅探しはやめて、事前に下見をしておいた。東北本線の幹線駅なので貨物列車がうるさいことは重々承知の上。ホーム上の待合室で就寝。狭いホーム上だったので近くを重量貨物が轟音を立てて高速で通過。わざと深酒をして爆睡した。

68・土深井 (花輪線・秋田県) 98年2月15日
 4日目。秋田から急行「よねしろ」に乗り大館で普通列車に変わり、またリスキーな車内からの駅寝駅の物色を開始。降りた駅は勘通り快適な駅で、あまり記憶に無いことから普通に快適に寝たのだろう。

69・小砂川 (羽越線・秋田県) 98年2月16日
 5日目。夕方下見済み。新しい前面ガラス張りの待合室でそのせいで非常に冷え込む。金魚鉢の金魚のような無防備な状態で一夜を明かし、ようやく暖まれると乗り込んだ一番電車は、全く暖房が効いていなくて、さらに寒い思いをした。

70・前田屋敷 (弘南鉄道黒石線・青森県) 98年3月31日
 弘南鉄道黒石線廃止の夜は、唯一の中間駅であるここ、前田屋敷で寝ようと碓氷峠廃止のときにT井氏と約束していた。前日は夜勤のバイトだったので、勤務終了後、東北新幹線とはつかり乗り継ぎでまだ明るいうちに起点である川部に到着。乗り換えた黒石線車内でT井氏と合流。そのあと2人で終点の黒石から線路沿いを歩き何本か列車を撮影。じつは今日最終日には前田屋敷で鍋パーティーをしようとT井氏と約束しており準備していた。ガソリンコンロ、鍋、調味料、食器などはリュックに詰め込んで持参してきたので、前田屋敷まで歩いた後列車で黒石に戻り、近くのスーパーで肉、野菜、酒類を仕入れ、黒石線さよなら列車に乗車。終点の川部まで乗りたかったが、いつものT島軍団が来ると鍋計画がパーになるので、途中駅の前田屋敷で下車して最終列車を見送った。点火に時間のかかるガソリンコンロに火を入れ、炎が安定してきた頃鍋に水を張り、豚肉、白菜、ネギ、豆モヤシ、最後にキムチの素を投入し、キムチ鍋が完成!ご飯も旨く、酒を呑みながら、冷え込む夜にキムチ鍋をつつきながら暖まった。

  
黒石線廃止翌日の前田屋敷駅の惨状。と、キムチ鍋。ちゃんとゴミは片付けましたよ。 (前田屋敷)

71・日出塩 (中央本線・長野県) 98年4月
 自分の中では恒例である「春の訪れを楽しむソロツーリング」。今回は2泊の予定で原付で出発した。この春は中央西線で現役だった165系の撮影のため21時頃この駅に到着。古い幹線らしい大きめな駅舎で、快適に就寝。

72・伊那小沢 (飯田線・長野県) 98年4月
 昨日日出塩で駅寝した後、一日中165の撮影で木曽路を走り回っていた。暗くなり始めたので中津川から明智を経由して山を越え、天竜川の谷深い飯田線沿線に到着。大きな町は遠いのであらかじめ食料をコンビニで仕入れた後、谷底の小さな平地に開けた伊那小沢にやってきた。元をたどれば飯田線は私鉄として開通した路線で、私鉄っぽいこじんまりとした趣のある配線の駅だった。

73・中土 (大糸線・長野県) 98年6月
 自動二輪免許を取って何年経ったか・・。ずっと50〜125ccの原付ばかり乗り継いできたが、ついに250ccのバイクを購入。格段に行動範囲がひろくなった。250ccのフォーサイトを購入して3日後、念願の高速道路の移動によるツーリングに出発。この夏、サークルの合宿が和倉温泉であったので、下見と宿手配のため、能登半島に向けて旅立った。初めての高速道路、初めての中央高速。この時走りながら聴いていたGLAYのベストアルバムが強烈に心に染み込み、今だに中央道を走るときに聴く音楽はGLAYと決まっている。豊科インターで高速を降り、暗くなった国道を北上。21時前だというのにすっかり寝静まった山間の集落の駅、中土に到着。新しい駅舎だったが、初めての中型二輪の頼りがいのある懐の広さに満足して床に就いた。翌朝は災害から復旧したばかりの大糸線を何本か撮影。

74・佐久広瀬 (小海線・長野県) 98年7月
 当時、恋に破れたばかりの大学時代の友人K内氏がヤケクソになっており、なんだかよく分からないままノリで旅に出た。旅といっても目的地は無く、タンデムシートにK内氏を乗せ、国道20号を山梨方面へ。なんとなく小海線沿いに北上し、なんとなくこの駅に到着。夜遅くまで酒を呑んだくれるK内氏を尻目に、自分は疲れたのでとっとと寝袋に入った。

75・大隅夏井 (日南線・鹿児島県) 98年8月24日
 かねてから計画していた日本列島縦断ツーリング第一日目。川崎から宮崎行きのフェリーに乗って宮崎に到着したのは夏の日差しも暑い16時頃だった。港から南国らしいフェニックスの連続する国道をのんびり南下し、やがて暗くなってきたので駅寝駅を探し始める。北国とは違って南国の無人駅は、待合室のドアが無かったり屋根しかないなどどこも開放的で、夏の野宿には天敵といえる虫たちと一緒に寝なければならず、そのため駅舎の造りで駅を探すのはもちろん、虫が多いか少ないかによって駅寝駅を決めていた。3,4駅ほど見て回って、結局海沿いのため虫の少ない、ここ大隅夏井で最初の夜を明かした。

76・日向八戸 (高千穂鉄道・宮崎県) 98年8月25日
 2日目。昨日の大隅夏井を出発後、ひたすら南を目指し、本土(北海道、本州、四国、九州の基幹4島)最南端である佐多岬に向かった。最南端の鹿児島県佐多岬は、とてもスケールの大きな大隅半島を何時間も縦断してようやくたどりついた。佐多岬はバイク、チゃリンコ、徒歩と手段は様々だが、自分と同様日本縦断に挑戦する旅行者の出発点と言える聖地で、そこかしこに足跡を示した落書きがあった。やはり最果てらしくあまり観光地化されておらず、汚い灯台と、陳腐な展望台と遊歩道、派手な色彩の怪しい神社があったりして、岬全体が昭和30年代のレジャーブームの産物と呼べるような遺産の宝庫だった。午前10時、日本最北端の宗谷岬を目指して出発。この果てしなく長い道のりの第一歩を踏み出した。鹿児島湾沿いに北上。この旅は一日一回は自炊することを決めていたので、途中隼人で、米5kgとインスタントの食料など生活物資を購入。到着した日向八戸で最初の自炊。米を炊き、レトルトのカレーを食らった。


このベンチで寝た。結局災害から復旧することはなく、この高千穂鉄道もこれから8年後に廃止になった。(日向八戸)

77・引治 (久大本線・大分県)98年8月26日
 3日目。今回の旅は要所要所でテツする予定だ。その第一弾が久大本線に残る日本最後の普通客車列車の撮影で2日間を予定している。有名撮影地が点在するこの引治周辺で撮影後、一旦湯布院に出て、駅前の公衆浴場で汗を流した。ここはさすが温泉地で入湯料なるものがなく、お賽銭方式の浴場だった。自分は100円玉を箱に入れた記録がある。さっぱりして翌日撮影の拠点となるこの駅へ。一見ヤンキーのたむろが酷そうな駅であったが、この夜は現れなかった。それにしても駅自体の手入れがあまり行き届いておらず、東北とは違って地元駅への愛着の地方差なのか。


落書きとゴミだらけの引治駅。でもベンチは古く、野宿には快適な寝台だった。(引治)

78・杉河内 (久大本線・大分県) 98年8月27日
 4日目。今日も一日中客レ撮影。豊後森の温泉で汗を流した後、翌朝の杉河内俯瞰をするためにこの駅で寝た。今日は面倒くさいので自炊はナシ。駅舎内は謎のコンクリートの寝台があったので、涼しそうなので直に寝そべっていたが、すぐに暑くなり目が覚める。少しは風があって涼しいだろうとホームに移動し、蚊の猛攻に遭うこと承知でごろ寝した。翌朝目覚めると、全身蚊に数百ヶ所刺され動くのもままならないほどパツパツに体が腫れ上がっていた。

79・湯ノ峠 (美祢線・山口県) 98年8月28日
 5日目。九大線撮影を終了。福岡市内を通過し本州へ。関門トンネルか、高速の関門橋か、はたまた渡し舟で本州に渡ろうか迷っていたが、視覚で九州〜本州に渡ったと実感しやすいだろうと、橋で渡る事に決めた。夕暮れの美しいオレンジの光を浴びて吊橋を渡り本州に入る。翌朝は美祢線の貨物と宇部線のクモハ42を撮りたかったので両立すべくこの湯ノ峠で駅寝することに決めた。厚狭市内でおかずを買い、駅で自炊。今日はお茶漬けでサラリと行った。


今日の夕食はお茶漬け。米を炊いて、お湯を沸かすだけの簡単レシピ。ビール旨し! (湯ノ峠)

80・三井野原 (木次線・広島県) 98年8月29日
 6日目。湯ノ峠を発って、午前中に宇部線クモハ42、重安駅構内でDD51を撮影し、日本海側の長門市へ抜けた。長門市から並行する山陰本線の国鉄色キハ58やキハ181を撮影しながら東進し、今日は大田市周辺で駅寝しようと思ったが、ちょっと足を伸ばして出雲市内にまで銭湯に入りに行った。風呂に入ってしまうと、連日の熱帯夜で、また寝汗をかくのが嫌になり、また寝不足で、少しでも涼しそうな標高の高い駅で熟睡したかった。ここからお手軽に行けて標高の高い駅とは・・・?三井野原。木次線の有名な3段スイッチバックの頂上に位置するサミットの駅である。暗くなった道を山間へ進む。新しく開通した国道のループ橋をグルグル回り標高を稼ぐと、スイッチバックで標高を稼いできた線路と同じレベルになり、この駅に到着。そこは地上の熱帯夜と違って正に別天地。昨日のお茶漬けがあまっていたので、今日も米を炊きサラリと腹を満たした。


 出発してからずっと猛暑の中だったが、避暑のため高度を稼ぎやってきたここはとても涼しかった。(三井野原)

81・松尾寺 (小浜線・福井県) 98年8月30日
 7日目。三井野原から中国山地山間を東に走り、米子付近で日本海側へ再び出た。均整の取れた美しい大山(だいせん)を右手に眺めながら、夏の日本海の穏やかな情景が心地良い。明日あさっては、金沢でサークルの合宿なので、なるべく距離を稼いでおこうと日が沈んでからも移動を続け、この舞鶴市の外れにあるこの松尾寺に夜、到着すると雨が降り始めた。市内中心部の次の駅だったので周辺には民家も多く、落ち着けるか心配したが、寝袋に入ると気を失ったように眠りこけた。

82・上浜 (羽越線・秋田県) 98年9月2日
 駅寝8泊目。前日、前々日はサークルの合宿のため、和倉温泉、次いで金沢の宿に泊まった。合宿とはいっても、昼間の行動は自由だし、全員テツなので皆それぞれ往路復路の行程に命をかけているようで、バイクで日本縦断の途中に参加するなど自分は、全くと言っていいほど浮いていた。金沢の旅館を出発後、金沢市内富山市内の混雑をパスするため、富山県の東外れの朝日ICまで高速に乗り、そこから一般国道で東進。青海駅で休憩していると、今朝宿を一緒に発った後輩のT部とS隈が列車でやって来て下車。DL好きのT部が青海のデンカセメント専用線を見たいとS隈を無理矢理連れて来たそうな。二人とも足が無いので、バイクで山奥の専用線終点まで、勿論ノーヘルで二人をピストン輸送。二人を山奥に置き去りにして、自分は北を目指す。夏の太陽は容赦なく照りつけ、肌がヒリヒリしながらも新潟市内を通過。そして暗くなった国道7号線を北上。途中で羽越線が並走してきて、車も少ない漁村の国道を90km/hくらいで飛ばしていると、バックミラーの後方から3つのシールドライトが迫ってきた。485「特急いなほ」が追従してきたので、スロットル全開。巡航を120km/hに上げる。しばらく485とはいい勝負で並走していたが、さすが特急電車でやがて引き離されてしまった。秋田県に入ってすぐの羽越線上浜駅まで今日はたどり着くことが出来た。

83・陸中野田 (三陸鉄道北リアス線・岩手県) 98年9月3日
9泊目。日本海沿いの上浜から内陸へ移動。午前中は雨も降っていたのでペースも落ち、午後は山田線を撮影する予定だったが時間切れ。ひたすら薄暗くなった国道106号で宮古を目指した。行ける所まで行こうと太平洋岸に出て、北海道を目指すべく進路を北に取った。疲れた頃、三陸鉄道のある駅で休んでいると、今日は移動するのが億劫になり、そのままここで駅寝することになった。ホーム待合で駅寝。

84・稚内 (宗谷本線・北海道) 98年9月5日
 岩手県の次は稚内である。駅寝10泊目。実は今回の旅は時間が無く、かなり後半ペースを上げた。一昨日の陸中野田から太平洋岸沿いに北上して本州最北端の大間岬で、去年と同じフェリーに乗り函館に渡道。函館を出発する頃には陽はすっかり落ちていた。駅寝する駅を探すのも面倒だったので、長万部から並走する高速のサービスエリアで野宿しようと道央道に乗る。洞爺湖SAにピットインすると、内地の感覚でSAには休憩所があって、ベンチなどもあることを想定していたが、ここ洞爺湖SAは小さなトイレがあるだけのPA以下の設備だった。到底ここでは夜を明かせないので、下道に降りて駅寝しようと出発すると、幸いすぐに高速バスのベンチ付きの停留所があったので、9月4日はそこで寝た。翌朝早朝出発。すぐに高速を降りて小樽、石狩、留萌を経由して日本海沿いに北上。飛ばしているうちに稚内に着いてしまった。今日の移動距離600km。稚内手前の温泉保養センターなるところで温泉に浸かった後、ふらりと立ち寄った稚内駅の駅前広場では、ライダーやチャリダーなどの旅人が何十人と盛り上がっていた。皆、今夜はここで野宿をするらしい。楽しそうだったので仲間に入れてもらいここで駅寝することにした、自分は埼玉のVTR250の大学生と仲良くなったが、稚内駅は有人駅なので待合室は締め出されるため、全員駅の軒下に寝袋を敷いて夜を語り明かした。翌日はいよいよ日本縦断の締めくくり、日本最北端、宗谷岬にVTR氏と足跡を残した。日本最北端の果てといっても観光地化されており、はるばる来たなぁ〜といった印象がなく、なんだか物足りなかった。


間宮林蔵が遠く樺太を望む宗谷岬。左がオレ。右がVTR氏。つまらないところなので早々に切り上げた。(宗谷岬)

85・糸魚沢 (根室本線・北海道) 98年9月6日
 11泊目。この日もひたすら移動。日本縦断ツーリングを果たした自分は、すでに帰路に就く。オホーツク海沿いに南下。雨の降る知床峠を越えて、初めて北海道ツーリングの際に立ち寄って感動した、最東端の納沙布岬に夕時に着いた。宗谷岬よりこちらの方が果てという感じがして趣がある。薄暗くなり始めた納沙布岬を後にして釧路方へ。おそらく開業当時から使われているだろう古い駅舎の糸魚沢で北海道最後の夜を過ごすことになった。写真を撮らなかったことが悔やまれる。
今回の旅の総走行距離6379km。

86・気山 (小浜線・福井県) 99年1月
 青春18きっぷで関ヶ原付近でボンネット「しらさぎ」を撮ったり、団臨のキハ58×4連を撮る2泊3日の旅に出かけていた。今夜は小浜線のどこかで駅寝しようと決め、最終の列車に揺られ寝られそうな駅を車内から探していた。列車はある駅で減速したので、車窓に目を凝らす。待合室のベンチは横になれるタイプか?扉は閉まりそうか?衛生環境は?ヤンキーが溜まっていないか?などを一瞬のうちに判断して、いつものようにエイヤーと飛び降りた。この技術はだいぶ研ぎ澄まされたようで、この下車した気山という駅は、まさに駅寝にうってつけであった。戦後増設されたと思われる、停留所タイプの駅で、コンクリートの待合室の中に長椅子があり全身を伸ばすことが出来る。趣の点ではいまいちだが、雪の降る夜だったが、美味しい晩酌のおかげで、ゆっくり時を過ごすことが出来た。

87・七穂 (新潟交通・新潟県) 99年4月4日
 この日は新潟交通廃止の夜。以前行った黒石線廃止の夜にT井氏と催した鍋パーティーの写真に、大学の後輩のT部が感化され、この新潟交通最後の夜、どこかの駅で鍋パーティーをすると約束していた。T部は一日中、列車移動による撮影で先に現地入りしていたが、自分は朝まで夜勤のバイトだったので、昼寝の後、夕方バイクで関越道を北上した。どこかの駅でT部と待ち合わせ。最終のさよなら列車を大勢のギャラリーと見送ったあと、自分は近くのコンビニへ買出しへ。駅に戻りレトルトのご飯を温めて、マーボー豆腐、ワンタンスープなどをつくり、静かな川沿いの無人駅で二人大盛り上がりした。翌朝、T部は廃車回送があるので、それを撮りに近くの撮影地へ。よく覚えていないが自分は用事があったので、すぐに帰ることにした。途中、関越の塩沢石打SAのガソリンスタンドで給油していると、年配のスタンドの店員が給油しながら一言。「春になったね〜バイクの季節だねぇ〜」といった言葉に、北国の人が春を迎える喜びの重さを知り、なぜか今も深く心に残っている。

 旨い酒と暖かいメシでご満悦のT部氏。とても寒い夜だったが体は暖かだった。(七穂)

88・伊勢柏崎 (紀勢本線・三重県) 99年4月29日
 いよいよバイクシーズン。この年のGWは、冬に訪れ撮影に失敗した関ヶ原でのボンネット撮影リベンジ。春真っ盛りの天下の分け目、関ヶ原で撮影を終え、大満足して紀伊半島を南下した。明日は紀勢本線貨物撮影。早朝に下る列車なので、起きてから移動しやすいよう、有名な柏崎カーブに程近いこの駅で泊まることにした。駅舎は小さい貨車改造駅舎で、ベンチも4つ割れているもので、若干寝苦しい。翌朝は1853レを念願の順光の柏崎カーブで捕捉し、昼は一日中伊勢運輸区の原色キハ58を撮った。

89・大内山 (紀勢本線・三重県) 99年4月30日
 キハ58を日がな撮影のあと、まだ旅程に余裕があったので、もう一度1853レを昨日と同じ柏崎で撮るため、隣の大内山で寝た。駅の雰囲気は全く覚えていない。昨日と同じ時間、同じ場所で貨物を待ったが、本務機が日陰に入った時、シャッターを切り見事に失敗。参宮線を撮影し伊勢湾フェリーで海を渡って国道1号を走り、横浜に帰った。

90・大畑 (肥薩線・熊本県) 99年8月22日
 昨年、日本縦断日本縦断ツーリングを敢行したが、日程の不足から、移動移動の毎日で消化不足の感もあったので、今年はもう少し余裕のある行程で再度日本縦断ツーリングをすることに決めた。今年は前日午前中に出発し東名高速、東西名阪を経て夕方大阪南港に到着。フェリーで日向に朝到着。昨年と同じく日本縦断の聖地、佐多岬を正午に出発。目的地を北海道宗谷岬に据えて旅立った。最初の夜は名高いループ線&スイッチバックの駅、大畑で寝ることにした。明治の開業から使われている古い駅舎で、なんと床は土がむき出しのタタキになっていた。今回も自炊の旅。初日のディナーは親子丼のレトルトと、ワカメスープだった。美味!


有名な駅で訪れる旅人も多く、記念に乗車券などが貼られていた。周囲は民家などなく真っ暗闇である。(大畑)

91・南由布 (久大本線・大分県) 99年8月23日
2泊目。昨日の大畑から内陸のやまなみハイウェイを通り、高千穂線の未成区間を見物して、今回のステージ1である久大本線に到着。九州の夏の太陽は、関東のそれとは違い、肌をジリジリ焼き付けるような強烈な日差しだった。明日は、この年の秋に全国で最後まで残った客車列車が廃止になるため、DE10と12系を撮影する予定だ。午後に九大線沿線に到着したので撮影はほとんどせず、由布院で温泉に入ってから、この南由布に到着。新しめの駅舎だが、非常に駅寝に適しており、自炊のカレーを喰ったあと、寝やすい長いベンチで横になった。

92・引治 (久大本線・大分県) 99年8月24日
 3日目。この日も一日中客レ撮影。豊後森で銭湯探しに失敗して、昨日と同じ由布院の共同浴場を訪れる。いろいろ駅に立ち寄って今夜の駅寝駅を探していたが、南国の無人駅は北国の駅と違いどこも開放的で、なかなか良い駅は無い。しょうがなく去年駅寝した引治で泊まる。相変わらず汚い待合室だったので、ホームで昨日買ったお徳用2コパック大盛りククレカレーが余っていたので、2連チャンでカレーを食した。


いつもこんな感じで自炊。飯盒に米と水を入れシェイクして研ぐ。ガソリンコンロに火をかけその上にレトルトを載せると15分で飯が食える。(引治)

93・木与 (山陰本線・山口県) 99年8月25日
 4泊目。九大客レを朝撮った後、福岡市内へ移動。この頃ロングツーリングには完璧な工具セットを携帯していたので、旅の途中でフロントのブレーキパットがなくなりそうだったため、旅の途中で交換しようと福岡市内のパーツショップで購入。貧乏性なのでギリギリパットがなくなるまで走ろうと買っておく。この先、宮城県の石巻付近で自分で交換した記録がある。福岡市内に寄った後、筑豊本線にも1日2本DD51+50系の客レがあったので折尾で撮影。本州へは昨年と違い、関門国道トンネルで渡った。日本海川を北上し、暗くなった頃、道の駅で自炊。今日はお茶漬け。腹を満たして、立ち寄って確認しておいたこの駅に着いた。ホーム待合室は古い快適な造りで、長いベンチに思い切り足を伸ばして寝た。

94・小田 (山陰本線・島根県) 99年8月26日
 5泊目。今日は三江線の団地のような階段の駅で有名な宇津井のホームで昼飯自炊。その後中国山地を横断し、日本海側の出雲市で去年と同じ銭湯に入る。風呂上りで気分が良かったので、なるべく距離を稼いでおこうと小田駅へ。この小田駅はほとんど記憶に残っていない。

95・大鳥羽 (小浜線・福井県) 99年8月27日
 6泊目。当時の小浜線は急行「わかさ」が国鉄色のキハ58で、残るは水色のラインの小浜色で、国鉄色の運用を調べ、一日中この界隈を移動&撮影していた。この大鳥羽は、小浜線唯一の山越え区間の駅で、静かな駅であろうと想像して行ってみた。本日は自炊せず。

96・茂住 (神岡鉄道・岐阜県) 99年8月28日
 7泊目。小浜線に別れを告げ、福井から越美北線に沿って、内陸に入り白川郷、御母衣ダムを観光する。御母衣ダム前の公園で自炊したあと、白川郷温泉へ。高山を経由して神岡鉄道茂住駅に着いたのは22時を回っていた。

97・荻野 (磐越西線・福島県) 99年8月29日
 8泊目。今日は移動の日。茂住から富山へ出て日本海沿いを新潟へ。食料を調達してから阿賀野川に沿って内陸へ。磐越西線で駅寝駅を探していると、T井氏から着信が。今北海道を旅行中とのこと。自分も数日後には北海道に渡るので、どこかでまたご一緒に駅寝出来たらと伝えた。翌朝、早朝通過する貨物列車を撮ろうと目覚ましを早めにセットしておいたが、目覚ましてくれたのは、その貨物列車の通過音であった。

98・佳景山 (石巻線・宮城県) 99年8月30日
 9泊目。荻野で磐越西線貨物列車を撮り逃し、落ち込んでばかりもいられないので、急遽高速に乗り、今からでも間に合う磐越東線の貨物撮影に三春に向かった。ギリでDD51貨物をゲット。その後は国道4号線をダラダラと走り、途中石巻にて福岡で買っておいたブレーキパットを交換。夕方この佳景山に到着。

99・鵜苫 (日高本線・北海道) 99年9月2日
 駅寝10泊目。8月31は山田線茂市駅前の旅館でサークルの合宿。翌日は盛岡市内へ抜けてから田沢湖線沿いに田沢湖へ。秋田内陸縦貫鉄道を見ながら弘前、青森に夜到着。夜行のフェリーを港で待っていると、当時片思いの女の子からメールが初めてあり、異様にテンションが上がったのを覚えている。早朝函館上陸。長万部、洞爺湖を経て再び太平洋岸へ。2日振りの駅寝は、貨車改造駅舎のこの駅だった。

100・西和田 (根室本線・北海道) 99年9月3日
 11泊目。鵜苫を出発して襟裳岬経由で浦幌へ。白糠線の遺構を探したり開洋台行ったりなど、充実した1日だった。北海道らしい大雑把な街の片隅のこの西和田で就寝。

101・愛冠 (ちほく高原鉄道・北海道) 99年9月4日
 12泊目。「あいかっぷ」と読む。国鉄時代、「愛のカップル」とゴロあわせをして人気のあった駅だ。自分の中ではこの愛冠は通算100泊目で、感慨にふけりながら駅寝したのだが、数年後、74泊目の佐久広瀬をカウントしていなかったことが発覚し、記念すべき100泊目は前泊の西和田になってしまった。この愛冠は針葉樹の林に囲まれた静かな駅。翌朝は朝霧の中を富良野を目指して旅立った。


現在は廃止されてしまった愛冠。北海道の秋は一足早く、朝は肌寒かった。(愛冠)

102・天幕 (石北本線・北海道) 99年9月5日
 13泊目。今日は士幌線の廃線跡や、映画撮影用のぽっぽや仕様の不気味なディーゼルカー、石北臨貨を撮って内陸の上川へ。食料調達をしてから、2年前に場所が分からなくて失敗した超有名過疎駅の天幕で寝るため、真っ暗な樹海の国道を進む。やがて並行する石北線の場内信号が道路から見えたので、この近辺が天幕駅であろうが、駅の案内板や駅に続くであろう道の雰囲気が全く無かったので、国道から何気に左折した林道のような道を進むと駅前へと続いていた。この天幕という集落、10数年前に完全に廃村になったらしく、駅周囲は無人地帯。こんなところに駅の必要性はもうないとは思うが、特急や貨物がそれなりに走るので、信号所としての役割のほかに、たまに山菜取りのヒマ人が乗降する役割があるという。駅舎内に入ると蜘蛛の巣が張っていて荒れ放題。備え付けのほうきで少し奇麗にしてから寝具をひく。静けさと周囲は無人の山奥という恐怖と寂しさから、誰かにメールか電話でもしようと携帯を出すと、当然圏外であった。

103・境野 (ちほく高原鉄道・北海道) 99年9月6日
 14泊目。天幕から石北峠を越えて、常紋で貨物を撮影。夕方には生田原温泉に入り、留辺蕊で食料調達。まだ寝る駅の見当をつけていなかったので、北見からちほく高原鉄道の駅を見て回る。ここ境野駅は、古い造りの木造駅舎だったが、なにか様子が違っていて、中に入ると造花や花瓶などの置物がホコリをかぶって多数陳列されていた。無人駅だが人の生活の匂いがして違和感がある。有人駅時代の駅務室の扉が開いていたのでおじゃますると、明らかに誰か住んでいるような気配がプンプンしていて、委託管理の駅で管理人が暮らしているようだった。でも今日はお出かけなのか?住人が帰ってきたらこのまま寝かせてもらおうと寝袋に入り、目覚めたら朝だった。結局住人は現れず、地域の公民館的な使われ方をしているのだと一人解釈した。
104・中名寄 (旧名寄本線・北海道) 99年9月7日
 最終15泊目。昨日は北見の境野から延々と北上。相変わらずつまらない宗谷岬を経由したあと、オロロンラインを日本海に沿って今度は南下する。とりあえず留萌線のどこかの駅で寝ようと南へ走っていると、T井氏から電話が入った。今、廃止され鉄道記念館として保存されている旧名寄本線の中名寄で寝ているとのこと。街灯も無い真っ暗な国道にバイクを止め、現在地と中名寄の位置関係を把握するため、ヘッドライトの明かりを頼りに地図を開いた。今走っているのは留萌市手前。中名寄までは山一つ越えた80km先! 行こうかどうしようか非常に迷ったが、夜の北海道の国道であるから、急げば1時間で着く。名寄市内のコンビニで酒と食料を大量に購入。T井氏の元へ。1年ぶりに再会して、お互い旅の最後に祝杯を挙げた。翌日、深酒をしてしまったため、出発は10時前になってしまった。室蘭まで1日がかりで走り、夜出発する大洗行きのフェリーで、この日本縦断の旅を締めくくった。何十年後か定年になったらもう一度、またバイクで日本縦断をしようと心に決めて・・。
今回の旅の総走行距離8150km

105・南由布 (久大本線・大分県) 99年10月
 大学の巡検(現地調査)のゼミが鹿児島であったので、同じゼミだったK1トップ氏と当然のように列車で行くことにした。他の学生は全員飛行機。我々は集合前日の夕方の寝台特急「はやぶさ」、「有明」で鉄路で鹿児島入りしていた。もう完全に遊び気分。2泊の鹿児島滞在を終え、一番列車で逃げるように鹿児島を出発。目指すは久大本線。鳥栖から12系の客レに乗り、日田でレンタカーを借り、撮影開始。一日中撮影したあと、2ヶ月前来たばっかりの湯布院の温泉に入って南由布で寝た。このために寝袋を持ってきた。


こんな普通客車列車がガシガシ走っていましたなぁ〜 (豊後中川〜天ヶ瀬) 

106・落合川 (中央本線・岐阜県) 00年4月8日
 前々日、横浜をバイクで出発して夜の東名高速を西へ。伊吹PAの外のベンチで仮眠したあと、米原で高速を降り、近くの田園の撮影地へ向かった。今日は京都車のキハ58×11両(!!)を使用した団臨が運転されるので、それを目当てにやって来た。目の前を轟々と通過する国鉄色11連の撮影に成功し、、返しを余呉で撮影。夕方岐阜市内を通過し中津川市内で健康ランドで風呂に入り、今日の寝床、落合川まで到着。明日は165系のさわやかウォーキング撮影。165マニアのK1トップ氏も大垣夜行に乗って参戦する予定なので、一緒にバイクで行動できるよう今回はヘルメットを持ってきた。夜、氏から電話があり、現地の桜開花状況を報告して眠りに着いた。


当サイトトップページの背景です。桜と唯一のデカ目S8編成。(場所失念))

107・洗馬 (中央本線・長野県) 00年6月2日
 サークルのテツメンバーで中央西線の165系「さわやかウォーキング」を撮ろうと、信濃路に集合することになった。バイクで昼過ぎころ中央高速に乗る。笹子トンネルを抜けて甲府盆地に入った最初の釈迦堂PAで、エリア内の芝生の上で昼寝をしながらK1トップ氏を待つ。やがて1時間ほど経った頃、彼は青い軽自動車で到着。さらに加わる後輩のT部を待っていたが、なかなか来ないので連絡をすると、まだ調布付近の国道20号を走っているとのこと。ここまで2時間くらいかかるだろうから、T部を置いて行くことにし、先に我々2人はPAを出る。経費削減のため、高速は待ち合わせと甲府市街をパスするためだけに乗ったようなもので、確か韮崎ICあたりで高速を降りて国道20号を走ったような気がする。やがて上諏訪に到着。この頃長野の165が、普通列車の代走をしてたので、それをバルブしようと2人で駅構内へ。大興奮のK1トップ氏を他所に、自分は水色の165は興味ないので見るテツ。塩尻で食料を買い込み、今日の合宿場所、洗馬に先に到着した。1時間ほど遅れ、T部とY花がやって来た。そして大宴会。
 翌日4人で贄川付近の撮影地で、それぞれお気に入りの場所で165「さわウォ」を撮影。撮影後、一旦全員集合して、返しはどこで撮ろうかと話し合っていると、激しい雨が降り出した。これでは撮影は不可能であろうと、返しは諦めて移動することにし、伊那松島からの165展示列車返却回送を撮ろうと、山を一つ越えた飯田線で撮影することにした。現地は曇っているものの、雨は止んで、列車通過時間まで撮影場所の踏切で、4人で曇り空の下、思い思いに昼寝をした。無事165撮影のあと、飯田線有名撮影地の一つでもある大田切の鉄橋で記念撮影をし、解散した。


なんかその当時、部内で西部警察が流行っていたので、それのマネ。左からK1トップ氏、Y花、オレ、T部。(大田切)

108・戸河内 (可部線・広島県) 00年8月11日
「白砂青松、神の国にてキハ181と出逢う」を参照してください。

109・田儀 (山陰本線・島根県) 00年8月12日
「白砂青松、神の国にてキハ181と出逢う」を参照してください。

110・波根 (山陰本線・島根県) 00年8月13日
「白砂青松、神の国にてキハ181と出逢う」を参照してください。

111・御来屋 (山陰本線・島根県) 00年8月14日
「白砂青松、神の国にてキハ181と出逢う」を参照してください。

112・新疋田 (北陸本線・福井県) 00年8月15日
「白砂青松、神の国にてキハ181と出逢う」を参照してください。

113・倶利伽羅 (北陸本線・石川県) 00年8月16日
「白砂青松、神の国にてキハ181と出逢う」を参照してください。

114・相月 (飯田線・静岡県) 00年10月26日
 卒業論文の現地調査のために訪れた。未成線の「国鉄佐久間線」をテーマに執筆しており、役場や関係者の話を聞くために静岡に飛んだ。飛んだって言っても当時は金が無く、江ノ島→西湘バイパス→箱根新道→国道1号の下道で天竜市を目指していたが、時間切れ。焼津から東名に乗った。すっかり暗くなった明日の調査予定地を過ぎ、駅寝場所を求めさ迷う。遠鉄の駅よりは少しアプローチが遠いが、飯田線の駅なら寝やすいだろうと深い谷間の国道を走り、この相月に到着。駅の様子を観察して寝られることを確認。買出しがまだだったので、すこしまとまった集落の水窪に移動。コンビニくらいはあるだろうと高を括っていたが、見事に無く、この時間では開いている商店も皆無なので、道端の自販機でビールとカロリーメイトを購入。さっき下見をしておいた相月に戻り、階段を登った高台の駅のホーム待合でディナータイム。腹減った・・。


相津駅予定地。建設から30年放置され、このまま朽ち果てて行くのか!? (相津)

115・フルーツパーク (天竜浜名湖鉄道・静岡県) 00年12月3
 今回も卒論調査のため佐久間線へ向かう。前回は下調べも手薄だったので再調査のため2回目の訪問になってしまった。10月の第1回目と同じく、高速は使わず下道で行った。天竜市で食料調達のあと天浜線で駅寝駅を探す。もう12月だったので山奥の飯田線の駅より寒くはないだろうと、平地の駅を見て回っていると、3セクになってから開業した新しい駅を発見。幸い扉は施錠でき寒さをしのげそうだったので入ると、天井の高い三角屋根の造りなので、暖気がすべて天井にいってしまいかなり寒かった。 

116・下北 (下北交通・青森県) 01年3月30日
 本州最北端の鉄道、下北交通が廃止になるので撮影に来た。18切符の旅。早朝上野を常磐線で出発。ひたすら、ただひたすらに普通列車に乗り継ぎ下北交通の接続駅、下北に最終列車で到着。ホームの小さな待合室で横になった。寒かったが酒を呑んで暖を取り、寝袋に入った。最終日前日だというのに乗客は一般人だけで、なんだか拍子抜けした、

117・川代 (下北交通・青森県) 01年3月31日
 18切符の旅なので撮影は列車移動と徒歩。廃止当日のため、お別れ乗車を捌くため3両編成の列車がフル稼働していたので、効率よく撮影できた。昼頃、早掛沼の撮影地で撮っていると、埼玉から車で下道を走ってきた後輩、T部に会った。樺山の撮影地に車で連れてってもらったりしながら一日中撮影。やがて夕方になり、そろそろ最終列車に乗る計画を立て始める。最終列車の終点、大畑まで乗りたかったが、大畑は市街地なので車の駐車は困難だったため、1駅手前の正津川に駐め、T部と二人列車で下北へ向かう。この列車の折り返しが下北交通最終列車。満員の乗客を乗せ、下北出発と同時にビールで乾杯。犬が線路に飛び出して緊急停車するハプニングもあったが、車内は和気藹藹とした雰囲気で順調に終点に近づく。終点までは行かず、車が置いてある1つ手前の正津川で下車。去り行く最終列車を見送ったあと、列車を追いかけて興奮冷めやらぬ大畑で最後の入庫を撮影。その後車に乗せてもらい今日の寝床、川代に到着。2人で下北交通最後の夜に祝杯を挙げた。


Love&Peace!! 下北交通、永い間お疲れ様でした! 高らかに祝杯を挙げるT部氏。ちなみに「ほんずなす」とは津軽弁で「バーカ!」の意。(川代)

118・伊勢柏崎 (紀勢本線・三重県) 01年8月24日
 この年、友人のB所が、初めて買ったバイク「マジェスティ」で北海道に行くと言うので、自分は九州に行くことにした。なんでそういうことになったのかはよく覚えていないけど、妙な対抗意識だったのかも知れない。16時過ぎ出発して東名高速を走り、伊勢道勢和多気ICで降り、国道を南下。明日早朝の貨物撮影のために1発目撮影地付近で駅寝をしたかったが、適当な駅を見つけるのが面倒くさく、仕方なく2年前にも泊まったこの伊勢柏崎を選んだ。翌朝は貨物列車の各主要駅での長時間停車を利用しては追っかけ。終点の新宮まで撮影。その後紀伊半島内陸を北上し十津川温泉で白昼の一番風呂を楽しんだ後、南部付近に海沿いに出て紀州鉄道を撮影して楽しんだ。

119・岩代 (紀勢本線・和歌山県) 01年8月25日
市街地外れに建つこの駅で2泊目。駅舎はモルタルのちょい古い無人駅。周辺には民家が多数あったので、早い時間に到着したのだが、あやしまれないように、近くの本屋で立ち読みをして時間を潰し、終列車間近にこの駅にやって来た。

120・和佐 (紀勢本線・和歌山県) 01年8月26日
 今日も、最後の定期運用で残る紀勢本線165の撮影。紀勢本線は23時過ぎまで列車が走っており、遅くまで下車客も多いので、なかなか駅で横になることは出来ないので、日が沈んで撮影が出来なくなってから、近くの林道に入り、ナイトツーリングを楽しむ。昼間下見しておいたこの和佐駅に戻り、上り165系を撮影したあと、弁当を食って床に就いた。


退避もできる広い構内を持つが、駅舎はとても小さい待合室だけの駅。和歌山行きをバルブしておやすみなさい。(和佐)
121・西粟倉 (智頭急行・岡山県) 01年8月27日
 午前中紀勢本線の165を撮影して、近畿道、中国道を経て岡山県の智頭急行にワープ。午後の猛暑の中、原色キハ181が残る特急「いなば」の撮影。新線として開業した智頭急行の駅はどこも快適で、駅寝探しに苦労しない。鳥取まで風呂に入るため一足伸ばし、再び山間に。広い待合室を持つ西粟倉に到着したのは、かなり遅くなってからだった。

122・黒松 (山陰本線・島根県) 01年8月28日
 今日は午後から雨が降り、精神的にも疲労していたので、駅寝はやめて道の駅の休憩所で寝ようと考えていた。以前にも来た事のある道の駅「キララ多岐」でビールを呑んでベンチで横になっていると、自分と同じ年くらいのヤンキーに体を揺さぶられ起こされた。酔っ払っているらしくかなりウザイ。自分も酔っ払っているふりをしつつ寝ようと適当にあしらっていると、それが癇に障ったらしく喧嘩腰になってきた。今日はここで落ち着いて寝れないと判断したが、酒を呑んでいるのでバイクで寝場所移動も出来ない。しばらくすると長距離トラックの運転手が休憩のためやってくると、彼にも絡み始めた。運ちゃんがトイレに行くと、そのヤンキーも絡みながら後をつけて行った。今がチャンス!とばかりに身の回りのものを速攻で片付け、駐輪場へダッシュ。FORZAのエンジンを始動し非常脱出成功。当然飲酒運転だが非常時なので止むを得ない。雨の中、しばらく行った国道沿いのこの駅に到着。島式ホーム上の待合室で夜を明かした。
123・糸田 (平成筑豊鉄道・福岡県) 01年8月29日
 昨夜の黒松を出発後、朝の岡見貨物を撮影。181「いそかぜ」も撮ったりしながら日本海に沿って西進。国道の関門トンネルで九州に渡り、小倉市内の銭湯で汗を流した。明日は朝の筑豊客レを撮影したかったので、撮影場所に近いこの地域で駅寝駅を探していたが、どこもかなり民家が近くまであり、なかなか落ち着ける駅はなく、しょうがないので、スーパーの裏手にあって目立たなそうなこの糸田で旅装を解いた。4つ割れベンチなので寝苦しかったが、夕べもほとんど熟睡できなかったので、すぐに深い眠りに落ちた。

124・矢岳 (肥薩線・熊本県) 01年8月30日
 今日は朝からずっと雨だった。土砂降りの中、筑豊客レを遠賀川橋梁で撮影の後、内陸を通り矢岳に到着。肥薩線の山越えルートの頂点に立つ駅で、明治時代の全通時の駅舎で有名な駅でもある。雨足の衰えぬ真っ暗な峠道を進むことしばし。ようやく矢岳駅に着いたときは心底安堵したものだった。翌朝は古い駅舎を撮影。本州最南端を目指した。
今回の総走行距離1697km


前愛車のFORZA(MF06)と矢岳駅。九州は車両の斬新さの反面、このようなノスタルジックな駅舎が多数存在する(矢岳)

125・用瀬 (因美線・鳥取県) 03年8月25日
 2年ぶりの長期休暇である。4日間だが、公休を寄せ集めて取ったので、休み前後は辛かったが・・。仕事が夕方終わって東名で出発。限られた時間少しも無駄にしたくなかったので、無休憩で走り続け兵庫の西宮名塩SAに到着したのは深夜3時だった。仮眠のあと早朝出発。朝からキハ181「いなば」を撮影して、一昨年と同じく鳥取の銭湯に入り、8年前にも寝た用瀬に到着。前回は暑かったのでホーム待合室だったが、今日は少し肌寒いくらいだったので、駅本屋で扉を閉めて寝た。


急行砂丘はなくなってしまい因美線に用事はなくなってしまったが、思い出の地としてまたいつか来てみたい。(用瀬)

126・泊 (山陰本線・鳥取県) 03年8月26日
翌日はこの年ついに撤退となる鳥取のキハ58国鉄色と、特急「いなば」として残存していた国鉄色キハ181を朝から撮りまくり。しかし午後になって、朝からの曇り空がついに雨に変わり、撮影もままならないので鹿野の町営温泉センターで半日を過ごす。夕方になり近くのこの泊に移動。駅舎はただの椅子だけある待合室で、扉も閉まらなかったので駅ホーム待合室で横になった。


最終鳥取行きが到着。急行色58は勿論、タラコキハ40族もウヨウヨしていた頃だった。左のホーム上の待合室で寝た。(泊)

127・美作河井 (因美線・岡山県) 03年8月27日
今回の旅は天候に泣かされた。出発以降曇りか雨。撮影しても満足行く仕上がりにはならず、不完全燃焼のまま最終夜。今日は倉吉のちょっと先まで足を延ばしたが、あまりいい撮影地はなく、夕方鳥取に戻り、かつて毎年のように通っていた因美線沿線へ。急行砂丘が廃止になり運転本数が激減した因美線の交換駅は、美作加茂以外はすべて棒線化(交換設備を廃止)され、そんな駅は通票授受のために配置されていた駅員もいなくなりすべて無人駅になっていた。92年に初めて訪問し、山塊に抱かれたすばらしいロケーションの魅力にハマっていた美作河井も棒線化され無人駅になり、宿泊可能になったそうなので、おなじみの林道のようなか細い真っ暗な物見峠を越え、この駅に到着。かつて急行砂丘が華麗にタブレット授受をしていた威厳のある駅ではなくなり、ただの荒れ果てた無人駅に成り下がっていた。終列車後、しばらくして照明が落ち真っ暗闇になると、虫の声だけが響いていた。


旧下り線跡地にはユリの花がひっそりと花弁を垂れていた。(美作河井)

128・箱石 (山田線・岩手県) 04年4月
盛岡の気動車の数両が国鉄色に復元された衝撃の2001年から3年経った2004年春。念願かなってついに訪問することが出来た。この当時勤務していた会社は、3日以上の連休を取ることを全く許されず、日々鬱々と過ごしていた。今回は連勤の甲斐あって3連休をゲット。迷わず盛岡を目指した。この日は国鉄色の運用のほとんどが花輪線系統に行ってしまい、お気に入りの山田岩泉線にはあまり熱い運用が回っていなかったが、それでも赤鬼併結の国キハ58を追っかけ川井村へ。適当な駅を探していると、この箱石に大きな桜の木があった。折り返し国58をバルブ撮影しようと線路に降りると、元交換設備あった軌道が絨毯のように苔むしていて美かったので、三脚を立てて列車を待った。


乗降客のいない桜の咲く駅に国鉄色が到着。列車が行ってしまうと、川の音だけが聞こえていた。(箱石)

129・一本松 (平成筑豊鉄道・福岡県)04年10月2日

130・特牛 (山陰本線・山口県) 04年10月3日

131・長門大井 (山陰本線・山口県) 04年10月4日

132・篠目 (山口線・山口県) 04年10月5日

133・下白滝 (石北本線・北海道) 04年10月18日

134・上白滝 (石北本線・北海道) 04年10月19日

135・平津戸 (山田線・岩手県) 04年10月21日

136・湯瀬温泉 (花輪線・秋田県) 04年10月22日

137・小滝 (大糸線・新潟県)  05年04月8日

138・岩手刈屋 (岩泉線・岩手県) 05年8月10日

139・岩手刈屋 (岩泉線・岩手県) 05年8月11日

140・岩手和井内 (岩泉線・岩手県) 05年8月13日

141・原野 (中央本線・長野県) 05年9月18日

142・宮ノ越 (中央本線・長野県) 05年10月12日

143・手ノ子 (米坂線・山形県) 06年2月22日

144・羽前松岡 (米坂線・新潟県) 06年8月15日
「写真館・国鉄色を求めて北へ・・の巻を参照してください。

145・北森 (花輪線・岩手県) 06年8月16日
「写真館・国鉄色を求めて北へ・・の巻を参照してください。

146・中里 (岩泉線・岩手県) 06年8月17日
「写真館・国鉄色を求めて北へ・・の巻を参照してください。

147・腹帯 (山田線・岩手県) 07年10月23日
「写真館・最後の聖地巡礼。山田、岩泉線の国鉄色を追う。」を参照してください。

148・岩手和井内 (山田線・岩手県) 07年10月24日
「写真館・最後の聖地巡礼。山田、岩泉線の国鉄色を追う。」を参照してください。

149・蟇目 (山田線・岩手県) 07年10月25日
日本の秋。国鉄色の秋。山陰、北陸、しな鉄の国鉄色。を参照してください。


150・久谷 (山陰本線・兵庫県) 08年10月8日
日本の秋。国鉄色の秋。山陰、北陸、しな鉄の国鉄色。」を参照してください。

151・南今庄 (北陸本線・福井県) 08年10月9日
日本の秋。国鉄色の秋。山陰、北陸、しな鉄の国鉄色。を参照してください。

152・冠着 (篠ノ井線・長野県) 08年10月10日
日本の秋。国鉄色の秋。山陰、北陸、しな鉄の国鉄色。を参照してください。

153・南今庄 (北陸本線・福井県) 09年4月15日


154・新疋田 (北陸本線・福井県) 09年4月16日


155・中小国 (津軽線・青森県) 09年6月24日


156・宮越 (江差線・北海道) 13年9月11日