四季を往く 久留里線 

「序章」

 
 かつて国鉄王国と言われた房総半島。新世紀が明けた2000年代初頭でも、原色の183系や113系が本線系統を当たり前のように乱舞する魅惑の地でもあった。鉄道車両や施設の近代化を急がなくとも、首都圏に近いとはいえ東京湾を隔てた元々道路事情のよくなかった地。しかし90年代後半になるとアクアラインの開通や館山道の延伸により、鉄道より自動車交通の優位性が向上してきた。そのようなことからか旧態然の183、113は次第に置き換えられたものの、内陸の久留里線だけは時代から取り残されたような鉄道の原風景が残っていた。個人的には初めて久留里線を訪問したのは1992年夏。1日分余った青春18きっぷの消化を目的に、上総亀山まで往復してみた。目的が目的だったのと、全車両が奇抜な久留里色のカラーリングだったためカメラは持っておらず、唯一記憶に残っているのは、非冷房の列車の窓を開け放ち到着した終着の上総亀山駅で、缶コーヒーを買って飲もうとしたところ、千葉県限定品である「MAXコーヒー」の度を越した甘さくらいである。そんな訳で初訪問は特に印象に残ることはなかった。そしてそれからしばらく経った1996年。春のダイヤ改正で電化された八高線から、キハ30が久留里線に転属してきた。八高のキハ30といえば首都圏色、つまりタラコをまとっている国鉄色。ならば、とある日125ccの原付スクーターで撮影に出かけてみた。今ならアクアラインで東京湾を横断し直行できるのだが、まだまだ開通前であることと、そもそも125ccであるので当然下道経由だ。国道をひたすらぐるっと東京湾沿いに走り、地元から3時間かけて久留里線沿線にようやく到着した。




75-3001996年4月  久留里線  上総松丘  EOS55  75-300mm

 すでにシーズンも終盤だったが、沿線には散り遅れた桜の花がところどころ色づいていた。終着一つ手前の上総松丘で上り列車を待っていると、ホーム上で楽し気に合唱をしている男たちの集団が現れ、列車が到着するや陽気にワイワイと乗り込んでいった。なんの団体なんだろうか。タラコ狙いだったが一発目は久留里色。不思議な光景に戸惑いながらも少し移動して次の撮影ポイントへ向かった。




1996年4月  久留里線  上総松丘〜上総亀山  EOS55  75-300mm




1996年4月  久留里線  平山  EOS55  28-105mm

 八高から転属してきた首都圏色はこの日姿をあらわさず、再訪を誓い、当時現役であった木更津〜川崎浮島間のフェリーにバイクを航走させて帰路に就いた。この航路は自動車専用道であるアクアラインとルートが被るため、アクア開通前日に廃止になっている。同じ東京湾を渡る金谷〜久里浜航路に比べ所要時間も1時間ほどと長かったが、船体自体は小さいものの積載量を稼ぐため珍しい双胴船が就航していた。小ぶりな船で小回りも効き、操船も適当だった印象があり、川崎の着岸時には結構な衝撃で岸壁にぶつかって停船していた。

 その後も何度かいつものルートで久留里線入りはしていた。多分、しばらくは四半期に1回くらいのペースで通っていたと思う。でもいつの間にかツーリングが主体となり、久留里線沿線は訪れても撮影機材を持っていなかったり、そもそもタラコのことも忘れかけた2年後、いよいよ残った国鉄色が全て久留里色に統一されるという発表を目にし、撮影目的で向かってみることにした。2年前と同じポイントで、ようやく八高転属のタラコが姿を見せた。一度撮影に成功してしまうと、かつての撮影目的の房総半島ツーリングも復活し、タラコのキハ30狙いが目的となり、幾度となく記録していた。




1998年3月  久留里線  上総松丘〜上総亀山  EOS55  75-300mm




1997年5月  久留里線  平山〜上総松丘  EOS55  75-300mm

  初代久留里色をサンドした3両編成。平山駅を出てすぐのこの橋脚は、2024年現在、木々が生い茂り撮影はできなくなってしまっている。




1998年3月  久留里線  久留里〜平山  EOS55  75-300mm




1998年3月  久留里線  平山〜上総松丘  EOS55  75-300mm

 国鉄型末期には見られなかった両運転台のキハ35単行の運転もあったようだ。急峻な山谷の無い、なだらかな房総の里をのんびり進む国鉄型気動車。これだけでも十分魅力的であるが、さらにこの頃はもう一つのアイテムも現役であった。




1996年  久留里線  横田  EOS55  75-300mm

 天高く聳え立つ腕木信号機。カターンと軽快な音を立てて赤い腕木が45°を示すと進行。90°で停止。線内の交換可能駅はこの横田と久留里駅のみだが、いずれも場内と出発に腕木信号が現役であった。タブレット閉塞とともに昔ながらの「非自動」を象徴する物の一つであったが、腕木信号のほうが淘汰は早く、2024年現在、国内で現役なのは津軽鉄道のみとなってしまった。久留里線ではいつまで現役だったか分からないが、タブレット廃止よりだいぶ早く、その姿を消したように記憶している。


 何度かこうして久留里線を訪問していた。訪問の目的はほとんどツーリングであって、列車撮影はついで程度だったのが悔やまれる。いつしか首都圏色のキハ30は転属したり地域色に塗り替えられたりで姿を消し、また思い入れも無かった首都圏の小さなローカル線のことは次第に忘れ、沿線をバイクで走ることはあっても、カメラを持参しないことがほとんどで、房総半島の自然と里山の風景を満喫したあと、金谷港からフェリーで地元に帰るという休日の過ごし方が定番になっていった。