1980年代 東急の話し

1983〜1985年

 鉄道ファンなら物心ついた時、まず興味の対象になるのは地元の鉄道ではないだろうか。そんな小学生のころの自分もまさしくそうであった。自身の登竜門はなんといっても「京浜急行」。かつて京急に対する子供心なりの熱い思いは述べたつもりなのでここでは割愛するが、とにかく赤い電車=「命」であった。そんな自分を知ってか知らずか、ある日、親父が1冊の鉄道書籍を買ってきてくれた。タイトルは「東京急行」 ・・・っておいおい。京急じゃないのかよ。東急は特に興味は無かった上、どうしても同じシリーズの「京浜急行」が欲しかったので、使わずに温存していたお年玉をはたいて、たしか¥900くらいだったか、わざわざ自分で買いなおした。そしてそれから半年以上経ったある日。またもや親父が別のシリーズの鉄道書籍を買ってきた。  「東京急行」   もうわざとしか思えず恨めしく思い、このシリーズの「京浜急行」も自分で購入し直した。テツではなく一般人である親父は当時、東急東横線で通勤しており、ただイチ利用者として愛着があっただけかも知れなく、幼く純粋無垢な私を洗脳しようとはしていなかったはずだ。
 結局、3冊のそれぞれ別シリーズの「東京急行」と、自腹で購入した3冊の「京浜急行」が手元にあった。しかもいずれも読み込んでいくうち、のめり込んでいくもので、東急の歴史や全路線の駅名、すべての形式のスペックなどいつの間にか、そして不本意ながら暗記してしまっていた。
 そんな小学生時代を送っていたのだが、1983年の夏休み、世田谷に住む母方の親戚の家に一人で遊びに行くことになった。自分と同世代の従弟もいたので、それはもうその夏最大の一大イベントとして楽しみにしていた。最寄駅は東横線「都立大学駅」。祖母にもらったカメラに最安の12枚撮りフィルムを入れて桜木町から東横線にのる。いくつかの途中駅で一旦下車し、ホームで次々にやってくる電車を観察。相当な時間をかけて都立大学に到着した。そして電車を降り改札を出ると、駅周辺の商店や道行く人々の振る舞いに横浜の地元と全く違った、得も言われぬ高貴な雰囲気を子供心に感じとった。そんなハイソな街を15分ほど歩き親戚宅到着。2泊くらいさせてもらったと思うが、そこで感じたのは東京の人って、第一印象通りとてもハイソサエティな暮らしをしているということ。たまたま親戚が裕福だっただけだと思うが、劣等感というものも学んだ小3の夏休みだった。

 そんなことはさておいて本題です。今や桜木町駅は無くなり渋谷も地下駅になったり、途中各所も大変貌を遂げた東横線。そんな80年代の東横線を含めた東急の画像です。撮影技術が未熟なのはいつもながらお許しください。ではどうぞ。


1983年夏




今は無き桜木町に進入する7000系。晩年は渋谷方に100mほどホームが移設したと思う。
1983年夏  東急東横線  桜木町




当時最新鋭の8090系が地上時代の横浜に到着。横浜から一気に混雑するのは廃止まで変わらなかった。
1983年夏  東急東横線  横浜




8500系。東横線用8両の8500系は珍しかった。
1983年夏  東急東横線  横浜




自由が丘で途中下車。ダイヤモンドカットと呼ばれた大井町線用7200系。
1983年夏  東急大井町線  自由が丘




8000系もやってくる。18m車、20m車。入り乱れての運用は今も同じ?
1983年夏  東急大井町線  自由が丘


1983年年末??

 この1983年の冬休みも例の都立大学の親戚宅に遊びに行った。昨年と重複する写真もあるのでそれ以外を掲載した。




桜木町ホームの先端は当時1m以下。ビビッてこれ以上先には行けなかった。
1983年12月?  東急東横線   桜木町




またもや自由が丘。営団地下鉄日比谷線から来た3000系。おデコの形状から「マッコウクジラ」と呼ばれていた。
1983年12月?  東急東横線   自由が丘




「特急」が登場するのはこの20年後。当時の最新形式と最速種別。東横線の花形だ。
1983年12月?  東急東横線   自由が丘




独特な加速音とともに渋谷を目指す8500系。ここから東横線最速区間だ。
1983年12月?  東急東横線   自由が丘


1984.4/9

 通っていた小学校の職員室の書籍棚に、なぜかいつも最新の大型時刻表があった。小学生ながらに先生らが出張とかそんなにあるのか?と疑念を抱きながらも、毎月やってくる新しい時刻表を昼休みの間だけ盗み見る、もしくは「盗む」のが習慣になっていた。当然返すつもりで教室に持ち帰り、テツ仲間のTとパラパラと時刻表をめくっていると、東急田園都市線のページに「つきみ野〜中央林間は4月9日開業になります」という注意書きが踊っていた。つきみ野までしか開通していなかった田園都市線が最終的な目的地である中央林間まで全線開業するというのだ。Tと顔を見合わせてこれはもう「行くしか!」と開業当日の訪問を決めていた。当日は平日。当然学校もあるので一番列車には乗れなく、目的はただ走るであろう「花電車」を見ることに決めていた。やがて1984年4月9日当日。授業が終わりそそくさとTと学校を抜け出し、近くの駅から国鉄根岸線〜横浜線で長津田駅へと急いだ。




東神奈川で横浜線接続待ち。185系踊り子は今も変わらぬ姿で活躍している。
1984.4/9  横浜線  東神奈川

 横浜線にしばらく乗り、田園都市線接続駅の長津田に到着。すぐに本日第2の目的である記念切符の入手にかかる。勝手な憶測でこういったものは売り切れ必至かと思っていたが、意外にすんなりと入手。にしてもただの紙切れに小学生にとっての大金、¥1000近く支払ってしまったことに罪悪感を感じる。そして今日から発売の中央林間までの切符を買ってすぐに田園都市線ホームへGO。小学生の浅はかな思い込みで、開業初日は全てやってくるのは花電車かとこれまた思い込んでいたのだが、どうやら飾り付けをされた特別な電車は1編成しかないらしく、それを見たいがためだけに、ただただひたすらに長津田ホームで待ちわびるのだった。どれくらい待っただろう。何十分か何時間か全く覚えていないがピンクの花の装飾を施された花電車がようやくやってきたのでTと乗り込み中央林間に向かった。




写真でしか見たことのなかった大井町線用6000系。長津田工場への回送に遭遇した。
1984.4/9  東急田園都市線   長津田

 花電車に乗って中央林間に到着すると、乗っていたマニア諸氏は一斉に車外へ飛び出し大撮影会となる。しかしスペースの限られた地下駅の終着ホーム。するといつしか撮影場所を求めたチビッコカメラマンたちは大挙して線路に降り出し、ついには車止めなんかに乗ったりして一気に無法地帯に化した。今だったら大事件だ。大らかだった当時のエピソードならではだ。






ていうかガキンチョばっかだな。誰も注意する大人はいなかった。
1984.4/9  東急田園都市線   中央林間




当然どさくさに紛れてオレも・・・。
1984.4/9  東急田園都市線   中央林間




明るい所で撮りたかったので途中下車。慌てていたのでボケボケだ。
1984.4/9  東急田園都市線   つきみ野


1985年夏

 1985年の夏になった。今年はもう親戚の家に遊びに行くことは無くなっていた。そして小学校高学年になると夏休みの宿題で自由研究というものが課された。クラスの仲間たちは朝顔の観察日記やら星座の観測、などとヌルいことを親の力を借りながら提出していたが、どうしても自分は他のヤツらと一線を置く違った何かをやりたかったがために、あえて東急をテーマに選んだ。なぜ崇拝して止まない「京浜急行」にしなかったかというと、それは来年、自身の集大成として、「京浜急行」をテーマにして大作を発表したかったから。小学生の時分、1年というスパンで見越した一大プロジェクトであった(つもり)。とはいえとりあえず今年のテーマである東急の資料、といってもただの車両撮影だけのためにクソ暑い中、旅立った。




目蒲線用7200系。目蒲線の名は消滅し目黒線と名を変え、今や都心と直通する大変貌を遂げている。
1985年夏  東急目蒲線   奥沢


目蒲線、池上線と言えば3000形群。よくまぁこの時代まで生き延びていたものだ。今は無き地上終端時代の目黒駅。
1985年夏  東急目蒲線  目黒




「湯タンポ」こと6000系に初めて乗った。結局「銀カエル」5200系は一度も見ることはできなかった。
1985年夏  東急大井町線  撮影駅不明




1985年夏  東急大井町線  撮影駅不明

 そんな訳でいかがでしたでしょうか。これらの写真を最後に東急の車両などにレンズを向けることは無くなりましたが、これから約20年後、みなとみらい線直通による東横線桜木町駅廃止に際し、再びあのステンレス車たちを注目するようになります。youtubeで以前よりUPしていますが、一応スチル撮影も行っております。こちらは気が向いたらこの場で公開いたします。












東急初となるVVVF制御搭載の9000系が走り始めた。みなとみらい地区はまだ開発中で背後には空だけが広がっている。
1986年冬  東急東横線   桜木町〜高島町




廃止を10日後に控えた区間。18年前と同じ9000系が通過して行った。
2004.1/19  東急東横線   桜木町〜高島町