昭和の京浜急行
まだ高架化される前の弘明寺〜上大岡。2000系登場前の京急の優等列車と言えば600形。この時にはすでに廃車は進んでいた
1984年頃 京急本線 弘明寺〜上大岡
当時は非冷房も当たり前だった。屋根上のすっきりした非冷房700形
1984年頃 京急本線 上大岡〜屏風ヶ浦
更新されたばかりと思われる1000形。H特急はまだ6連の頃。
1984年頃 京急本線 上大岡〜屏風ヶ浦
上大岡に進入する都営5000系。都営乗り入れ8連化で消滅した旧塗装車。
1984年頃 京急本線 上大岡〜屏風ヶ浦
休日の下り午前、上り午後に設定されていた「マリンパーク号」 ただのA快特にヘッドマークをつけただった。
1984年頃 京急本線 上大岡
都営5200系。ごく稀にこんなのも混じっていた。今とは比べ物にならないほどローカルな上大岡駅。
1984年頃 京急本線 上大岡
晩年の500系はこの頃、朝夕のラッシュ時に急行運用に就いていた。京急最後の吊り掛け駆動。
1984年頃 京急本線 弘明寺〜上大岡
1500形デビュー初日の営業一番列車。神奈川新町→浦賀行きに友人と初乗りにでかけた。
1985年4月 京急本線 神奈川新町
午後の上り特急にも「マリンパーク号」が設定されていた。特急8連化前の三崎口。
1985年頃 京急久里浜線 三崎口
先に400形が引退し、500形3両が往復していた空港線。当時、現在の大発展は夢にも思わなかった。
1985年頃 京急空港線 羽田空港
大師線鈴木町にある味の素の工場へ資材を運ぶため、塩浜駅から鈴木町までは3線軌条になっていた。現在は廃止。
1985年頃 京急大師線 小島新田
1986年頃 京急本線 神奈川〜横浜
2扉時代の2000形。クロスシートを備えた優等仕業のみの運用は憧れの的だった。
1986年頃 京急本線 南太田〜井土ヶ谷
事業車両クト31が日中本線を走行するのは珍しい。急遽後追いで撮影。
1986年頃 京急本線 神奈川〜横浜
温暖な京急沿線に珍しく雪が積もった。今とほとんど変わらない弘明寺を通過する700形12連通勤快特。
1986年頃 京急本線 弘明寺
検車区でしばしその躰を休める2000形。同形式の仲間も増え、このような光景も見られるようになった。
1986年頃 京急本線 金沢文庫
高架工事真っ最中の鮫洲駅。今も昔も退避設備があった。1000形普通浦賀行きが優等列車に道を譲る。
1986年頃 京急本線 鮫洲
折り返し出発準備中の1500形。当時の最新形式だ。
1986年頃 京急本線 浦賀
京急屈指の名撮影地。2000形が谷ツ山橋梁を渡り、久里浜を目指す。
1986年頃 京急本線 品川〜北品川
今は亡き種別の「急行」。「急行」は逗子線直通の代名詞的存在だった。
1986年頃 京急本線 金沢八景
京急久里浜で後着の快特の接続待ちの1000形三崎口行き。久里浜線は当時は20分ヘッドだった。
1986年頃 京急本線 京急久里浜
あれから20年以上が経った。時代は21世紀。小さい頃絵本で見た21世紀の世界は、空飛ぶクルマが街を飛び回り、リニアモーターカーが透明なチューブの中を縦横無尽に駆け抜け、アンドロイド型のロボットが我々の生活を助け・・・ているはずだったが、ぶっちゃけてあまり20年前と変わっていない。京急も相変わらずあの時のままのように、赤い車体でモーターを唸らせ東海道線とスピード自慢をしている毎日だ。ささやかではあるが、京急に限らずこの21世紀初頭の鉄道というものを、記録に残せたらと、最近よく思ってしまう。
2004,4/19 京急本線 安針塚〜京急田浦
2006,4/1 京急本線 黄金町〜日ノ出町
2008.4/4 京急本線 杉田〜京急富岡
2010.12/8 京急久里浜線 YRP野比〜京急長沢
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