テツが夢見てもいいですか? 宗谷本線ラッセル紀行

 昨年2月、ふとしたことから3連休が取れ、思いつきで積年の課題でもある宗谷本線ラッセルの撮影を考えたことがあった。しかし改めて冷静に考えてみると真冬の北海道での鉄道撮影。事前準備しなければならない事柄が山のようにあり、このような思いつきでの遠征は危険である上に目的も達成されない可能性があったため、急遽、終焉迫る大分の485系の旅に切り替えたことはコチラ→「大分車485系国鉄色と過ごす3日間」を参照にしていただきたい。そんなわけで今年こそは最北のラッセルに出会うべく、出発予定の2週間ほど前から行動していた。まず取れた連休は5日間。そして往復の交通手段の手配。せっかくの遠征であるし片道は空路を使うとして5日間のうち撮影3日間。往路で2日。たまには身分不相応な贅沢な旅もしてみたいと、普段はほとんど見ることのない時刻表の寝台列車のページをめくった。カシオペア?北斗星? いやいや、勿体ない。どうせならこの春の改正で廃止になる「日本海」の解放ロネで酒を呑みながらじっくり北海道までの距離を詰めていくのもオツかもしれない。「日本海」なら青森から「白鳥」、函館から日本最速の表定速度を誇る「スーパー北斗」、そしてとどめは旭川まで「スーパーカムイ」。普段は車やバイクでの移動ばかりなので、いつもならあまり乗ることの少ない特急列車を贅沢に乗りテツ三昧しながら現地に入ろうと、まずはプレリサーチ。ある日の出勤前、どうしても外せない「日本海」のA寝台の空き情報をサイバーステーションで調べる。と、ここで早くもつまづく。下段が満席なのだ。上段は景色が見えないのでパス。仕方なくB寝台を検索するとOK。そしてレンタカーも。めったにこんな長距離を列車で移動することはないので、いつもの赤い看板のレンタカー屋さんではなく、乗車券が2割、特急料金も1割引きになる駅レンタカーを調べてみた。「日本海」から乗り継ぎで旭川に到着するのは夕方。そこから最終日まで3日間借りるべく選んだのは一番安い軽自動車。そして雪道の運転には自信はあるものの旅先でのストレスフリーが何よりも重要だと考え4WDのオプションで調べてみた。すると4WD車は回答にしばらく時間がかかるとのことで、この間に「日本海」のハネ下段が埋まってしまったら何の意味もないので速攻で2WDに妥協し、すぐに予約を入れた。そしてこれもすぐにまた近所のJRの駅へ原チャリを走らせ、「日本海」のチケット、片道の乗車券、青森〜函館〜札幌〜旭川のそれぞれの自由席特急券、そしてレンタカークーポン券。計6枚を発券。しかし希望の手配ができて安堵したのも束の間。じつは2月に入ると北陸東北地方を中心に強い冬型の寒気が訪れ、連日、4日連続で日本海縦貫線を経由する夜行列車が軒並み運休となってしまったのだ。毎日ニュースでは、記憶に新しい平成18年豪雪に匹敵するとのことで、信越、北陸、羽越方面の運行状況は連日ガッタガタ。当然、ようやく手にした2月6日の「日本海」の運転も限りなく危うい。それからというもの毎日仕事の合間に北日本の天気図と運行状況を携帯でチェックする日が続いた。

   

   

   

 とりあえずいくら心配しても走らないもんは走らないんだから、それはもう天に任せてその他の備品の調達に入る。この歳になっても冬でもバイクに乗り続けることをやめられない自分だが、意外にも防寒アイテムは全くと言っていいほど持ち合わせていないので、近所のユニクロでヒートテックの長袖シャツと、同じくモモヒキ、分厚い冬用の靴下を購入した。宗谷行きが決まってから毎日のように現地の天気概況を見ているのだが、連日マイナス10℃〜15℃。そんな中で撮影したことなどない上に、まして時刻通りにやって来ない列車を待ちぼうけるのだからそれなりの装備が必要であろうという判断だった。次にヨドバシに向かい、遠征用の8GBの高速CFカード、そしていつもカメラ用の電源として使用しているニッケル水素のエネループでは、酷寒の地では少々頼りなく思えてきたので、単三型のリチウム電池4本パック×3個を購入。通常のアルカリの8倍のパワーと謳われており、マイナス40℃でも使用可能というパッケージの文字が頼もしい。値段も普通のアルカリの5倍だが貯まっていたポイントを使って支払はゼロ円だった。


最近はほとんど見ることのなくなった単三型リチウム電池。寒色系のパッケージと非常に軽い造りで、かなり頼りなく思えてしまう。

 さらにさらに、何年か前、米坂線撮影に没頭していたころ、現地のホームセンターで購入したカンジキが家にあったような気がしたが、念のため近所の品揃え豊富なホームセンターをのぞくと温暖な関東地方では当然売っておらず、また家に帰るといつの間にか処分してしまったようで、こればっかりは現地調達するしかなさそうだ。そんな訳で日曜の勤務が終わるとそそくさと退社し、出発を明日に控えているので荷造りをしてから早めに床に就いた。

2012.2/6

 出発当日。準備しておいたリュックとカメラバックを持って新横浜に向かう。これから北海道に向けて旅立つのに東海道新幹線下りで向かう。やって来た列車は700系の「こだま645号」だ。待っている間、次々にやって来る「のぞみ」や「ひかり」は立ち客が出るほどの乗車率だったが、入線してきた「こだま」はガラガラの空気輸送だった。なるべく混雑していなさそうな端っこの2号車を選んで待っていたが、そんな必要は全くなさそうで荷物を網棚に載せて落ち着いてから周りを見渡すと、2号車の乗客は自分含めてたったの4名だった。この旅立ち。学生時代に、よく18きっぷやワイド周遊券でこうして列車の旅をしたのだが、一番最初に乗る長距離列車の期待感を思い出し、あの時と同じようにそわそわしてしまう。新横浜を出た空気輸送の「こだま」は快調にスピードを上げ、見慣れた丹沢山系の山々を右手に見ながら相模川を渡る。ちょうどその時車販が通りかかった。迷うことなく缶ビールをオーダー。真昼間でも新幹線に乗ってこの旅立ちに祝杯を挙げたいと思った。

 新横浜を出てちょうど2時間。12:16豊橋に着いた。昨日まで運休していた「日本海」は今日は本当に動くんだろうか。ここんとこ運休する日は当日の正午くらいに運行情報に上がっていたのだが、果たして今日は!? ここでダメならまだ戻ることができる。恐る恐るブックマークに登録しておいたJR西の運行情報を見ると、どうやら今日発は大丈夫なようでまず一安心した。ところでなぜこんな時間に新幹線で、しかも豊橋で降りたのか。実は今日の夕方発「日本海」に乗るには午前中に出発しなくても全然間に合うのだが、せっかくなので楽しみながら大阪まで向かいたいと思い経路にもいろいろ趣向を凝らしてみた。そんな訳で改札を出て名鉄の券売機へ。名鉄特急の展望車に乗ってみたかったからだ。今まで名鉄特急は特急料金を払って特急列車に乗るものと思っていたのだが、ここ豊橋に来て初めてそうではないことを知った。料金不要の一般車両を使用した、種別が「特急」の一部に座席指定券が要る特急車両が2両ついているだけだった。まぁグリーン車みたいなものだなと理解し券売機に¥350を投入すると、どうも希望の座席を指定できるらしい。迷わず1列のA席をタッチ。JRと共用の改札を通り1面1線の名鉄用ホームへ降り立つと、パノラマスーパーを先頭に列車が入線してきた。先頭ということは豊橋発の列車は展望席が最後尾になってしまい、いわゆる後展。展望席はさっきの「こだま」と同じくガラ空きで、自分一人だけだった。

 いつの間にか本降りになった雨が後方へ流れゆくのを見ながら、13:22。名古屋に到着した。新幹線車内で呑んだビールが結構効いてきて、まどろみの50分だった。さてまだ「日本海」の大阪発まで時間がある。名鉄の新名古屋から地上に出て、そしてまたすぐに地下に入り今度は近鉄名古屋からアーバンライナーで難波を目指す。めったに乗らない私鉄優等列車を乗り継ぎながら「本番」である「日本海」の始発駅を目指すという何て非日常な旅!! うれしくなってしまい、また売店で缶ビールとサンドイッチを購入。座席指定も窓際が確保でき、また隣客もいない上にノンストップなので自由に喫煙コーナーに行けそうだ。初めて乗る近鉄特急は名古屋を出ると高加速高減速を繰り返しながら三重県に突入。伊勢中川のデルタ線を見ると安心してしまい眠りこけ、気が付くと都会の真ん中を走っており、もうすぐ終点の大阪難波に到着するところだった。

 近鉄名古屋と同様、地下鉄駅のような難波に降り立ち、そこから御堂筋線に乗り継ぎ、いよいよ今回の旅立ちの始発駅、大阪に到着した。大阪駅は昨年リニューアルオープンしたばかりのようで、どこもかしこも眩いばかりの新しさだ。先ほどは喫煙コーナーのある列車だったが車内で爆睡してしまっていたので、旅のプロローグを楽しみながら一服したいと喫煙場所を探すためにしばらくウロウロしていたが、新しい近未来的なターミナルでは結局それを見つけられることができなかった。仕方ないので先に寝台列車に乗りながら楽しむビール2本と弁当。そして翌朝用のおにぎりを買い込み、対向ホームで入線をビデオ撮影するべくしばらく待っていると、運転本数の多い東海道本線の途中駅ということもあり、頻繁にやって来る新快速の合間を縫ってEF81に牽かれたブルーの車体が姿を現した。時間もないので速攻で地下道を通り対向に移動するとすぐに発車の合図が鳴った。

 17:47。ラッシュでごった返す大阪駅を「日本海」は青森に向けて出発した。これから始まる1000km以上の行程の第一歩。頻繁に行き交う満員の通勤電車を眺めながら、こちらは足も伸ばせる寝台列車だ。車内からは都会の日常が見えるが、窓ガラス一枚隔てたこちらでは時間がとてもゆっくり流れている。寝台列車はこの日常と非日常の格差がたまらないと思う。かく言う自分は、じつは寝台列車に乗ったことは本当に数えるほどしかない。初めて乗ったのは小坊の時、盛岡に住む親戚の家に遊びに行った帰りに上りの「ゆうづる」に乗った。当時はまだ東北線系統の「はつかり」と常磐線系統の「ゆうづる」が3往復ずつくらい運転されていて、そのうち何本かは客車に混じって583もあったと思う。ほとんどの夜行は青函連絡船にも接続しておりそれなりの活況を呈していた。当然初めて乗った寝台列車だったので興奮してほとんど寝ることもできず、朝5時台に上野に着き、非日常の夜行列車から自宅に帰るまでの京浜東北線の格差に、子供心にゲンナリしたのを覚えている。2回目は客車時代の急行「能登」だ。夏休み、家族で立山に行った時の帰りのこと。普段新幹線に乗る距離でも平気で普通列車乗継で遠出していた小市民的な我が家が、突然寝台列車に乗るときたもんだから破産か!?両親の離婚か!?もしや最後の思い出作りなのか、と妙な胸騒ぎを憶えて3段寝台の中段でガクブルしていた。結局幸いなことに何も無かったのだが、変な妄想をしたせいもあってかEF62が牽引し碓氷峠を下ってたであろう貴重な経験は全く記憶に残らなかった。そして3回目は高校生の時、バイトして自分で稼いだ金で最初に寝台列車に乗った「はやぶさ」のソロであった。九州ワイド周遊券を使い、往きは奮発してB個室ソロをゲット。旅費にほとんどをつぎ込んでしまったので食費を削りひもじい思いで熊本駅に降り立ったことは今でも忘れられない。次は大学時代、属していた研究室の巡検(実習)の合宿がなぜか鹿児島であったので、同じゼミのK1トップ氏とともに遊び気分で「はやぶさ」に乗った。
 で、次が今日の「日本海」である。およそ10年ぶりなのである。当時を思い出しながら駅弁とビールを摂取しながら無意味に浴衣に着替えたりしてひと時の贅沢を味わう。。

     

     

   

 禁煙車両はお別れ乗車でかなりの盛況であるようだが、当然自分は喫煙車両を押さえたので、この1号車の乗客は5人ほどと見られ、これまた贅沢にガラガラの1号車の通路の折り畳みイスに腰掛けて車窓を見やりながらビールを呑み一服。少し酔いも回ってきたところで列車は湖西線に入りスピードを上げた。外はいつしか止んでいた雨が降っており、そのうち雪に変わるのだろう。車内観察ののち自分の寝台に戻り、用意されたリネン類をセッティングして横になった。福井駅を出たころだった。

2012.2/7

 目が覚めると秋田を出発している頃だった。外は降ってはいないものの線路際の雪壁の高さが半端ない。出発時、車内にいたもともと少ない同乗者の方々は秋田以南で降りてしまったのか、ほとんど自分独りの貸切状態になっていた。大館を過ぎ撮影地として名高い白沢〜陣場のお立ち台を車内から確認すると、乙なことにたった1名の猛者が雪に埋まりながらレンズをこちらに向けていたので、車内からエールの意味を込めて手を振ってみたが気づかなかったようだ。やがて5分ほどの遅れで青森到着。接続の「スーパー白鳥95号」まで時間もあったのでホームで乗ってきた「日本海」をしばらく撮影していた。




車庫に帰るため大阪方にDE10が連結された。このまま営業列車として走ってほしいほどだ。
2012.2/7  東北本線  青森  EOS5D  24-105mm

 腹も減っていたが、しばらくすると白鳥の乗車位置にパラパラと人が並び始めていたので、飯は諦めて自分も列に並ぶ。そういや乗るべき「スーパー白鳥95号」は、今朝、東北新幹線で東京を発てばこの列車に接続できてしまうのだが、自分は昨日朝出発。大回りの末ほぼ一日がかりでここまで来た。なんて贅沢なことやってんだろう。たぶんこんなこと一生しないだろうと考えるうちスーパー白鳥がやって来た。この列車は新青森発で、さらに青森まで普通列車扱いなので立ち客のいる状態でホームに滑り込んでき焦ったが、ほとんどが地元客で青森駅に着くとほとんどが降りてしまい、そして並んでいた北海道行きの旅行者が乗り込み5割ほどの乗車率で9:20出発した。軌道強化されたものの相変わらず単線で速度が一向に出ない津軽線をチンタラ北上。右手に陸奥湾が見え出したころにまた寝てしまった。青函トンネルはただのトンネル。別に興味もないのでひたすら寝て過ごしいつしか北海道側に上陸した。青森では我慢したためそろそろ本格的に腹が減ってきており、次の乗り換えの「スーパー北斗9号」まで1時間ほど時間があるので今度こそは飯にありつこう。頭端式の函館に到着しホームを歩いていると先頭車両付近に何やら人だかりが。横断幕を掲げている人もいる。どうも今乗ってきた列車の運転士の方がこの「スーパー白鳥95号」が最後の乗務だったらしく、同僚がお祝いに駆け付けた模様。関係者に交じってオレも花束贈呈の時に拍手なんかもしてみたりした。

 

     

  20年ぶりに函館駅に降り立つと、当時見た灰色の街並みだった駅前はすっかり整備され、それ相応に駅舎もキレイに建て替えられていた。乗り換え時間は 50分ほどだったので列並びの時間も考えるとあまりのんびりしていられなく、牛丼でもハンバーガーでもファーストフードを選びチャッチャと飯を済ませ駅に戻りたいのだが、駅前に立って見回してもそれらしい佇まいは見つけられなかった。それにしても今日は暖か過ぎる。関東の真冬よりは寒いのだが、氷点下まではいっていないようで、事実駅前のロータリーは溶けた雪と泥が混ざってドロドロだ。明日以降の撮影が不安になる。まぁ道南の函館でそんな心配をしても始まらないので、すぐに駅に戻り、今度は構内の飲食店を探すが、普通のレストランだったり喫茶店だったりと、この旅2度目の喰いっぱぐれの予感がしてきた。しょうがない。車内販売で駅弁かと諦めホームに向かうと、次の「スーパー北斗9号」の自由席の乗車口には長蛇の列が出来上がっていた。列車は7両。しかし自由席はたったの2両。函館〜札幌という大都市連絡の長距離列車なので当然乗客は多く、着座はほぼ諦めかけたその時、ホームに湯気が勢いよく上がっている一角を見つけた。立ち食いソバ。究極のファーストフードだ。札幌までの3時間。着座は諦めていたので、どうせ同じならと月見ソバを注文。ズルズルとホームでやりながらかき込んでいると、青い車体のスーパー北斗が入線してきた。汁まで呑み干し列の最後尾に並び車内に入ると、奇跡的に窓際が空いており座席キープ完了。発車を待っているうちに席はすぐに埋まり、立ち客が出始めてきた。

やがて12:30。満員の列車は函館を出発した。次の五稜郭を出るとすぐに峠越えの体制。変速1段と直結4段を次々にシフトアップさせながら振り子制御を巧みに使い、現われるコーナーを右に左に峠道を克服していく。初めてこういうハイパー気動車に乗ったが、なかなか楽しい! ブンブンエンジンを回し車体を大げさに傾けながら高速で山道を登っていく感覚。どこかの雑誌にも書いてあったがワインディングを駆けるバイクのようだ。これはなかなかの感動だった。興奮して昼寝するのも忘れていたが、長万部あたりの直線区間が多くなってきた頃に飽きてきて今日二度目の爆睡。目が覚めると右手に函館本線と並走を始め間もなく札幌に到着のようだ。すぐに接続する旭川行き「スーパーカムイ27号」は満席のため見送り。30分ヘッドでやってくる次の「29号」を待った。車内はガラ空きのまま16:30、札幌を出発すると次第に雪原が闇に支配されてきた。外はおそらくマイナス10℃の世界。列車は少しもスピードを緩めることなく走り続ける。また車内は電球色の照明と適度な暖房で暖かで、とても心が豊かになる瞬間だ。自分はこれから最北の地、稚内に今夜中に到着しなければならない。さらに北へと向かう高揚感も高まる。そして17:50。ついに乗車券の目的地、旭川に到着した。長く旅を共にした大阪〜旭川の乗車券を味気ない自動改札に投入しお別れ。駅コンコースを歩き駅レンタカー営業所に向かった。

 レンタカー屋はこの日の最後の利用者であろう自分を待っていたかのように、スタッフの方は帰り支度を始めている最中だった。予約していたレンタカークーポンを渡し免許証をコピー。そして車に案内された。今回の相棒はダイハツ ステラ。よく見るとオプションで設定しなかった4WD車であるようでラッキーだった。係りのオッチャンは早く帰りたいのか、必要最低限の説明をし、「ではお気をつけて」と言葉を残して事務所に戻っていった。これから3日間。衣食住を共にする相棒のハンドルを握り、まずは市内を脱出するべく、最北の地、稚内を目指す国道40号線を目指した。ちょうど旭川市内は帰宅ラッシュでちょい混雑気味。路面の雪はというと、ところどころアスファルト、そうでないところは圧雪という感じで走りにくさはない。この地では気温が気温なので、溶けた雪と泥がビシャビシャになることもなく順調に国道40号線に出ることができた。一路北に進む。旭川市街を抜けるとすぐに原野の真ん中を貫くように道が敷かれている。比布か士別方面へか、帰宅する車たちでそれなりの交通量があるが、集落を通り過ぎるたびに少しづつ車の台数は減っていき、塩狩峠に差し掛かるころには前後無人の単独運転になってきた。そして雪も降ってきた。稚内までまだ200km以上。こんな孤独な闇夜のナイトドライブが延々と続くと思うと、期待も込めていい意味でクラクラしてきた。しばらくノンストップで走り切ると、沿線最大の町である名寄市街の明かりが遠くに見えてきた。腹も減ってきた。この街を逃せば、この時間だと腹を満たせるところは当分ないだろうと、市街をスルーするバイパスには乗らずに、そのまま名寄中心部へと車を走らせた。すぐに大型のショッピングモールがあり、その片隅で営業しているラーメン屋を見つけた。酷寒の屋外から湯気で煙る店内へ。よく覚えていないがコッテリ系にネギのトッピングをチョイス。これから待ち構える長距離移動のためにガッツリ喰っといた。そして再び北上再開。30kmほど進むと美深の街外れに道の駅に併設された温泉があったので、これから3日間。風呂にありつけるかどうかも分からないので、直感的に国道から逸れてピットインしてしまった。駐車場に止めて屋外に出ると物音一つせず、粉雪がしんしんと降る幻想的な世界。少しその雰囲気を楽しんだ後、建物に近づくと照明が消されどうも営業感が無い。案内を見ると入場終了の21:00まであと2分。恐る恐る入り受付のバイトと思われる女性に「も、もう終わりですか?」と聞いてみた。「あ、大丈夫ですよ・・・」と無表情に答えてくれたものの、見目麗しく、大変かわいい。目も合わせられず入湯料を支払い欲情、いや浴場へ。30分のリミットを存分に使い最後の客となって受付に。あの娘はもういなかったので21時までの仕事だったのだろうか。お疲れ様でした。湯上りの火照ったまま、あとはもうすれ違う車もいなくなり、まるでタイガのような針葉樹林に覆われた、真っ暗闇のツンドラのような原野の中、時折現れる集落を次々に通り過ぎ、日付が変わった頃、ついに稚内に到着した。久々の「街」に出てきたからには、まず給油。旭川から200km以上走ってきており、軽自動車の小さな燃料タンクでは今夜の車中泊と明日の長距離連続追っかけでは心もとない。現に燃料系は半分のラインを下回っており、市街地に入って最初のGSで給油。ついでに積算距離と給油量で燃費を計算すると18km/Lくらいであった。明日は早朝から延々200km以上の追っかけをしなければならないので、朝食用のパンとおにぎり。モーニングコーヒー。そして晩酌用のビールを買ってからUターン。稚内市街を後にして再び真っ暗闇の原野を走り、明日の一発目の撮影地に近い勇知付近の道道の小さなパーキングで夜を明かすことにした。

本日の走行距離 288km

2012.2/8

 目が覚めると海が近いせいもあってか乳白色の濃霧の中だった。雪は今はチラホラと降っているだけだったが、夜中少しまとまった降雪があったらしく駐車するときに付けた轍が埋もれていた。モーニングコーヒーと一服をやってから移動である。場所は勇知北側の道道の跨線橋からの見下ろし。初めて見る最北のラッセルはどんな表情を見せてくれるのだろうか?車を動かし通行量が少ないため積もったばかりの新雪を、軽自動車はラッセルしながら撮影地へと進む。住人が総出で家の前の道路を除雪している勇知駅前を通過し、その跨線橋へ。車道からは除雪車が道路脇に積み上げた雪壁で線路は見えず、その雪壁につま先で階段を作りながら壇上へ出ると弧を描く宗谷本線の線路が見て取れた。すぐにセッティングを開始する。三脚を担ぎビデオをセット。望遠を覗きながら画角を調整するも、当たり前だが強烈に寒い。かつて経験したことのないほどの寒さだ。真冬の北海道なんて初めてだし、新潟の雪中撮影などとは訳が違う。通過時間は正確に分かっているので、それに合わせてやって来たがこの状態では20分待つのが限界だろう。どうか定時に来て欲しい・・・。手前の抜海発が8:04。その次の勇知着が8:16 30秒。もうすぐだ。雪に音を吸収されてやって来るだろうからビデオは回しっぱなし。すると予想通りいきなり音も無く林の向こうからDE15が姿を見せた。


降りやまぬ雪の中、粉雪を蹴散らしてやって来た。雪372レ。
2012.2/8  宗谷本線  抜海〜勇知  EOS5D  100-400mm

 記録をたどると最後にDE15を撮ったのは2008年米坂線以来だ。あの時は時折ラッセルの羽に線路際に雪がチョイ引っかかる程度だったし、その前の冬も迫力のあるシーンは結局見れずじまいだった。しかし今回は全く違う。満身創痍の面持ちで鉄路を切り拓くというラッセル車の真の活躍の姿が、今回の旅では拝めそうである。ここまで来て良かった。伝え聞いていた宗谷の守り神は本当に実在した! と、少し大げさだがその時はそう思って感動していた。ともあれ走っていてくれて良かった。かじかむ手で機材を撤収。すぐに追っかけの態勢に入る。勇知の次の兜沼で交換のため8分の停車があるので、かなり余裕で追撃できる。15kmほど走り徳満付近で仰角で接近戦。これはタイミングとライティングにより失敗。宗谷北線最大の町である幌延の11分停車を利用してさらに先行したが、ここ北海道ではいつもやっている追っかけよりはるかにスケールが大きく、撮影して20km先行して迎撃を繰り返す感じになりそうで距離感がマヒしそうだ。その幌延より20km南下した雄信内付近の踏切で3発目。駅も近いので速度を落としてくる上に、ここは踏切なのでかなり手前でウイングを閉じられそうなので望遠を目いっぱいに伸ばし遠方を狙う。案の定姿を見せたラッセル車はだいぶ前から徐行しており、掻き上げる雪も少ない。しかしバックの森林がきれいだ。時折ウイングに引っ掛ける雪とともに静かに近づいてくるのだった。


駅進入なので速度は落ちる。静かに接近してくるDE15。
2012.2/8  宗谷本線  安牛〜雄信内  EOS5D  100-400m


先ほどの雄信内の長時間停車で次のステージへ。こちらも駅チカなので掻き飛ばす雪は少なく迫力に欠ける。
2012.2/8  宗谷本線  問寒別〜歌内  EOS5D  100-400m


振り返って歌内駅通過。片面ホームは反対側のウイングだけ広げて除雪する。
2012.2/8  宗谷本線  歌内  EOS5D  100-400m

 まだまだ続く。歌内撮影後、普通のスピードで列車と同じ進行方向へ追撃していると、いつの間にかラッセルに追いついてしまった。線路と道路が近接しているため間近で雪を蹴散らしながら突き進むDE15が殊の外カッコ良く見える。速度は60km/h程度だが、時折突っ込む雪だまりの度に盛大に雪煙を上げる。まさに鉄路を切り拓いていると言わんばかりだ。ハンドルを握りながら片手はビデオカメラ。約5kmほど、そのランデブーは天塩中川まで続いた。


2012.2/8  宗谷本線  天塩中川〜佐久  EOS5D 24-105mm





筬島で通過見学。青空がのぞき始め天候が回復してきた。
2012.2/8  宗谷本線  筬島  EOS5D  24-105mm

 間もなく音威子府だ。音威子府での停車時間は1時間20分。ここでは朝早くから連続4時間以上、130kmに及ぶ除雪作業のため、乗務員がお昼休憩をとるとのことだ。出発前にリサーチした宗谷ラッセルの各サイトもこの音威子府での長時間停車を利用して、機関車の細部観察記録が多く掲載されている。筬島から音威子府は隣り合っているが、国道を飛ばしているとあっという間に追い越してしまい、駅進入を一発やってから音威子府駅前にクルマを止めた。構内で写真を撮るため窓口で入場券を求めようと駅員氏に言うと、「あ、撮影ならどうぞ入っちゃってください」以外すぎる返答だった。お言葉に甘えて早速構内へ。すでに乗務員の姿はそこになく、詰所で休憩のようであるので、静かにアイドリングを続け後半戦に闘志を燃やすDE15を思う存分堪能した。









いずれも音威子府。停車時間は1時間20分。
2012.2/8  宗谷本線  音威子府  EOS5D  24-105mm

 音威子府駅ではもう一つ楽しみがあった。今となっては有名になった駅構内の「黒いソバ」だ。遡ること23年前、1989年4月に廃止となる天北線がこの音威子府から分岐していた。当時自分は少ない資金とワイド周遊券を手に、この天北線のお別れ乗車のため道内を巡っており、乗り換えの天北線の普通下り列車を待っている時、訪れたここ音威子府で食べたのがこの「黒いソバ」だ。20年経つとどのような味だったかは全く覚えていないが、とにかく独特の風味でとても旨かったということだけは心に残っている。しかしあろうことか駅構内のソバ屋のシャッターは閉まっていた。どうやら水曜定休らしくちょうどその日に当たってしまったというのだ。残念。でもあと2日あるし、この音威子府も後日何度か通ることになるだろう。本日は諦めて次の撮影場所を探し始めようと駅前から車を出した。少し行ったところにコンビニがあったので軽食を調達。そのコンビニを出て走り始めるとすぐに国道が線路をオーバークロスするポイントにぶつかった。国道の陸橋から少し下の脇道に折れると、ちょうど音威子府を出発した線路が見通せた。背景に建物が入り少々うるさい感じもするが少し昼寝もしたかったので、午後の一発目はここで迎えることにした。天候も青空が広がり初め、いくらでも好きなだけ絞りとシャッター速度を選び放題だ。時刻表を見るとラッセルの出発直前に上り普通列車が一本ある。キハ54であるだろうが、登場時のレッドのラインを守っており、コイツのデビューが1986年なのでれっきとした国鉄色である。これもいただいておこう。ギンギンに照り付ける太陽と裏腹に気温はマイナス10℃。しかし風もないのでトレーナー一枚くらいでちょうどいい。そんな氷点下の中、撮影準備に勤しんだ。


ラッセルから道を譲られ名寄に急ぐ4330D。
2012.2/8  宗谷本線  音威子府〜咲来  EOS5D  100-400m


その30分後。急速に陰ってしまった。13:40分、音威子府出発。
2012.2/8  宗谷本線  音威子府〜咲来  EOS5D  100-400m

 いよいよ後半戦がスタートした。同じ車両がそのまま直通するも列車番号を雪362レと変えたDE15は、前半と違い長時間停車は美深の6分くらいしかなく、追っかけしても撮影ポイントはかなり限られてきそうだ。つかず離れずの状態でしばらく並走をし、幾分先行したところで国道から逸れるとそこは初野という駅だった。再び現われた太陽をバックに踏切に突入するラッセルを撮影。次はこの後半戦最大の見せ場である北星のお立ち台へと急いだ。


踏切ではアイスカッターを上げて通過するが、まとわりつく粉雪が舞いがる。
2012.2/8  宗谷本線  紋穂内〜初野  EOS5D  24-105mm


見事な雪晴れのベタ光線の中、満身創痍で道を切り拓く雪362レ。
2012.2/8  宗谷本線  北星〜日進  EOS5D  100-400mm

動画はどうだ?

 ここはリサーチ通りかなり有名ポイントであるようで、ちょうど晴れ間も持ってくれたので最高のシチュエーションになった。普段はどのくらい集まるかは知らないが、今日は同業者15人ほどで雪362レを見送った。西日に照らされてラッセルによって高く舞い上げられた雪がハラハラとあたりを包み美しい。自分はラッセルの逞しさと優美さを兼ね備えた感動にしばし浸っていたが、周りの皆さんは慣れたもんでそそくさと撤収準備をしていた。もうこの先名寄市街に入ってしまうし、露出も厳しい時間になってしまうのだろうから、この季節ではこのお立ち台が南限なのであろう。そんな皆様をよそ目にクルマを走り出し始めた。追っかけをするのではない。旭川から北上してきたもう一つの定排。雪351レを迎え撃つためだ。少し分かりにくいので簡単な旭川支社の定排のダイヤを以下に紹介しよう。

 とまぁこんな感じである。今日は宗谷本線北限から南下しながら雪372レと雪362レを追っかけてきた。雪362レが南下すると同時に別の定排、雪351レが北上してきているのだ。それをいただきに行く。ダイヤを見ても雪362レの1時間遅れで名寄に到着するので日照と距離的にも少し厳しいがやってみる価値はありそうだ。先のポイントから国道に戻らずに名寄市内へ。久々に見た街の景色をスルーして名寄市内をパスする。すぐに国道は雪の原野を突き進み40km。和寒に到着した。旭川から作業しながら北上してきた雪351レはすでにホームで休んでいた。ここでは326Dと交換のため25分の停車があので、音威子府と同様撮りホーダイだ。


和寒にて。雪ダルマ状態の宗谷北線と違い、こちら南線はいささか余裕な感じ。
2012.2/8  宗谷本線  和寒  EOS5D  24-105mm

 一通り駅での撮影を終えるとすぐに移動を開始した。事前に和寒駅を出てすぐのところで防雪林バックのポイントを下見しておいたのだ。和寒で交換する普通列車が音も無く姿をあらわし駅に停車し、遠目では駅に停車しているDE15のライトが灯り、いよいよ雪351レの出発となったようだ。


もう暗いので流すしかなかった。名寄へラストスパートをかける宗谷南線ラッセル雪351レ。
2012.2/8  宗谷本線  和寒〜東六線  EOS5D  100-400mm

 これにて本日の業務は終了した。気が付くとヘトヘトにくたびれ果てていた。稚内から和寒まで220km。日の出から日没までこんなに連続して追っかけなどしたことはなかった。飯もアンパンとおにぎり程度しか口にしていない。しかしそれより大事な明日以降のことを考えた。今日1日で一生分のラッセルを撮影した。手応えはともかくとしてあまたのカットをいただくことをできた。今回の旅の予定では滞在できる3日間すべてを宗谷ラッセルの追っかけに充てようかとも思っていたが、なかなかもうお腹一杯だ。だとしたらせっかく北海道に来たんだし明日は少し別の被写体を追うのも悪くはないかもしれない。リバイバルカラーの国鉄色711系、室蘭本線の石油輸送のDD51、下りブルトレを噴火湾・・・。などなど邪悪な欲求に駆られるまま思いつくことすべてピックアップしてみたが、あまりに距離が遠すぎる。711は近いけど雲を掴むような話である。さらに思考をめぐらせていると一つ忘れていたものがあった。石北臨貨である。北見地方の農産物を内地へ運ぶ使命のこの貨物列車は、農作物という季節もののため例年、夏から翌年春まで運転されている臨時貨物列車だが、平行する旭川紋別道の延伸のため、ついに昨年の春を最後に運転が打ち切りとなってしまったのだが、なぜか突如として秋から何事もなかったかのように奇跡の復活を遂げている。牽くのはもちろんDD51。遠軽のスイッチバックと、峠越えのためにプッシュプルで武装し、日々道東と首都圏を結んでいる貴重な貨物列車だ。自分は重連からプッシュプルに切り替わった2004年秋に訪問しているが、あの当時は1日3往復態勢だったが、復活した今年は1往復になってしまっている。時刻は確か早朝旭川を出発。昼前に北見に到着し、夕方遅い時間に上り出発。ということぐらいしか分かっていない。朝、遠軽のスイッチバックを利用して前後で2発撮り、一方上りの便は日没で厳しく諦めるのはしょうがないが、ここで夕方までに上川方面へ戻れば、今度は石北本線の定排ラッセルも撮れてしまうというオマケが付いてくるのだ。朝の臨貨は今からでも余裕だろう。一旦旭川市内に戻る。市内に入ると昨日とは打って変わって凄まじいほどの降雪だった。ワイパーも全く効かず、道端の除雪も追いついていない。ちょうど市内は帰宅ラッシュの時間であるが、この降雪にさすがの道産子も運転に難儀しているらしく、ところどころ交通がマヒしている。そんな中、昨日と同様関東でも見られるコッテリ系のラーメンチェーン店があったので入店。大盛りネギラーメンを待っている間、臨貨の時間をスマホでググってみると、すぐに詳細な運転時刻を入手することができた。記憶通り下りは白滝付近で夜明けを迎え、石北臨貨撮影のメッカ、常紋峠には、この場所では超順光となる午前9時前の通過だ。遠軽では当然スイッチバックになるので運転停車はそれ相応にあるだろうし、国道は遠軽市街には入らずにをショートカットするので余裕を持った追っかけが可能だ。一番気になる明日の天気予報は宗谷地方、雪。そして北見地方は晴れである。明日は宗谷ラッセルはパスして午前は臨時貨物、午後は石北本線のラッセルと移動すれば至高の一日を我が手中に収めることができるだろう。決まった! 旭川のラーメン屋を出て石北峠を越え白滝に向かう無料高速道路、旭川紋別自動車道に乗る。長い長い登り坂。夜空は晴れ渡っており満天の星が輝き風も穏やかだ。放射冷却と標高で気温はますます下がり、ピリッとした張り詰めた大気になってきた。高速の終点である丸瀬布のICで一般道に降り、市街のセイコーマートで晩酌用のビールを購入。少し戻った道の駅で今夜は夜を明かすことにした。

本日の走行距離 377km

2012.2/9

 暗いうちに目が覚めた。エンジンはかけっぱなしでいたが、正直言うと寒さのあまりあまり寝ることができなかった。ここから遠軽まで20kmの間で一発目をやりたいが、あまり手前で撮影準備をしていると陽が昇らず露出が厳しくなってしまうことから、遠軽になるべく近い地点で設営したいと思う。少しづつ明るくなり始めた国道39号は昨日の宗谷地方と全く違い、乾いた路面も見え隠れするほどで自然とスピードが上がってしまう。8年前の記憶を頼りに日が当たりそうで撮影ができそうな場所を探しながら東に進んでゆくも、なかなかイケてしまいそうなところは少なく、とうとう遠軽の1つ手前の駅まで来てしまった。あまりに多くロケハンをしてしまったため残り時間もなく、戻るわけにもいかず、仕方なく諦めて入った脇道の踏切を最後の賭けにしようと車を降りると、ちょうど昇り始めた太陽光が線路に届き始め、デーデーのご尊顔を照らしそうな感じである。決めた決めた!ここまで来てしまって良かった。オレって勝ち組かも。時間もないので慌てながらセッティングをしようとするが、すればするほどマイナス15℃の世界ではかじかんでその作業もままならず、ますますリミットが近づいてくる。 ・・・でも本当に来てくれるのだろうか?週末や年末は運休らしいし臨時貨物だけあってシーズンでも設定無しがよくあるらしい。セッティングを終え寒空の下待機していると、遥か遠くからゴーッという地響きが聞えてきた。来たか?まだ踏切は鳴らないがその地鳴りは絶えることなく続いている。来た。8年前の常紋峠、磐越西線のセメント貨物、もっと昔の紀勢線貨物で体験した、早朝のDD51登場の序章に間違いない。5分ほど地鳴りは鳴り続け、徐々に大きくなりついに踏切が鳴り出した。一撃入魂。ファインダーから姿をあらわしたのは更新色のDD51だった。直前に朝陽は陰ってしまったが、東の空に顔を紅く染めている。ヤバイ! カッコいい! 凍えているのも完全に忘れシャッターを切った。


2012.2/9  石北本線  瀬戸瀬〜遠軽  EOS5D  100-400mm

 轟音のあと、軽いコキのジョイント音が通り過ぎて行く。お楽しみは最後尾の後補機だ。次の遠軽でスイッチバックなので常紋峠は先頭に立つことになるのでここは重要ポイント。しばらくコキを見送ると、最後尾で精一杯編成を押していたのは非更新機だった。なんというハピネス! 常紋に向かう足取りも軽く遠軽市街をスルーして、峠の入り口の町、生田原に到着した。コンビニで軽めの朝飯を買い、車内でそれを食べながら大切なことをふと思った。「この季節、峠道はどうなっているんだべ?」 平行する林道は冬季通行止めのはず。どこかでクルマを置いて撮影ポイントまで雪山を徒歩で攻略しなければならない。とりあえずクルマで行けるところまで行こうと、生田原から除雪された林道を遡った。天気はいつしか快晴になっており雪原に反射する光線で雪目になってしまいそうだ。予想していたよりかなり奥地まで車で行けてしまい線路を踏切で渡るところで行き止まりになってしまった。場所は超有名お立ち台である146キロポスト手前の145キロポスト付近。ここから雪中1kmの行軍が待っている。行き止まりにはUターン用に少し広めに除雪されており、そこには先客のクルマが2台あった。こんな山奥で心強い。持ち合わせの防寒具をすべて身にまとい通過30分前になって外に飛び出すと、目の前に見てはいけないモノが残されていた。


駐車場所にて。・・・人間じゃないな・・・。

 明らかに人間でも鹿ではない。鹿とは別の大型哺乳類の足跡が残されていた。この場所は人間のテリトリーではなく完全にヤツらのもの。普段彼らは冬期休暇中と思われがちだが、まれに休暇を取得しそこねた連中が里にまで下りてきて悪さをするということはよくニュースなので取り上げられているので知っているのだが、今日は彼らを忌避する鈴やラジオなぞ持ってきていないし、もしバッタリ出会ってしまったら望まない熱い抱擁を交わされるのだろう。そんなところを1km歩くのかと思うと生きた心地がしなかった。お手軽な145kpで我慢しよう。ここなら斜面を転がり滑って線路に出てクルマまで走れば自分でもなんとか逃げ切れるかもしれない。勇気を振り絞ってお立ち台に向かった。ここから200m程度の距離である。


これは人間(テツ)の足跡。左は146kpまで1km。右はお手軽145kp。あなたならどっち?

 ビビリな自分は当然右のコースを選び、小さな丘を越えるとお立ち台に出た。先客は1名様。彼もクマ避け装備を持たずにこの雪の斜面に装備を張っている。挨拶を交わし情報交換をしていると、先ほどの瀬戸瀬の踏切で聞いた轟音より明らかに野太いエクゾーストノートが山々の間にこだましてきた。音は聞こえれど姿は見えずの状態が10分ほど続き、ついに非更新色機先頭のキャラバンが、今にも止まってしまいそうなほどゆっくりとしたスピードで勾配を登ってきた。



苦しい苦しい急勾配を喘ぎながら登ってきたDD51。こんな大迫力の鉄道走行シーンはここの他にないだろう。
2012.2/9  石北本線  生田原〜金華  EOS5D  100-400mm

 轟音と共に走り去った後、しばらくして常紋トンネルに入る「ピィーッ」という警笛とともに辺りは先ほどの静寂に包まれた。素晴らしいショーだった。先ほどの先人を後にして早々にヤマを降りた。今日は夕方のラッセルまでかなり時間があるので、ここで昼寝でもして何本か撮影して移動しよう。貨物通過時には薄曇りになった空模様は回復してまぶしいほどの日光が差し込み、エンジンを切っても車内はポカポカと暖かい。昨夜取れなかった睡眠をここで1時間ほどして、もう一度別の被写体を狙うべく、再びさっきのお立ち台に立った。



2012.2/9  石北本線  生田原〜金華  EOS5D  100-400mm

 キハ54の「快速きたみ」と特急「オホーツク」を撮影して現場を後にすることにした。遠軽市内で給油を済ませコンビニで今朝の朝食と変わらないような菓子パンとおにぎりの昼飯を購入。それらを食べながら運転し、丸瀬布から旭川紋別自動車道に乗り旭川に戻るが、長い石北トンネルを通過中、急にいいことを思いついてしまった。石北ラッセル雪551レを捉えられるのは愛別付近だと日没直前。これなら昨日和寒で見送った宗谷南線の下りラッセル雪351レを比布付近でいただいてから移動してももしかしたら間に合ってしまう? 一見厳しいかのように思えたが石北本線と宗谷本線は旭川を出てから石狩川を挟んで5kmほどの間隔をあけて約20kmに渡って並走しており、ショートカットをすれば実は余裕で間に合ってしまうのだ。早速目的地を石北ラッセルのための愛別ではなく宗谷本線を目指し、そのまま高速を走り続け、国道40号線との交差地点、南比布駅に到着した。出発前に調べた宗谷南線の撮影ポイントとして、この南比布駅の上にかかる国道の陸橋から北進する下りラッセルを撮影できると知って訪れたのである。まず到着して衝撃的だったのは南比布駅舎そのものであった。掘立小屋のような待合室、しかも待合室はコンクリート式でもないリアル土間、そして板敷きのプラットホーム。上を走る国道の跨線橋が無かったら究極の秘境駅であろう。21世紀も12年経った現在にこのような駅舎自体が存在していることが驚きだ。

 偶然やって来た普通列車や駅舎の観察をひとしきり終えると、もうすぐラッセル通過時間だ。朝からあれほど穏やかだった天候はいつしか本降りの雪になってきている。駅から跨線橋に上がる階段で望遠を最大に効かせ、もうすぐやって来るだろうラッセルを待つ。やがて数キロ視界の向こうから前照灯が近づいてきたがなかなか姿は大きくならない。低速で作業をしながら北進しているようだった。


単身、孤独な雪との戦い。もう一つの戦場がここにあった。
2012.2/9  宗谷本線  北永山〜南比布  EOS5D  100-400mm

 ラッセルを見送るとすぐに石北本線に移動開始である。少し国道40号線を北上し、旭川から並走してきた宗谷、石北の両本線が分岐するあたりから愛別方面に進路を取り、当初の目的地である伊香牛〜愛別の原野に到着した。さっきまで降っていた雪はいつしか止んで、夕日の光線がこの白一色の世界をドラマチックに照らし始めていた。最初は踏切付近で安全に撮影しようと撮影準備をすべて済ませていたが、この石北本線定排はなぜか宗谷とは違い複線型を使用するそうで、実際今まで見たことのない複線型DE15の排雪作業を見てみたいと思い、通常ウィングを閉じて通過してしまう踏切周辺より少し離れて撮影することにした。踏切脇の道路から機材一式を担いで雪の原野に丸腰で挑むオレ。すぐに足元は沈み込み腰まで埋まりながら人間ラッセルすること200m。ここいらまで来ればいいだろうか?という雪野原の真ん中でもうすぐやって来るだろうDE15複線型を待つことにした。


予想より早めに片ウイングを閉じてしまった。走行するのを初めてみた複線型。
2012.2/9  石北本線  伊香牛〜愛別  EOS5D  100-400mm

 残念ながら進行方向左側だけに雪を飛ばす複線型の除雪は見ることはできなかったが、今のところ意中の被写体はすべて収めることができている。やや満足しながら再び雪の原野を膝でこぎながらクルマに戻り、すぐに発進した。今日もこれから大移動が待っている。明日は最終日。昨日と同じく朝イチから稚内周辺よりラッセルを追っかけながら南下し、明日中に空路で帰路に就く予定だ。撮影地より愛別ICに乗り、道央道の北端、士別剣淵ICで降り、おとといと全く同じ長い一般道のナイトランで稚内に向かう。これまたおとといと同じ名寄のラーメン屋に立ち寄り、ラーメンを喰いながらワンセグでニュースを見ていると、実は今日、道央各地では観測史上稀に見る積雪だったらしく、札幌周辺の鉄道はすべてマヒ状態で、高速道路も通行止めが出るなど大変な雪害に見舞われたそうで、常紋峠でのんびり貨物を撮影したり、宗谷南ラッセルや石北ラッセルをほぼ定時に出会うことができてしまった自分は奇跡と言う他にないだろう。3日連続のラーメンを完食し、まだ200km以上ある最北の稚内を目指す。目標到達時刻は23時。おとといと同じく、進めば進むほど通行量の少なくなる原生林の中の国道40号をひたすら進み、さらにまたおとといと同じく美深の温泉に立ち寄り、疲れを癒した。例の娘は今日はお休みなのだろうか、受付に立っていたのはおじさんだったので少し期待外れ。施設を出ると本格的な吹雪になってきた。ワイパーをかけると寒さでゴムがビビリ視界が確保できず、かと言って低速走行すると雪がフロントガラスに付着してしまう。ますます強くなってきた吹雪と、一台もすれ違うことのない孤独なナイトラン。なかなかできることのないシチュエーションに胸が高鳴ってヤバい・・。そして時間を忘れるほど運転に集中して、ようやく見えてきた稚内の街の明かりに安堵したのは言葉に言い表せられないくらいだった。ガソリンを満タンにするとすぐに稚内を後にして日本海側を南下する。海から吹き付ける猛烈な風と、さらに激しさを増す降雪に少し絶望感を感じながらも、慎重に今日の寝床を探す。目的地は南稚内の一つ南、抜海駅だ。とにかくこんな夜は少しでも人気のあるところで一夜を過ごしたいという動物としての本能か?やがてどのくらい走ったのか、小さな集落の明かりが見えた時の安心感と言ったらなかった。駅前のロータリーで投宿することに決めた。眠りに就くその前に帰りの交通手段の手配だけしておこう。往路の計画や手配は念入りに立てたが復路は被写体の列車の撮影時の天候や運用を考え、あえて全くノープランだったからだ。最悪旅程を切り上げて帰ることにもなりかねないし、また出先での気分で手配するのが幸せに物事が行く可能性大だ。明日の天気予報は晴れ。雪372レを追いかけて最後の撮影を堪能できそうだったので追っかけしながら南下。旭川でレンタカーを返しなるべく遅い便で羽田に向かうのがよかろうと検索すると、なんと旭川発最終便は満席だった! ならば列車で新千歳まで行き、そこから羽田かとも考えたが、そうするとこの最北の地からラッセルと戯れながら向かっていると時間的に厳しいことが判明した。考えることしばし・・・。そうだ、格安のスカイマーク便の成田行きがあるではないか。これなら・・・と予約ページを開くと当然空席。そして窓際も手配することができた。これにて一安心。あとは無事に飛んでくれれば明後日の仕事も間に合う。外を見るとさっきまであれだけ吹雪いていた天候が嘘のようにおさまり、月も輝き始めていた。


一瞬晴れ間がのぞいたが、この後すぐに暴風雪に見舞われることになった。
2012.2/9  宗谷本線  抜海  EOS5D  24-105mm

本日の走行距離 525km

2012.2/10

 突然クルマの窓を激しくたたく音で飛び起きた。どうやら駅前のロータリーを除雪するので邪魔だからどいてくれということらしい。吹雪は依然降り方を少しも弱めることなく真横に雪が降っている。時刻はまだ4時。こんな早朝からしかもこんな過酷な環境の中、仕事をする人がいることは本当に恐れ入る。畏怖してしまうほどだ。素直にクルマを移動させ、取りあえず走り出したものの吹雪で視界は極端に悪い。しかし止めたところでも海洋性の強烈な風のためあっという間に積もられ、下手したら身動き取ることができなくなる予感がしたので、海に面した抜海より少し内陸の勇知駅に向かった方が安全だと思い、次の駅である勇知まで命からがらたどり着いた。ラッセル通過までの3時間、ワンセグで朝の情報番組を見たりして時間をつぶした。そしていよいよ出撃の時間になった。おとといと同じ跨線橋。雪もいつしか小康状態になっており撮影準備は3日前よりはかどってできた。それより未明に降り続いた雪に線路端は新雪に埋め尽くされていて、これなら盛大な除雪が期待できそうだ。


今日もほぼ定時にやって来た雪372レ。期待していた排雪が展開された。
2012.2/10  宗谷本線  抜海〜勇知  EOS5D  100-400mm

 煙幕のような雪を後ろに引き連れてあっという間に列車は通過していった。前回と同じく国道40号線を使いながら途中何度かラッセルを追い抜き撮影していったのだが、追っかけという限られたタイミングと行き当たりバッタリのノープランではまともな写真は撮れないことは分かっている。ならば、少し距離を稼いで場所選びに時間を割いてみようと、最北の自動車専用道である豊富バイパスで一気に幌延市街にワープした。そのバイパスの終端部のインター直前、ふと窓の外を見るとちょうど下を宗谷本線の線路が交差しており、勘であそこの線路わきに立てば頂けるかも知れない!というお告げを受けてしまい、インターから一般道に降りて、その5分後にはバイパスから見た雪の原野に立っていた。積雪は1m50cmほど。その降り積もった雪にビデオ用の三脚を突き立てて、スチルカメラの方は勇知の跨線橋から付けっぱなしだった望遠レンズから広角に交換した。逆光であるものの青空がきれいだ。シルエットにしようか、舞い上がる雪を後追いにして仕上げようか?いろいろと悩んでいるうちにやっぱり時間が無くなり、間抜けな電子ホーンが遠くから聞こえ、ラッセルはやってきてしまった。


ちょうど太陽が雲に隠れ逆光でもサイドビューを狙うことができた。
2012.2/10  宗谷本線  下沼〜幌延  EOS5D  24-105mm


幌延の停車を利用して先行。駅進入なので速度も落ちる。
2012.2/10  宗谷本線  南幌延  EOS5D  100-400mm


上記写真のケツ打ち。ホームを通過しエンジンを吹かして再び白魔にアタックする。
2012.2/10  宗谷本線  南幌延  EOS5D  100-400mm

 滞在最終日にしてようやく安定した天気に恵まれてきた。次は初日はスルーしてしまった雄信内駅での普通列車交換のための停車を狙いに行く。聞けば抜海駅同様木造駅舎が小さな集落の真ん中に佇んでいるという。ほどなくして雄信内駅に到着。すでにラッセルはホームに止まっており、アイドリングを続けながら間もなくやって来る対向の普通列車を静かに待っていた。そんなにのんびりしていられないことだし駅前にクルマをベタッと横付けして構内撮影に入りたいのだが、なんだか駅前の小さなロータリーが本当に小さすぎて少し離れたところに駐車スペースを確保。小走りで駆け寄った。なるほど・・・噂に違わぬ見事なまでの木造駅舎。貫禄が違いすぎる。引き戸を開けて待合室に入ると独特の昔の家屋の懐かしい匂い。今日は時間がないが、いつかのんびり時を過ごすためだけに再訪したい駅であった。


古い木造駅舎の雄信内(おのっぷない) すでにラッセルは交換列車を待っている。


ホームはきれいに除雪され、手が入った人のぬくもりがあった。


やがて稚内行き普通列車が雪煙を引き連れながら到着。


後ろは巻き上げられた雪でこんな状態。


たった一人おじいさんが下車。
2012.2/10  宗谷本線  いずれも雄信内  EOS5D  24-105mm

 普通列車が入線するとすぐに上り出発信号が青の現示に変わり、ラッセルはスカート前面の雪をグイグイと押し退けながら加速していった。自分も車に戻り追従する。そして運転しながら考えた。今日は滞在最終日。帰路のことも考えなくてはならない。前日、車中泊の際、帰りの航空便を手配した。なるべく長くこの北海道に滞在できるようにと旭川からの最終便である20:30発の羽田行きJAL便に狙いを定めていたが、あろうことか満席になっており、仕方なしに17:45発の旭川→成田行きをゲットしたのだが、ここから旭川までの距離と旭川駅からの空港までの連絡バスの出発時間を考えると、この先の音威子府の長時間停車で、おととい喰いそびれたソバを堪能したり、撮影を楽しんでいる余裕がないことが分かってきた。おそらく次を最後の撮影にして旭川に直行しないと間に合わないだろう。キッチリとキメたいものである。というわけでしばらく行った雪原にて最後のラッセルの勇士を堪能しようと、高さ2mほどある道路脇の積雪に階段を作ってよじ登り、雪原の上に出た。直線区間であるしかなり飛ばしてくることが予想される。天候は雪もちらつき始めてきた。20分ほど待ったであろうか。音も無く、雪原の遥か彼方から雪煙の塊が近づいてきた。けれど音は全くしない。カメラを構えて素振りの体制に入り、その雪煙が目の前を通過する直前レンズを横に一気に振った。


2012.2/10  宗谷本線  天塩中川〜佐久  EOS5D 24-105mm

 音も無く高速で雪を飛ばして行ったDE15の後ろ姿を眺めながら、余韻に浸ることもなくすぐにクルマを発進させた。ここから旭川までの正確な距離は分からないので時刻表の距離程を使って天塩中川→旭川までを算出。160km。旭川駅からの連絡バスの出発は16:15。現在正午過ぎであるので間に合わないこともない。士別からは高速道路も通じているしレンタカー返却の時も考えても余裕で間に合ってしまうであろうが、さすがに音威子府のソバは堪能している時間はなさそうだ。幾度となく通った国道40号線を南下し美深、名寄、比布市街を通過するが天候がいつの間にか荒れ出してきた。初日は宗谷地方は天候は良好だったが道央では大荒れで多数の雪害もでたとのこと。なんだかここへ来てイヤ〜な予感がしてしまいラジオをつけると案の定予感が的中した。やはり道央の交通機関は現在乱れまくりの様子で、一部航空便や鉄道の運休も決定しているとのこと。マジか・・・? 旭川まで到着しても身動き取れないのは勘弁だ。明日は午前中から仕事だっつーに! イライラを募らせながら国道をひた走っているとちらついていた雪は本降りの吹雪に変わり、昼間だというのに視界が遮られ、流れの一団の速度は自然と半分ほどに落ちてしまった。ワイパーも効かない。時折立ち往生している大型車が路肩でハザードを焚いている。本気でヤバイ。でも高速に乗ってしまえばなんとかなる・・・とは考えが甘すぎた。日本最北のインターチェンジである士別剣淵ICに近づくと、なんと「大雪のため通行止め」とのこと。高速に入れない車で混雑する一般国道を旭川方面に走っているが、残りの距離とリミットの時間まで非常に際どいことに変わりはなく、今日中に帰れなくても明日の仕事を何とかして、一日遅れで陸路でも空路でも帰れればいいやという諦めに変わってきた。ホワイトアウトした原野を何時間走っただろうか?いつしか市街に入っており、連絡バスの30分前に大雪の旭川駅前に到着することができた。すぐにクルマを駅レンタカーに返し、まずは情報収集にあたった。航空便は夕方の数本が欠航したようで、これから乗る成田行きにはアテンションはない。仮に飛行機が欠航したとしても、鉄道も大幅に乱れているものの動いているようなので、一安心。少し時間があり朝から何も食べていなかったので駅前のロッテリアで遅いランチ。そうこうしている間にバスの出発時刻になってしまったので、ウェイトだったポテトをキャンセルしてバス乗り場に走った。去りゆく車窓の旭川市街の流れ行く街並みを見ながら、今回の旅を振り返った。たった5日間だったが、この宗谷本線を撮るためになぜか名鉄や近鉄の特急に乗ったこと。廃止となる寝台特急「日本海」まで堪能してしまったこと。なんというか、普段なら遊びすぎてしまったという罪悪感でいっぱいになるところが、珍しく今回は長年の課題である宗谷ラッセルと、それ以外にも収穫を得ることができて不思議と充実感に満ちていた。でも、でも、もう二度と来ないんだろうなーー!!というのが正直な感想だった。

本日の走行 305km