余った18きっぷの使い道 冬の只見線の旅

 この年の冬休み、ナローゲージの路線として有名だった下津井電鉄が廃止になるとかで撮影&乗車してみようと、年が明けて早々の1月2日早朝、下津井電鉄の起点となる児島駅に到着すると、駅は閉鎖されており、施錠されたフェンス内には観光電車が1本留置されていた。もしや?と思って周囲の掲示物を見ると、なんと一昨日12/31の運行が最終日だったことをここで初めて知った。情報も限られていた時代ではあるが、旅先でこんなお茶目をしてしまった自分のここまでの旅の行程はこうだ。もちろん今回も18きっぷ利用である。

1日目 大垣夜行-大阪-天王寺-御坊(紀伊鉄道)-和歌山-深日港(共同汽船)徳島-高松(宇高国道フェリーで1往復宿泊)
2日目 高松-児島(←今ココ)

 ところで今回の撮影用のフィルムではなぜか高価なリバーサルを装填してきており、さらに撮影後の現像でも保存に便利なスリーブではなく、なぜか厄介なマウントで処理してしまったため数十年後紛失。リバーサルからのダイレクトプリントも非常に高価であり、それをしなかったため画像としては一切残っておらず、自分としては唯一、記録の残っていない旅でもある。

 今日は一日中この周辺にとどまって、終日下津井電鉄を乗車、撮影するつもりだったのでJR線での長距離移動は想定しておらず、よってこの日18きっぷは温存して、高松からは乗車券を別途購入してやって来てしまった。予定では翌日より西日本の気になる未乗車路線を楽しんで18きっぷをフルに使う予定だったが、こんなことになって急に萎え萎えに萎えてしまった。ということですぐにこの後のプランを大幅に変更。下記が以降の続きになる。

2日目 児島で18きっぷ日付入鋏-岡山-広島(芸備線)-新見-米子(ふるさとライナー山陰)
3日目 京都-奈良(関西本線)-亀山-松坂(名松線往復)-名古屋-関東地方へ

というわけでフルに5日間使用する予定だったはずが、2日分余ってしまった。そこでようやく今回の旅の話となる。誰でも経験する「余った18きっぷ消化の小旅行」である。

1991年1月20日

 というわけで手元に余っている1枚を幼馴染のT君に2000円で売りつけて、一緒に日帰り旅に出ることにした。といっても夜行列車での出発だ。

 上野から高崎線に乗車。高崎を目指す。今回の旅の第一歩は当時新宿〜新潟間で通年運行されていた「快速ムーンライトえちご」。快速なので18きっぷで乗車できるのはありがたいのだが、首都圏テツが初日に乗車する場合、18きっぷは0時より有効になるためそこまでの普通運賃を支払わなければならない。大垣夜行であれば東京〜横浜の短区間で済むが、ムーンライトえちごが日付を超えて最初の停車駅が高崎と遠く、18きっぷ1日分とほぼ同じの課金が必要であった。通常なら新宿で高崎までの普通乗車券を購入してムーンライトに乗車。大宮を過ぎた辺りでやって来る車内検札で、新宿からの乗車券と空白の18きっぷを車掌に提示し「91/1/19 3763M カレチ」などと手書きで記入してもらうはず。しかしなぜかこの日は先行の普通列車に乗って高崎で下車。駅で日付スタンプを押してもらい構内に入っていた。




高崎でムーンライトを追い抜く金沢行き寝台特急「北陸」。他にも客車の急行「能登」も信越本線経由で設定されていた。
1991.1/20    高崎線  高崎   EOS630 50mm




我らが乗車する「快速ムーンライトえちご」。上沼垂車165×2の6両編成。本日の先頭はシールドビームではない原型のデカ目。車内はリクライニングシートに換装されている。
1991.1/20    高崎線  高崎   EOS630 50mm

 今日は、所有する撮影機材に新しい仲間が加わったのでその性能を活かすため持参してきた。定番中の定番、単焦点50mm f1.8である。少し前の世代のカメラ好きの方なら50mm f1.4単焦点といえば判りますよね。各カメラメーカーのラインナップに必ず入っていた最も基本となる標準レンズである。単焦点標準ということでリーズナブルでありながら、シンプルさから歪みのないクリアな描写が得意で、かつ大口径という入門用にもハイエンドユーザーでも重用されていた懐の深いレンズである。しかしリーズナブルと言いつつも確か当時でも6万円程していたので所有を諦めていたが、昨年末、キャノンはEFマウント用にf1.8にスペックダウンした廉価版レンズをリリース。接合部はプラ製でUSM非搭載ではあるが、何と販売価格が定価12000円と破格だったため、即買いしてしまった。手振れ補正レンズも無かったこの時代。そのデビュー戦として夜間のホームで手持ちで撮影できるのか?を北陸とムーンライトでテストしたくて持参して来たのだ。上記、北陸は若干暗いものの成功。しかしムーンライトはご覧の通り、他人のスピードライトと完全にシンクロしてしまうという、何万分の1という、自身この後の生涯で3回程の確率に見事にヒットしてしまった。

 1:09 高崎出発。新前橋を過ぎると徐々に高度を上げ、雪は降っていないものの車内からでもとてつもないほど気温が低下しているのが判る。やがて沼田を過ぎると我々の乗っている列車のパンタ付近から、架線への霜付着により時折激しいスパークが上がり始めていた。初めはバチ、バチ、程度だったのが水上に近づくころには、ほぼ連続点灯の「照明」のような状態になってしまい、さすがに壊れやしないかと気を揉んでいるうちに2人とも眠りこけてしまった。

 5:12 新潟着。すぐに折り返す。目的地の駅は早朝すぎるのと、そもそも停車しないので戻る必要があった。長岡で乗り換えて目的地 小出 7:31着。今回は只見線全線走破のための18きっぷ消化旅である。ムーンライトでは熟睡できなかったため、この新潟からの列車では2人爆睡していたが、駅に降り立つと見事な快晴で、目覚めたばかりの我々の瞼には眩しすぎる朝だった。さて只見線の列車までは2時間ほどある。待っているのもヒマだしちょっと駅から歩いていったところでやって来る電車を撮影しようぜ、と線路に沿って長岡方面へアテも無いまま歩き出した。冬季は除雪されていない道だったため、運動靴で膝まで埋まりながらラッセルで前進するもどんどん雪は深まるばかり。腰くらいまで埋もれたところで断念。ちょうど目の前の冬季閉鎖の踏切が鳴り出していたためカメラを取り出した。




雪に埋もれながらとりあえずシャッターを切った。懐かしい旧新潟色。
1991.1/20    上越線  小出〜越後堀之内   EOS630 35-105mm




振り返ると笹の葉に霜が成長していた。

 撮影後来た道を引き返し小出駅に戻って来た。改札に入りホームに上がるとすでにキハ40タラコ色+キハ58一般色の只見行きが出発準備をしていた。気温は氷点下と思われるが、降り注ぐ太陽光で全く寒くない。ところでこれから乗車する只見線はご存知の通り日本屈指の秘境路線である。特に県境区間は1日に3往復の超過疎路線としても有名で、当然営業係数はいつ廃止になっても不思議でない区間である。令和の今でも残り続けているのは、県境の六十里越に並行する国道252号があまりの険しさに冬季閉鎖となり、代替交通がないため、ということは有名である。その只見線が峠を越える六十里越トンネルは6km以上もあり、現在でも国内非電化路線最長トンネルで、その建設に時間がかかり開通は1971年と他区間より遥かに新しい。そんな六十里越も今回の旅の楽しみの一つだった。




只見行き 430D。キハ58コンビの国鉄色ペアだった。
1991.1/20    上越線  小出   EOS630 35-105mm




上越線ホームには上り列車が入線中。本当に天気の良い一日だった
1991.1/20    上越線  小出   EOS630 100-200mm

 9:20 小出出発。車内は旅行者と地域住民でそこそこの乗車率。眩いほどの雪景色の中、列車はゆっくりとした速度で進んでゆく。




 ところで上記の写真だが、ネガの記録順から乗車した小出駅とこれから向かう只見駅の写真の間にあったため、大白川駅で対向列車が峠を降りて来るところを撮影したのだと長年思っていたのだが、この記事を書いているうち、2008年に排雪列車撮影の際に訪問した大白川駅構内の記憶と違うような気がしていた。この際ハッキリさせなければ。というわけでYoutubeに数多とあるこの区間の前面展望を小出側から追っていくと・・・。それは大白川の一つ手前。入広瀬駅であることが判明した。現在は棒線化されている入広瀬駅であるため小出〜大白川間26kmは1閉塞となっており、一本の列車が行ったり来たりする程度の過疎運用だが、この訪問より遥か昔は数駅ごとに交換設備が設けらるほど需要は旺盛だったのだろう。

 さて新潟県側最後の駅である大白川で態勢を整えた後、ここから先の県境無人地帯へ。そして長い六十里越トンネルに突入し只見駅に10:43到着した。2026年現在、県境区間を越える3本の列車は全て全区間通しで運行される超ロングラン運用だが、我々の乗車した430Dは只見までとなっており、この先に向かうには乗り換えが必要になってくる。とはいっても10分ちょっとの接続になるが、はるばるやって来た「あの憧れの」只見駅なので、接続列車、折り返し列車など記録に残しておいた。




只見駅で12分の乗り換え時間。鉄道マニアの他に地元の一般利用もそれなりにあり賑わいを見せる。
1991.1/20    只見線  只見   EOS630 35-105mm




すぐに折り返し只見へ向かう列車。車内のおばちゃんの笑顔に思わずカメラを向けてしまった。
1991.1/20    只見線  只見   EOS630 35-105mm




再び六十里越に向かう列車を後追い。
1991.1/20    只見線  只見   EOS630 35-105mm




1991.1/20    只見線  只見   EOS630 35-105mm

 10:55 432D 只見出発。並行する只見川に沿ったり、渡ってみたり、一面の雪野原の中を相変わらずゆっくりした速度で進んでゆく。車内は暖房が適度に効いていて暖かく、また車内の乗車率も座席が半分以上埋まるほどで、至る所で地元の言葉で聞こえてくるおばちゃん同士の談笑が心地よい。今でも心に残る印象深い鉄道旅のワンシーンだった。

 当時はどの地方ローカル線に乗っていていても地元に利用者がそこそこあった記憶があるが、ここ現在の只見線の輸送状況はどれほどなのか。近年一部の会社を除いてJR各社はローカル線の輸送人員を公表するようになり、それによると多くはとても公共交通機関の役割を果たしていないような衰退ぶりで、その筋の方々を驚愕させている。ここ只見線も深刻でJR化直後の1987年と比較して、最も新しいデータである2023年はどの区間も半分以下の輸送人員となっている。また地域柄、豪雨などによる災害も頻繁に発生し長期運休になることが度々重なり、2011年に発生した大規模災害によって全線開通まで11年に及ぶ運休を余儀なくされ、このまま廃止かと思われた中、自治体などと復旧に向けた様々な検討を重ね、上下分離式として2022年奇跡の復旧を遂げたのは記憶に新しい。

 その最後の復旧区間である只見〜会津川口間に今乗車している。やがてどこかの駅で交換するため数分停車するという放送があり、ある駅に到着した。気分転換にとT君とホームに降りてみるとタブレット交換していた。当時でもタブレット閉塞路線は数少なくなっており、今回ここで初めてこの路線が非自動での閉塞扱いをやっていることを知りカメラを構えた。



 当時は列車に乗っていて対向の交換する列車を撮影することが多かったが、撮影場所など記録に残すことは無く、この写真も「どこかの駅」ということしか分からなかったが、先ほどの入広瀬と同様、改めてよく見ると、後年ラッセル車撮影で何度か訪問した際の記憶から、越後川口駅であることは間違いない。川沿いに左にカーブしている線路からすると、今乗って来て列車を会津若松方面へレンズを向けていることになる。

 ところでこの先の旅程から時間的に少し余裕があり、1本後の列車に乗っても遅くならない時間に首都圏へ帰れるため、T君とは事前にどこかの駅で途中下車して走行する列車を撮影しようと考えていた。しかし初訪問の路線で何も情報も無いまま、まして地図も無いことから失敗に終わる可能性も高く、でもとにかく当てずっぽうの直感である駅で下車した。会津宮下という交換可能な有人駅だった。




乗って来た432Dを下車。運転士はこの駅までのタブレット駅長に渡す。
1991.1/20    只見線  会津宮下   EOS630 35-105mm




去って行く会津若松行き。
1991.1/20    只見線  只見   EOS630 35-105mm

 さてどうしたものか・・・。会津宮下は現在でも金山町の中心地で町役場もあるまとまった集落だ。唯一の情報源である駅前の周辺案内図が掲示されていたのでよく見ると、若松方に只見川を渡る鉄橋が示されていた。鉄橋なら開けているだろうし撮影できるのでは?と期待を込めて歩き出す。どのくらいの労力を掛けて到着したかは覚えていないが、地図を見ると駅から1kmほどのところに橋梁があり、そこまで撮影に向かったと思われる。




木々をかわすため厳しいアングルになってしまった。キハ58×2両の小出方面行き。
1991.1/20    只見線  会津宮下〜会津西方   EOS630 100-200mm




その後追い。
1991.1/20    只見線  会津宮下〜会津西方   EOS630 100-200mm

 駅に戻ってきた。記録によるとこの駅ではこの撮影含めて3時間ほど滞在しており、15:05 636Dで会津若松へ向かった。会津若松でも接続が悪かったのか2時間ほど列車を待っている。旅程上ここまでメシを食べる機会がほぼ無かったので、恐らく立ち食いソバかなんかを二人で空腹の胃に流し込んだのだろう。その後は磐越西線、郡山で東北本線に乗り換え、普通列車の乗り継ぎ乗り継ぎで当日中に帰還することが出来た。

 かつて長期休暇の際に旅立っていた青春18きっぷを2冊使った西日本方面や、ワイド周遊券を駆使した北海道、東北、九州などの旅行に比べればささやかな旅行の一つだが、こうしてこの記事を書いていると、なんという贅沢な国鉄三昧な旅だったのか・・。次々に登場する復刻ではないオリジナルの国鉄色気動車たち。すでにこの当時でも各地での「地域色」への塗り替えが進行していた過渡期であり、この只見線も後年新潟色や小牛田色に統一されてしまう直前の訪問だったようだ。現在はこの区間はキハE120が主力というが、復旧されただけでもありがたいこととして、真冬になったら35年ぶりに、もう一度乗ってみようと模索している。




磐越西線にはSGを吐いている50系客車列車も残っていた。右には郡山方面からコンテナ貨物が来ていた時代。貨物の最後は新津方面からのホキ輸送。そして2011年震災復興燃料輸送で貨物列車は終焉した。
1991.1/20    磐越西線  会津若松   EOS630 35-105mm




郡山で715系に乗り換える。初めてこの中間車改造のクハを見たときは、このデザイン性の無さに度肝を抜いた。
1991.1/20    東北本線  郡山   EOS630 35-105mm