さらば哀愁の旧型客車。和田岬線2.7kmの旅
1990.8/16
 JR線上で最後まで定期運用で残った旧型客車と言えば? 言わずと知れた和田岬支線(正式名称は山陽本線の支線扱い)である。1990年10月にこの客車列車が引退して、キハ30を改造した専用列車で運転されることを知り夏休みの旅程に組み入れた。行程は8日間。全て18切符使用で九州〜西日本を周遊したが、その4日目に和田岬線に立ち寄った。行程は「キハ52128の想い出」のページに掲載しているため割愛するが、前夜高松から乗った夜行のフェリーで神戸青木港に上陸。起点である兵庫から一番列車に乗るため、地平の和田岬線用ホームに降り立った。まだ列車は入線しておらず、時間も早いためホームで待つ人は疎ら。やがて鷹取方面からDE10に牽引された茶色の旧型客車がゆっくりと入線してきた。普段目にする一般的な鉄道車両と違い、ジョイント音、レールの摩擦音、連結部分から発する音、全てが重々しく畏怖してしまうほどの重厚な入線であった。やがて停車し手動の扉を開けて乗り込んだ。主な車両はオハ64と呼ばれる和田岬線専用の改造を施した車両で、兵庫と和田岬の共通のホーム位置のためにドアーは全て西側のみに残されており、普段ホームに接することの無い東側の扉は全て埋め込まれていた。またこの路線自体が朝夕の造船所の職員輸送に特化したものであったので、車内の座席はほとんど撤去され、まるで貨車のような造りが特徴的であった。しかしこの編成の中の1両だけオハ46がほとんど無改造で残されており、この車両だけ旧型客車特有のフカフカのクロスシートが残っていた。まずは車内観察から。



兵庫に到着した一番列車。簡素なホームだけが地平にポツンと残る。
1990.8/16   和田岬線(山陽本線)   兵庫   EOS630  28-70mm



れっきとした旧客だが、3扉改造されていたり車内の手すりなどが、通勤仕様だということを醸し出す。
1990.8/16   和田岬線(山陽本線)   兵庫   EOS630  28-70mm



タブレットキャッチャーも備えたDE101049。よく見れば岡山の配置のようだ。
1990.8/16   和田岬線(山陽本線)   兵庫   EOS630  28-70mm



なんじゃこれ? まるで貨車のようなオハ64車内。山手線の6扉車も凌駕する絶対的輸送至上主義車両。
1990.8/16   和田岬線(山陽本線)   兵庫   EOS630  28-70mm



一転、こちらは対照的なオハ46車内。かつての長距離急行のような快適なクロスシート。
1990.8/16   和田岬線(山陽本線)   兵庫   EOS630  28-70mm



「オレは乗るならオハ46だな〜」とネコ氏。


 出発時間になり、扉を開けたままゴトリと列車は動き出した。車内はまだ早朝なので1両に3人ほどしか乗客はいない。兵庫駅を出ると90度左にカーブを切り南へ線路は進路を変えた。右には川崎重工の鉄道車両工場が見え、中には完成したばかりの京急1500などの姿があった。カーブを終え線路は直線になっても列車のスピードは上がらぬまま30km/hほどのスピードで工場地帯、運河、住宅地をゆっくり走り、約5分ほどで終着の和田岬に到着した。和田岬駅は1面のホームがあるだけの簡素な造りで、客車列車が走るので当然機回し線も残っていたが、この和田岬線の列車は折り返し時間の短縮のため客車双方にDE10を連結したプッシュプル運転だったので機回しは必要ない。和田岬駅付近を撮影後、徒歩で線路沿いを兵庫方に向かい折り返してくる列車を撮影した。



和田岬に到着。駅周辺は古めかしい列車に反して結構な繁華街。今は地下鉄の駅まで出来た。
1990.8/16   和田岬線(山陽本線)   和田岬   EOS630  28-70mm



和田岬駅舎。乗車券販売や検札は無く、兵庫で一括して管理していたと思う。ちょうど開業100年目の年だった。
1990.8/16   和田岬線(山陽本線)   和田岬   EOS630  28-70mm



和田岬線はスタフ閉塞。到着するごとにスタフを反対側の機関車に渡しに行く。
1990.8/16   和田岬線(山陽本線)   和田岬   EOS630  28-70mm



あっという間に折り返していった。さて撮影開始。
1990.8/16   和田岬線(山陽本線)   和田岬   EOS630  28-70mm
















本当にピストン輸送。1本の列車が頻繁に往復を繰り返すのは現在も同じ。
1990.8/16   和田岬線(山陽本線)   兵庫〜和田岬   EOS630  28-70mm


 先述したがこの和田岬線は通勤輸送のみにあるような路線であるので、2009年現在でも同様、朝と夕方に集中してピストン輸送をし、昼間は列車は無く、また休日は2往復のみという極端な運転形態を取っている。よって撮影は非常に忙しい。当時はかなり安全面においてはユルかったので列車を撮影後、線路上を歩いて移動しているとすぐに反対方向からヘッドライトが見え、「ピィ〜」っと警笛を鳴らされ線路外によけての撮影を繰り返していた。



和田岬線を語る上で忘れてはいけないのがこのハコ乗り輸送。車内は満員で、時間帯によってはこの写真以上のハコ乗り状態になる。
1990.8/16   和田岬線(山陽本線)   兵庫〜和田岬   EOS630  28-70mm


 和田岬から運河の鉄橋付近まで撮影し、また線路上を歩いて和田岬に戻り朝の最終便で兵庫に戻った。
この年の10月。ついに日本最後の定期の旧型客車は、効率の面からもキハ30を改造した気動車の編成に生まれ変わり、さらに21世紀になると電化され現在では103系電車がこの路線を往復している。ただ朝夕の通勤輸送ダイヤと週末の2往復という和田岬線の伝統は今なお続いている。



撮影を終えて朝の最終で兵庫に帰る。
1990.8/16   和田岬線(山陽本線)   兵庫〜和田岬   EOS630  28-70mm