兵庫に到着した一番列車。簡素なホームだけが地平にポツンと残る。
1990.8/16 和田岬線(山陽本線) 兵庫 EOS630 28-70mm
れっきとした旧客だが、3扉改造されていたり車内の手すりなどが、通勤仕様だということを醸し出す。
1990.8/16 和田岬線(山陽本線) 兵庫 EOS630 28-70mm
タブレットキャッチャーも備えたDE101049。よく見れば岡山の配置のようだ。
1990.8/16 和田岬線(山陽本線) 兵庫 EOS630 28-70mm
なんじゃこれ? まるで貨車のようなオハ64車内。山手線の6扉車も凌駕する絶対的輸送至上主義車両。
1990.8/16 和田岬線(山陽本線) 兵庫 EOS630 28-70mm
一転、こちらは対照的なオハ46車内。かつての長距離急行のような快適なクロスシート。
1990.8/16 和田岬線(山陽本線) 兵庫 EOS630 28-70mm
「オレは乗るならオハ46だな〜」とネコ氏。
出発時間になり、扉を開けたままゴトリと列車は動き出した。車内はまだ早朝なので1両に3人ほどしか乗客はいない。兵庫駅を出ると90度左にカーブを切り南へ線路は進路を変えた。右には川崎重工の鉄道車両工場が見え、中には完成したばかりの京急1500などの姿があった。カーブを終え線路は直線になっても列車のスピードは上がらぬまま30km/hほどのスピードで工場地帯、運河、住宅地をゆっくり走り、約5分ほどで終着の和田岬に到着した。和田岬駅は1面のホームがあるだけの簡素な造りで、客車列車が走るので当然機回し線も残っていたが、この和田岬線の列車は折り返し時間の短縮のため客車双方にDE10を連結したプッシュプル運転だったので機回しは必要ない。和田岬駅付近を撮影後、徒歩で線路沿いを兵庫方に向かい折り返してくる列車を撮影した。
和田岬に到着。駅周辺は古めかしい列車に反して結構な繁華街。今は地下鉄の駅まで出来た。
1990.8/16 和田岬線(山陽本線) 和田岬 EOS630 28-70mm
和田岬駅舎。乗車券販売や検札は無く、兵庫で一括して管理していたと思う。ちょうど開業100年目の年だった。
1990.8/16 和田岬線(山陽本線) 和田岬 EOS630 28-70mm
和田岬線はスタフ閉塞。到着するごとにスタフを反対側の機関車に渡しに行く。
1990.8/16 和田岬線(山陽本線) 和田岬 EOS630 28-70mm
あっという間に折り返していった。さて撮影開始。
1990.8/16 和田岬線(山陽本線) 和田岬 EOS630 28-70mm
本当にピストン輸送。1本の列車が頻繁に往復を繰り返すのは現在も同じ。
1990.8/16 和田岬線(山陽本線) 兵庫〜和田岬 EOS630 28-70mm
先述したがこの和田岬線は通勤輸送のみにあるような路線であるので、2009年現在でも同様、朝と夕方に集中してピストン輸送をし、昼間は列車は無く、また休日は2往復のみという極端な運転形態を取っている。よって撮影は非常に忙しい。当時はかなり安全面においてはユルかったので列車を撮影後、線路上を歩いて移動しているとすぐに反対方向からヘッドライトが見え、「ピィ〜」っと警笛を鳴らされ線路外によけての撮影を繰り返していた。
和田岬線を語る上で忘れてはいけないのがこのハコ乗り輸送。車内は満員で、時間帯によってはこの写真以上のハコ乗り状態になる。
1990.8/16 和田岬線(山陽本線) 兵庫〜和田岬 EOS630 28-70mm
和田岬から運河の鉄橋付近まで撮影し、また線路上を歩いて和田岬に戻り朝の最終便で兵庫に戻った。
この年の10月。ついに日本最後の定期の旧型客車は、効率の面からもキハ30を改造した気動車の編成に生まれ変わり、さらに21世紀になると電化され現在では103系電車がこの路線を往復している。ただ朝夕の通勤輸送ダイヤと週末の2往復という和田岬線の伝統は今なお続いている。
撮影を終えて朝の最終で兵庫に帰る。
1990.8/16 和田岬線(山陽本線) 兵庫〜和田岬 EOS630 28-70mm