行くぜ! 天下の立山黒部アルペンルートを体験しよう

2024.9/12

 今回の旅の目的というかきっかけは全く「無い」。なんとなく立山黒部アルペンルートを経験してみたい。黒部ダムを見てみたい。滅多にしない癒される旅にしてみたい。一般人ならこれを「観光」というのだろうが、もともとそういう「観光欲」というものを持ち合わせていない自分にとっては新鮮な出来事になるだろう。ちょうど2週間ほど前、仕事で年に1回、かつ失敗すればサラリーマン人生が大きく狂うほどの、とある抜き打ち監査が終わり、無事合格を果たし肩の荷がようやく降りた自分にご褒美を上げよう。今年に入って初の2連休。出発前、現地のことを調べ始めると、国内唯一の室堂〜大観峰のトロリーバスが今季で運用を終え、来年からはバッテリーによる電気バスになってしまうとのこと。バスについてはそこまで興味を引くものではないものの、トロリーバス=無軌条電車。れっきとした鉄道であるので、俄然興味が湧いてきた。せっかくだし宿泊も普段絶対に利用しないようないい感じのお宿にしたい。ならば標高2400mを超える室堂に泊まっちゃおうかと調べると、夏休みと紅葉の間のこのオフシーズンでさえどこも3〜4万もする。こればっかりは下界のビジネスホテルでいいかもしれない。また現地までのルートとして決めたのは「あずさ5号 南小谷行き」。1日1往復。以前から乗ってみたかった大糸線内へ直通する列車だ。しかしこれで信濃大町からアルペンルートに入り、当日中に富山まで抜けるには道中少し余裕が無く、希望としては各乗り換え駅なんかでビールを呑んだり施設をウロウロしたり、トロリーバス区間だけ往復したかったのだが、それは無理そう。まぁとにかく久々のワクワクするような旅に期待する毎日だった。




1日1回だけ表示される「南小谷」の文字。一般の人からしたらどこか見当つかないかもしれない。(八王子)

 当日朝。南小谷行きあずさに乗るべく八王子着。30分ほど早めの到着。最近ではほとんどの特急列車での車販が廃止されていると聞くので、この先、アルペンルートに入ると喰いっぱぐれの恐れがあったため、腹は減っていないが構内の立ち食いソバを食すためだ。ほぼ満員の乗客を乗せて8:34、南小谷に向けて出発。指定券は前日取ったため12両編成中、本当に最後の窓際席だった。市街を抜けてトップスピードに近い速度で小仏峠を越えると、放送で車内販売があるとのこと。ソバではなく駅弁にすればよかったと後悔するも、相変わらずE353は爆速で神奈川県、山梨県へと進む。車販もあることだし、ビールでも呑んでるんでしょ? と思われているかもしれないが、この先のお楽しみポイントのため今だけは酒は呑んでいない。韮崎を過ぎると県境までの連続上り勾配。約35kmで標高600mも稼ぐのだから、平均しても17‰以上の厳しい坂道になるが、列車がトップスピードの120km/hで駆け上がる快感を楽しみたかったのだった。その後諏訪湖付近の単線区間、塩嶺トンネルを抜けて松本へ。車内は一気に閑散とし、列車はここで息を整えてから大糸線に入線。さすがに速度は落ちるが、左手遠くに聳える北アルプスの連山を見ながら揺れに身を任せるのはとても心地よい。そして11:16。立山黒部アルペンルートの玄関口、信濃大町に到着した。観光客が一斉に降りる。普通の観光客、本格的な装備品を持っているであろう登山客、また外国人も非常に多く、インバウンドの需要が旺盛な昨今、現地ではどんなことになっているのだろう。ニュースではこの夏の浅草や京都の阿鼻叫喚ぶりを伝えており、こちらも天下の立山黒部アルペンルートである。きっと人波に揉まれ高いメシを喰う羽目になるのだろう。

 今回の富山までの切符はWEB予約の「立山黒部アルペンルート切符」を使用した。扇沢から富山までの全ての乗り物の乗車券で、オプションを付ければ信濃大町から扇沢までのバスにも乗れる。運賃激高でおなじみの立山の乗り物たちを制覇するには都合がいい。また双方、出発時の最初の乗り物の時間だけ指定制で、区間内は自由行動が認められており、混雑の分散に効力を発揮しているようだ。



 11:35 信濃大町出発。最前列に陣取ることに成功したが車内は満席だ。かなりアバウトなドライビングをされる運転手さんで、前方を眺めていると時々ヒヤッとすることもあったが40分ほどで、無事標高1433mの扇沢に到着した。さすが猛暑の関東地方と比べてかなり涼しい。早速きっぷの引き換え機で上記を発券し、関電電気バスの最前列を確保するためすぐに改札に並んだ。




信濃大町から扇沢への車内から。巨大な山塊が近づいてくる。あの山をこれから越えていくのだ、と期待感が高まる瞬間だ。




充電中の関電トンネル電気バス。烏山線と同様、停車中にパンタグラフを上げてバッテリーに蓄える。(扇沢)




パンタの写真を取り忘れたので拡大。雨どいをひっくり返したような給電装置の内側の端子に接触させる、なかなかユニークな形状。

 ご存知の通り、この扇沢〜黒部ダムの電気バスは、もともとトロリーバスで運用されていたのだが、2018年をもって廃止になり現在のバッテリー駆動のバスとなった。このことにより日本国内ではこの先の立山トンネルトロリーバスが唯一の無軌条電車となる。12:30、扇沢出発。かすかなモーター音を発しながらトンネル坑口までの急勾配をグングン登っていき、難工事で有名な関電トンネルに突入した。この便のバスは4台立てのようで、乗ったのは先頭車両。狭い断面のトンネルを40km/h程度で進み、半分ほど来たところで急に道幅が広がり停車。鉄道風に言えば信号所で、対向の便と交換するようだ。




世紀の難工事に取り掛かるために掘っていたら、このトンネルも大変な工事になってしまった。この時は気が付かなかったのだが、トンネル内は2本のトロリ線が残されている。




2500mの山の直下の信号所で対向と交換。あちらも数台で隊列を組んで来た。




黒部ダム駅に到着。ここには給電設備はないようだ。

 標高1470mの黒部ダム駅に到着。出口まではトンネルの中をしばらく歩き、視界がようやく明るくなってくると、いよいよ黒部ダムだ。ダムサイトに近づき下を覗き込むと、高さ186mのコンクリートの巨大な塊の端っこに今立っている。下には轟音を立てて大量の放水が。「うぉぉ〜!! スゲー!!!」 一人だが思わず声が出てしまう。多分今まで1兆回以上言われてきた言葉だが、まさに「よくこんなところにこんなデカい物を作った人間はなんて偉大なんだ」と本気で思ってしまう。周囲には下を覗き込んでキャーキャー言う大人が多い一方で、自分は高いところは全く恐怖を感じない。逆に高い天井の下にいることが非常に苦手だ。昔、静岡県の井川ダムの見学会に参加したことがあり、ダム本体の中が空洞である中空式の井川ダム内部を見学させてもらったことがあった。高さ100mほどの巨大な空洞に立っているだけで腰を抜かした記憶がある。こういう恐怖症、あるのでしょうか?




日本ダム界のトップに君臨する黒部ダム。高さ186m、幅492mとアホほどデカい。

 さてひとしきり感動していたら腹が減って来た。この先、室堂までで食事できる場所があるか不明だし、目の前に大きめのレストハウスがあるので入ってみよう。ラーメンなんて2000円くらいするのかと恐る恐る券売機に近づくと、あら、意外と良心的なお値段。平地よりはもちろん高いものの、某観光地で外国人向けに商売している、なんとか丼などの比ではない。店内は昔のレジャーブーム時代の面影もあり意図していないレトロな感じがまたエモい。昼時なので混雑はしているものの、連日で放映される有名観光地の混雑とはほど遠い感じだった。自分は全国のダム観光地によくある、アーチダムカツカレーを注文。値段は1400円。こういうところでこういう物だから期待せず待ってみよう。




ポテトサラダ方面が下流。カツが押し寄せてきてダム堰堤をイメージできない。このセンス良さよ!

 ウマい! ウマかった!! 気分が味覚を変化させているのかもしれないが、牛丼チェーンや大手カレーチェーンのやつよりかなり上を行っている。量も食べ応えあるしこれには満足。喫煙所で煙を吐いてから対岸のケーブルカーの始発駅、「黒部湖」に向かおう。




ケーブルカーとして全線トンネルとしては国内唯一。ひとつひとつにレトロさが漂っている。




1969年の開業当初から使われている車両。顔だけ見るとケーブルカー界のキハ20。

 開業当初から使われているという古いケーブルカー。車内は階段状に極狭なボックスシートが並んでいる。積雪の影響を避けるため全線地下式で建設されており、全長0.8km、高低差373mを結ぶ。走り出すと標高が高い上にトンネル内のため開けた窓から入って来る冷気が寒いくらいだ。5分の乗車で黒部平到着。麓と同様地下の駅だが、車両の点検とかどこでどうやっているのだろう。動力を持たないため一般の鉄道車両より簡便に済みそうだが、全般検査などこんな山奥で、しかも地下という造り上、不思議でならない。

 黒部平駅は標高1828m。駅舎の屋上にある展望台へ出て黒部ダム方面を見下ろすと、ケーブルカーが貫いていた山塊が邪魔をしているため、ダムも湖もほとんど望めない。一方でこれから進む大観峰方面を見上げると・・・



 ウヘーッ!!

 なんというスペクタクル! 1.6km先、かつ490mも上空の大観峰駅が遥か彼方の頭上に見える。また途中に支柱が無い、日本最長のワンスパン方式のロープウェイのため、空中に放っぽり出されている感は随一のものだ。今日何度目かの「よくこんなとこにこんな物を・・」をつぶやき、いざ搬器へ。アジア系外国人の数名含む30名ほどと混雑していなかったので、前展席を確保。ドアが閉まり動き出すと、ロープの動きに遅れて搬器が前へ傾き、次には勢い空中へ放り出され、「ギャー!」と一同悲鳴が上がるが、あとはもう無音の世界。通常のロープウェイの支柱を通過する時の振動も、ワンスパンなので当然なく、ヌルヌルと斜度を上げていく。黒部平では見られなかった黒部湖も姿を現し、絶景を眺めること7分。標高2316mの大観峰へ到着した。では最標高の展望デッキへ登ってみよう。




ダムは見えないが遥か眼下に黒部湖。標高差にして860mも登って来た。




こっちもスゲーことになっている。奥に見えるのは黒部平駅。

 さてここからはいよいよ今回の旅の目的の一つ。無軌条電車に乗る。展望デッキにいたため接続の便はすでに乗客が乗っているので1本見送って、当然前展席を確保したいところ。まだ30分近くあったが改札の先頭に並ぶことにした。係員からまだ早いんで座って待つよう言われたが、先を越されると意味が無いのでそのまま待機。14:45発の便を待った。この立山トンネルバスは、開通当初は一般的なディーゼルバスでの運行であったが、トンネル内に滞留する排ガスの問題と環境に配慮するため1996年に「電化」をし、現在のトロリーバスになっている。しかしこの選択によって、国内唯一のトロリーバスの部品調達が困難になったこと、経年劣化で車両入替を行おうにも製造メーカーに限りがあるということで、今シーズンの廃止が決まっている。海外では現役のトロリーバスも多くの場所で運行されていることだし、ヨーロッパあたりから新車を輸入してもよさそうなもんだが、バッテリー車のほうがランニングコスト的には優っていると予測する。




バス到着まで入場できないので、入線シーンは撮影ができない。

 やがて時間となりホームへ。まず前展席を押さえにかかるが、先頭車と思っていた車両は2号車で、1号車はツアー客の団体専用車になっていた。トンネル内の前面展望も楽しみたかったのに残念だ。団体客は出発までの時間、バス正面に回って写真を撮ったり、中には道路に降りて車体の周りを一周しながら撮影している者もいる。言ってみれば鉄道敷地境界内と呼べるが、いいのか? 自分も一度降りてみようかと考えたが、間もなく後着のロープウェイが到着するので、混雑した中、席に戻るのは気が引けて出発を待っていたものの、乗り換え客は数人だけであった。




車内は2+1シート。車体幅は普通の路線バスより若干広いように感じる。




電圧計、電流計、圧力計が「電車」だということを物語る。メーターの形状も鉄道そのものだ。

 14:45、大観峰駅発車。関電トンネル電気バスと全く一緒の音とフィーリングでトンネルに吸い込まれる。自分は出発してすぐ、トンネルの左側を注視していた。というのはかつて大観峰から数百メートルのところに途中駅があり、その痕跡を見つけたいためだ。雷殿(らいでん)というイカツい名前の駅だ。幼少期の愛読書であった時刻表に記載があり、その名前は以前から知っており、なぜこんな歩いてすぐの距離に駅を設けているのか不思議でならなかったが、後年、登山道にアクセスするために機能していたと知ったものの、その登山道が災害のため閉鎖され、それと同時に雷殿駅も廃止になったとのことだった。結局雷殿駅跡は発見できず、バスはトンネル内の急勾配をグングン進んでいき、3.7kmの間に標高をさらに130mも稼いで行く。




関電トンネルよりもさらに狭くなった幅員。そろそろ信号所ではないの?




おお!鉄道ならではの場内信号機が「警戒」を現示している。無軌条電車も25Km/h以下なのだろうか。




立山直下の信号所で交換。閉塞方式は台数をカウントして信号を現示するという、一応自動閉塞式とのこと。




ブレてしまったが、出発信号機が「進行」を現示。最後のバスが通過すると「停止」になって閉塞を担保する。




扇沢駅に到着。ゴムタイヤなので電気を線路へアースすることができないため、架線とトロリーポールは+と-の2本必要だ。
車体後部から架線に通じているのは受電用のケーブルではなく、架線から外れた際の復帰や、ポールの下降に使う絶縁されているただのケーブル。




トロリーの接触部分をズームアップ。左が進行方向。カーブなどで離線しにくいよう滑車ではなく、首を振るスライダー式を採用。
架線側はパッと見剛体架線と見せかけて、トロリ線を吊っている。シンプルカテナリーの変体版のようだ。




ラストイヤー飾るステッカーたち。



   

 ついに最高地点2450mの室堂駅に到着した。いやーここまで楽しかった。乗り物博覧会のこのルートのサミットまでついに来てしまっつた。何の労力もかけることなく、こんな高所まで導いてくれたこのルートを決定し、実現化した先人の英知とパワーに圧倒され続けてきた時間だった。トロリーバスを撮影後、外へ。出発時から半袖だったが、室堂では気温が低くなるだろうと持参してきたパーカーは不要なほど、涼しいもののまだ夏が残っている気配だった。接続する美女平行きバス出発まではまだしばらく時間があったので周囲を散策。富山方面から上って室堂で折り返す観光客もあって、結構な賑わいになっている。駅から遊歩道を少し歩き、間近に聳える立山連峰やみくりが池を見物した後、駅に戻って来た。




みくりが池。遊歩道で一周できるらしいが、1時間かかるということなので今回はパス。




地の果て感のある室堂ターミナルは雲の上だった。

 ここまで、普段はあまり経験しないような風景と乗り物に腹いっぱい過ぎて、旅のお供のアイツを体が全く欲していなかったのだが、このルートの一区切りであるこの地へ来ると自然と求めてくるようになってきた。売店で天空価格の一番搾り500缶を購入。屋上のデッキに上り、雄大な北アルプスの山々を見ながら一人乾杯した。美女平行きのバスの列に早めに並び、窓側席ゲット。15:30室堂出発。この路線も絶景の高原を下って行くため車窓に目が釘付けであったが、2/3ほど降りてきたところでついにダウン。美女平到着のアナウンスで目が覚める始末だった。

 次が最後の乗り物、立山ケーブルカー。バスでは降り遅れてしまったため、すでに車内は満員。しかし後展の絶好の立ち位置が残されており、そこを確保することが出来た。




交換地点にて。立山ケーブルカーは資材運搬用の貨車を連結しているのが特徴。

 この立山ケーブルカーには個人的にもう一つの見所があった。それは立山駅到着直前、車窓左側に立山砂防工事軌道の線路が見えるのである。ご存知の方も多いので詳細は割愛するが、常願寺川上流に砂防ダムを建設、管理するために設置された歴史ある工事専用軌道である。立山駅に離接する千寿ケ原事務所から標高1100mを超える水谷連絡所まで、全38段のスイッチバック、国内唯一の610mm軌道、この時代に存在し続ける最後の常設工事軌道であり、もちろん一般人乗車は禁止だ。並行する道路も無いことから一般人が見ることも撮影することも難しいミステリアスな専用線だが、この立山ケーブルカーに乗ると一瞬車窓から線路を確認することができる。それを見逃さぬよう全神経を集中させる。




見えた見えた! 遥か天空の現場を目指すのだから、朝上って夕方帰って来るのだろうか。動いている車両を目撃する確率は低い。


起点にほど近い場所だが、この線路ですでにスイッチバック3段目と4段目だ。

 この立山砂防工事軌道、さきほど一般人乗車不可と記したが、立山カルデラ砂防博物館の主催する見学会に応募すれば乗車することも可能だ。しかし開催は毎年夏季の15回程度、また抽選でもあり、当選したとしても当日の天候次第で中止となる場合が多く、5〜7割程度の確率になるという。もう・・そんなこと言われたら・・・

乗ってみたくなるじゃ〜ん?

 今まで様々な鉄道に接してこうしてUPしている次第だが、この砂防軌道のレポートは難易度が高すぎる。夢を叶えるため来年必ずチャレンジしてみたい。さて何時間ぶりかの下界に降りてきた。今乗ったケーブルーの接続である富山地鉄の電車は、すでに立ち客がいるほどなので1本見送ろう。富山地鉄オリジナルの14760形電車で、是非乗ってみたかったが、次の車両に期待したい。標高も低くなり気圧も上がったので室堂で呑んだアルコールはすでに飛んで(?)しまったため、追加摂取。駅前の喫煙所でグビグビやりながら、本日の宿を探すことにした。富山駅に近いビジネスホテルを検索するが、なんと全く空きがなく、残っているのは2人用2万円〜という物件しか上がってこなかった。富山で大物歌手のコンサートでもあるのだろうか? ウマいものを喰ってビジホでまったり・・・すら叶えなくなり、やむ無くスーパー銭湯を探すと、少し郊外になるが地鉄の駅から徒歩圏内に1件見つけることができ、早速予約完了。ひとまず安心だ。




立山駅  標高977mから無事地上に降りてきた。乗り物博覧会はこれにて閉幕。




立山駅  混雑していたので1本見送り。転換クロスの14760形は富山地鉄オリジナル車両。白地に窓回りグレー、赤いラインの原色も存在しているようだ。


 改札に戻りすでに列ができ始めているので、前から6番目を確保。さっきと同じ14760形がくればいいのだが、何と現れたのは元東急車ではないか!? せっかく非日常を楽しんでいるのに。こんなとこでキミにだけは会いたくなかった。全席ロングシートだし黄昏行く風景も楽しめそうにない。こんなんに1時間以上乗車するのかと肩を落としながら、とりあえず一番前の席へ。17:33 立山出発。出発時には9割以上が観光客だったが、途中から下校の学生、退勤のサラリーマンなど一層車内は賑やかになっていった。沿線はすでに暗くなりつつもあるが、趣のある古い駅舎や昔ながらの構内設備などが多数残っており、これだけを目的に訪問してもいいかもしれない。しばらくは山間の区間をゆっくり進み、平野区間になりスピードをあげると乗り心地が一変した。速度は60km/h程度と思われるのだが、ローリング、ヨーイング、ピッチングと全方向から激しい揺れに襲われ、このまま脱線するのではないかと心配になるほどだった。かつて東急の8590系として都会で働いていた時は、沢山の乗客を運んで100km/h以上のスピードで都立大学駅などをスムーズに通過していたはず。保線の大切さを知ることができた体験だった。その他にも地方私鉄にありがちな、曲線半径のわりに大げさすぎるカントが付けられている区間もあったりして、逆に全く飽きることはなく、18:40 電鉄富山駅に到着した。頭端の対向式2線2面ホームなのだが、なんと縦列駐車させることから4番線まであるという不思議な構造だ。




立山駅にて元東急8590形、現17480形




電鉄富山到着  激しく揺さぶられたので写真もブレブレ(?) 右の雷鳥カラーの14760形、カッコいい。立山連峰バックなんかやったら画になるだろう。

 さて、楽しい楽しい地方都市での夜の始まりである。まだ時間も早いので飯と酒の時間だ。この日はラーメンを欲していなく、白メシに合う何かで行きたかった。帰宅客でにぎわう駅周辺を抜け30分ほどウロウロ。いくつもある飲食店を覗いてみたが、どうも観光客相手か居酒屋がほとんどで、なかなか踏ん切りがつかないまま歩き疲れてきたので、派手な看板と明るい外観の、いかにもウマそうなラーメン屋に入ることにした。名物のブラックラーメンは過去に痛い思いをしているので、普通のが好ましい。さっそく入店し、席に座るとすぐに直感してしまった。「しまった・・・」 おそらくマズイ店だ。長年の勘で雰囲気などからすぐに分かる。どうりで先客が誰もいない。やる気のなさそうな大将が水とメニュー持って来てくれてしまったため、無難そうな「メニュー表の一番左上にあるやつ」を頼んだ。案の定、提供された豚骨ラーメンは、案の定で案の定だった。

 不覚にも腹が満たされてしまったが、まだ時間は20時前だ。さっきから街を徘徊していて気になっていた路面電車でブラブラしてみよう。路面電車がある街はどんな地方でも活気があふれているようにしか見えない。バスよりも気軽に、サクッと市内を移動できるのはクルマ社会の地方都市でも重宝されるのだろう。最近ではその価値が注目され、各地で路線の新設や延長、低床車の導入などはよく知られている。ここ富山でも近年、短絡線を新設して環状運転を開始したり、駅南側の既存の軌道線と北側の富山ライトレールも直通運転を開始するなど、コンパクトシティの実現に寄与しているという。さて、先ほどのラーメン屋から程近い場所に停留所で待ってみよう。目的地は20年近く昔、撮影に訪問した元JR富山港線だ。どんな変貌を遂げているか見てみよう。お目当ての車両はかなりの頻度で走り回る吊り掛けの旧型車両だが、富山港線はLRT化されており入線することができないらしい。




これは反対方向。そうそう、こういうのに乗りたかった。(撮影場所不明)

 やがて定時より10分近く遅れて新しめの低床車の岩瀬浜行きが入線。超満員だったがなんとか車内に入る。富山駅でほとんどが下車し、その降りた数の半分ほどが乗車。しばらく新設された併用区間を走ると、旧JR線の専用区間に入り一気にスピードアップ。当初は終点の岩瀬浜まで行き折り返そうと考えていたが、本日の寝床であるスーパー銭湯の最寄り駅が富山地鉄の本線ではなく、支線の不二越上滝線にあるので本数が少なく、終点まで行ってしまうと厳しいことが判明。途中の城川原で折り返すことにした。ところで富山港線はかつてJR西日本が営業していた鉄道線であったが、2006年4月に第3セクター化と同時にLRTになり現在の形となる。3セク移管直前には記念として475系2編成を国鉄色に戻し、終日線内運転を行った。それまではキハ120の単行程度の乗客だったのが廃止フィーバーと475系で大盛況になり、自分も参戦した記憶が懐かしい。これから下車予定の城川原駅は線内唯一の交換駅で、当時は国鉄色の475系同士が顔を並べるという、今考えれば大変贅沢な瞬間が毎日繰り広げられた。当時の面影を見つけられればいいな、と軽く考えて下車してみたが周囲は真っ暗で、また隣りに車両基地が出来ていたりと、何も浸れるものは無かった。次の電車で帰ろうと時刻表を確認するも、併用軌道があるせいなのか、さきほどから遅延が発生しているようで、実際の到着時刻や行き先がまるで一致していない。富山方面の時刻が近づいてホームで待ってみても10分以上来なかったり、涼しい待合室で待機していると突然乗るべき電車がやって来るも、ここは交換駅なので反対方向の列車のための構内踏切が渡れず見逃してしまったり、結局この駅には1時間近く滞在したあと、富山に戻り、不二越上滝線に乗り換え。またしても元東急車で、最後の最後まで地鉄の電車には乗れなかった。いくつか進んだ大泉という駅で下車。5分ほど歩いてスーパー銭湯、、その名も「アルプス」に到着した。

 当初は室堂でちょっと贅沢な宿で・・と思っていたが、結局ケチ発動してしまいいつものスーパー銭湯となってしまったが、ささやかな贅沢ということで、1000円の課金でカプセル個室にしてやった。風呂に入り、食堂でキンキンに冷えたやつ2杯とつまみ数点を喰いながら、明日の帰還ルートを検討。時間もあるので新幹線や高速バスで帰るつもりはなく、様々なルートに頭を悩ませるのは至高の時間。出発前にあえてルートを決めておかなかったと言った方が正解かも知れない。しばらくしてある行程が組上がりマイルームに戻る。しかし全く酔うことができなかったので、自販機へ向かうこと3回。ようやく眠りに就くことができた。




2024.9/13

 昨晩は道中の疲れもあって爆睡していたが、目覚ましに起こされ起床。富山駅に戻るためのいい時間の電車がなく、施設の目の前の停留所からバスで向かう。富山からは新幹線の開業で3セクになった旧北陸本線の普通で東に向かおう。かつての特急街道は鳴りを潜め、普通電車と貨物列車が通過するだけの長大ローカル線になってしまったのは9年前。自分もかつてはこの区間で最後の活躍を見せる大スターたちの魅力にハマり、何度も訪問していたため、その想い出深い撮影地の数々を車内から見て見ようと思ったのだ。8:00 あいの風とやま鉄道、泊まり行き出発。途中のどこかの駅で高校生が大量に降り、車両には2.3人程度となった。ギンギンに照り付ける太陽の下、列車は高速で黒部川扇状地の外端部を快走し、いよいよ海まで山が迫りだす難所の手前の駅、終着、泊に到着。この先のえちごトキめき鉄道の境界は、県境のある市振駅だが、あちらより街の中心部であるこの泊駅が運行の境にもなるため、ここでえちトキ車両に乗り換える。




泊駅にて縦列駐車。奥が富山から乗って来た「あいの風〜」。手前が「えちトキ〜」車両

 約30分の乗り継ぎ、9:19発車。乗りながら市振の大俯瞰、親不知の海バック、青海の8号クロスなど懐かしさに耽っているうち糸魚川到着。ここまでくれば乗るのはもちろん大糸北線。こちらも2010年のキハ52引退に際し数えきれないくらいに通ったもんだ。キハ120になってからも2度ほど乗車したことがあるのだが、最近になって大糸北線が注目されるようになっている。JR西日本が発表した赤字線収支報告書だ。ここ大糸線南小谷以北区間の収支率は、中国地方の芸備線の県境区間や木次線末端区間よりはマシではあるものの、あの越美北線末端区間以下という衝撃の数値。この大糸線でも存廃協議が始まっているとのことだったので、初めてそういう視点で乗車することにした。9:49 糸魚川着。起きてから何も食べていないので駅周辺をうろついていたが、まだ早いのか営業している飲食店は何もなく、エキナカのコンビニでサンドイッチと緑茶を購入し、14年前何度も降り立った4番ホームへ。当時あったレンガ造りの扇形機関庫は跡形もなく、新幹線の高架橋が建ち並んでいる。乗るべき列車は2両編成。乗客は一般旅行者 5 : テツ 4 : 地元の方 1 と言った割合だ。



10:31 糸魚川出発。見慣れた景色が次々と通り過ぎていき、あぁ、あそこの踏切で52を撮影したな・・・、とかこの駅のそこのベンチで駅寝したな・・・などと想い出が蘇って来る。落雪落石の警戒区間も相変わらずで、得意の25km/h超徐行の箇所も健在で当時と同じ所用時間1時間ちょっとで南小谷に到着した。今度は同じ大糸線でも東日本区間の激混みの南線に乗ること2時間。松本14:00着。乗り換えのあずさまで1時間ちょっと時間があったので、飯でも喰おうと駅前の百貨店にある王将で、旅の締めくくりとして豪勢なランチとビールも呑もうと入店すると、受付で名前を書いて呼び出される方式だった。自分の前には男性1名。店内は数組の客が食事をしているだけなのですぐに呼ばれるだろうと待ってみるも、10分経っても20分経っても先客の男性ともに順番は回って来ず、時間も余裕がなくなって来たので、結局同じフロアにあるサイゼでランチセットを大急ぎで掻き込んだ。退店際、王将をよく観察してみると、店内の客はさっきから減っているものの、多くのテーブルには下げられていない食器が多数残っており、完全に回っていない状態だった。あずさ発車ギリギリで何とか間に合い、ようやく今回の旅の最後の列車に乗ることができた。

 撮影目的の遠征もいいが、今回のような体験だけをするのも贅沢だとつくづく感じた。飯食って酒飲んで移動して景色見て街の雰囲気を楽しんで・・・って、これ「観光」って言うんでない? 大人になりこの齢になって「観光旅行」というのを初めて経験したかもしれない。と、あずさの車窓から移ろい行く景色を眺めながら、そう気が付いたのだった。


余談【1988年8月撮影】

 実は立山黒部アルペンルートは今回が人生で2度目である。初めての訪問は物心つく前だった、自身最後の家族旅行がこの地だった。1988年(昭和63年)のことである。家族で立山登山という目的で当時発売されていたルート周遊券を使用した。決められたルートをぐるっと回って出発地に帰って来る一筆書きのような切符で、ワイド周遊券やミニ周遊券よりも早くに廃止されてしまったと記憶している。当時はまだ高速バスなどが現在ほど発達しておらず、夏のハイシーズンの中央本線には松本、白馬方面へ向かう定期夜行のアルプスが3本、他に臨時の夜行アルプスも3本以上走っており旺盛な需要に対応していた。定期アルプスは特急車の183系だったが、指定席争奪に敗れた我が家は、165系の狭いボックスシートで一夜を明かしたのだ。早朝、信濃大町下車。大混雑のバスに乗り換え今回と同じルートを辿ったのだ。当時使用したカメラは、発売されたばかりで試したかっただけ、との理由で、写ルンです初のフラッシュ付きをを持参した。これはこれで大失敗。やはり後年貴重となる記録は、多少無理してでも質高く残しておきたいものだ。




関電トロリーバスの記録がなく、風景以外はケーブルカーから始まっていた。36年後も現役で運行されている車両。(黒部湖)




今回も立ち寄った黒部平展望台。霧に霞む大観峰から降りてきたのは旧型の搬器。(黒部平)




雲をついて現れた旧型搬器。ケーブルカーと同色の塗装だった。(大観峰)




ディーゼルバス時代の立山トンネルバス。電化されトロリーバスが登場するのはこの8年後だ。(大観峰)




爽やかな富山地鉄カラーの旧型車14710形。5年後の1993年に引退している。(立山)




本稿にも登場した14760形立山発車の写真と36年前と同アングル。14720形電車が出発する。(立山)

 未知の乗り物に興奮が押さえきれずにいたが、あまりの人の多さにくたびれ果ててしまったことだけは覚えている。室堂ではテントを借りてキャンプをし、翌日、一の越〜雄山〜大汝山と縦走してテント場へ戻りまたキャンプ泊。翌日下界に降りて日本一の落差の称名滝を見物し、夕方富山へ。帰路に就くため14系時代の急行「能登」に乗車。「能登」の末期は長らく上越線経由であったが、1988年当時は関東〜信州を結ぶ信越本線も全線現役だったため、当然「能登」はEF63のサポートを受け碓氷峠を下っていたのだ。なんて貴重な経験をしていたのか。1日でいいから過去ににタイムスリップしてみたいと思っているテツの方は多いだろう。自分的には1983年以前の北海道、旧客が消滅目前の1985年の山陰、1982年新幹線開業前の東北本線や上越線の長距離特急に憧れを持つ世代だ。絶対にかなわない夢。だから今を大切に生きられるのだ。




直江津で直流機関車に付け替え。これを編集するにあたって64かと思い込んでいたが、よく見りゃEF62じゃないか!! こいつがこのまま碓氷峠を下って上野まで向かう、という壮大な浪漫・・・(直江津)




当時は夜行急行や一部の寝台特急に3段式が残存していた