工場裏の無架線地帯
2023.5/11
自分にとっては最も身近にある存在である京急線。弊HPでも何度かその想いを語って来た。引退が迫っていた700形、1000形、800形の記事も載せてきたが、何といっても2000形の最後に立ち会うことをしなかったことが、後悔の極みである。ある新型車両のデビューに、まるで脳天から稲妻に撃たれたような衝撃が走ったのは、後にも先にも京急2000形だけだった。しかしそれから数十年。稲妻に撃たれたあの少年は大人になり、2000形の引退を知るも、遠い北陸に地に出向しており、気軽に京急車両を撮影できる環境にいなかったが、今となっては高速バスなりなんなりで故郷を訪れ、何としてでも2000形を記録しておくべきだった。一時代を築いた偉大なフラッグシップ車両ということで、引退直後は一部を保存に・・・という公式声明もあったりしたが、その後音沙汰は無い。数年前、800形のラストラン後に久里浜工場裏の解体線に2000形が停まっていたことを思い出し、今はどうなっているのか、確かめに行くことにした。
昼過ぎ、快特に乗り北久里浜で下車。本日は電車移動なので、まずは駅近のコンビニで身を清める。清めている最中、ふとあることに気が付いた。偶然にも今日は木曜日。時刻はもう少しで通過時間。別に是非撮りたい対象ではなかったが、せっかく一眼を携えているので初めて撮影してみることにした。
2023.5/11 京急久里浜線 久里浜〜北久里浜
デトでした。週2回、検車区のある新町〜文庫〜久里浜を往復する事業用車で、運搬するのは車両部品の他、電車の工場で使われるような機器類である。以前何度か偶然目撃した時も、制輪子(ブレーキシュー)が荷台に雑に何個も転がっていたり、2m四方くらいのデカい機器が梱包用ラップにぐるぐる巻きにされたものを積んでいるのを目にした。また学生時代、京急でケツ押しのバイトをしていた同級生から当時興味深い話を聞いており、確か新町とか久里浜のような拠点駅に設けられている乗務員の宿直室に、その寝具を輸送するために設定される「ふとん列車」があるということを、これを書いていて思い出した。さすがにふとんをデトのような無蓋車で運ぶとは思えないが、一度目にしてみたいと思ったものだ。
さて駅から10分ほど歩き、静かな住宅街を抜けると車両基地が見えてきた。その広大な車両基地の奥の奥に、籍が抜かれた車両たちを解体する、通称「無架線地帯」がある。今日は何がいるのだろうか。
いきなり本日の目的、2000形様がいらっしゃった。4年前、ここで2000形の中間車が解体の真っ最中だったと思うが、なんと品川方2両が残存していた。それにしても4年前と比べてキレイなような気もするし、パンタも方向幕も付いたままだし、重機の餌食になる直前の切迫感がまるでない。上にはまだ架線が通っている解体線末端から最も遠い箇所だ。これってもしや!?
前面ガラスになにやら貼ってある。画像を拡大すると 「床下・車体 全ての部品取外禁止!」 保存するということか!? 確か現在自社で公式に保存しているのは久里浜工場のデ1、51号、1000形と、ミュージアムの230形のみだったはず。大手私鉄でも自社車両の保存にあまり積極的でない京急でさえ、この一時代を築いた2000形はさすがに後世に残す判断をしたのだろうか。非公開でもいい。願わくばカットモデルなんかには間違ってもして欲しくない。
傾斜のつけられた前面マスクが格好いいですね。この流線形?とまでは言えないが風を切り裂いて120km/hで高速運転していた頃に戻りたい。さて先を進むとまた新たなお友達が登場してくれた。
2000形の2両目の2017の真後ろで迎えてくれたのは、引退まで運用に入っていた823Fだった。引退前の窓回り白の復刻塗装で活躍した編成で、こいつを追っ掛けて右往左往撮影していたことがつい最近のように思える。2000形と同様引退から4年経っていると思えないキレイさだ。そしてこちらも同じく先頭車+中間車の2両で留め置かれているが、車番をよく見ると品川方の先頭車が823-6、次いで中間車は823-2となっている。つまり (久里浜方← 823-1 823-2 823-3 823-4 823-5 823-6 →品川方) というように6両編成の他の中間車を除いて残されているのが興味深い。また架線終端標識もあることからも、ここから先は自力では走行できない無架線区間となる。
「特急 京急川崎」 コレいまだにやってるんだ!と懐かし過ぎて衝撃が走った一コマ。昔から検車区などに停められている車両の方向幕を、絶対あり得ない行き先と種別にわざわざ変えるという遊び心。800形は動力性能上特急に就くことはできないし、京急川崎止まりは普通列車しか存在しない。かつて京急に乗車中、車庫の横を通過する時、いつも楽しみだったが、LEDが主流となった今では見ることはできなくなった。「特急 上大岡」 「急行 三浦海岸」 「通勤快特 川崎-小島新田」 など仕事終えた乗務員さんが思い付きで種別行き先設定のダイアルを適当に回していたのだろう。
無架線区間の最末端部。もうこの先では解体される運命しかないという、死刑台の階段のような最恐の場所だ。次は自分の番だと悟っている1517Fは今何を思っているんだろう。というかこの1500も先ほどと同様、現役と見紛うほどに錆や大きな汚損はなく、パンタも車内の座席もある。正面の前面ガラスにはこちらも「全ての部品 取外禁止!」の警告がある。もしや本当に解体せずに保存する気なのか、と期待半分で考えてしまう。自分の世代としては800、2000は目の前で原型をとどめている。1000形はこの工場内に静態保存されているらしい。かつての快特用600形は逗子の公園にあることだし、700形は琴電でほぼオリジナル状態の現役なので廃車になった車両を引き上げれば、1980年代に活躍していた全形式をコンプリート! と言いたいところだが、残念ながら400形と500形は残存していないらしい。行ったことはないけれど京急ミュージアムなんかよりもっと本格的な京急鉄道博物館を、東武や小田急のように・・・作りませんか? 本社の230形とここの51号機、デ1も加え一堂に集めてくれれば、それはもうパラダイスのようなもの・・・とファンタジーを思い浮かべながらさらに先へ進むと、一気に現実に引き戻された。
閲覧注意! まさに今、1500形が解体されている最中だった。ここを訪れたのは4回目ほどだが、初めて解体の現場を目撃してしまった。重機に一口づつ攻撃されるたびに、大きく車体が揺れている。その現場には外部の人間を悲惨な光景から目を逸らせるため道路側には目隠しまでも・・。いや、騒音対策のための塀だろうが、何か見てはいけないものを目撃してしまったかのような、禁忌のようなものを覚えた。
解体されている光景を撮影していると、作業員の方と目が合った。特に作業している方は写りこまないようにしていたが、罪悪感のようなものを感じ、足早にその場を後にし、近くのバス停から京急久里浜駅へ移動。遅い昼飯を喰って上り快特の乗客となって家路を急いだ。