国鉄色祭り初登場。JR四国キハ65リバイバル急行。

2008,10/17
 
 昨夜、間もなく異動する同僚と2人で明け方まで呑んでしまった。明日は四国のキハ65+58のリバイバル急行運転初日。2日の休みであるので、バイクでの撮影はハードであると断念。バスで行くことに決めていたため、余裕かまして上大岡の笑々で明け方の5時まで粘ってしまった。家に帰り9時横浜発の東海道昼特急バスの時間まで数時間あったので、カメラのバッテリーを充電しながら、パソコンで四国の天気予報などを調べているうち、いつの間にか昏睡状態に。ハッと気が付くと正午前だった。とっくに横浜発の昼特急は出発しており、今頃静岡あたりを西進しているだろう。こういう時にはまぁ落着く。寝起きのタバコをふかしながら時刻表で長距離バスのページをめくった。東京発なら14時10分の昼行バスがある。これなら今からでも間に合うし、乗り継ぎ予定の神戸発の高松行きの夜行フェリーに乗ることができる。いつものように撮影機材をカメラバックにしまいこみ、最寄の駅から京急、山手線で東京駅八重洲口ハイウェイバスターミナルに着いたのは13時50分だった。自動券売機に万券を突っ込みタッチパネルを操作。昼特急の乗車券を買おうとするが、画面には「該当のバスはありません」の表示。謎・・・。地方から出てきた慣れない年寄りのように取り消し、操作を何度も繰り返していたが、相変わらず画面は無情な表示を続けるばかり。時間も無いので近くにいた若い係員に訊いてみると驚愕の答えが返ってきた。「今日は東名の集中工事で午後の便は運休ッス」!! 正気か!?お前!!オレは今日中に大阪まで行ってフェリーで四国へ渡り翌朝からキハ65リバイバル急行を追っかけなきゃならんのだぞ!?どーしてくれる貴様!!と首根っこを掴みそうになったが、そんな暇は無い。ふと我に返ると目の前の乗り場にはオレンジのラインのJR東海のバスが停まっていた。どうやら名古屋行きは出ているようなので、すぐに切符を購入。14時発の名古屋行きハイウェイバスの乗客となった。霞ヶ関ICから首都高に入った頃、時刻表を取り出して今日のルートを考えた。名古屋から最終の大阪行き高速バスにはギリギリで間に合う。これでフェリーに乗り一気に四国へ渡れると安心したのか、東名に入ってすぐまたすぐに深い眠りに堕ちた。どれくらい眠っただろう。2時間くらいか。バスは例の集中工事による渋滞にどっぷりはまっており、ノロノロ運転。ここはどこだ?車窓の山脈は赤石か愛鷹か?いや、違う。良く見れば見慣れた山、丹沢山塊でないか!まだ神奈川県内、しかも厚木すら通過していなかった。すでに30分遅れ。そうだよ、知っていたよ。先々週山陰方面に行ったとき、随所に東名集中工事を促す知らせはあった。でも自分は関係ないと思ってた。厚木付近の渋滞を抜けるも、その先、御殿場、富士、清水でも強烈な渋滞に行く手を阻まれた。完全に間に合わないことが現実的になった。名古屋から近鉄アーバンライナーか?いや新幹線で大阪か?・・・。しかし決定的だったのは、浜名湖SAの休憩停車で見た渋滞情報。「豊田JCTまで3時間かかるよーーーん↑↑」という表示に絶望した。新幹線どころか、日付が変わる前に名古屋に着けるかどうか、といったところ。すでに2時間以上遅れていた。





浜名湖SAで休憩中。運転手もくたびれ果てていた。(携帯電話のカメラで撮影)

 
 バスに乗り込み、また作戦を考えた。新幹線でもフェリーにはもうムリなので名古屋から高松行きの夜行バスがあったらそれに乗ろう。時刻表を調べると、レンタカーを予約している高松まで2本の高速バスがあることが分かった。しかしいずれも23時出発とのことなので、このペースではそれすらも危うい予感。諦めて名古屋で「ながら」に乗って帰ろうかという絶望案まで考え始めた。蒲郡から始まった渋滞にはまって30分。車内の乗客も皆疲れきっている。ふと左車窓に名鉄の線路が見え、進むにつれて並行する名鉄の高架の駅の明かりが見え始めたころ、まさに神のようなアナウンスが。「まもなく本宿・・・」。早速、時刻表で名鉄のページを調べると同じ本宿という駅名があった。しかし余所者が高速のバス停で下車することは、非常にリスクが高く、降りたが最後、市街から遠く離れた山中だったということも経験がある。やがてバスは高架駅の横をヌルヌルと通過し、すぐにバス停に停車した。チャンス! 咄嗟に降車ボタンを押し下車した。名鉄の本宿はバス停から徒歩3分の至近距離だった。助かった!


飛び降りた本宿バス停。走行車線は15km 2時間半の大渋滞中。ザマーミロ。


 ホームで待っているとすぐに電車はやって来た。まさかこんなとこで初めて名鉄に乗るとは思わなかった。滑り込んできた韓国の国電のような急行電車に乗ること約40分。21時30分、ついに大都会名古屋に到着した。すぐに高速バスの切符売り場に向かい、東京駅にあったものと同じ券売機で今夜発の夜行バスの切符を買おうとしたが、なんと満席の表示! THE END・・・。もうどうすることも出来ない。いろいろ考えた末、高額な出費覚悟でサンライズ瀬戸に乗ることにした。名古屋は深夜のため停車しないので、浜松まで戻ることになるのだが、これも仕方がない。空席があるかどうかもまだ分からないが、とにかく腹が減ったので飯を食うことにした。名古屋駅をウロウロしてみると、聞き慣れぬ名物「名古屋ラーメン」という看板発見。店に入り、その名古屋ラーメンと小ライス、ビールを注文する。初めて見る名古屋ラーメンとは、極細の麺にあっさりカツオだしで、太麺好きにはちょっとツライ一品だったが、ラーメン+ライス、穀物をおかずに穀物を喰う幸せ。空きっ腹に染み渡った。腹も満たされ脳に栄養が行き渡ると、他にも夜行バスがあるんじゃねーの?という閃きが頭をよぎった。ラーメンを喰いながら時刻表を開く。あ、あるじゃん。JR系ではないため、名鉄バスセンターから23時10分に高松行きが出ている。店を出るとすぐにバスセンターに向かった。しかし掲示板にはこれも無情に満席とのお知らせがあった。ついにサンライズ決定、と思った瞬間、高松行きの欄の下に「徳島行き 空」という表示を見逃さなかった。目的地高松には直接行けないが、徳島から高松へなら2時間かからない。8時のレンタカー予約に間に合う。すぐに徳島行きの切符を購入。1時間ほど待ち、車内に入ると2+2シートでいかにも不人気路線といった風情だった。




2008,10/18
 
 早朝5時半すぎ、徳島到着。ここまでとても長かった。ようやく四国に上陸し、未だ夜も明けきらない駅前で缶コーヒー+一服。1番線に特急「うずしお」が停車していたので、快適なリクライニングで高松まで1時間ちょっと、もう一眠りして行こうと思ってたが、後続の普通列車が新鋭のキハ1500だったのでそれも乗りたいと思い、特急券は買わずに普通列車で行くことにした。7時47分高松着。まずは腹ごしらえと、高松に来たからには駅構内のうどん屋を探すが、キレイに建て替えられ近代化された高松駅には、一昔前の立ち食いうどんは姿を消していた。駅前を散策すると駅の真向かいに定食屋があったのでノレンをくぐると、嬉しいことにまんまの「うどん」がメニューにあったので即注文し、ぶっとくコシのあるうどんをすする。喰い終わり、駅近くのレンタカー屋に出向き、書類を記入し鍵を受け取った。今日の相棒は香川ナンバーのランサーだった。初めての三菱車で朝の高松市内を抜け、国道11号線をまた徳島へ戻る。
 ところで今回のターゲット、キハ65は高出力のエンジンを1機搭載した急行用気動車だ。キハ58はエンジンを2機持っているため、床下に冷房用の発電装置を装備するスペースがなかったため、冷房を使用するには1エンジンで発電エンジン搭載のキハ28を相方につながなければならなかった。しかし勾配線区や高速走行が求められる急行列車に58+28ではパワーが不足気味になってしまい、結果キハ58に連結して冷房を使用できるよう誕生した形式がキハ65である。現在は四国、九州地区に残存しており、四国は今月に引退することが決まっていた。3年前、松山運転所に所属する1編成が国鉄色に復元されていたが、今回はこの編成を使用しリバイバル急行として四国を1周するというイベントである。本日は高徳線→徳島線→土讃線。明日は土讃線で窪川まで、後日予土線、予讃線を経由して松山で火を落とすというルートである。四国は過去に幾度か訪れたことはあるが、撮影で来たのは初めて。よって大まかな撮影地をネットで調べてきている。1発目は高徳線最大の難所である大坂峠越えの海バック大俯瞰。引田で県道1号線に入りタイトなヘアピンカーブの九十九折で高度を稼ぐと遥か眼下に絶景が広がった。果たしてすでに大勢のテツ達が待機しているが、細い林道のような県道1号線には車を止めるスペースがもう殆ど無く、駐車できるところを探しているうちかなり高度を稼いでしまった。見下ろすと平野の建物は点のように小さく、これではせっかくの65の勇士もただの風景の一部になってしまうだろう。せっかくなので1枚はガッツリと撮っておきたいので、峠を越え、麓の阿波大宮駅のお立ち台に移動。すでにテツは30人ほど。側面には陽が当たらないがS字で下ってくる線路沿いだった。



祭り、いよいよ開幕。通過1時間前の光景。(携帯電話のカメラで撮影)



ギューンと独特の排気音で通過するキハ65。58を目慣れてきた目にはとても新鮮に映った。いいもの見せてもろうた。
2008,10/18   高徳線   阿波大宮〜板野   EOS5D  100-400mm

 機材を撤収して移動開始。徳島で1時間ほど停車して今度は徳島線に入ってくるまで時間があるから、のんびりと次の撮影地、阿波加茂〜辻の吉野川バックを目指した。ちなみにこの65と58の国鉄色コンビは往年の姿を再現したとかで、58側に昭和40年代四国オリジナル装備の猫髭が再現されているのだが、この猫髭、経年劣化した車体の色のためか若干色の濃さが違っている。また見慣れないせいもあるので不自然極まりなく思え、私の撮影意欲は湧かなかった。今回のテーマは国鉄色65であるので、徳島でスイッチバックしてくるこの編成は、次の徳島線では猫髭58が先頭になってやって来てしまう。ならば後追いで写せて四国らしさを収められる所となると、加茂辻の吉野川バックしかなかった。そこを目指し徳島線沿いの国道192号を西に進んでいると、支流の川をまたぐ大きな橋脚があった。たもとの土手には何人ものテツ軍団が見える。ちょっと見物程度にその土手に立ってみた。順光ですっきりとした橋脚。猫髭58が先頭でやって来るが、一応記念に撮っておくか、と三脚で場所取りをしてから車内で仮眠した。この先、穴吹、阿波加茂と2箇所で5分停車があるので、並行する高速道路で追っかければ吉野川バックに間に合う。レンタカーに装備されていたナビで検索すると、ここで通過後追っかけすると、吉野川バックには列車より20分早く着くことが分かっていた。



やっぱり自分的には変。精悍な65に対してなんともマヌケに映って見えるのはオレだけ?
2008,10/18   徳島線   穴吹〜川田   EOS5D  24-105mm

 すぐに追っかけ開始。土手にはいかにもというテツ車が10数台止まっていたが、ほとんど追っかけに走ると予測し、我がランサーは一番出口に近い場所に前向きに止めていたので、撮影後一番で現場を後にする。インターへ続く道を走りながらミラーを見ると、背後からテツ車10数台が爆走してきた。今日はETCカードを忘れてきてしまったため、キハ65にちなんで、かの急行「砂丘」のように料金所で通行券を通過授受。2つ先の井川池田ICで降り目的地の吉野川バックに到着するとすでに30人ほどが待ち構えていた。さらに追っかけ組が続々到着。自分が到着した時はよかったが、もう止める場所が無いので、国道の走行車線に止め片側通行にするヤツ。民家の敷地に堂々と止めるヤツ。この狭い路地の真ん中に駐車して通行止めにするヤツ。と、それはそれは酷い状態だった。集団心理の恐ろしさ、同じ趣味を持つ身として恥ずかしくなってくる。通過直前にはさっきの倍以上の人数に膨れ上がり、国道のトラックのクラクションを無視しながら皆、阿波池田方の猫髭先頭にレンズを向けている。後追いのキハ65狙いは自分だけだった。


まだ序の口。10分後にはさらに増える。



後追いで大正解。夕方の半逆光と65。58もいいけど65にはEF64にも似た無骨なスマートさを感じる。
2008,10/18   徳島線   阿波加茂〜辻   EOS5D  24-105mm

 再び車で出発しようとすると、現場は大パニック。国道に駐車していた車が一斉に動き出し、わき道からは強引に車が出てくる。まさに無法地帯。数分間、国道192号線の機能を完全に麻痺させたテツ車は、大挙して山間部へと入っていった。自分は最後尾になりその後を追った。今度は時間がない。列車は2駅先の阿波池田ですぐに折り返し、土讃線に入る。一応調べておいた箸蔵からのトラス橋俯瞰で鉄橋を渡りながらオメガループで山を登ってくるキハ65の先頭を押さえてみたかったが、場所を探している時間はなさそうだ。では坪尻でスイッチバックの一部始終を撮ってみよう。いや、ダメだ。秘境駅として名高い坪尻は、駅に通じる車道がなく15分ほど山道を徒歩で下らなければならなく間に合わない。已む無く箸蔵付近にかかる跨線橋で駅構内を長タマで頂くことにした。望遠に付け替え構内の様子を見ると、すんごい人。あんなところでちゃんと撮れるのか他人事ながら心配しつつも列車を待った。




JR四国自慢の一線スルーを駆け抜けるので、俊足を活かし結構なスピードで通過した。
2008,10/18   土讃線   箸蔵   EOS5D  100-400mm

 これにて撮影は終了。機材をカメラバックに仕舞い、車に乗り込み出発しようとすると、この近辺で撮影したと思われるテツ車らしき集団が峠を目指し疾走していった。なに!? この先どこかで撮れんの? 半信半疑でそのテツ車を追走しながら考えた。確かに坪尻のスイッチバックで恐らく撮影目的のために10分停車するが、すぐにその先はトンネルで下り勾配。列車のスピードは出るはず。果たして彼らはどこの撮影地へ連れて行ってくれるだろうか。かなりワクワクしながら猪ノ鼻峠を越え香川県側へ。どんどん峠を降り、一斉に車列は国道から脇道へと入っていった。黒川駅だった。駅に到着するとちょうど下りの特急が通過していった。なるほど一つ手前の讃岐財田で65は交換のため運転停車しているらしい。皆に倣って駅に続く階段を駆け上ると、西日が美しい築堤が目の前だった。



多分もう一生お目にかかることのないキハ65国鉄色。その勇姿を心に焼き付けて見送った最後の一枚。
2008,10/18   土讃線   黒川〜讃岐財田   EOS5D  100-400mm


 最後に〆の一発がキマッて大満足だった。夕陽がきれいな讃岐平野を快走。18時前に高松に到着し無事ランサーを返却。往路の臨時出費で復路は節約しようと高松発の夜行バスで帰ろうか迷ったが、明日は午前中から仕事だったので、マリンライナー、N700系ののぞみで当日中に横浜に帰った。東海道新幹線に長距離乗るのは多分中学校の修学旅行以来で、山陽新幹線に乗ったのは初めてだった。これもいい記念になったような気がした。



1日限りの伴侶、三菱ランサーちゃん。総走行距離は212kmでした。(黒川駅前)