大人の科学実験  銀塩復活祭 


 思えば子供のころより親しんできた銀塩写真に別れを告げ、デジタル一眼生活を始めてかれこれ7年になる。その7年前の当時、それまで市場にはハイアマチュア向けの、30万円以上の高額なデジタル一眼しかなかった時代、ようやく一般庶民向けの廉価版のデジタル一眼レフが登場したばかりのころでもあった。当時勤めていた写真量販店の闇(?)ルートを通じて手に入れた新発売のEOS10Dは、それでも16万ほどした。それからというもの薄給をはたいて手元にやってきたEOS10Dを駆使してデジタル生活を始めた。まだまだ市場は銀塩のシェアの方が大きく、並行して所有していたEOS55も使いながら、職種上フィルムやレンズテストとして、また業務用写真プリンタであるFUJIFILMのフロンティア370のテストと称して銀塩写真も同時進行で撮影も継続していた。しかし時は流れ、完全に時代は100年以上の歴史のある銀塩写真を、わずか数年でデジタルが駆逐し、今やフィルムカメラとして販売されているのは、嗜好品の一部を除いてはキャノンとニコンの各1機のみとなってしまった。またコンパクトカメラに至ってはフジフィルム1社数機のみになってしまった。これも嗜好品として残っているか一部のコアなファン用として残っているものとも思われ、やがて近いうちに姿を消すことだろう。そんなわけでEOS 55は売り払い、自分もいつしか完全デジタルの生活を送っていた。

 ところが2010年のある日、自宅の押し入れの中でひっそりと眠っているフィルム一眼レフカメラを発見した。EOS Kiss初期型だ。完全に忘れていたのだが、思い起こせば前職の写真店に勤務中、仲の良い常連のお客さんから個人的に¥8000くらいで譲ってもらった物だ。EOS Kissに標準装備されていた28−80mmのレンズもついており、状態もなかなか良かったことから特に値切りもせず即金で買ったことを思い出した。




 湿度の高い押し入れで数年間も保管されていたのでカビの発生が疑われるが、レンズを外して太陽光に当てがったり、フォーカシングスクリーンを凝視してもカビの発生は一切認められなかった。奇跡的な状態だが、一方グリップ部に巻かれているシボ状のラバーの部分は化学変化を起こしており、ベタベタに溶けて変質している。爪で引っかくとその溶けたラバーが削れこびり付いた。ならばいっそのこと全部削ってしまおうではないか、と休みの日ツタヤで借りてきた「あぶない刑事」のDVDを見ながら2時間かけて全て削り落した。なかなかきれいだ。クルクルと何度も観察しながら、ビールを呑んでいると、久々にフィルムで写真を撮りたいという欲求に駆られてきた。長年の放置でリチウム電池は死亡。本当に動くかどうかも分からないので、あくる日、上大岡のヨドバシでCR123Aの2本パックを買ってきてカメラに入れてみる。



 目出度く数年ぶりにカメラは息を吹き返した。レンズのAFも快調だ。レリーズを切ると「パッコン、パッコン・・・」と情けない音を発しながら幕は開いているようだ。記憶ではKiss系は秒間1コマだったと思うので、きっとこれで正常なんだろう。ただ一つ心配なのはシャッター幕のグリース付着である。初期型のEOSシリーズに非常に多く発生している不具合で、シャッター幕の駆動部分に塗布してあるグリースが、使用するごとにシャッター幕に付着し、幕同士がグリースでくっついてしまい音はすれども露光しないというトラブルが頻発していたそうな。95年発売のEOS55以降はこのトラブルは解消されたというが、このKiss初期型の登場はそれ以前。少々心配だ。実のところ私がかつて所有していたEOS1000もこの症状に悩まされ、36枚撮ると1,2コマは未露光状態であった。とはいえこのKissがメイン機になることはないだろうから、もし同じ症状が出たとしても眼をつぶろう。・・・にしても早く使ってみたい。次の休みの日、EOS Kiss完全復活祭りとしてヨドバシで備品を揃えることにした。



付属のストラップは細すぎて話にならない。どんなチャチな一眼でも幅広ストラップは必須!


レンズは裸だったので保護用にUVフィルターをチョイスした。


懐かしのネオパン。もともと暗いレンズなのでISO400のプレストを購入。


 ストラップを付けフィルターをはめ込み、戦闘態勢になったEOSを見て酒を呑む。気分が良くなってきたところで100-400mmの白レンズに付け替えたりして物欲の世界に浸り、また酒を呑む。カッチョイイー!! 一刻も早く次の休日が待ち遠しい。10何年かぶりに枕元に宝物を置いて眠りについた。


 休みの日。Kissを携えて横須賀線田浦にバイクで向かった。本番さながらの実戦で使うには頼りないし、すでにメインはEOS5Dなので併用したところで両者とも中途半端になってしまうだろう。だったら貨物線の跡が残る田浦界隈でKissの実証実験に徹してみたいと思う。現地に到着しフィルムを開封。何年かぶりに嗅ぐネガフィルムの匂いにクラクラしながら装填。この手の一眼のシリーズはいったん全てのフィルムを巻き出して、撮影するごとにパトローネに巻き込むプリワインド方式が採用されている。フィルムの通しNoと逆順に記録されてしまうのが難点だが、もうこのカメラで本番の被写体にレンズを向けることは無いだろうから別にいい。晩春の暑いくらいの日差しを浴びながら「パッコン・・・」。移動しては「パッコン・・・」を繰り返しながら撮影していった。

 実はこのEOS復活プロジェクト、もうひとつやってみたいことがあった。白黒フィルムの自家現像である。中学生くらいの頃、当然中学生の経済状態なので(?)、コストパフォーマンス的にもカラーネガではなく白黒で自家製現像を研究したことがあった。結果からいうと現像液の温度管理の難しさから失敗を続発させたり、将来貴重になる記録はカラーで残さねばという思いから頓挫したのだが、○○年経った今でもやって出来ないことはない。

 通常白黒フィルムの現像は、@現像 A定着 B水洗というのが基本だが、さらにレベルの高い現像では@現像 A水洗 B定着 CQW(水洗促進) D水洗 Eドライウェル・・・となる。@からEまで水洗を除き各行程にそれぞれ異なった薬品を用いる。この辺は記憶の範疇だ。高校に上がり写真部に入ったこともあったのだが、先輩達はコダックの濃縮現像液を希釈してお手軽に使っていたが、自分は何の反発からか富士フィルムの「粉」をぬるま湯に溶かして作った薬液を使用していた。それも思い出しながらまたもやヨドバシの写真コーナーに行ってみる。・・・相変わらず昔と同じパッケージで薬品類は売られていた。しかし肝心の現像タンクがまだ自宅にあるか確認していなかった。当然タンクも販売されているのだが、¥5000前後と高い。

そこで迷っているといいものを見つけた。現像タンクの要らない「ダークレス」というキット。¥1480で35mmフィルムを3本処理出来るようなので、1本あたりの現像料¥500。ラボに出せば確か¥400くらいだったと思うので、少し割高な計算になる。コレで本格的な現像をする人などいないだろうけど、ヒマつぶしにはもってこいと思って購入してみた。。


その名も「ダークレス」。怪しげなアンプルに入った2つの液がなんだかそそる。


 ダークレスは名の通り、暗室を作ったり生フィルムをリールに巻かなくても誰でも簡単に現像出来てしまうというアイデア商品だ。その原理はというと容器にそそいだ現像液にパトローネごとドボンと浸しつまみを回して現像させ、さらにそのまま定着液にまたドボンと浸しまたつまみを回し、しまいにはパトローネを破壊、そのままネガの状態を見ながら水洗というなんともスパルタンな方式だ。むかーし一度だけ試したことはあったが、24枚撮りフィルム推奨のところを36枚撮りでやってしまったため、現像ムラにより大失敗し封印した記憶がある。でもあれから十余年。分別ある大人になったオレは失敗しないという根拠のない自信があった。

 早速田浦から帰ってきて、ダークレスで現像を開始することにした。まずフィルムをカメラから撮りださなければならない。EOS Kissの撮影途中でのフィルムの取り出しは説明書もないので分からなかったが、以前所有していたEOS 1000の方法を思い出してやってみた。レンズを外しダイアルをフィルム給送モードへ。んでAEロックと何かのボタンを同時押し・・・。アレ、動かん。しばらくいじってみると突然巻き上げモーターが回りだした。結局方法は分からずじまいだった。キットのアンプルをパキッと折り、容器に現像液を垂らしこむ。そこへ取り出したパトローネをそのままズップリと付け込んで指定されたスピードでハンドルをグリグリ回す。楽しい楽しい。大人の科学実験だ!こんなので写真が出来てしまうのだ。指定された時間回し、今度は定着液に付け込んでハンドルを回すこと約5分。そして気が済んだところで付属の栓抜きのような道具でパトローネを破壊し、中のフィルムを取り出した。パッと見て現像は成功しているようだが、眺めているヒマはない。すぐに流し場に移動して洗面器で流水のまま水洗を開始する。20分ほど水洗をして洗濯バサミを重りにして吊るす。これで終了。ではじっくり観察してみようか。


ホホッ!デケタデケタ!なんというお手軽!


 何となく仕上がりを見ると、気持ち現像不足しているように思えてならない。現像液の温度が低かったのか、グルグルが遅かったのか、はたまた撮影の腕が下手なのか? やがて乾燥したころを見計らってルーペでのぞいてみた。

 ・・・やはり現像ムラがかなりある。また仕方ないのだがホコリもフィルムに密着したまま現像してしまうので、そこだけ未露光のようになっていたり、キズもある程度認められた。所詮あんなオモチャではこの程度だろう。しかし懸念していたシャッター幕の固着は一切無く、24コマ全てに光が写し込まれていたのには安心した。次に6コマごとにハサミでサクサク切り、ネガ袋に入れて完成。ただこのままでは作品?として成り立たないので透過光も読み込めるフラットベットのスキャナで取り込んで見た。





 田浦駅海側は貨物線の廃線跡が残るエリアである。駅構内で横須賀線と分かれ貨物線用のトンネルをくぐり、そのまま海の方へまっすぐ伸び米軍施設に向かうのが実質的な本線だと思う。その本線がトンネルを出てすぐに右に分岐し、道路併用トンネル内(!)でスイッチバック(!!)し、先ほどの本線と直角に平面クロス(!!!)するというなんとも香ばしい匂いのするトワイライトゾーンだ。いつ頃までここいらの貨物線が現役だったかは知らないが、おそらく昭和末期のころかと思われる。しかし1997年頃、突如として米軍の本線のみ復活したことがあった。確かあれは中東だかでの紛争が原因で、厚木基地を離発着する航空機が増加し、その燃料の需要増加に対応すべく、米軍横須賀基地に接岸した燃料輸送船からここで陸上施設で岸壁の貨物線に停めたタキに直接ジェット燃料を積み替え、この専用線を通り、横須賀線、東海道線、相模線、厚木から相鉄貨物線、相模大塚から米軍厚木基地へと不定期だがタンカー列車が輸送されていた。(正しい情報をお持ちの方、訂正願います!) 当時この情報を聞きつけモラトリアムを謳歌していた大学生のオレは、何日間かこの田浦で張り込みをしていたことがあったが、結局この田浦貨物線を行くタキに逢うことはできず、相模線内のDE11によるタンカー列車、田浦まで荷を受け取りに回送されるEF65を撮影しただけであった。他には訪れるたびに田浦駅構内で停車位置の変わるタキや、臨港線に留置されている運輸会社所有のディーゼル機関車の位置が変わっていたり、ある時は臨港線の線路の錆が剥けて何者かが通った跡があったりと、オレのいないところでこのヘロヘロの線路は息づいているようだった。

 いつしかこの緊急輸送は終わり、2010年の今、この貨物線は完全に眠りについてるようだった。当時、田浦の張り込み仲間たちは今頃どうしているのだろう。現場に到着すると懐かしい光景はほとんどあの当時のままだった。


























































 気付くとあっという間に24枚撮りのフィルムは底を尽きた。デジカメで無限にバシャバシャ撮って、良いものだけを取捨選択して鑑賞するということに慣れてきてしまった自分にとっては、一枚一枚大切にレリーズを切るという懐かしい感覚を呼び起こさせてくれた。

 結論から言えば現像は失敗であった。ファジーな温度管理でムラができて当然のような現像方法。細かいところは見るに堪えない出来だったと思うが、光をフィルムに焼き付けて、それをクスリの力で映像に昇華させるという作業が今更ながらとても新鮮に感じた。またやってみたいと思う。

以上、大人の科学実験でした。