四季を往く 久留里線
「夏」
いよいよ夏がやって来た。夏と言えば海。海と言えば房総。しかし海と無縁の久留里線にとっても、夏はある意味、現代の日常と違った体験ができた。非冷房であるキハ30が在籍していたからだ。今や当たり前となった冷房車。自分が幼き頃、首都圏の鉄道やバスには非冷房車というものは淘汰されてはいたものの、わずかに残存しており、暑い季節には「アタリ」とか「ハズレ」とか、移動時間を快適に過ごせるかどうかは運次第の時代でもあった。しかし時は流れ近年では、非冷房車の体験が貴重でありがたい、という乗りテツの方々の声も聞かれるという。確かに窓を開け放ち、吹き込んでくる生温い風の中に、木や土や田んぼ、さらにディーゼルの排気の匂いなどを全身に感じながら列車の揺れに身を任せるという体験も、今ではそうそうできるものではない。久留里線では2012年までそれを体験することができたのである。
久留里線 横田〜東清川
久留里線に限らず同じ路線を繰り返し撮影していると、実際に乗ってみたくなる症候群に駆られることがしばしある。なので午前中に房総へ渡り、写真撮影からの昼飯、ちょっと撮影、そして区間乗車を楽しんで夕刻帰還というのが最高の休日のルーティーンとなっていた。
久留里線 上総亀山〜上総松丘
トンネルを飛び出すキハ38。屋根上のスッキリ感から非冷房車のように見えるが、床下に搭載したヒートポンプ式の冷房を備えている久留里線では「アタリ」、一方一部のファンにとって「ハズレ」の車両である。ところで列車の左右の建造物は、線路などの障害物の下をくぐらせ農業用水などを反対側へと送るサイフォンと呼ばれる設備。ここ久留里線や同じ房総半島の小湊鉄道でよく見られる。
久留里線 上総松丘〜平山
たぶんもう使われていないであろうサイフォンとキハ38。夕刻が近づいてヒグラシの大合唱。ムワッとしていた草いきれもこの時間になると影を潜め、時折吹く風に汗が引いていく。遠くではチビッコの帰宅を促す「遠き山に陽は落ちて」の防災放送が里山にこだましている。どこにでもある日本の夏の夕景。日没までのこの一瞬の雰囲気を全身に感じ、ゆっくりと時が刻むのを愉しみ、薄暗くなってきたころ、帰路に就いた。
ある日、久留里線の本当の末端部分を見たことが無いことに気が付いた。房総半島横断という壮大な夢半ばに途絶えた線路の終端はどうなっているのか。ただそれを確かめるためだけに向かったことがあった。どういう理由か定かでないが、その日は高速道路を使わず、一般道路経由で東京湾を半周し、いつもの3倍以上の時間をかけて現地に到着した。途中、いままで通過していて気になっていた駅を訪問。名前の由来が興味深い「馬来田」(まくた)という駅だった。
首都圏では極めて珍しくなった木造平屋駅舎と、青いホーローの駅名標。駅前ロータリーを見守る時計と郵便ポスト。まるでドラマのセットのようなローカル駅だが、小湊鉄道の木造の各駅舎と違い、こちらはその設備やロケーションにもかかわらず、特段注目を集めている様子は無く、「残されている」、のではなく残ってしまっている、といった感があり、逆にそれが貴重かも知れない。それゆえに美しい木造平屋の駅舎を塞ぐように、タクシー会社のプレハブの詰所が建ってしまっているのが残念だ。
近年まではここ馬来田駅は交換設備も備えていて、列車交換も行われていたという。そのため腕木信号はもちろん、タブレットの交換も見られた。現在は1線の棒線駅で、横田〜久留里間は1閉塞になっているが、この駅を境に長年閉塞が分割されていた時代もあった。
日差しが照り付ける馬来田駅前の自販機でポカリを飲み干し、いざ上総亀山の終端部分に行ってみよう。
久留里線 上総亀山
上総亀山は終着駅らしく、かつては機回しや留置のできるある程度の規模の構内配線で、幾条もの線路は先に進むほど束ねられて行き、ひとまとまりになってこの車止めにたどり着く。道路を挟んだ低い山の約10km向こうには、目的地であった上総中野駅が控えている。しばらくこの付近を探索してみたが、工事とか用地確保された痕跡は無く、また同様にそのような記録も無く、ここ上総亀山で房総半島横断の夢は本当に潰えたようだった。