最後のシーズン  横浜線205系と富士山コラボ

2014.1/24

 横浜線に3月改正からEなんとか系が登場し、既存の205系を近いうちに全車置き換えするという情報を得たのは、つい最近のことだった。横浜に住んでいながら横浜線に乗った経験は多分、足の指を足しても数えられてしまうくらい。中央線系統の列車に乗る時と、数少ない県北地域への所用の時くらいだった。だから自分にとっては横浜線には思い入れや、なんというか愛着はほとんどなく、また運行される列車自体も205系の一辺倒。たまに「はまかいじ」や東急甲種くらいなので個人的趣味の観点から撮影対象としては全く外れていた。そんな横浜線である。いつから活躍しているか知らないが、その黄緑色のラインカラーの205系が引退するそうな。で、いつからその205系は走っているのか気になった。1987年4月以前の登場であればこれも立派な「国鉄色」。弊サイトのタイトルにふさわしい1回を皆様にお届けできるであろう・・・と調べてみると、横浜線の205系登場は1988年とのことであった。というわけで惜しくもJR世代ということで、自分的には「どうでもいい(失礼!)」ジャンルになってしまい。このままレンズを向けることなく引退してしまうだろう。 しかしある日、ネットで見たある一枚の写真により急速に興味を持ち始めてしまった。超望遠で正面がちに205系のマスクを捕らえた構図。その背後には富士山がバックにその美しい裾野を披露し、大迫力の構図。場所は鴨居〜小机とのこと。地図で見てみると方角的に鶴見川の遊歩道からかぶりついたものと思われる。その写真を見た瞬間、「これはマネしなければ!!」と直感的に思ってしまった。首都圏から富士山まで臨むなら空気が澄んだ、まさに今この季節。早速次の休みの日、早起きして行って見ることにした。

 訳あって今まで5年間愛用していた原付バイクを手放すことにした。ほとんどいつもは職場まで15分の往復の道のりだけなので、最後の記念にその原付「ホンダ Dio」で行って見ることにした。当日、少し寝坊し8時起床。Dioの荷台に三脚をくくりつけて出発。ひとまず富士山が見える近所の高台に行ってみると少しモヤがかかっているが、かろうじて端整な台形の裾野が見て取れるも山頂付近は雲の中。午後になって気温が上がってくれば裾野はおろか全てがモヤの向こうになってしまいそうだったので、すぐにその鶴見川の遊歩道に急いだ。4.1psのマックス性能をフルに使って30分後には現場に到着することができた。遊歩道なので車道からポイントまで300mほどバイクを降りて押しながらテクテク近づく。するとこんな平日なのに、すでに2名の方がスタンバっておられた。ベストポジションはすでに先客に取られてしまっており、仕方なく一歩下がったところに手持ちで陣を構える。で、肝心の富士山というと、時すでに遅し。すっかりとモヤに足元からてっぺんまで隠されてしまっていて、ただの白い背景になっていた。すると先客の方から「E233のシテンですか?」と尋ねられた。へぇ〜もう試運転始まっているんだ、と初めて知った情報に少し驚き、「いや205なんすよー」と答える。富士山はすでにベールの向こうだが、記念になれば、と白い背景から次々に現れてくる同じ顔の電車を4本程度撮ってみた。




空気が澄めば背後にデッカク富士山が・・・。
2014.1/24  横浜線  鴨居〜小机    EOS5D  100-400mm




しばらく待ってみたけど結果は同じ。
2014.1/24  横浜線  鴨居〜小机    EOS5D  100-400mm

 30分ほど現場にいたが、結局今日はダメな日だった。試運転もあるというが興味は無いので早々に現場を後にし、東神奈川でニュータンタン系のラーメン屋で昼飯を食い、まだ正午前だというのに帰ってきてしまった。リベンジ? リベンジ・・・。う〜んん。気が向いたら行くかも知れないけど行かないかもね。って感じだ。



 103系時代の横浜線の写真があった。確か小学生の頃、同じクラスの友人、みっちゃん(写真左)と一筆書きでお出かけした時の一枚。この次の写真が青梅線になっているので多分八王子に向かう途中の新横浜だったと思われるが、一筆書きでなぜ青梅線かは自重。みっちゃんは「テツ」ではなかったので道中機嫌が悪かったのを覚えている。この頃の横浜線はこのようにデかいヘッドマークを付けていたし、都落ちした103系がウグイス色や水色の混結で走っていた。国鉄時代、1987年頃の写真。