横浜瑞穂埠頭、ノースドックの専用線

2002年秋頃

 新興線のお話で、「ハマの最後の臨港線」と謳った直後に申し訳ないのだが、もう一つ、当時現役の臨港線があって、それを記録に残していた。瑞穂埠頭専用線である。高島線の東高島〜新興駅の中間にあった千若信号所から分岐し、瑞穂埠頭まで至る専用線であった。瑞穂埠頭の大部分はアメリカ軍が接収しており、ここで陸揚げされた物資を内陸の厚木基地などへ輸送する拠点となっていて、ノースドックと呼ばれている。取り扱う荷物は主に空軍基地の航空燃料である。

 この専用線は前から知っていたが、不定期に運行されているのか、それともすでに廃止となっているのか定かでは無く、件の新興線撮影や仕事の帰り道、何度か立ち寄ったことはあるもののどう見ても現役の路線であるようには見えず、訪れるたびに軌道敷地内にパレットが積まれていたり、軌道上に発泡スチロールの箱が捨てられていたりと、生気が感じられることは全く無かった。そんなある夜、いつもの日課のように仕事の帰り道、瑞穂埠頭を訪ねると線路の赤錆がうっすらと剥けており、列車の通行があったことを証明していた。それからというもの、運転曜日を特定するため週休2日の仕事の無い日以外は毎日、ここを訪れ情報を蓄積することに専念した。そして大体の運転頻度が判ってきた。

月、水か木の週2回、もしくは月のみ週1回。

 当時の自分のシフトは火・水休みだったので、月曜ほど頻度は高くないもののリサーチにて掴んだ水曜を狙って出かけてみることにした。とは言っても運転時刻が分からないので午前中からひたすら張り込むしか手立ては無く、コンビニで買っておいた弁当とカメラを持って瑞穂埠頭に向かった。



 ちょっと遅めの午前11時頃到着。高島線を横断して瑞穂埠頭に向かう道の千鳥橋踏切にやって来た。さてどこで張り込もうか考えていえると、遠く鶴見方面にDE10がヘッドライトを点けて単機で停車している。もしや着いて早々目当てを頂くことが出来るのか!?と高揚していると、すぐに踏切が鳴り渡り線を通ってこちらにやってくるではないか? すでに瑞穂埠頭への貨車の搬入は終わり東高島へ帰ってくるらしい。慌ててバイクのトランクからカメラを取り出して撮影。普通に本線を往く単機のDE10を撮っただけでその日は終わった。




逆線走行で東高島へと戻る1750号機。
2002年秋頃    高島線  新興〜東高島   EOS55  24-85mm

 いきなり不発に終わったものの、これで時刻を特定することができた。来週の休みにまた来ようと思って、何本かここを通る根岸への貨物列車を撮影し、この日はおとなしく自宅に帰った。
 この当時、勤めていた仕事先が写真店ということを存分に発揮し、自分はいろいろな戦闘物資をセルフな社割価格で調達する不良社員だったので、フィルムも何かといろいろ試したくなり、この日はリバーサルのエクタクロームなどを生意気にも仕込んでいた。ダイレクトプリントすれば良い感じになるのだろうが、大したことはないのだがそこまでする資金に二の足を踏んでおり、仕方なく会社の業務用スキャナーでデジタル化していた。なのでどうしてもリアリティのある色調にならないのはお見逃しいただきたい。




まだEF210は少数派だった時代。原色PFが次々にやって来た。
2002年秋頃    高島線  新興〜東高島   EOS55  24-85mm




東高島から出発するDE10単機。
2002年秋頃    高島線  東高島〜新興   EOS55  24-85mm

 翌週の水曜日。前回把握した運転時刻を元に早めに出発し、10時頃到着。空は今にも雨が降り出しそうな最悪な天候。ISO100のポジでは最も撮影に向かない日だったがそんなことはお構いなし。露出を気にしながら踏切が鳴るのを待っていると、東高島駅構内に待機していたDE10が動き出して向かってくるのが見えた。




2002年秋頃    高島線  東高島〜新興   EOS55  24-85mm

 目の前を通り過ぎ、渡り線を渡って下り線に入り一旦停車した後、推進運転でいよいよ瑞穂線に進入する。初めての光景に胸が高鳴りながらも先回りして待ち構えた。




ここでも一旦停止して踏切か信号の操作をしている。
2002年秋頃    瑞穂線   EOS55  24-85mm

 この写真の反対側は川を渡ると米軍施設。以前鶴見線の安善駅に隣接する米軍施設内の油槽所で入れ替えを行っていたDE10にカメラを向けたところ、鬼の形相で係員が怒鳴りながら走って向かってきたことを思い出した。なので控えめにここから去り往く編成を収めるのが、チキンな自分には精一杯だった。






タキ3両を押しながら米軍施設内へと去って行った。
2002年秋頃    瑞穂線   EOS55  24-85mm

 編成を見届けてからどれくらい経ったであろうか。しばらくしてDE10が帰ってきた。後ろに荷の姿は無く、今日は空車の返却だけだった模様だ。ということは週一で発送するだけの線路なのか。あまりにも極端に少ない運転本数だからか、この撮影の数年後にはこの線路は用途不要となったのだが、施設は2014年現在でもそのままに残されており、田浦臨港線のように軍関係の鉄道は突如復活するかも知れない。しかし田浦臨港線の復活は中東情勢の悪化によるものが原因だったと聞いており、将来この瑞穂線の復活が血生臭い戦闘と関係ないものであると願いたい。








2002年秋頃    瑞穂線   EOS55  24-85mm