白砂青松、神の国にてキハ181と出逢う
2000,8/10

 キハ181。言わずと知れたハイパワー気動車の代名詞。今となっては当たり前だが、製造当初、国内では最高出力である500馬力を得るために搭載された、屋根上の無骨なラジエーターや、これまた今日では当たり前のターボチャージャーを搭載した国鉄型特急用気動車である。そんな愛すべき元気玉に出逢うべく向かったのは、キハ181最後の聖地、神の国、島根である。全国の非電化幹線の特急用に投入すべく増備されたキハ181は、幹線の電化区間延伸により、2000年当時、鳥取〜山口線経由の特急「おき」、山陰西線で小倉まで乗り入れる特急「いそかぜ」、鳥取〜米子の都市間を結ぶ特急「くにびき」、智頭急行経由で山陰と岡山間の特急「いなば」、そして播但線経由で大阪鳥取の特急「はまかぜ」・・など中国地方のローカル特急として細々と余生を送るのみだった。2006年、現存するのは「はまかぜ」のみであるが、JR西のアーバン色で統一されてしまい、国鉄色のキハ181は過去帳入りしてしまった。
 当時の愛車FORSIGHTのトランクにカメラバックと生活道具を押し込み、リアキャリアに寝袋と三脚をくくりつけ、まだ蒸し暑い夕刻17時頃出発。横浜町田ICから東名に乗り、ひたすら西へ西へ。当時の記録を見ると海老名SAでカレー、上郷SAでラーメンライス、伊吹PAでモツ煮定食を食っている。200kmで1食とはずいぶん俺って燃費悪い。目的地直前の兵庫県の高速バス停で3時間ほど仮眠の後、赤穂ICで高速を降り、まずは智頭急の「いなば」を撮るため真新しい高架橋沿いを北上した。

2000,8/11


往時をしのぶことはできない極短の3両で疾駆する181。「いなば」
2000.8/11   智頭急行  河野原円心〜苔縄  EOS55  28-105mm

国鉄改革で工事凍結され、平成になって着工再開、開業した智頭急行は、線形もよく重軌条で高速で走行できることから、キハ181も性能MAXの120km/hでターボサウンドを轟かせる。智頭急沿線は緑豊かでのんびりキハ181を撮影したかったが、この後の日程を考えるとゆっくりしていられない。181を2本撮った後、内陸の佐用に出て姫新線沿いに津山、新見。芸備線沿いに丸1日かけて広島へと向かった。そして目当ての山陽本線、八本松駅に着いたのはすでに薄暗くなっていた。狙うは全国唯一この1列車だけになった2054レの走行解放の撮影である。ここ瀬尾〜八本松は途中25‰の急勾配が存在し、ここを行き交う重量貨物列車にはEF67が広島〜西条に後補機として連結されていたが、唯一2054レのみ西条に停車しなかったことから、この列車だけ八本松駅手前で走行中に機関車を解放するという荒業をやっていた(現廃止)。とはいってもこの列車の通過時間は日没後だし、どこで解放するのかも詳しく分からないので、とりあえず八本松駅構内の広島方でビデオのみを構え待っていた。19:51、2054レ通過。後補機は付いておらず、直後に67の単機が到着した。もっと駅手前で解放していたらしく敢え無く失敗。近くの志和ICから山陽道に乗り2区間先の広島ICで降りた。真っ暗になった国道を可部線沿いに山間へと進み、終列車も行ってしまった可部線戸河内駅が本日の宿となった。

2000,8/12

 真夏だというのに山間の駅は涼しく、また疲労していたせいもあり快適に熟睡することができた。早朝起き出し、いざ日本海へ! 高速コーナーが連続する快適な国道191号を、朝の斜光線を浴びながら90km/h巡航で攻めること小1時。やがて山陰の小京都、益田に到着。すぐに山陰本線有数の撮影地、道の駅「ゆうひパーク三隅」を目指した。なるほど道の駅裏手の駐車場から美しい海岸線をバックに弧を描く山陰本線の線路が俯瞰できる。このお立ち台を確認後、いったん隣駅の折居で小郡行きの特急「おき」の撮影をするべく駅周辺をうろつき場所を探していると、通過時間になってしまった。


3mはあろうかという巨大なカンナの花。抜けるような夏空の下「おき」が通過。
2000.8/12   山陰本線  折居  EOS55  28-105mm

 再び先ほど下見しておいた道の駅「ゆうひパーク三隅」に戻り、PLフィルターを装着。海の透明感を表現しようと回転枠をクリクリ回して微調整。




神々しいほどの瑠璃の海。トップライトに映える国鉄色と穏やかな日本海。やっぱり神の国、出雲。
2000.8/12   山陰本線  三保三隅〜折居  EOS55  28-105mm

 山陰本線は幾度と無く訪れたことはあったが、ここまで天気に恵まれたことは一度としてなかった。ゆったりしたと国道9号線の流れにステアリングをまかせ、次々に来る列車をカメラに収めていった。やがて夕方になり、太陽光はマゼンダを帯びてきた。 


今となっては見ることのできない国181同士の交換。この頃はいそかぜも米子までかよっていた。
2000.8/12   山陰本線  波根  EOS55  28-105mm

日没直前。日中は肌を刺していた夏の光が、柔らかく暖かに181を包む
2000.8/12   山陰本線  田儀〜波根  EOS55  75-300mm

 通過後日没すると気温はぐんと下がってきた。今日も真夏の国道を行き来していたので汗とホコリを流すため出雲市内の平成出雲温泉でひと風呂浴びた後、本日の宿、波根駅に急いだ。

2000,8/13

 今日も早朝から移動開始。一番列車到着前に寝袋を片付ける。一般客に怪しまれないことを自分は駅寝のマナーであると勝手に盲信している。雲がやや多いので海山メインよりも駅撮りに徹することにした。有名な五十猛駅俯瞰の場所が分からなかったので、駅構内が見渡せるところでスタンバイ。



キハ120もいたものの、普通列車の主役はやっぱり国58+28.。当たり前のように走っていて、ほとんど記録に残さなかったことが悔やまれる。 
 
2000.8/13   山陰本線  五十猛  EOS55  75-300mm



翳ってしまった・・キハ181の交換は惨憺たる結果に。
2000.8/13   山陰本線  五十猛  EOS55  75-300mm

 この日は昼過ぎから天候があまり良ろしくなく、撮影は早々に切り上げてのんびりと山陰の鉄道を見て回ることにした。海沿いの国道9号を西に走り大田市へ。そこから内陸の三江線浜原へショートカットして、三江線の各駅に立ち寄りながら、市街で買っておいた弁当を食ったり昼寝しながら三次を目指すした。悠久の流れ、江の川と、日に数往復の三江線の近代的なストラクチャーの対比を楽しみながら、三瓶山を周遊する形で午後遅くに出雲市に到着。黄昏ながら一服しようと海岸線へ出ると、砂浜では盆踊りのためのやぐらが組まれていた。そうえいば今日は盆入りだった。


海が生活に密着した街。人もまばらな砂浜の祭り会場。。
2000.8/13     多伎付近  EOS55  75-300mm

その日は近くの「多伎いちじく温泉」という、名産のいちじくが湯舟に浮かぶ不気味な温泉で汗を流した後、2駅先の波根で駅寝。

2000,8/14

朝起きだして近くの大田市、静間付近で次から次にやってくる国鉄色たちを撮影。



屋根上に背負っている黒い物体はラジエーターのフィン。500馬力という高出力機関ゆえの機能美。
2000.8/14   山陰本線  静間〜大田市  EOS55  75-300mm

 さて本日はこの旅最大のイベントが控えている。特急「おき」の盆による多客輸送、5両増結!自然と気合が入る。昨日軽く下見しておいた多伎海岸のお立ち台へ。栗林の中には30人ほどの、181の魅力に取り付かれた輩が待機していた。






まさに白砂青松。通常3両が5両に大サービス!奥に見えるは島根半島。
2000.8/14   山陰本線  小田〜田儀  EOS55  75-300mm






新しいスラブ軌道になっている。これが181が山陰を去った要因「安来益田高速化事業」
2000.8/14   山陰本線  小田〜田儀  EOS55  28-105mm



立ち上がる紫煙と陽炎。故障か!? 否、キハ181のみなぎるパワーの象徴。ブーンという独特のタービン音が周囲を圧倒する。とてつもない存在感!
2000.8/14   山陰本線  大田市  EOS55  75-300mm



急カーブ、急勾配の連続する山陰本線も、持ち前の健脚で余裕で克服していく姿に惚れた・・。
2000.8/14   山陰本線  田儀〜波根  EOS55  75-300mm



西陽を浴びて黄金に輝くタラコキハ40。熱かった一日が終わる。
2000.8/14   山陰本線  馬路  EOS55  28-105mm



日没後「くにびき」と「おき」が交換。運ちゃんも休息タイム。
2000.8/14   山陰本線  馬路  EOS55  28-105mm

 馬路で2時間ほど撮影を楽しんだ後、日没後の国道を東へ。出雲市、米子市を抜けて神の国に別れを告げた。今夜の宿は山陰本線御来屋駅。昔ながらの重厚な駅舎に包まれ夜を明かした。


2000,8/15

 米子〜鳥取は海岸線からやや離れ、また平野部をほぼ直線で横断するため、フォトジェニックな場所は期待できない。移動兼撮影を繰返しながら有名撮影地へ。寝特「出雲」を撮影後、今日のメイン、国鉄色「はまかぜ」を撮影に行く。当時すでに京都のキハ181はほぼアーバン色に換装されていたが、多客臨のはまかぜ81号、82号は後藤車両所(現、米子)より車両を借り入れ大阪発着の臨時はまかぜとして運転していた。ここも山陰西部と変わらず紺碧の日本海がバックに広がってい
た。



最後の国鉄色デデゴイ牽引客レ。これから6年後にこの「出雲」は引退する。
2000.8/15   山陰本線  泊〜松崎  EOS55  75-300mm



臨時はまかぜ(送込み回送)が一瞬の疾となって駆け抜けた。
2000.8/15   山陰本線  東浜〜居組  EOS55  75-300mm



浜坂で追い抜き日本海を一望する鎧駅で。
2000.8/15   山陰本線  鎧  EOS55  75-300mm

 確かこのシーズンは、どこぞの車両所で絵入りヘッドマークが心無い輩によって盗難されたとかで、急遽、国鉄時代を髣髴させる文字HMが復活した。趣味人にとっては嬉しいことだが、なんとも皮肉な産物になってしまった。海沿いに豊岡、天橋立、舞鶴を経由して明日の撮影地、新疋田で駅寝。有名撮影地らしく、無人駅舎内には撮影地ガイドや寄贈された写真が多数展示されており明日の撮影の参考にしよう。

2000,8/16



ボンネットマンセー! ヨンパァー格好良すぎます。まずは金沢のサザエボン。
2000.8/16   北陸本線  新疋田〜敦賀  EOS55  75-300mm



敦賀ループに駆け上がる京都の485。ボンは現在も現役だか雷鳥HMは過去のものに。
2000.8/16   北陸本線  新疋田〜敦賀  EOS55  75-300mm



夕陽がきれいだとバイクを入れて撮りたくなるのはなぜだろう?今も昔もやってることは同じ。
2000.8/16   越前海岸付近  EOS55  75-300mm

疋田での撮影を終え、越前海岸で日没を見、明日の目的地まで時間が無いので北陸道に乗り倶利伽羅へ。とても蒸し暑くなかなか寝付くことができなかった。

2000,8/17


今日もボンが元気だ。かつての難所を高速でクリアする名古屋行き「しらさぎ」
2000.8/17   北陸本線   石動〜倶利伽羅  EOS55  75-300mm



遥かなる青森はまだまだ先。「白鳥」の旅はまだ前半戦。
2000.8/17   北陸本線   青海〜親不知  EOS55  28-105mm

初めての倶利伽羅撮影に充分満足し、日本海に沿って新潟へ。明日のボンネットはくたか撮影のために十日町へ。町営の健康ランドで休憩をしながら時を過ごしていると、友人から呑みの誘いの電話が。「おぉ〜行く行く!」などと軽く返事をしてしまい、また1週間の野宿生活も疲れたので、呑み会に参加するため関越道で帰還した。