JR東海の、残存国鉄色を巡る旅
1999,4/29
 今では各地で注目される、復活国鉄色。しかしその復活前夜の20世紀終わり頃には、国鉄色といえば本当の国鉄時代に誕生した車両が登場当時の塗装を纏い細々と活躍を続けている一方、地域に根差したという謳い文句のオリジナル色=「地域カラー」に塗り替えが進行しており、残存国鉄色はもはや貴重な存在であった。そこで活躍末期の国鉄色を巡ろうと、2泊程度で気軽に行けるJR東海管内に向かった。
 まずは関ヶ原を目指す。もちろんターゲットはボンネット車を使用した特急「しらさぎ」。その年の冬に初めてボン目当てで初めてこの地を訪問したのだが、徒歩移動と悪天候のため収穫はほぼゼロに近かった。今回は言わばリベンジ。「しらさぎ」の運用表を手に入れ、現地の地形を入念に頭にたたきこんできた。というわけで陽も落ち暗くなった東名高速を西へ急ぐ。今日はどこまで走ろうかなどは全く決めておらず、疲労を感じたらそこで休もうと、スロットルを開け続けた。意外と疲労も眠気も感じず、目的地のすぐ手前まで来てしまった。こんな真夜中にインターを降りても、朝方まで時間を持て余すのは避けたかったので、目的地、関ヶ原ICの1つ手前の養老SAで仮眠を取ることにした。4月とはいえ、深夜の高速を長距離走ってきたにも拘らず、寒さを感じなかったで、PAの屋外で星空を見上げながら一眠りした。やがてネイキッドやアメリカンに跨ったマスツーの軍団がやって来て、自分と同じように屋外のベンチで野宿しようとしていた。ちょっと仲良くなり少しバイクトークで盛り上がり就寝。
 目覚めると翌朝は快晴! テンション上がる! すぐに関ヶ原ICを降りて撮影地に向かう。この頃の金沢485は、両端ボンの他に、片方だけボン、さらに両頭高運転台という編成が共通で使用されていたので、ボンネット撮影は運次第。今年の冬に来た際にはかなりの確立でボンが使用されていたため、この界隈で数本の「しらさぎ」を観察すれば、運用表も手に入れているので、ある程度狙ってボンネットを撮影することができる。



直前まで何が来るか分からないトンネル飛び出し。1発目は貫通型485でした。運用表に記入
1999.4/29    東海道本線   柏原〜関ヶ原   EOS55  75-300mm


 トンネル飛び出しで下り撮影後、間もなくやってくる名古屋行き「しらさぎ」を撮るべく、有名な伊吹山バックのポイントへ。やや雲が多くなってきたが、かろうじて線路に陽は当たっている。仰角で構えていると、やがて線路の向こうからオデコのヘッドライトが姿を現した。「来たっ!!ボンネット!!」


伊吹山に見守られ、華麗にカーブを駆け抜けるボン「しらさぎ」
1999.4/29    東海道本線   柏原〜近江長岡  EOS55  75-300mm


 すぐに運用表に書き込み。名古屋で折り返してくる時間が分かったので、その列車を撮るためにロケハンを開始した。線路沿いの農道を走っていると、満開の菜の花の傍らで家族総出で田植えをしている光景に出会った。そのバックの山の斜面には咲き遅れたのか、満開の桜の木が一本。ここをバックに美しいボンネットが通過する場面を想像すると、もう次のポイントはここ以外には考えられなかった。返しの撮影場所は決まった。あとはボン通過までこの家族が作業していてくれることを願うのみ。しかし願ったのが仇になったのか、ボン通過時には、おっさんが農薬散布をし始めて白い粉を撒き散らしている場面になってしまった。


粉撒くおっさん一人。でも新緑が目映い。水温む春。田んぼに再び生気がよみがえる。
1999.4/29    東海道本線   柏原〜近江長岡  EOS55  75-300mm


 やはりボンネット使用列車はかなり多く、撮影と移動が忙しい。陽炎がユラユラ立ち上る直線で300mmに付け替え待っていると、後方の新幹線の築堤を、今は無き東海道新幹線0系が走り抜けた。



不意打ちを喰らわせられ慌てて撮った0系。0系の東海道はこの翌年に引退。そしてついに2008年、山陽からも撤退し、形式消滅になる。
1999.4/29    東海道新幹線    米原〜岐阜羽島    EOS55  75-300mm


陽炎の向こうから、ボンネット「しらさぎ」が堂々の登場。カッコ良さに鳥肌が立ったのを覚えている。
1999.4/29    東海道本線   柏原〜近江長岡  EOS55  100-300mm



続々とやって来る国鉄色。現代これだけボンネットが走っていたら当然のようにパニるだろうが、この日、テツは一人も会わなかった。
1999.4/29    東海道本線   柏原〜近江長岡  EOS55  75-300mm



そろそろ陽が傾いてきた。一応記念に電気釜でも、と撮っておく。
1999.4/29    東海道本線   柏原〜近江長岡  EOS55  75-300mm



タキタキタキ・・・トラトラトラ・・タキタキ。当時はこんな貨物も頻繁に見ることができた。
1999.4/29    東海道本線   柏原〜近江長岡  EOS55  28-105mm

 天気もよく、収穫も多く、ホクホクしながら関ヶ原を後にする。明日の撮影地は紀勢本線の非電化区間に残った伊勢運輸区のキハ58国鉄色!この訪問の年の秋の改正でキハ58が置き換えということを知っていたので、最後の記念に訪れた。津市内へ出て、後は国道42号で南下。津市外れのファミレスで夕飯を食べ、トラック軍団に挟まれるようにしてサミットに近い伊勢柏崎が今夜の寝床。到着するとすでに終列車は行っており、前日も仮眠程度だったので、すぐに寝袋を敷いて横になった。
 



1999,4/30

 伊勢柏崎で寝たのは訳があった。紀勢本線早朝を下る、DD51重連の貨物1853レの撮影。紀勢本線屈指の名撮影地といわれる柏崎のSカーブで、この貨物を撮影するには夏至の前後の、日が長い時期にしか撮影できない。4月末は陽の当たりがどうかと思ったが、撮影地に着いてみると、まだ通過30分前だというのに10名以上のテツが準備していた。まだ陽が翳っているのに、これほどの人数が集まるということは、列車通過時にはきっと大丈夫なのだろう。みんな余裕で撮影位置についているので、皆さんに任せてみたら、なるほど、通過10分前には背後の山の頂から太陽が姿を現した。みんなよく知ってるのね〜と関心するうちに、深山のかなたから轟々としたエクゾーストノートが近づいてきた。



1999.4/30    紀勢本線  伊勢柏崎〜大内山  EOS55  75-300mm



OH!YES!!  レリーズを切る指先が震えた瞬間! ドンピシャにSカーブを行くDD51重連と「ヨ」を捕らえることができた。
1999.4/30    紀勢本線  伊勢柏崎〜阿曽  EOS55  75-300mm



先ほどの1853レと大内山(?)で交換してくる亀山行き朝の5連。今日は国鉄色率4/5だった。ビバ水鏡!
1999.4/30    紀勢本線  伊勢柏崎〜阿曽  EOS55  28-105mm

 もぉー朝からテンション上がりまくり。バイクを北へ南へ走らせながら、親潮流れる太平洋をバックに波田須に行ったり、荷坂峠の山道を登ったりして1日中遊びまくった。こんな楽しい撮影はめったに無い。今日を存分に楽しもうと後悔しないようフイルムと8mmテープに焼き付けていった。



雑誌の撮影地ガイドに掲載されていた奇岩の連なる渓谷沿いを行く普通列車。キャンプ場の裏ということは覚えているが場所は忘れてしまった。
1999.4/30    紀勢本線  撮影地不明  EOS55  28-105mm



魅惑の撮影地、荷坂峠。雄大な俯瞰スポットの連続するこの区間も、当時の自分の経験と感では、この写真の程度が限界だった。
1999.4/30    紀勢本線  紀伊長島〜梅ヶ谷  EOS55  28-105mm



荒々しいリアス式海岸に突如として出現する白浜。夏は海水浴で賑わう新鹿(あたしか)海岸。
1999.4/30    紀勢本線  新鹿〜二木島  EOS55  75-300mm



1992年キハ82撮影でも訪れた波田須海岸。いかにも暖流!と言わんばかりの碧い熊野灘が、いと美し。
1999.4/30    紀勢本線  波田須〜新鹿  EOS55  75-300mm



駅から見えた山に登って俯瞰をしようと、がむしゃらに竹林を四つ足で登ったが遭難。やって来た普通も東海色が先頭。惨敗。
1999.4/30    紀勢本線  新鹿〜二木島  EOS55  28-105mm


一日中紺碧の太平洋を見ながら国鉄色気動車を撮影して大満足だった。新鹿で最後の撮影をし、北上して帰ることにしよう。明日も時間があるのでのんびり一般道を走って、眠くなったらどこかで寝ようと軽い気持ちで国道42号を走った。尾鷲の国道沿いのコンビニで夕飯の弁当を買い、そのコンビニの前のベンチで食いながら、今日の朝のことを思い出した。朝イチの貨物のことで、線路上にポツンと陰影を作る1本の木の陰が、ちょうど本務機に差し掛かった頃にシャッターを切ったような覚えが気になりだして止まらなくなっていた。結果は本ページの写真のように、ギリギリで影をかわしているが、当時は今のようなデジカメのようにプレビューを確認しすることが出来なかったので、後日現像から上がってきた写真を見て、「なんじゃこりゃー!!」と後悔の雄叫びをあげることしばしだった。当時でも充分貴重とも言えるDD51原色貨物を失敗作として終わらせたくなかった。そこで翌朝、もう一度同じ撮影地、同じ列車を狙うことにし、また1泊、駅寝をすることに決めた。



1999,5/1

 昨日寝た伊勢柏崎の隣駅、大内山で夜を明かす。寝袋を片付け昨日と同じ時間にあの撮影地に着いた。今日も昨日とかわらないほどの人出だ。やがて通過時間が迫り、山峡の遥かかなたから4000馬力の唸りが聞こえたが、なかなかその音は大きくならない。15分ほどして赤い2両のディーディーがゆっくりとSカーブに差し掛かった。結果はご覧の通り。エェ━━━━(´Д`υ)━━━━・・・・・合掌。


オレ何してんだか・・昨日より陽短くなってないっすか!?
1999.5/1    紀勢本線  伊勢柏崎〜阿曽  EOS55  100-300mm

 その後、朝の普通列車を何本か撮影していると、先頭の名古屋方に東海色、新宮方に国鉄色の2両の普通がやって来た。運用を調べると、この列車は多気で参宮線に入る。ということは参宮線内では国鉄色が先頭になる。すでに参宮線はキハ11がすでにメインで頑張っていたので、有名ポイントで国鉄色先頭を撮ろう。バイクを飛ばし普通を追い抜き、伊勢道を使ってショートカット。ここならすぐに鳥羽行きのフェリーが出ているので帰り道にはちょうどいい。到着するとすぐに海バックのポイントを探し三脚を立てた。



朝の斜陽の中を行く下り普通列車。これが紀勢本線の国鉄色を収めた最後の写真になった。
1999.5/1    紀勢本線  伊勢柏崎〜阿曽  EOS55  28-105mm



穏やかな内海の英虞湾。1日数本しか運用が無かった参宮線を行くキハ58+28
1999.5/1    参宮線  池の浦シーサイド〜鳥羽  EOS55  75-300mm

 程近い鳥羽港からフェリーに乗り伊勢湾を横断。まだ午前中だったので高速には乗らず、のんびり下道の国道1号を東進して収穫の多かった今回の撮影ツーリングは幕を閉じた。