1998年  復活した田浦専用線に通っていました。

1998.3月頃

 今や多くの人に鉄道トワイライトゾーンとして名高い横須賀線田浦駅から伸びる臨港線。名物の道路併用トンネル内でのスイッチバックや平面クロスポイントなど、趣味的には多くの魅惑の物件で訪問者を飽きさせることは無く、そのスジの人にはあまりにも有名だ。長浦港一帯に張り巡らされた線路跡。今でもその線路跡は数多く残っており、巷で静かなブームの廃線探索に持って来いで首都圏に近いことから多くの人がここを訪れている。当サイトでも「徒然写真館」で以前公開している。

 そんな田浦専用線。廃止となったのは1984年とされているが、間もなく21世紀となった1996年頃、突如として一時的に復活したことがあった。それは田浦駅から伸びる本線と言うべき米軍基地に向かう線路。確か記憶ではこの時期、県内の厚木基地に発着する米軍機が増加したため、棄てられていたこの路線を復活させ、航空燃料の輸送に利用するというものだった。廃止された貨物専用線が復活! 時代に逆行するかのようなこの出来事に興奮を抑えることが出来ず、何としてでもこの専用線を往く列車を撮影してみたい欲求に駆られ、張り込みを開始することにした。しかしそれにしても情報があまりにも少なすぎた。どうも不定期で一週間のうち1日、または2日程度の運転であるらしく、時刻も当然分からない。なので平日休みの日を利用して、例の平面クロス付近で張り込みをすることにした。張り込みの度に駅に立ち寄り構内の留置線を覗くと、タキ数両の位置が前回と変わっていたり、あるいは編成丸ごといなくなっていたりして、専用線が生きていることは確かだったが、動く映像を見ることは適わなかった。張り込みも何日経っただろうか。いつも自分と同じようにカメラを持ち、来るかどうかわからないその列車を待っている人と知り合いになった。当然彼も運転日時なんて知る由も無いだろうからお互いに情報交換をしていると、基地内から田浦駅までの列車の運転時刻はかなりランダムで、特定できないとのこと。しかし田浦から横須賀線へ発送する時刻は午後の15時頃(だったと思う)。そのまま大船から東海道貨物線に乗り入れて鶴見でマルヨ。翌日茅ヶ崎まで赴き、相模線で厚木まで北上し、相鉄線の厚木支線から本線に入り、相模大塚で厚木基地専用線へ向かうとの情報を得ることが出来た。それから何日も、田浦に通い詰める日が始まったが、結局専用線を往くタキ編成に遭遇することは出来ず、空車を送り込んだ後の機関車や、往復単機のEF65を撮るだけに終わり、いつしかこの張り込みもやめてしまった。




田浦駅に到着したお迎え単機。迎えるはずのタキの姿は無かった。
1998.3月頃   横須賀線   田浦   EOS55  24-85mm




当時現役だった113系。EF65は積荷のないまま前照灯が点いてしまった。空荷決定の瞬間。
1998.3月頃   横須賀線   田浦   EOS55  75-300mm




今日は原色PF型が下って行く。
1998.3月頃   横須賀線   東逗子〜田浦   EOS55  24-85mm




やっぱり今日も空荷。田浦駅を後にする。
1998.3月頃   横須賀線   田浦〜東逗子   EOS55  24-85mm

 今日は2日連続で田浦駅を訪れることができた。すると昨日まで構内に留置されていたタキの編成は丸ごと姿を消していた。昨日の張り込みはなぜか早めに切り上げているので、自分が去った後、いつものようにEF65が迎えに来てタキを引っ張って鶴見に向かったようだ。惜しいことをしたものだ。しかし鶴見でマルヨした後、今日相模線に入るはず。時計を見ると、今からでも急げば相模線内の走行に間に合ってしまうことが分かった。そうとなれば緊急発進。逗葉新道を抜け海沿いの国道134号を茅ヶ崎へ。ようやく時間ギリギリで間に合ったのは北茅ヶ崎駅だった。本当は相模大塚からの米軍引込線で相鉄のEDが牽くタンカー列車を撮りたかったが、時間切れである。聞いていた時刻数分前に到着するとすでにディーゼル機関車がホームを通過しているところだった。






相模線史上最後の貨物列車になってしまった米タン。希少なDE11が北茅ヶ崎駅を通過していった
1998.3月頃   相模線  北茅ヶ崎   EOS55  75-300mm

 結局、何日にも渡る田浦張り込みも成果はなく、こうしてJR本線上を行く貨物列車、ないしは単機を撮影しただけに終わった。運転本数、運転時刻、そして頻度と謎のままであった田浦発送の米タン貨物は、この撮影の数年後ひっそりとその役目を終えたのだった。