ある横浜の臨港線。どうなるどうする? 「国際埠頭専用線」

1994.6月頃

 以前にも紹介した横浜の臨港線の一つである神奈川区の新興線に通い詰めていたころ、もう一つ港湾地区に残る現役の専用線があった。「国際埠頭専用線」である。川崎地区と横浜地区にそれぞれ営業路線を持つ、神奈川臨海鉄道本牧線の横浜本牧駅(旧:本牧操駅)から分岐し、国際埠頭までを結ぶ専用線だ。自身周辺は何度か通ったことはあり、現役の線路であることは知っていたが、どんな列車がやって来るのか興味が沸いたものの、当時この手の情報は乏しく、調査のためとりあえず現地に向かってみることにした。すると到着してすぐ、工場入口前を横切る専用線の踏切に、列車通過時刻を表記した看板を発見。どうやら1日3往復設定されているようだ。かつての高島線の踏切にも同様の貨物通過時刻が掲出されており、これは自分のようなマニア向けではなく、警備などの安全上の理由であることは明らかだ。さてその時刻を見ると、あと数十分後にやって来るらしい。カメラは持っていなかったが早速見物していこう。しかしその時刻になっても列車は姿を見せず、1時間ほどさらに待ってみたが夕暮れを迎えてしまった。やはり貨物列車であるので荷の状況によってウヤだったりあるんだろうか。何日か後、前回狙った夕方の便ではなく11時台の便に時間を合わせてカメラを持って再訪問した。ひとまず横浜本牧駅の専用線分岐部に行ってみると、いつもは閉まっている構内入り口の線路上の柵が開いていた。今日の運転は確実。早速先回りをして待ち構えることにした。





 無事列車はやって来てくれたものの、大型トラックと仲良くランデブーしており、編成の姿を最後まで収めることができなかった。ところでこの線路の奥に続くグリーンベルトは現在首都高の橋脚が建ち並んでいる場所である。列車を見送り、いよいよ目的地である国際埠頭まで行って入替の様子を見て見よう。すでに列車は到着しており、構内への搬入が行われようとしていた。





 現在は南本牧大橋付近で立ち入り禁止となっているが、当時はこの事業所の正門前まで入ることができた。構内に入場するためにしばらく待機する編成。貨車は無蓋車のトラ。ばら積みではなく、なんだか容器のようなものにシートがかけられている。この時は知らなかったが、この路線の輸送品は塩。食塩ではなく工業用の塩とのことだ。国際埠頭株式会社は主に船舶の荷役を行う物流会社であり、ここで陸揚げされた工業塩を貨車に積み替え、荷主である群馬県にある渋川の工場へと運ばれていったそうだ。

 入替の一部始終を見学していたが、曖昧な記憶からになるが列車が到着後、そのまま機関車が空車である貨車を牽引して構内へ。場内奥の方で機回しをし、前日に送り込まれ積み荷の乗った編成を引き出し、そのまま横浜本牧駅に向けて出発。取り残された空車の編成は、どこからかやって来たスイッチャーが押し込んで、作業は終了となっていたように思う。冒頭にあった踏切前に掲示された通過時刻表には1994年当時3往復ほど表記されていたが、朝イチと最終は運転されておらず、確か1日1往復、日中の便だけだった。

 さて、場内奥の様子も見て見たいので写真右の堤防によじ登ってみた。目の前の正門の守衛の視線が熱く、カメラを向けたら怒鳴れそうな雰囲気だったが、幸いそれは無かったものの、自分一人に対して厳重警戒を敷いているのが痛いほど分かった。



 守衛と目を合わせないように撮った一枚。この時左側は東京湾が広がっていたが、現在は南本牧埠頭が完成し、幅約100mの水路になっている。21世紀になって完成した南本牧埠頭は従来の設備では不可能だった超大型コンテナ船の接岸も対応できる巨大な埠頭で、この撮影時には建設中の埠頭へ渡る橋を、ひっきりなしにダンプが埋め立て資材を運び入れていた。やがて積み荷の載った編成は、ゆっくりと横浜本牧駅へ帰っていくと、すぐに専用線ではおなじみのアイツがどこからか現れた。



 2軸のディーゼルのスイッチャーが登場。正面の銘板にはKSK、つまり今は亡き汽車會社製の一台ということだ。小さな車体で10両のトラを構内へ押し込み、本日の作業は終了した。

 この日の撮影後、この国際埠頭へは何度か動いている列車を見物しに行ったが、なぜか記録には残しておらず、この撮影から11年後の2005年に役目を終えて休止となっている。その後しばらくは路盤や線路は放置されていたのだが、2013年、首都高南本牧ランプがこの専用線の前半部、約1kmの区間のほぼ直上に建設されることになり、工事のため線路跡は撤去された。やがて連続する首都高の橋脚群が姿を現し、2017年、首都高速湾岸線「南本牧ふ頭出入口」が供用を開始する。

 その南本牧ふ頭供用の翌年である2018年、小中学校時代の友達で、当HPの想い出写真館でたびたび登場してくれたT君から、突然20数年以上ぶりにフェイスブック経由でDMが来た。それぞれ通った高校は別だったが交流は続け、卒業後自然と連絡が途絶えていたので、懐かしさと嬉しさと驚きで何とも言えない感情になった。しかし驚愕したのは突然の旧友からの連絡だけではなく、その彼からのメッセージの内容だった。

「国際埠頭の線路が復活してるよ」

 どういうことだ!? 首都高建設のために線路跡が撤去されたのは知っている。復活? 貨物列車を運行再開する目的で大部分撤去された線路を敷き直したということか!? 当時まだ転勤で北陸地方のとある県に住んでいたので、すぐに現地に向かうことができないためネットで猛検索するも、敷設工事直後だからなのか全くヒットしない。貨物専用線が廃線→撤去→復活なんてことが事実ならば、ニュースとか記事にもなりそうな前代未聞の珍事なのに一切そのような情報は無く、頭は混乱するばかり。ていうかなぜ20数年ぶりに送られて来たDMがこの内容?と最初は思ったが、多分T君も混乱して、かつてこの専用線に旧友の私と現役時代に訪問した時のことを思い出して送ってくれたのかもしれない。


2023年とある秋の某日

 転勤が終わり首都圏へ戻って来てから数年。何度か復活した国際埠頭専用線の跡を見物しに行ったことはあったが、今回、この記事を執筆するにあたり、現在の姿もお伝えしようと考え現地に撮影目的で訪問することにした。前代希に見る酷暑続きの夏がようやく終わり、日中命の危険を感じるほどでなくなったある日、いつもとは趣向を変えて公共交通機関で向かおう。まずは出発前の腹ごしらえ。学生時代から通っていて、メチャクチャ旨いと言う訳ではないが、不思議と半年に一回くらい食べたくなる坂東橋の地獄ラーメンへ。同じ料金で辛さを調節でき、かつ2玉の特盛まで可能というありがたいシステムも昔ながらだ。特盛はさすがにおっさんには無理なので1.5玉を辛さ上級でオーダー。



 やっぱり旨かった。すぐに市街中心部へ向かい、ちょうどやって来た市営バスに乗車。しばらく揺られ、埠頭施設と元公団住宅が建ち並ぶ港湾地区の一画でバスを下車した。ここは片側3車線づつの大幹線道路。ひっきりなしに海上コンテナを載せたトレーラーなどの大型車が行き交う大通りを一本の線路が横断している。神奈川臨海鉄道本牧線の終端、「本牧埠頭駅」直前の踏切だ。やがて時間。警報機が鳴り始め踏切信号が赤に変わり、コキを率いたディーゼル機関車は、遮断桿がないことから踏切を渡る間、ずっと警笛を吹鳴させながら超低速で、計6車線に停滞させられた大量の大型車の前を、悠々と横断し本牧埠頭駅に入って行った。



 列車が通過すると信号踏切は青に変わり、足止めを喰らっていた大勢のトレーラーたちが一斉に動き出した。構内を覗くとすぐに機関車が切り離され、機回し線を通って停止位置でスタンバイ。単機で横浜本牧駅へ帰るようだ。



 実はここを通る列車を見るのは初めてだったので少し感動。ここから歩いて15分ほどにある本日の本当の目的地、国際埠頭専用線の起点でもある横浜本牧駅へ向かった。



←クリックすると別ウィンドで撮影場所を追記した地図が開きます

 たった今ダウンロードした最新の国土地理院地形図である。赤線は追記したものだが、専用線後半部分は今でもまるで現役路線のような実線で示されており、マピオンなど他の地図サイトでもこの路線が表示されているものがほとんどだ。後述するがこれには理由がある。そんな訳で先ほどの踏切から歩いて10分くらいで、広大な横浜本牧駅が見えてきた。

地点@



 横浜本牧駅構内から国際埠頭方面を望む。左奥に向かう専用線のゼロキロポストがある。中央の機関庫には神奈川臨海鉄道が保有する静態保存のC56139が保存されているとのこと。引退から約50年。歴史的価値は非常に高いが非公開。後世の方に意義のある有用な活用を期待したい。



 構内を振り返りいよいよ専用線へ突入。現役当時このゲートの開閉で運転があるかどうかを判断していた。

地点A



 構内を出ると横浜本牧駅の駅舎を横目に、市道を斜めに横断する。首都高建設時は、この線路も完全に撤去されていたので、完璧に敷設し直したものである。このような引き込み線的な道路横断踏切は、その多くが運行頻度の少なさから警報機や遮断桿が設置されておらず、列車の運行に合わせて係員が体を張って交通を遮断するのが一般的だった。多分ここもそうだったのだろう。

 道路を渡って反対側から横浜本牧駅方を振り返る。右手前の線路のバラストは角が取れて丸っこかったので、ここは廃止当時のままなのかもしれない。

地点B



 三菱重工正門前の踏切。「使用中止」とあるが20年近く経っても撤去されないのは理由があるのか。他の箇所でも場内信号機や中継信号機なんかもそのままであったりする。

地点C



 沿線唯一と思われる水路を跨ぐプレートガーター橋。この橋の袂には同じ三菱重工の別工場の入口がある。

地点D



 いよいよ始まる左カーブ。先ほどの鉄橋付近から、ご覧のように真新しいバラストと重厚な軌道が出現し、また高架橋の真下ということもあり、件の高架橋建設による軌道撤去→復活したと思われる区間に入る。

地点E



 カーブを終えるとまっすぐに貫く約400mの直線区間。この付近も工事の影響で一旦更地にされた区間だが、何kgレールかとかは詳しくないがかなり立派な軌道が蘇っており、ぱっと見亜幹線クラスと言っても遜色はない。継板や軌道回路を形成させるためのレールボンドも全線に渡ってしっかりと施工され、なんちゃって感はまるで無い。



 ついに1キロポストまで登場。元からあったのを引っこ抜いて再利用したのか、新規に作り直したかは不明だが、新品のようにも見える。

地点F




(別日に撮影)

 新規開業路線のような区間が終わり、従来の路線跡へ。冒頭の現役時代の走行写真はこの地点からの撮影である。




(別日に撮影)

 終端方を振り返るとここから追跡不能区間に突入。線路跡はバリケードで封じられ、駐車車両や台切りされたトレーラーが元踏切の上に放置されている。

地点G




(別日に撮影)



 南本牧大橋の下。中央奥の藪から線路が顔を出し追跡可能に。ここにも警報機付きの第三種踏切が残っている。



 同じ地点から振り返って終端部の国際埠頭方面。かつては構内近くまで立ち入れたが、ゲートは開いているが、この先進入禁止の警告看板と、監視カメラなどが目を光らせ、これ以上進むことはできない。


 というわけで一部を除いてほぼ全線を追ってみたが、踏切や信号などの一部構造物さえ修繕すれば、軌道は全て繋がっているように見え、運転復活は充分可能なようだ。ではなぜわざわざ廃止され撤去までされた線路を復活させたのか。

実はこの専用線、「廃止」ではなく正しくは「休止中」ということだ。

 休止線と聞くと、一般的に営業を取りやめた路線を一時的に放置し、復活させるのかこのまま廃止とするか猶予期間を与える措置との認識だと思う。しばし収支の悪化や災害などで営業を休止とする場合はあり、その多くは復活させることを断念し、そのまま正式に廃止となるケースがほとんどだ。しかしこの専用線は最後の運用から18年経った現在でも休止は続いている。そこには先にも述べた世界最大級のコンテナ船の着岸を可能にし、国内最大級の荷役施設を持つ南本牧埠頭の運用開始が関係ある。まさに「港・横浜」の復権をかけた一大プロジェクトであるが、その陸上輸送の手段の一つとして候補に挙がっているのが、この専用線の活用だという。休止当時と比べ、ご存知の通りトラックドライバー不足、労働問題、持続可能な環境への配慮など社会情勢の変化が急速に進み、モーダルシフトが近年ますます提唱されるようになってきた。事実、近年に港湾局がこの専用線に貨物駅の設置を検討していたり、市議会でも同様の審議がされた記録があるが、その後どうなったのか、結論は出ていないようだ。そして現在でも国際埠頭株式会社のホームページにはこの専用線の内容が触れられており、これまた嬉しいお知らせだ。



!!!


もし復活が実現すれば相当に・・


熱い!

 本牧線では現在細々と2往復のコンテナ列車が運転されているだけなので、ハード面から言えばあの立派な軌道からも、南本牧埠頭発の貨物をドカドカ輸送する線路容量はあるはず。本牧線では海コンの取扱実績もあることだし、大量輸送と全国ネットワークという鉄道の強みを活かせれば、労働・環境問題も一挙に解決!!・・・とは行かないのであろう。コストとか手間とか、いろいろあるはずだ。でもせっかくある物は使い倒して欲しい。そう願った、初秋の一日でした。