平塚油槽所の専用線

1994年初夏


 東海道本線下り列車は茅ヶ崎を過ぎると相模川を渡る。県内を縦に貫く神奈川県最大のシンボル的河川だ。この相模川橋梁を渡り終えるとすぐ、下を直交に交差する単線非電化の線路が車窓から一瞬見える。なんかの引き込み線なんだろう。昔から気になってはいたが、実際にここを訪れたのは1994年初夏のことだった。地図を見ると平塚駅東の外れから東海道本線南側より分岐して90度直角に曲がって北にルートを取り、東海道本線、国道一号線をくぐって相模川堤防の外側をしばらくすすむと、タンク施設のある平塚油槽所というところで行き止まりになっていた。距離にして1kmちょっとというところだろう。実際にここを列車が走っているのを見たことはなく、果たして現役なのか廃線になっているのか、調べたくても情報はなく、現地に行って確認することにした。

 ある日の夕方、原チャリで平塚に行ってみる。線路に近付くと、錆は少々剥けており、定期的に何らかの列車がここを往来していることが分かった。線路をたどると川沿いの堤防外側の草地に線路は敷かれており、その草地と軌道は簡単な杭で仕切られている程度に過ぎない。まるで遊園地のおとぎ列車だ。終端を求めて移動すると、丸い石油タンクが何基かある油槽所に着いた。線路が3本に分かれてタキが数両止まっている。ここが終着らしい。近くの家庭菜園で農作業をしているおばちゃんに尋ねてみた。「あぁー走ってるよ。午後2時くらいかねー、貨物列車が時々通っているよ」とのこと。今日はこれから貨物は来るかどうか分からないが、おばちゃんの情報からすると本日の運転は終了のようだ。とりあえず大体の時刻が分かったので、日を改めて訪問してみることにした。

 何日か過ぎ、また平塚の専用線にいた。13時前に到着し河原の堤防で弁当を喰いながら列車を待つ。線路終端のヤードは静まり返っており、動きは全くなさそうだ。しかし前回来た時と違って留置されているタキの場所が変わっていた。この線路は生きている! 結局この日も夕方まで張り込んでいたが貨物列車は来ず、諦めて帰途についた。

 さらに数日過ぎた。前回より少し早く正午頃到着。河原の駐車場に通じる遮断機も警報機もない踏切で時を過ごしていると、14時頃、ヘルメットに作業着を着たおっちゃんがどこからともなくママチャリに乗って現れた。踏切近くにチャリを停め手旗を持って踏切で仁王立ちに構えた。恐る恐る貨物列車のことを聞いてみると、もうすぐやって来るとのこと。毎日ではないが、だいたい月・水・金くらいで14:30頃に一往復運転されるらしい。おっと、こうしちゃいられない。ヤードを望む堤防に駆け上がってカメラを構えると、ジョイント音がゆっくり近づいてきた。現れた列車はなんと車掌室を先頭に、タキ、ワムを従えDE11が推進運転でやって来た。車掌室のヨのデッキには前方監視が4人ほど。ヤード入り口で一旦停車すると、短くホイッスルを鳴らして貨車を押し込んだ。すぐに機関車は切り離され、側線に用意されていた別の貨車編成に繋がれ、あっという間に平塚駅の方に帰って行った。



わずか4両しか製造されなかった珍しいDE11 2000番台。機回しができない配線なので推進運転でやって来る。
1994年 平塚油槽所専用線  EOS1000S 35-105mm




組成完了。男たちもデッキに乗り、勇ましく平塚駅を目指す。
1994年 平塚油槽所専用線  EOS1000S 35-105mm




しばらくすると工場所有の入れ替え機が1両づつ入れ替えを行っていた。
1994年 平塚油槽所専用線  EOS1000S 35-105mm


1996.3


 この年のダイヤ改正は大忙しだった。首都圏では鶴見線クモハ12、八高線キハ30、大垣夜行、そして急行「東海」の引退があった。ご多分に漏れず自分もミーハーだったので何度か相模川橋梁で急行東海の撮影をしていた。2往復の「東海」の午後の便である「東海3号」の通過時間が14時前。すぐに徒歩で移動すると、この平塚油槽所専用線の運行時間だった。河原で165系を撮影。すぐに場所を変えると貨物列車が撮影できてしまう。そんな素敵な午後をここで過ごせたのだ。




急行東海3号。廃止フィーバーもあって撮影者は毎日20人ほどいた。
1996.3  東海道本線  茅ヶ崎〜平塚  EOS55 75-300mm









静音型のDE11が専用線を行く。のどかな河原の光景が日々展開していた。
1996.3 平塚油槽所専用線  EOS55 28-105mm


 なんとも牧歌的なこの専用線も1998年頃突然廃止されてしまった。線路が剥がされるとすぐに堤防の工事が行われ、現役時代の面影はあっという間に埋め尽くされ、古き良き時代の光景がまた一つ過去のものになってしまった。