急行「砂丘」タブレット通過授受に魅了されてしまいました。
1992.8/18
 急行「砂丘」との初めての出会いはまどろみの中だった。1990年夏休み、青春18きっぷを2冊使って西日本、九州を巡っていた。連日撮影、移動、野宿を繰り返しクタクタになり、乗ろうと思ったわけでもなく移動手段として夜の因美線の普通列車に乗ってうたた寝をしていた時だ。ある小駅の交換停車で目が覚め、ぼんやり外を眺めていると、対向の気動車が通過する際、ホーム上のタブレット受器が軽やかに回転しているのが見えた。あぁ〜通過授受ってまだあるんだな〜と意識しただけで、再び心地よい眠りに着いた。それ以来、夜の小駅での出来事は忘れ、しばらく経ったある日、ある雑誌で見た因美線のタブレット通過授受の記事を読んで、あの出来事は錯覚ではなかったことが分かり、急速にその列車に興味を持った。急行「砂丘」。岡山と鳥取を結ぶ気動車急行。あまりにも地味な存在だが、急行も衰退の一途をたどる20世紀後半の当時に、日に5往復も設定されグリーン車も連結されていたことから、それなりの重責を担っていることが分かった。そんな急行「砂丘」と出会うために初めて彼の地へ足を運んだのは、出会いから2年後の1992年8月のことである。横浜から日中の東海道線を乗り継ぎ京都からふるさとライナー山陰に乗り米子で下車し鳥取へ。いよいよ因美線に乗換え、適当な交換駅で下車すると用瀬という駅だった。砂丘通過直前に駅員氏がタブレットを携えて登場。授器(さずけき)にゴムバンドでセッティングしホームを移動し受器(うけき)の前に立つ。やがて目の前で展開される光景に胸躍った。



雨の中、運転助手が身を乗り出して受器を見据える。
1992.8/18    因美線 用瀬 EOS630 35-105mm



緊迫の一瞬。ごついプロテクタが通過授受現役を物語る。
1992.8/18    因美線 用瀬 EOS630 35-105mm
 カッコ良すぎる・・。ため息が出た。安全を確保するための地道な作業。そこに光る確かな眼。人と機械と油の百年来の調和。一瞬にして虜になった。そしてもう一駅訪れようと津山行きに乗り込んだ。



那岐駅の下り方授器。お立ち台仕様。車内から。
1992.8/18    因美線 那岐 EOS630 35-105mm


物見峠を挟んだ岡山県側。美作河井にて。授けの瞬間をキャッチ。
1992.8/18    因美線 美作河井 EOS630 100-300mm


因美線のもひとつの魅力は腕木信号機。那岐駅以外のすべての駅にあった(?) 
1992.8/18    因美線 美作河井 EOS630 100-300mm


あまりに暑いので近くの河原で水浴びしているとやって来た砂丘。正調国鉄色。キロハも現役。 
1992.8/18    因美線 美作河井〜和知 EOS630 100-300mm


1994.8

 前回はカメラでのスチル撮影のみだったため、躍動感ある通過授受を動画で残したいと思い再び山陰行きを思い立った。そのころビデオカメラを所有していなかったので、近所のダスキンの店でレンタルの8mmビデオカメラを借り、90ccの原付でひたすら下道で鳥取に向かった。この年は記録的な猛暑で、しかも長い国道1号の連続走行により意識は朦朧としており、また一睡もしておらず走り続け、挙句に京都の綾部で速度超過で捕まり、さらには買ったばかりのヘルメットのサイズが小さすぎて、偏頭痛を起こしながら、体力精神的にもズタボロになって鳥取に着いたのは21時頃だった。横浜を未明に出てからほぼ休憩もせず走り通したので、智頭駅に到着するとそのまま駅舎の軒下のたたきに転がり込み、ボロ雑巾のようにそのまま朝になってしまった。人生で最も辛いグレートジャーニー、い、いや、デスロードだったと思う。翌朝狭い物見峠をバイクで越え美作河井駅で半日以上をグダグダで過ごすと疲労ですでに廃人のようになり、計画をすべてキャンセルして、岡山〜宇高フェリー〜高松〜徳島を経て東京行きフェリーで帰還した。よってほとんど撮影はしていなかった。この頃から全て国鉄色だった運用が、水色と白を基調にした「砂丘色」に塗り替えが進められており、写欲が湧かなかったのも記録が少ない原因だろう。

  ←当時の相棒 LEAD90。そこそこ速くて燃費のいいバイクでした。

   
1994.8  因美線 高野 EOS1000S            1994.8  因美線 美作河井  EOS1000S


ネガを見てもなぜか列車の写真がありません。あまり覚えていませんが・・。 
1994.  因美線 美作河井 EOS1000S  100-300mm



1996.8/13

 因美線訪問4回目。実は昨年の1995年8月、その年の翌月に廃止となる深名線撮影のために8mmビデオを新規に購入した。その8mmのテスト撮影と称して、動画目的のみで因美線を訪れたため、写真は全く撮らなかった。この年も同じく動画での撮影がメインであり、また18きっぷの消化目的での訪問だった。大垣夜行、姫路から姫新線を乗り継ぎ津山へ。前回資金不足で美作加茂までの撮影だった、車内からの通過授受を全区間撮影しようと急行「砂丘」で智頭まで乗り通し、全てのタブレット授受を戴く予定だ。っつーわけで写真は下の一枚のみ。



津山で乗務員が交代するため、運行表を盗み撮り。タマの形がよく判る。
1996,8/13    因美線 津山 EOS1000 35-105mm




 ついに急行「砂丘」の廃止が現実となった。この年12月のダイヤ改正で智頭急行経由で特急「いなば」が新設され、現行よりも30分以上も速く岡山〜鳥取を結ぶようになった。亜幹線規格の因美線、通過授受、旧型の気動車では到底達成することの出来ない陰陽連絡2時間以内という時間の壁。またまた通票扱いによる各駅の駅員配置のコストもバカにならないだろう。当然の成り行きだろうが旧態然とした急行「砂丘」は消え去る運命となってしまった。
 

1997,10/29
 
今回は来年3月で廃止になる「津山・みまさかミニ周遊券」での旅。往復の行程に高速バスや急行列車が使えるという利点がある。東京駅から夜行バスのドリーム大阪に乗車。岡山から乗る予定の急行「砂丘4号」まで時間があったので赤穂線経由で岡山入りした。今回はビデオ、カメラ両方での撮影が目的であったので、三脚を持参。また当然車内からの通過授受も撮影したい。急行「砂丘」の前半の津山線内は自動化されていたので通貨授受はせず津山から乗ってもよかったが、廃止フィーバーで自分と同じ車内撮りがいるものと想定して、起点の岡山から席取りをするためだった。

 岡山から乗車し1時間ほどで津山到着。数分の停車の後、出発。隣の東津山からいよいよ非自動区間の因美線に入る。東津山、高野で通過授受。美作加茂で停車。美作河井、那岐で通過授受。智頭に到着した。
ところでこれからの今日の予定は全く考えていなかったので、キハ58の走行写真を撮ろうと、当てもなくただ闇雲に隣の土師駅を目指して歩きだした。途中適当な撮影地にめぐり合うことなく岡山行き砂丘が通過。智頭から1時間以上歩き土師に到着した。山間部のためすでに陽の落ちたのどかな土師駅を間もなく鳥取行き砂丘が通過するので、駅を見下ろす高台に登って撮影に備えた。




夕方。野焼きの煙が盆地に漂う頃、鳥取行き砂丘が通過していった。
1997.10/29    因美線  土師 EOS55 28-105mm



一体いつから通り過ぎる列車を見送っているんだろう。古い木製のベンチ。

1997.10/29    因美線  土師 EOS55 28-105mm


 このあとやって来た普通列車に乗り津山へ。夕食を買い再び因美線に乗り山間に向かう。目指すは知和駅。今日はここで駅寝する予定だ。数年前この駅で途中下車した時、手入れの行きとどいた古い駅舎であったのと、集落から少し離れたところにあったので快適に過ごせそうだとこの駅を選んだ。ただし初回訪問時、この駅には浮浪者が住み着いており、万一遭遇したら移動できるようにと、今日はわざと最終の一本前で訪問した。この行動は列車移動で駅寝駅を訪問する際、最終で降りたらとても寝られる駅ではなかった場合、例えば衛生さ、先着者がいる、寝られるスペースが無い、駅周辺の環境が悪い等々、エスケープ手段を確保する意味でも忘れてはならない駅寝駅探しのセオリーだ。到着すると幸い先客はいなく、今日はここで落ち着いて寝られそうだ。津山で買った食料を平らげ、寝袋に入って快適に就寝した。


1997,10/30


 翌朝は美作河井で撮影の予定。ただし急行砂丘の通過時間までまだあったので、時間潰しのため一旦通学客の混雑する列車に揺られ津山へ行き、すぐに折り返し美作河井に戻って来た。




朝の美作河井。一番の岡山行きが通過授受。

1997.10/30    因美線  美作河井   EOS55 28-105mm



1997.10/30    因美線  美作河井   EOS55 28-105mm




1997.10/30    因美線  美作河井   EOS55 28-105mm


 午前中の3本を撮影後、普通列車に乗り隣の那岐駅へ。来る列車来る列車をフィルムに焼き付け、静かな峠の駅で半日以上過ごし、駅長さんとも仲良くなり閉塞機扱いなどもビデオに撮らせてくれた。列車が来ない間はホーム待合室で過ごし、往く列車を眺めたり、駅周辺を散歩したりしているうちに腹が減ってきた。この駅周辺の集落では食料を調達するところもないだろうと、静かな集落を歩いていると一軒の雑貨店があった。このような僻地でどのように生計を立てているのか謎な店が当時よくあったりしたもんだが、ここはまさにそのとおり。入ると生活雑貨から缶詰、野菜の種などがホコリをかぶって陳列されていた。カップ麺が売られていたので購入。「お湯と箸くださ〜い」と言うと店の女将さんはわざわざヤカンで湯を沸かしてくれ、奥の間から割り箸を持ってきてくれた。都会のコンビニ気分で利用してしまった自分が妙に恥ずかしく、何度もお礼を言って駅に戻った。駅のベンチでラーメンをすすり、おやつとして買った魚肉ソーセージのビニールを歯でちぎりながらむさぼっていると、時刻は夕方になっていた。そういえば3年前の1992年の夏にこの因美線を訪れた時、同じく寂れきっていた美作河井駅でひもじい思いで時を過ごしていた。食料を求め集落に出ると一軒のお好み焼き屋が営業していたので誘われるがまま入り、豚肉の載ったお好み焼きを注文。瀕死の空腹の旅人は生き返る心地がした。やはりこの時もどうやってこの店は成り立っているんだろうと不思議に思っていたが、昨日美作河井で降りた時、このお好み焼き屋に行ってみたのだが、あっけなく潰れていた。今頃この那岐駅の雑貨屋はどうしているんだろうと、思いを馳せながらこのページを書いている。


静かな山間の駅を「砂丘」が通過授受。
1997.10/30    因美線  那岐   EOS55 75-300mm



駅長が智頭までの通票をセットすると突然突風が吹き、逆光の中、落葉が舞い散った。
1997.10/30    因美線  那岐   EOS55 75-300mm



普通列車のタラコを退避させゆっくりと通過する鳥取行き砂丘。。
1997.10/30    因美線  那岐   EOS55 75-300mm



風の強い日だった。舞う枯れ葉と光のコントラストで幻想的な光景だった。
1997.10/30    因美線  那岐   EOS55 75-300mm


 この日は21時過ぎまでこの駅に滞在し、駅長さんに別れを告げてから智頭行き最終に乗車。食料を速攻で仕込み鳥取行きに乗り換え、次の因幡社で駅寝した。この夜はとても風が強く気温も低下したのだが、重厚な駅舎に守られてとても快適に熟睡したと、今も覚えている。


1997,10/31


 まだ夜も明けきらないうち智頭行きの一番列車に乗車。折り返しの上り通勤列車になるためディーゼルカーは5両編成だったが、送り込みなので乗客は自分一人だけだった。智頭から乗り換え、今日の一発目の撮影地の高野で降りるにはまだまだ寒いため、一旦津山へ行き、車内で暖を取りながら、折り返し高野駅へ向かった。良く晴れた空の下、そろそろ砂丘の通過時間になってきた。通過授受を狙うテツは約5人。どうやってもファインダー内に人影が入ってしまうので、ホームにうつ伏せになり仰角のアングルで腕木信号と通票キャッチを狙ってみた。




津山に着くとオール国鉄色の団臨が停車していた。嗚呼美しき美しき急行色かな。
1997.10/31    因美線  津山   EOS55 75-300mm



ディーゼルの音が大きくなると刹那、視界にキハ58が飛び込んできた。運転助士はしっかりと腕木の出発現示を見据えている。
1997.10/31    因美線  高野   EOS55 75-300mm


 わずか数秒の、毎日幾度となく繰り返される光景であるが、このスケベアングルでファインダー越しに見た通過授受は、私が見てきた中で文句なく一番カッコいいものだった。現像の仕上がりが楽しみだとニヤニヤしながら、列車で美作河井、那岐と途中下車をしては写真を撮りながら最終目的地、美作加茂に到着すると土砂降りの夕立だった。




津山行き普通を退避させて通過する鳥取行き砂丘。現在は棒線化され無人駅になった高野駅構内。
1997.10/31    因美線  高野   EOS55 75-300mm



多客時には増結が行われるが、全て国鉄色だった。誇り高き急行色を纏い出発信号が進路を示す。
1997.10/31    因美線  美作河井   EOS55 75-300mm



急行色とサボ。
1997.10/31    因美線  美作加茂   EOS55 28-105mm



駅長が敬礼で優等列車を迎える風景は過去のもの。何十年と繰り返されてきた光景がもうすぐ終わる。
1997.10/31    因美線  美作加茂   EOS55 28-105mm



紫煙を吹上げ去り往く砂丘。一急行の停車がこんなにもドラマチックだとは思わなかった。
1997.10/31    因美線  美作加茂   EOS55 28-105mm



当然普通列車もやって来てタブレット交換。美作加茂の日常風景。
1997.10/31    因美線  美作加茂   EOS55 28-105mm



夕立が止むとまた、西陽が駅を照らした。
1997.10/31    因美線  美作加茂   EOS55 28-105mm


 こうして自分にとっては最後となる因美線急行砂丘の撮影は終わった。日本の鉄道の原風景が残る因美線。この5年間、毎年訪れても何も変わっていなかったことに毎回安心していたのだが、来年からはもう違う。優等列車の廃止により、ただのローカル線になって特段注目されることのない路線になってしまうことは明らかだ。でも自分の中でこの想い出多いこの鉄路は、10年以上経た今でも陰陽連絡の重責を果たしていたころの華やかな因美線に変わりはない。時間に余裕ができたら青春18きっぷで行ってみよう。今となってはそう思う。