(国鉄色番外編) さよなら岩手開発鉄道旅客列車
JR盛駅の外れに佇む岩手開発鉄道の盛駅。小さな待合室と出札所があった。列車時刻表と運賃表に注目していただきたい。
1992,3/30 岩手開発鉄道 盛 EOS630 35-105mm
これが駅舎前景。この鉄道の主役である貨物列車は、ここを悠々と通過するのみ。
1992,3/30 岩手開発鉄道 盛 EOS630 35-105mm
元夕張鉄道キハ300と自社発注のキハ200の2連がやって来た。
1992,3/30 岩手開発鉄道 盛 EOS630 35-105mm
盛で撮っているとやって来たのはキハ300とキハ200コンビ。今日はお別れ乗客輸送のため、予備車扱いであったキハ300が増結で運用に入っていた。キハ300は国鉄キハ07をベースにした元夕張鉄道車で、なんと機械式変速であった。まだ発車まで時間があったので、次の猪川駅まで歩きながら撮影をすることにし、雨の降る中、一人とぼとぼ歩き出した。
盛から次の猪川まで歩いてやってきた。簡易ホームだけの停留所扱い。
1992,3/30 岩手開発鉄道 猪川 EOS630 35-105mm
ご覧戴こう。端数が5円単位の小児運賃! 格安運賃といい本当に旅客輸送はどうでもいい感がただよっている。
1992,3/30 岩手開発鉄道 猪川 EOS630 35-105mm
キハ300の運転室。右の床からニョッキリ伸びたレバーで変速をする。
1992,3/30 岩手開発鉄道 車内 EOS630 35-105mm
雨も強くなってきたので、この猪川から列車に乗り一駅先の長安寺に移動。快適な木造駅舎だったので、今夜はここで駅寝することにした。まだ外は明るく寝るのにはかなり早い。盛で買ってきた魚肉ソーセージを唯一の食料としながら、ひたすら夜になるのを待った。
長安寺に到着。立派な交換設備と駅舎を備えていたが、貨物が主役なので駅前は寂れていた。
1992,3/30 岩手開発鉄道 長安寺 EOS630 35-105mm
すでに自動閉塞になっていたが、駅舎内には通票が残されていた。
1992,3/30 岩手開発鉄道 長安寺 EOS630 35-105mm
折り返し盛行きが到着。この日は貨物列車は運休だった模様。
1992,3/30 岩手開発鉄道 長安寺 EOS630 35-105m
長安寺駅舎。1日3往復だけの旅客列車と自動閉塞化によって、この駅舎は無用の長物となっていた。、
1992,3/30 岩手開発鉄道 長安寺 EOS630 35-105mm
まだ20時頃で早いが、することもなく退屈だったので、寝袋をリュックから出し木造の長いすのベンチの上で横になった。しばらくしてここで駅寝しそうな集団がやって来た。半分寝ぼけている状態で、彼らの会話が聞こえてきた。誰かが「明日元気に石橋俯瞰!」としきりに連呼しているのが聞こえた。話の内容から終着の岩手石橋を俯瞰するポイントがあるという。じゃぁオレも明日元気に俯瞰を・・と考えているうちに眠ってしまった。
朝になり寝具を片付け、日頃市方面へと線路沿いを歩き出す。今日は旅客列車の最終日。多くのお別れ乗車のために、昨日は重連を組んでいた気動車は1両づつに切り離しされ、途中駅で交換する特別ダイヤで運行されていた。日頃市へ歩きながらやって来る気動車たちをカメラに収める。やがて日頃市に到着。この駅も長安寺と同様、旅客駅としては存在の意味がほとんどないにも関わらず、立派な駅舎が山間に鎮座していた。
石灰石を満載した貨物列車が昼夜を問わず運転されていたため、軌道は非常に頑丈。好ましい情景の日頃市。
1992,3/31 岩手開発鉄道 日頃市 EOS630 35-105mm
ここ日頃市から終着の岩手石橋には向かわず、どういうつもりか覚えていないが列車に乗り盛へ戻っている。岩手開発鉄道の沿線にはほとんど商店と呼べる店らしいものが全く無く、多分食料調達のために市街に向かったものと思われる。
ホームから見える機関庫には、本来この路線の主役であるDD型機関車が寝ていたが、今日は花道を旅客列車に譲って休んでいた。
1992,3/31 岩手開発鉄道 盛〜猪川 EOS630 100-300mm
盛から乗ったキハ300の車内。網の荷物棚や丸い白熱球。古き良き時代を感じさせる。
1992,3/31 岩手開発鉄道 車内 EOS630 35-105mm
何を調達して食ったかは全く覚えていないが、記録を見るとすぐに列車でさっき乗った日頃市で下車し、終点の岩手石橋に向かって歩いている。どうしても沿線を歩きとおしたかった、その意図は今となっては謎。
日頃市から岩手石橋へ歩く途中出会ったボンネット型のトラック。
1992,3/31 日頃市付近 EOS630 35-105mm
キハ200のサイドビュー。小さい!なにかの情報で全長12mだったと記憶している。
1992,3/31 岩手開発鉄道 日頃市〜岩手石橋 EOS630 35-105mm
キハ200は、消音器が壊れているのか山間に爆音を轟かせて走っていた。その小さな車体+爆音の組み合わせが滑稽でたまらなかった。程なくして終着の岩手石橋にたどり着いた。この岩手石橋はスイッチバックの造りで、駅前を通った列車は一旦突っ込み線で折り返してホームに入線する。構内には積み込み用の巨大なホッパーがあり、まさに鉱山鉄道の趣を呈していた。
スイッチバック構造の岩手石橋。左が盛から登ってくる列車。右が折り返して入線の様子。
1992,3/31 岩手開発鉄道 岩手石橋 EOS630 35-105mm
スイッチバックの線路にはさまれて小さな駅舎があった。
1992,3/31 岩手開発鉄道 岩手石橋 EOS630 35-105mm
ホームに立って夕べのテツの言葉を急に思い出した。「石橋俯瞰」。視線を正面の山に転じれば、裸山の山腹をジグザグに登っていく植生の切れ目を見つけた。どうやら木材伐採用のブル道で、あそこに立てばこの駅前景を俯瞰できそうだ。集落を抜けて山裾に立ち、伐採のためのキャタピラ専用道の荒々しいハードなダートを登ると、下界が開けてきた。
寒々とした北国の3月。積み込みのための構造が良く分かる。
1992,3/31 岩手開発鉄道 岩手石橋 EOS630 35-105mm
まもなくお別れ列車がやって来る時間なので駅に戻り、時間を潰した。最終日だというのに、特に記念式典や地元主催のセレモニーも無い様子。旅客輸送ではなく貨物に徹した鉄道にとっては、1日3往復の旅客列車などはちっぽけなものに過ぎないのだろう。しかし列車到着の時間になると、どこからともなく地元住民が三々五々集まり始め、職員に渡すと思われる花束を持参してきた人もいた。JRや地方私鉄ではカオス状態になるのが普通の最終列車だが、ここはあまりテツもいなく本当にひっそりとした最終日だった。
スイッチバックを登ってきた最終列車が一旦駅前を通過。地元の皆さんがお出迎え。
1992,3/31 岩手開発鉄道 岩手石橋 EOS630 35-105mm
突然、有志でささやかなお別れ会が催された。
1992,3/31 岩手開発鉄道 岩手石橋 EOS630 35-105mm
1992,3/31 岩手開発鉄道 車内から EOS630 35-105mm
最終列車は数人の人々に見送られ静かに発車。自分は機械式気動車の走りを楽しもうとキハ300の方に乗車。液体式のキハ200とは当然、総括制御は出来ないので、ブザーで二人の運転士が合図し出力を合わせる方法で運転していた。途中の各駅では地元の人が手ぶらで見送りに来ているだけで、仰々しい式典などどこにもない静かな最終列車だったが、盛に到着すると駅前のバスの車庫で関係者によるイベントが準備されていた。
1992,3/31 岩手開発鉄道 盛 EOS630 35-105mm
1992,3/31 岩手開発鉄道 盛 EOS630 35-105mm
こうして岩手開発鉄道最終列車の乗車を果たし、今日の寝床を探すことにした。一応寝袋は持参しているので、大船渡線の終列車に乗り込み停車駅ごとに車窓を凝らして寝れそうな駅があったら飛び降りる作戦に出た。1駅2駅、なかなか踏ん切りがつかなくてとうとう終点の気仙沼に到着してしまった。ここは当然有人駅なので、待合室から追い出され、駅前の軒下に寝袋を敷いて朝を待ち続けた。