気動車だった頃の相模線

1991年3月某日

 首都圏にもっとも近い非電化路線といえば、現代では八高線や久留里線が挙げられると思うが、30年以上昔は神奈川県を南北に縦貫する相模線もその一つであった。茅ヶ崎〜橋本33.3kmの非電化単線を約1時間で結ぶ相模線が、首都圏のベットタウンとして沿線人口の増加に伴い、輸送力増強のため電化されたのは1991年3月のことだった。遡ること1年。1990年4月ころ、2万円で中古のVHS-Cのビデオカメラを購入したので、動画目的で幼馴染のT君と2人で茅ヶ崎に降り立った。当時茅ヶ崎〜厚木間は自動化されておらず、タブレット閉塞方式で運用されており、厚木から相鉄線に乗り入れる米軍向け燃料輸送の貨物列車も健在で、タブレット通過授受も行われていた。キハ30の車端部のクロスシートに2人腰掛け、北茅ケ崎での貨物列車の通過授受を見学したり、各駅でタブレット交換のためにせわしなく行き来する駅員さんも見学することができた。ウィキペディアには電化と同時に自動化されたと記載があるが、記憶では電化前の1990年中には全線自動化されていたはずだ。

 初めての相模線から1年後、間もなく気動車の営業が終了するとのことだったので、混雑するであろう電化開業の2週間前くらいに、またT君と今回は写真目的で訪れることにした。今日も出発は茅ヶ崎からである。




茅ヶ崎駅2番線で出発を待つキハ30×3両編成。左の東海道貨物線にはライナー用のホームが無かった時代だ。
1991.3   相模線  茅ヶ崎    EOS630 35-105mm

 茅ヶ崎を出発するとすぐ90°の急カーブで進路を北に取る。早速一つ目の停車駅、北茅ケ崎で降りてみることにしよう。厚木からの米タンと交換する時刻だった。




駅先端から進入を狙ったのだが障害物多すぎでかわせなかった。住宅地が隣接する横浜羽沢で運用するため、足回りの防音カバーが特徴のDE11。
1991.3   相模線  北茅ヶ崎    EOS630 35-105mm




1年前はこの位置にタブレット受器のグルグルがあったが、電化を目前に自動化されていた。
1991.3   相模線  北茅ヶ崎    EOS630 35-105mm




1本見送って茅ヶ崎行きを後追い。幌は橋本方に装備。やっぱり幌付きの方が顔が引き締まって見える。
1991.3   相模線  北茅ヶ崎    EOS630 100-300mm

 改札は出ないまま次にやって来た橋本行きに乗車。今回は駅間での撮影も目的であったので、当て勘で次の香川で降りてみることにした。1面1線のシンプルな駅だが駅員も常駐しており、周囲の市街地も少し活気がある。




駅南の踏切から茅ヶ崎行きを。一部の車両にはさよならヘッドマークが取り付け始められていた。
1991.3   相模線  香川    EOS630 35-105mm




なんでこんな場所で?という写真が過去にはある。純粋だった少年に竹藪バックが心に刺さったのかも知れない。
1991.3   相模線  香川〜寒川    EOS630 35-105mm

 ままとりあえず隣りの寒川まで歩き、途中良さげなところがあったら駅間撮影しようと2人で北に向かって歩き出す。すると道路は線路とつかず離れずとなり、民家も多く列車撮影するには行けば行くほど困難になると思われた。地図なども持っておらず、時刻表から寒川まで1.6kmということだけしか分からなった。どれほど歩いただろうか、住宅街を抜け小さな川を渡ると少しずつ視界が開き始めてきた。おっ、これはなにやら撮影向きの区間な気配。するとすぐに至近の踏切が鳴り出し茅ヶ崎行きの列車がやって来た。咄嗟だったので正面は失敗。翻って後多いで狙った。




咄嗟に後追いしたら、唯一のステンレス車だった。
1991.3   相模線  寒川〜香川    EOS630 35-105mm

 キハ35904号車。900番台を名乗ることから試験的に製作されたステンレス車で、登場時は地金の無塗装だったが、その後各地の地域色になり、ここ相模線では唯一の存在となっていた。正面と側面のコルゲートが特徴的で、存在は知っていたものの実車を見るのは初めてで、興奮した覚えがある。さて線路を渡ると、そこは田んぼの真ん中の1本道で列車がすっきりと見渡せる直線路だった。




2両編成も運行されていた。現在の4両編成20分ヘッドとは隔世の感がある。
1991.3   相模線  香川〜寒川    EOS630 35-105mm




神奈川の名峰、大山をバックに茅ヶ崎へ向かう。ストビューで調べると現在でもほとんど変化が無かった。
1991.3   相模線  寒川〜香川    EOS630 35-105mm




さっきとは反対側から。またもやストビューでみるとこの空き地には住宅が並んでおり、ここからは撮影できなくなっている。
1991.3   相模線  香川〜寒川    EOS630 35-105mm




だいぶ暗くなってきた。この区間が気に入ったのか何本も撮影していた。
1991.3   相模線  寒川〜香川    EOS630 100-300mm

 今日は平日であり学校が終わってから出撃だったため、敢え無く時間切れとなってしまった。暗くなってゆく農道をT君と隣りの寒川まで歩き、本日の撮影はお開きとなった。

1991年3月15日

  とうとう相模線気動車最終日となってしまった。実は前回の消化不良の撮影のため、最終日前に一度、寒川以北をリベンジしようとT君と画策していたのだが、基本週末バイトの自分と平日バイトのT君との折り合いがなかなかつかず、ついにこの日になってしまった。当然最終列車に乗車することも目的としており、日中は存分撮影に充てることにして、2人とも自主休校とし正午ごろ茅ヶ崎駅に到着した。最終日とあってマニアな方もチラホラいて、いつもの様子とは少し違う。ひとまず列車に乗り込み適当な駅で降りてみよう。


今日も天気は晴れそうにない。乗って来た橋本行きを見送り。
1991.3/15   相模線  寒川    EOS630 35-105mm




続いて茅ヶ崎行きも出発。国鉄フォントのまま、斜めに配置された車番がいなせだね。
1991.3/15   相模線  寒川    EOS630 35-105mm

 寒川で下車。なんとなく駅撮りをし、改札は出ずホームで列車を一本見送り、次にやって来た列車で北へ。数駅揺られて小田急線と接続する厚木で下車。さすが最終日とあって一般人からテツまで賑わいを見せていた。そしていつの間にか空も晴れだしてきた。




橋本方から茅ヶ崎方を向いて撮影。当時は構内踏切を渡り線路東側にホームがあった。現在でも遺構は残っている。。
1991.3/15   相模線  厚木    EOS630 100-300mm




厚木駅橋本寄りの交換設備で対向列車を待つ。線路の間には朝礼台のようなものがあり、非電化時代は駅員さんがタブレットのやり取りをしていた。
1991.3/15   相模線  厚木    EOS630 100-300mm

 この相模線厚木駅は現在も変わった配線で、駅自体は1面1線だが橋本方に交換設備があり、ここで上下列車のすれ違いを行えるようになっている。この交換設備は信号所などではなく厚木駅構内であるとのこと。このような配線となった経緯は割愛するが、東側に広がる相鉄線の電留線と関係がある。さて天気もいいことだし改札を出て撮影してみることにした。 




交換を待つ橋本行き。東側には相鉄の電留線も広がっており新6000系が休んでいた。
1991.3/15   相模線  厚木    EOS630 100-300mm

  厚木で改札を出、隣りの海老名まで歩いて向かってみることにする。現在は急激な開発で商業施設などが建ち並ぶ海老名駅周辺だが、当時は田畑が広がるのどかな光景が広がっていた。この区間は相模線と非旅客営業の相鉄厚木線が全線に渡って並走しており、かつてはこの厚木線が相鉄線の本線で、1941年まで終着は現在の海老名ではなく厚木だった。この厚木線を語るとキリが無いのだが、神中鉄道、相模線は相鉄が建設、国鉄が買収、厚木市にない厚木駅、相模川・・・などがキーワードになって来る。




今では考えられないほど長閑だった海老名周辺。
1991.3/15   相模線  海老名〜厚木    EOS630 35-105mm


ららぽーとやビナウォークが誕生するのはさらに未来のこと。ちなみに相模線海老名駅は国鉄が最後に誕生させた新駅としても知られている。。
1991.3/15   相模線  海老名〜厚木    EOS630 35-105mm

  約1.7km歩き4年前にできたばかりである海老名駅で再入場。やって来た橋本行きは、前回後追いで撮影したコルゲートをまとった904号車だ。これに乗り込みどこかこの先の駅で降りて撮影してみよう。宮山、倉見、門沢橋と過ぎて交換設備のある社家駅に降り立った。




午後の車内。日中は3両、ないし2両編成だったのでいつもそこそこの乗車率だったと思う。




アナログで超シンプルな運転台。




貴重な904号車の撮影に夢中な初登場T君。彼の愛機であるEOS10の5コマ/秒のモードラが唸る!。
1991.3/15   相模線  社家    EOS630 35-105mm




同じ列車を見送る。奥の高架は東名高速だが、これから30年後、圏央道の海老名ジャンクションが建設され景観が大きく変化した。
1991.3/15   相模線  社家    EOS630 35-105mm




キハ30を運転するのも今日が最後。談笑する運転士さんも感慨深げだ。(撮影場所不明)




丹沢山塊に夕陽が沈む。いよいよラストスパートが近づいてきた。(撮影場所不明)




1990年代でも首都圏にはボットン式が現役だった。構内踏切も多かった当時の相模線。この掟を破ると大変なことに・・・。




極一部の編成にはお別れヘッドマークが取り付けられていた。ブレブレ(撮影場所不明)




キハ30と言ったらコレ。押すのに結構ボタンが重かった印象がある。




恐らく進入してくる列車の光跡を表現してみたかったんだろうが失敗。(撮影場所不明)

 この後、夕方になり薄暗くなり始めたので写真撮影は断念。下溝駅でも下車し、歩きながら動画撮影を中心に2人で活動した。その後、どうしても乗っておかなければならない最終列車の茅ヶ崎発海老名行きまでは、まだまだ時間はあるものの、2人でどこでどうやって時間を潰したか全く憶えておらず、記憶が再開するのは最終列車に乗車するために乗った茅ヶ崎行きの列車内。下り最終ではないが、お別れ乗車と一般人でかなり混雑していた。茅ヶ崎に到着するとホームにはお見送りやテツなどがパラパラいる程度。乗り込んだ車内もいつもこの列車に乗車しているであろう通勤客がほとんど、テツは数名いる程度だった。T君と2人、キハ30唯一の優等席であるトイレ前のセミクロスシートを確保し気動車最後の旅に出発した。各駅で通勤客たちは下車していき、終点海老名に到着するころにはテツ20名と同じくらいの一般人となっていた。特別な放送があるわけでもなくいつも通りに海老名到着。客を降ろしたキハ30はテツたちのフラッシュに見送られ、回送列車として厚木方面へ引き上げていった。

 さて・・・これからどうするか問題。すでに地元に帰還できる列車は終わっている時間だし、どうせ野宿するなら明日の電化一番列車にも乗車してみたい。調べると線内で最も早く動き出す列車は、厚木発橋本行き。隣の駅だが日中移動したあの距離を夜中歩くのか、とT君と覚悟を決めたころ、並行して小田急があることに2人はようやく気が付いた。まだ下りは走っており、1駅乗って厚木駅で下車。有人駅であったため当然夜間は締め出され、3月といえども寒い夜空の下で駅前の階段に座って夜を明かしたことは今でも鮮明に記憶に残っている。ほとんど眠ることができず翌朝。待ちに待った始発電車に乗車し、電化初日の1番電車という感動もセレモニーも全く無いまま、暖かい車内で2人で眠りこけ橋本に向かった。




最終列車を待っていた茅ヶ崎にて。先に役目を終えたキハ30が帰区を待っていた。

 この電化開業から31年後の2022年。あの時、地味だが沿線の顔としてデビューした205系500番台も引退が迫っていた。電車化された相模線には何度か私用かテツ散歩で数回乗って来たことはあったが、特に思い入れも無いことだし、わざわざ205系撮影や乗車のために出かけることも無いと考えていたが、休日のある日、相模原方面にラーメンを喰いに出かける際、ふと気になって205系の運用を調べてみると残り1編成とのこと。記念に撮影できればと数年ぶりに起動したサブカメラだけを持って沿線を目指した。相模線と切っても切れない関係の相模川をバックに撮れるところはないかとストビューで事前確認。足元が草で隠れてしまうが、とある地点に向かった。




205系500番台を撮影したのは最初で最後。僚友ともいえる相模川を眼下に最後の1編成が活躍をしていた。
2022.2/4   相模線  下溝〜相武台下    EOSkissX3 18-55mm