







1992,3/1
初めて南紀撮影のため紀伊半島を訪れてから半年たち、あれから原付の免許を取り格段に行動範囲が広くなった。今となっては所詮50ccだが、当時チャリンコの世界しか知らない自分にとっては、まさに夢の移動手段。5万円で手に入れたHONDA「ZOOK」で箱根、千葉、北海道と妄想は膨らみ、遠くの地は列車か徒歩で行くことしかできない2次元の世界が、好きな点にいつでもいけるという、3次元の面の移動手段をテツが手に入れると、さぁ大変。今までとは全くスタイルの違った、駅間での撮影が容易になり、非撮影対象の移動列車を気にせず、撮影地を巡ることができてしまう。ようやく冬の寒さも少し和らいだ3月初旬。夏に初訪問して散々だったキハ82「南紀」撮影の旅に再び出かけることにした。
朝8時ころ横浜の自宅を出発。ひたすら西へ国道1号線を進む。伊勢湾を渡るフェリーに乗れば名古屋近郊を通過せずに、直接三重県に入れることは浅はかな知識で知っていたので、フェリーの東起点となる伊良湖岬を目指した。しかし当時、地図を買うほど経済的余裕も無かったので、地元図書館で静岡、愛知、三重県の道路地図を借りようと思ったのだが、ちょうど愛知県の道路地図だけが貸し出し中で、地図に載っている最西端の浜松から伊良湖岬までの距離と道順が分からない。経路は道路の案内板にあるからいいとして、問題なのは距離。たしか伊勢湾フェリーの最終便だけは時刻表で調べて17時頃だと分かっていたが、それに間に合うためのペース配分が分からないのだ。概算で伊良湖岬までは300km(?)。渋滞、信号も覚悟すれば原付の平均時速30km/hだとしても所要10時間。17時のフェリーに乗るにはほぼノンストップで頑張らなければならない。バイパスは通れないのでひたすら一般道で西進。箱根を越え、駿河湾沿い、富士川、大井川を渡ったころ、空腹に苛まれたが休憩することは許されない。浜名湖を渡るとようやく『←伊良湖岬』の標識が見えて国道1号を左折。しかし岬までの距離が分からない。やがて距離表示の案内があり、ここまで走ってきた平均時速で計算すると、30分の猶予がある。ようやく休憩。畑の真ん中にあった自販機で買った缶コーヒーの美味さは忘れることが出来ない。やがて伊良湖岬に無事に間に合い、最終便フェリーで伊勢湾を渡り、鳥羽市内で食料を調達。暗くなった国道を紀勢本線沿いに走りながら、駅寝出来そうな駅を探し、佐奈という駅で旅装を解いた。
1992,3/2
朝方出発。以前列車で通過したとき、車内から見た美しい築堤のあるところを目指し、ここで1発目を狙うことにした。

バカ・・マガリ・・? ここが撮影地。見事な弧を描く列車を捕らえることの出来る有名撮影地だった。

後追いだがキマッタ!
1992.3 紀勢本線 栃原 〜 川添 EOS630 100-300mm

ガーター橋で宮川を渡るキハ82。
1992.3 紀勢本線 三瀬谷〜滝原 EOS630 100-300mm

梅が咲く梅ヶ谷を通過中。ここから紀伊長島まで一気に太平洋岸にセミループで駆け下りる。
1992.3 紀勢本線 梅ヶ谷 EOS630 35-105mm

昨今の復活国鉄色ではないオリジナルキハ58が伊勢運輸区に多数残っていた。
1992.3 紀勢本線 紀伊長島〜三野瀬 EOS630 35-105mm

紀伊半島東岸は日本最多雨地域。モリモリと育った杉の並木をバックにキハ82が活躍するのももう少し。。
1992.3 紀勢本線 紀伊長島〜三野瀬 EOS630 100-300mm
撮影をしながら国道42号を南下。尾鷲で陽が落ちてしまったため、この近辺で駅寝して明日もう一日撮影するか、勝浦から東京まで1日おきに出航しているフェリーが今晩あるので、それに乗って帰郷するか非常に迷った。しかし行きに通った国道1号のうんざりするほどの長さに辟易し、今晩逃すとあさってまで無いフェリーで帰ることに決定。暗くなった矢ノ川峠をこえて紀伊勝浦港から深夜に出航するオンボロフェリーで東京に向かった。
1992,3
前回は初めてのロングツーリングだったので、経験不足から、装備の乏しさに苦しんだバイクでの再訪をやめ、今回は18きっぷを使った乗りテツ撮影である。この3月のダイヤ改正で姿を消すキハ82最後の撮影チャンス。時刻表と道路地図を熟考して編み出した綿密な計画書を手にして紀伊半島に乗り込んだ。正午前、横浜を出発。静岡、浜松、豊橋で東海道線を乗り継ぎ、多気から熊野市行き最終列車に乗り込んだ。尾鷲を過ぎ、列車は紀勢本線最後の全通区間(昭和30年代に開通の新しい区間)に入る。今回はこの全通区間で撮影をする計画だ。2両編成の普通列車は尾鷲でほとんどの乗客を降ろして、ほぼ貸しきり状態で海沿いの紀勢本線をさらに南下する。今夜はこのリアス式海岸沿いの、どこかの無人駅で駅寝する計画だ。一応寝袋は持ってきたのだが、季節は3月。戸閉めの出来ない待合室の無人駅で最終列車を降りてしまったら、凍える夜を過ごすことになるだろう。列車は大曽根浦という小駅に到着。車内から駅の様子を観察し、直感でここで寝られると思って降りてしまった。今乗ってきたキハ40を見送り、待合室に入ると、なんと扉が無く、また駅舎内のベンチも横になることを許さない、肘掛つきのベンチで最悪・・。もう移動手段がないので、ここで駅寝するしかないのだが、よくよく思えば今夜は3月にしてはとても暖かく、寝袋に入ってしまえば快適に過ごせそうだった。さらに駅を観察するとホーム上に肘掛の無い細いベンチがあり、ここで横になれそうだ。寝袋に入ると、横浜から普通列車乗り継ぎで昼寝ばかりをしてきたにも関わらず、すぐに深い眠りに着いた。
翌朝、構内踏切の音で目が覚めた。鵜殿貨物がやって来たようなので、寝袋から飛び出しホームから撮影。その後、狙うべき「南紀」キハ82まで時間があったので、駅周辺を散策。深い入り江の漁港のある静か集落だった。

2008年現在も運転されている新宮行き1853レ。今と違うのは、原色重連、ワム、そして車掌車 ヨ80000の連結。
1992.3 紀勢本線 大曽根浦 EOS630 35-105mm

内海の波静かな漁港の街の朝。ゆっくりと時が流れていた。
1992.3 大曽根浦周辺 EOS630
朝の風情を楽しんだ後、南紀2号の撮影地を探すとしよう。地図で線路と海岸線が近づいたポイントがあったのでそこを目指した。駅から徒歩20分ほど歩き、線路と海を俯瞰できるポイントに到着したが、地図で想像していたよりは線路がチラっと見える程度で、あまりイケていないビューポイントだった。なんとなく南紀2号は流し撮りして終了。

1992.3 紀勢本線 大曽根浦〜九鬼 EOS630 35-105mm
また今来た道を引き返し大曽根浦から普通列車に乗る。次に目をつけておいた二木島駅周辺が本日の撮影第2弾。駅からまた国道をテクテク歩き、二木島駅と漁港の町並みを俯瞰できるお立ち台に着いた。日差しが暖かく、もう春はすぐ目の前という陽気だったのを覚えている。

二木島通過中のキハ82。それぞれのリアスの入り江に漁港と街があり、紀勢本線はその集落をトンネルでつないでいる。
1992.3 紀勢本線 二木島 EOS630 100-300mm

駅に戻り、今度は至近のガーター橋で。
1992.3 紀勢本線 二木島〜賀田 EOS630 35-105mm
また撮影地移動のため列車に乗る。当時は情報も少なく、自由に移動できる足も無かったので、地図で見当をつけておき18切符で列車移動し、やみくもに降りた駅からひたすら歩く方法しかなかった。今思えばこの紀勢本線 尾鷲〜熊野市間は海沿いの風光明媚な写欲をそそる区間だが、ガキだった自分は地図を読んで想像力を働かせ、あとはただただ歩きまくった。先の二木島から2駅隣の波田須で下車。数名のキハ82目当てのテツも降りたので、後についていけば良さげなお立ち台に連れて行ってくれるだろう。露骨に後をつけるのは恥ずかしいので、ホームのベンチで荷物をゴソゴソやってる振りをしてテツ達を先に行かせ、さも知っているかのように駅前の道を新鹿方面に歩いた。やがて視界が開け海を遠望する梅林に到着した。

梅と南紀。もう少し俯瞰して海をバックにしたかったが、テツが密集して入れなかったので、梅いっぱいの構図。
1992.3 紀勢本線 波田須〜新鹿 EOS630 35-105mm
満足して駅に戻り、今度は熊野市の先まで行ってみよう。しかし勘で降りてしまった有井という駅周辺には、画になるようなところが無く、つまらない直線を行くキハ82をフィルムに焼き付けて、今回の撮影は終了した。この後、普通列車で亀山、名古屋を経て、大垣から上りの東京行き夜行に乗って帰った。