1987年1月 日本国有鉄道最後のシーズン 足尾線編
1987.1月頃
前回の奥多摩訪問で、非テツである一般人の級友ミッちゃんを引き連れて行ってきたのだが、旅が終わると予想に反してミッちゃんの反応は概ね好評で、道中不機嫌だったのは何だったのかと不思議に思った。そして彼のリクエストもあって第2弾を考えた。選び抜いた目的地は国鉄足尾線である。図書館で借りたローカル線の写真集には銅山の公害で緑の枯れた寒々しい山間を行くキハ20に郷愁を感じ、また小学校の国語の教科書でも足尾公害の解決に生涯を投じた田中正造の話もあって、自分の提案にミッちゃんはすぐに賛同してくれた。
そしてある日曜日、京急線〜都営浅草線を乗り継いで浅草にやって来た。ここから東武で群馬入りするつもりだ。なぜ東武を選んだのかというと、多分イメージで国鉄は運賃が高いということだったと思う。これでどのくらいの節約が出来たのか分からないが、今考えてみると同じ国鉄線で足尾線まで乗り通した方がお得だと思うのだが、なぜかそういう選択肢になったのだ。浅草から準急だか快速だかに乗って、館林で乗換え、足利市駅に到着した頃には慣れぬ長時間の乗車で2人ともかなりくたびれていた。ここからは両毛線に乗換え。しかし国鉄足利駅はこの足利市駅から1km程度歩かねばならず、駅前にあった市街地図を記憶して駅を後にした。
東武足利市駅と国鉄足利駅は渡良瀬川を挟んだ反対側。2人でテクテク川を渡る。
国鉄駅に到着し、ここから足尾駅までの切符を購入。やって来た115系にしばらく揺られ、今回の目的地である足尾線の起点、桐生駅に到着した。最近高架になったばかりのような新しい駅ホームで、反対側のホームにはこの近代的な駅に似つかわしくない年季の入ったキハ20を先頭にした2連が乗客を待っていた。早速車内へ。キハ20系列といえば運転席後ろの前展席を押さえたかったのだが、すでに先客がおり、我々は仕方なくその後ろのボックス席を陣取ることにした。
キハ30を後ろに従えた足尾行き。このキハ20323は後に島原鉄道に譲渡され、つい最近まで活躍していたという。
1987.1月頃 両毛線 桐生
やがて出発時刻になり列車は動き出した。ボックス席から顔を覗かせ、恨めしく前展席越しに進路を眺める。出発して2,3駅過ぎるとすぐに線路は渡良瀬川沿いに走り始めいよいよ旅の気分が盛り上がってきた。目指すは終着駅、「間藤」、と言いたいところだが、この列車、足尾線の終点である間藤までは行かず、一つ手前の足尾止まりだ。川沿いにのんびり走る。しかしのんびりと言うよりは勾配で速度が出せないような感触である。起点の桐生市は標高100mほどだが目的地である足尾駅は標高600mを越え、沿線はほとんど登り一辺倒だ。途中、草木ダム建設により大きく迂回するよう長いトンネルに突入するも、出力の低いキハ20とキハ30のコンビは元気なのはエンジンの音だけで速度は一向に上がらぬままトンネルを飛び出し、鉄橋を渡って沢入(そおり)駅に到着した。
良い感じの佇まいを見せる沢入駅。交換のための停車で撮影。ホームには授器が残っている。現役なのだろうか?
1987.1月頃 足尾線 沢入
沢入を出発し、少し走ると町並みが現れ、この列車の終点である足尾に到着した。有名な銅山は何年も前に閉山されていたと聞いたが、まだ精錬所があるためか構内には貨車が何両も留置されていた。貨物列車はこの当時現役だったようだが、当時の自分は列車に乗ることに命を掛けていたため、乗れない貨物列車は度外視していたことが今でも悔やまれる。さてこの先の終着駅、間藤にはこの後やって来る列車に乗り換えればそのまま連れて行ってくれるのだが、間藤駅での折り返しが数分しかないため、終着駅の雰囲気を味わいたいがために、この足尾から歩いて早めに向かい、次の折り返し列車を待ち乗って帰る作戦だ。寂しい駅前を進行方向に進み、ミッちゃんとたわいもない会話をしながら小雪がちらつき始めた県道を北に向かって歩いた。
タキが留置されている足尾駅構内。東洋一の大銅山と言われたこの一帯も、まだその面影は残っていた。
1987.1月頃 足尾線 足尾
踏切から足尾方を向かってなんとなく撮影。当時は全く関心が無かったが、よく見ると腕木信号が写っている。
1987.1月頃 足尾線 足尾〜間藤
拡大写真。現役なのか? 足尾駅場内信号のようである。
1km少し歩いた末、終着間藤にたどり着いた。周囲には人家が何件かあった程度と記憶しているが、特に印象に残る終着駅ではなく、吹き付けるような冷たい風をしのぐように駅舎内で迎えに来る上り列車を待つことにした。
簡素で古い造りの間藤駅。背後のハゲ山は煙害のせいなのか?
1987.1月頃 足尾線 間藤
帰りの列車はほとんど記憶に無いことからうたた寝をして過ごしたのだと思う。どこかの駅で交換するためしばらく停車するとのアナウンスに起こされ、寝ているミッちゃんを車内に残し、駅の跨線橋から自分の乗ってきた列車を撮影した。帰ってから現像してみると、もともと調子の悪かったカメラの巻上げがここでも不良を起こしており、せっかくの光景が2重露光になっていた。ピンボケで1枚。半分巻上げてもう1枚。どこの駅か忘れてしまったが、本稿を執筆するにあたってこの写真をWEB用に加工していると、20年以上気がつかなかった光景がフィルムに焼きついていたことに気が付いたのだった。
ピントを合わせることを忘れてもう一枚撮り直したのだろう。フィルム装填をミスるとよく起きていた。
1987.1月頃 足尾線 撮影場所不明
お判りいただけただろうか・・?
画面左上、ホーム先端にご注目いただきたい。

下りホーム先端のタブレット授器にキャリアがセットされていたのだった。さらに背後の腕木信号も出発を現示しているではないか! どうやらこの停車の交換相手は貨物列車で、今まさに通過授受を行う直前の模様だったのだ。全然記憶にないのだが、あの足尾駅にあったようなタキを従えてディーゼル機関車が颯爽と通過授受を行っていたはずだ。あの頃に戻れるなら・・・とは、言わないが・・・やっぱりあの現場にもう一度遭遇していたい。画面の中のスタジャンのお兄さんはいい写真を撮ったんでしょうか。自分が過去撮った写真に入り込んだ情報を、時代を超えて発見したことに少し感激した瞬間だった。
以上の写真が最後になります。再びこの上り列車に乗って終着桐生を目指すかと思いきや、一つ手前の相老で下車。この駅に接続している東武桐生線に乗換えて太田に向かった。もう外は薄暗くなっており、遅く帰って親に怒られたくないというみっちゃんのために少しでも早く帰還できるよう急行券を購入。急行「りょうもう」で浅草に向かい、この旅は終了した。