1985.2
京浜急行逗子線。今となっては新逗子が終点だが、その昔、逗子線の終着駅は「逗子海岸」だった。金沢八景から京急本線と分かれると横浜市内最後の駅「六浦」を過ぎ、三浦半島の分水嶺をトンネルで越え、勾配を下りきると「神武寺」。東急車両と国鉄の連絡線を横目に走り横須賀線をガーター橋で越えると、今は無き「京浜逗子」。出発するとソロソロと徐行運転をしてすぐに終着「逗子海岸」に到着していた。京浜逗子〜逗子海岸は営業キロ0.4kmだったので、この両駅を統合して中間に現在の「新逗子」が設置されたのは1985年3月のことである。
私事だが親父の会社の保養所が逗子にあったため、小さい頃、夏になると家族で逗子線直通の急行に乗って逗子海岸駅を良く利用していた。運転席のかぶりつきをしていると京浜逗子から次の終点逗子海岸がすぐそこに見えることに感動していた。なんでこんな短距離区間に駅が設置されているのだろうと子供心に興味深々だったが、いつもの間にかこの駅のことを忘れ、何かで見た逗子2駅統合の情報を見てクラスメイトのTと訪れたのは廃止も押し迫った1985年2月の寒い日だった。
この年に開催されるつくば科学万博のPR列車が全国を回っており、近所の保土ヶ谷駅で展示公開があるというのでTと行ってみるも、入場は数時間待ちということもあってそのまま横須賀線に乗り込み、国鉄逗子駅から徒歩数分で京浜急行「京浜逗子」に移動した。