相模鉄道  1985

1985年頃

 地元の民鉄第3弾。今回は相鉄線です。横浜〜海老名の本線と、二俣川から分岐して湘南台に至るいずみ野線。総延長35.9kmのわりと小規模な大手私鉄だが、20m車10両編成と緩急を駆使した過密ダイヤで日本屈指の輸送量を誇るという神奈川の民鉄である。
 小学生の当時、図鑑や立ち読みの鉄道書籍で見た鉄道を、実物を見て乗るためにクラスメイトの鉄道好きの友人とよく出かけていた。今日の相鉄編は友人E君の強い希望があって実現した。それはE君の親戚の家が小田急線愛甲石田駅近くにあり、なぜかクラスメイトとその親戚宅訪問のため海老名まで相鉄線を利用しようという計画だ。彼としては思い入れもあったのだろうが、そうでもない自分はあまり興味のない路線であったが、なんでも昨年、相鉄線の横浜駅乗り入れ50周年を記念して登場したカラフルな特別塗装の電車、その名も「ほほえみ号」を見てみたいという理由で、E君の親戚宅訪問を名目に、T君、S君と3人で同伴することにした。

 横浜駅到着。「ほほえみ号」は当然1編成しかなく、出会うのは運次第だ。次々と折り返してゆく電車たちをフレームに収めていきながら「ほほえみ号」を待っていた。どれくらい待ったか覚えていないが、何本か電車をやり過ごしていると、終点のため減速してきたド派手な電車がホームへ滑り込んできた。その塗色を見て一同唖然。まだ当時、特別塗色、とかラッピング電車なんて言葉自体が無かった時代。登場からすでに1年近く経っているが、そのふざけたカラーリングに自分たちの仲間はもちろん、ホームで待っていた一般も興味深そうに車両を見ていたのを思い出す。




鋼製車6000系。オレ、どうした落ち着け! 6000系の写真はブレブレのこの一枚だけだった。
1985年頃   相鉄線   横浜




同じ6000系だが高運転台仕様。新6000系と呼ばれていた。
1985年頃   相鉄線   横浜




そしてやってきた「ほほえみ号」。新6000系がベースになっている。
1985年頃   相鉄線   横浜




そしてその側面。
1985年頃   相鉄線   横浜

 当時にしてはずいぶんと頑張って奇をてらった感があるが、その狙いは的中で、さっそく「ほほえみ号」に乗り込んで横浜を出発すると、沿線の踏切待ちの人々はポカーンとこちらを眺めているのが印象的だった。「ほほえむ」どころかその毒々しいまでの極彩色のカラーリングを明るい所で見てみたいと、目的地の海老名までは行かず、途中の二俣川で下車。「ほほえみ号」を見送って次の列車で海老名へと向かった。




1985年頃   相鉄線   二俣川

 二俣川から列車に乗り込み、海老名で小田急線に乗り換え。4人そろって無事愛甲石田のE君の親戚宅に到着するとなんと留守。仕方なく4人で親戚宅の庭で、家から持ってきた弁当を食べ、横浜に帰り、本日の小旅行は終了したのだった。




現在は消滅の2000系。5000系 7000系と同じマスクで見分けが付かなかった。
1985年頃   相鉄線  二俣川




最初にして最後にお目にかかった3000系 SSEロマンスカー。自分にとって貴重な1枚となった。
1985年頃   小田急小田原線   海老名




E君親戚宅は小田急の線路脇だった。今は亡き9000系が通過する。
1985年頃   小田急小田原線   愛甲石田〜伊勢原




帰り道でも途中下車。当時の最新形式の7000系が夕日を浴びながら進入してきた。
1985年頃   相鉄線  かしわ台