キハ183ラストラン 特急オホーツク

 
 行こうか・・・行くまいか・・・。こんな葛藤をすること1週間。ある夜いつも通り晩酌しながら、たまたま航空券比較サイトを眺めていると、酩酊状態で気が大きくなったことも手伝ってか、つい勢い任せに「ポチッ」と予約ボタンを押してしまっていた。すぐに我に返り支払金額を確認すると、通常往復運賃よりも1万円ほど高い。内訳を恐る恐る確認すると、取扱手数料、事務手数料が加算されている。また座席指定もできないようだ。比較サイトってそういう物なんだと即理解し、すぐにキャンセルを申し込むと、クレジット支払い済であったため、キャンセル手数料が発生し、先ほどの取扱手数料など含めて、無事、合計¥10212をドブに捨てることになってしまった。すぐに航空会社の公式サイトで申し込みし直し、目出度く?往復窓際席の航空券をゲットできたのだった。

 そんな訳で出発を決めた今回の目的はキハ183ラストラン撮影。先月ダイヤ改正で定期運用を終えたキハ183は、翌週末、特急「北斗」「ニセコ」として函館を往復。さらにその翌週末「サロベツ」として稚内往復。そして最後の週末は「オホーツク」で網走まで往復するイベントに充てられる。また充当する編成は、引退記念として昨年復刻された登場時の国鉄色(といっても国鉄期間は半年程度だったが)の先頭車(キハ183-8565)とハイデッカーグリーン車(キロ182-504)の2両とHET色を組み込んだ5両編成で、さらに最終の「オホーツク」はハイデッカーを3両つなげてのラストランになるという。

 クソガキだった頃、初めての北海道旅行で憧れにあこがれまくったキハ183と出会い、あれから数十年経った今でも旧塗色のカッコ良さは少しも色褪せない。撮りたい・・・しかしいずれも土曜往路、日曜復路になるとのことで、絶対不可能な土日両日を休んだとしても、旧塗色を頭で狙えるのはたったの1回限り。3/4ほど諦めかけたその時、よーくその情報を見ると、最終日の特急「オホーツク」だけは4/9(日)下り、4/10(月)に上りとして運行するとのこと! さらに石北本線は遠軽スイッチバックがあるではないか!! 日曜の1日だけなら休みにできそうだ。月曜も連休にしてしまえばそれはもう一挙両得というもの。急速に現実味が増してきた。これは向かうしかない! と、冒頭の軽率な判断に至ったと言う訳だ。もう勢いは止まらない。遠軽ではスイッチバックするため数分停車するだろうし、石北本線と並走する国道は遠軽市街を通らずショートカットするし、無料の旭川紋別道もある。「オッカケラレルカモシレナイ・・・」 20年近く昔、石北臨貨がDD51だった頃、何度も活用させてもらった記憶もある。果たして今回の遠軽停車時間は、どれどれ・・・。下りは11分、上りは5分程度らしい。う〜ん、相手は一応特急だし微妙なところだ。現地の様子で判断してみよう。

2023.4/9

 いよいよ当日、早朝の京急エア急に乗り込む。日曜ということもあり座席が半分程度埋まっているくらいだが、乗ってすぐにあることに気が付いた。なんと向かいの席に「テツ」が座っているのである。三脚とカメラバックを携えているが、非テツのただの一般写真愛好家、には見えない。自分と同じ目をしているから間違いなくテツである。途中鶴見、蒲田でも同じような人物が乗り込んできた。まさかこうして全国から・・・と現地の状況を想像して戦慄した。敢えてここ数週間は現地情報を目にしないようにしてきたのだ。羽田空港駅に到着しターミナルへ向かって移動していると、やはりチラホラ見かけるのだ。「テツ」を。保安検査を済ませ搭乗口へ。するとそこはバス乗り場だった。バスで駐機場に向かい地上から搭乗する初めての体験に新鮮さを覚え、7:10、JAL565便は女満別空港へ向かって飛び立った。

 8:50。定刻通り到着。レンタカー屋の送迎バスに乗り込み事務所に到着。自分の前で受付手続きをしていたテツ2名のグループは非常に焦っている様子。「オホーツク」の遠軽着はあと3時間ほどあるし、ここからの所用時間も1時間程度。そんなにヤバいことになってんの?とまた不安を覚える。少し覚悟を決め、スズキのスイフトを操り現地を目指すべく走り始めた。天気は予報通り重い曇り空。晴れていることに越したことはないのだが、曇りなら日照に関係なくどこでも撮影できそう。現地の土地勘もある上、時間も余裕があるので、走りながら何か所か撮影地を考え始めた。いつもながら内地ではあり得ない速度で国道の流れに乗っていると、時折、レンタカー屋のステッカーを付けた「わ」ナンバーの小型車が何度も爆速で抜かしていく。うわぁ、本当にヤバいんでないの?現地は。もし撮影場所にあぶれたら駅撮りで妥協しよう。

 1時間後。遠軽市街に入る。今日は対象列車は下り、遠軽までが国鉄色先頭のなでさらに先を急ぐ。やはりどこもポツポツと人手はあるようだが、パニックになるほどでもない。1発は編成写真で決めたいと思っていたので、ふと見つけたストレートを狙うある踏切で待つことにした。先客は3名ほど。足回りの一部が草むらで隠れそうなので微妙な立ち位置しか見つからなかったが、自分の前方にいた一人の撮影者が明らかに線路用地内に三脚を立てていた。北海道によくある用地境界が曖昧なので判断は付きかねるが、緊急停車まではならなくとも、威嚇警笛は間違いない。同じ撮影場所というだけでトラブルに巻き込まれるのはごめんだ。注意しようかと喉元まで出かかったが、相手の反応次第。昨今イベント時には必ずと言っていいほど出現するネットニュースの見出し、「撮りテツ同士で撮影場所を巡ってトラブル!」というタイトルを思い出し、ここを離れることにした。誰か他の方、注意してやってください。負け惜しみではないがイマイチな場所だったし決断は早かった。すぐに移動を開始。しばらくすると沿線随一の有名スポットである「白滝発祥の地」が見えてくると、なんと広い駐車場にクルマがビッチリ。通路にも隙間なく停まっているように見え、パッと見50台以上いそう。ここを皆さん狙っていたのかとようやく理解しながら通過し、何か所かクルマを停め確認を繰り返しているうち、いよいよ時間が無くなって来た。そろそろ決断しなければ。ふと国道を折れた踏切に到着すると先客は誰もおらず、さっきの所より10000倍マシだ。あとから2名の方が加わり、その時を待つ。やがて鳴り始める踏切。カーブから鮮やかなオレンジを纏ったキハ183が姿を現す。伝え聞いていた通り続々とその後に続くハイデッカー。ん? でも何かおかしくね?




2023.4/9   石北本線  白滝〜丸瀬布  EOS6D  100-400mm

 5両と聞いていたオホーツクは何と増結7両編成での登場だった。ハイキロ×3は圧巻の迫力。カッコ良すぎる・・・。追っ掛けしようか迷うことも忘れ、プレビューを見ながら余韻でニヤニヤが止まらない。一方国道では追っ掛け組がすぐに猛追撃するのだろうと思って見てみると、法定速度ピッタリのパトカーを先頭に、テツ車が続々と、しかも車間ビタビタで何台も続いて通過していった。しばらくするとまた先ほどと同様にパトカー先導のテツ車集団。パトカーで列車の少し後を追跡するだけで、鉄道ファンの皆様を安全に次の撮影地に誘導しくれる北海道警の気配りにまた感動しながら、自分は国道を反対方向に流してみた。追っ掛けはやめて2004年秋に訪問した際の撮影地や駅などの想い出巡りをしてみようと思う。まずは再奥地、奥白滝信号所。2004年ですでに駅→信号所化されていた。



   
2004年10月                                            2023年4月

 2004年当時は外壁が板張りで、駅入り口の跡なども残っていたが、現在ではトタンで覆われているものの、雰囲気はそのままだ。峠直下のこの駅から、所謂「白滝ファミリー」が始まるのである。奥白滝(現信号所)-上白滝(廃止)-白滝(現存)-旧白滝(廃止)-下白滝(現信号所)。奥白滝のみ2001年に、それ以外は2016年に廃止もしくは信号所化している。また北見峠を有するこの区間は普通列車が1日1往復としても有名で、さらに上川〜白滝は在来線で最も駅間距離が長い37.3kmということでも知られている。と、テツなら誰でも知っている話をしていたら列車が来るようだ。特段構内は立ち入り禁止とかの警告はないので、旧ホームにお邪魔させてもらう。特快「きたみ」だ。




2023.4/9   石北本線  奥白滝(信)  EOS6D  24-105mm

 自分の中ではキハ54で来るものだと思い込んでいた「きたみ」は、よくわからない新しそうな軽快気動車で通過していった。ボックス席には乗客が1〜2名程度と盛況なようだ。しかしこの記事を執筆するにあたり石北本線の輸送状況を知ると、1日4往復あったと思っていた特急はいつの間にか2往復に、そしてこの特快と件の普通列車の合計4往復しか残っていないそうだ。並行する全線無料の高規格道路も延伸し、ますます経営は想像以上に厳しいと思われ、JRもこの石北本線を単独維持困難と挙げている。ここだけではないが10年後は予想もつかない状況になっていることであろう。

 次はひとつ下った上白滝駅だ。ここはかつて交換可能駅だったが、駅廃止前に棒線化。そのため奥白滝とは違い信号所にもなれずそのまま廃止となってしまった。2004年訪問時には木造駅舎が残っており、楽しい駅寝をした想い出があるが、現地に行ってみると駅舎は解体されてしまっていた。



   

   

 峠を下り切り、かつての白滝町中心部を通過。次に訪問したのは秘境駅でも名高かった旧白滝駅である。戦後になって仮乗降所として開業した1線1面のホームがあるだけの駅だ。秘境駅とはいえ周辺には民家が数件建っているだけの牧草地に囲まれた閑静な場所だったが、この地域への入植当初はここが白滝の中心地だったとされている。訪問当時の周囲の様子を思い浮かべ、この辺だったか、と勘ぐってクルマを何度か降りてみたりもしたのだが、結局駅跡と断言できる場所は判らなかった。



    

 最後の「白滝ファミリー」、下白滝は交換可能な設備を備え、現在でも信号所として機能している。



   
いずれも2004年10月撮影。この駅でも駅寝を経験しており、バイクで凍える寒さの夜、この駅に到着した時の安心感は忘れられない思い出だ。

 国道を下っていると、遠目に下白滝の旧駅舎が見えてきた。せっかく遠路はるばる来たんだし、現在の旧駅舎の様子も記録に収めておきたいところだったが、それにも増して今朝出発してから何も口にしていなかったので強烈に腹が減っており、撮影は諦めて素通りし、遠軽市内のラーメン屋を目指した。本当は、特急も停まる白滝とか丸瀬布市街あたりで細々と営業していそうな町中華的な店で腹ごしらえをし、わずかながらでも地域経済に貢献するものいいかと思い検索してみたが、いずれもヒットすることは無く、遠軽市街の大手ラーメンチェーンの選択となった。店内に入るとさすが道民の味、ほぼ席は埋まっていたが、どうも様子からほぼ全員が中華圏からの観光のグループだったらしく、賑やかに慌ただしく食事をしておられた。喧噪の中ラーメンを食べ終え、さて「これからどうすべかな」の時間である。

 とりあえずは明日の返しのロケハンだ。明日は網走→遠軽が国鉄色先頭である。早速生田原方面へGO。何か所か良さげなところをマークしておいて徐々に常紋峠に差し掛かっていると、ふと遠い記憶がよみがえって来た。常紋信号所。かつては急勾配のため重連の蒸気機関車が満身創痍で越えてきた名撮影地とも知られ、無煙化後もDD51重連の石北臨貨の雄姿を収められる貴重なポイントであった場所だ。有名な生田原方の146キロポストは新塗色先頭なのでパス。常紋信号所付近で金華方から峠を登ってくる183を撮影できるのか確認しておきたかった。峠を越え里に下り、国道を左に逸れると常紋信号所に続くダートが始まるのだが、昨日降った雨の影響でとんでもないほどぬかるんでいる。轍も相当深くクルマ全体がグワングワン左右に振られ、時には車体下部をこすりながら、間もなく目的地に到着というところで一台の対向車が反対方からやって来た。すれ違いざまにそのクルマがウィンドーを開けてきたので、何事かとこちらも開けると、「無理ですよ、この先通行止め」との情報を頂いた。信号所まであと1km程度だったため、行けるところまで行って徒歩で偵察に向かうことと決めさらに先を行く。悪路はさらに厳しくなり倒木なんかも登場する気配だが、進むことしばし、ようやく常紋信号所に到着することができた。先ほどの方はこの先の峠越え区間のことを言っておられたのであろうか。ともあれクルマを降りると20年前とは全く異なる様相に戸惑った。場内へ続く道は厳重に封鎖され、木々も当時とは比べ物にならないくらいに繁茂し、撮影など到底無理な状況であることがすぐにわかった。




林道から場内を撮影。昔はもっと開けている印象だったのだが・・・。




1999年9月撮影
現在はスイッチバックの交換設備は廃止されているものの、当時は普通列車同士の交換もあった。




1999年9月撮影
キハ183をこのアングルで撮影したかった。金華からの連続勾配をあえぎながら登って来た上り貨物。数年後にプッシュプルになるが、当時は大迫力のDD51重連だった。

 明日ここでの撮影は諦め、またマッドな道を引き返す。舗装路まで戻ってきてチェーン脱着所で一服休憩。我がスイフトはラリーでも闘ってきたかのように、泥で地のカラーリングが分からないほどの様相になっていた。そういえば今日現地入りしてからこんなドロドロのクルマに数台遭遇してきたが、このような常紋アタックの結果なのだろうと理解した。一服も終え、改めて明日のためのロケハンをしながら遠軽方に戻る。以前バイクでこの地を旅した時にも立ち寄った、生田原駅前の温泉に入ろうと思っていたが、まだ風呂の気分ではなくそのまま通過。とりあえず一目で常紋アタックしてきたのが丸分かりのこの恥ずかしい車体を洗車しようと、給油も兼ねてあるガソリンスタンドの洗車機に並ぶ。あまりの汚れっぷりに少し気が引け、市街外れの空いてそうなスタンドを選んだ。もし洗車しようとする愛車の前のクルマがこんなんだったら自分は絶対にイヤだが、さすがにこのままレンタカーを返却するのも失礼だろう。そして給油も終え、やることも無くなって来た。時刻はまだ18時過ぎ。早朝から活動しっぱなしだったため高台にある道の駅で仮眠を撮ることにした。

 しまった・・・寝すぎてしまった。2時間近くも熟睡してしまい、もう生田原温泉の最終受付にはギリ間に合わない時間となってしまった。仕方が無いので街中に降りて今夜の食料と楽しい夜のお供を調達しよう。一番近くにセブンイレブンがあるが、北海道に来たならということでカーナビでセイコーマートを検索し向かう。しかし時間も時間なのでセイコマらしい食材は全く無く、唯一「ジンギスカン弁当」が一つだけ売れ残っていたが、どう見ても外れの予感がし、普通の生姜焼き弁当を選び駐車場で平らげ、また今夜の宿泊場所となる道の駅に戻って来た。最近、道の駅での車中泊が問題となっているケースがあるが、事前に調べてきており、ここ道の駅「遠軽森のオホーツク」では可能であるとのことだ。現在時刻は21時過ぎ、明日の撮影は正午前なので時間は余りに余っており、そんな長い夜に備えて自宅で愛用しているポケットWi-Fiを持ってきた。スマホに接続し動画を見つつビールを呑みながら柿の種をチビチビ。さらに追い込みをかけるつもりでワンカップの焼酎も摂取し、そろそろ限界が近づいていると感じ洗面所で歯を磨いた後、昼寝もしたばかりだというのに日付が変わったころには昇天してしまった。

2023.4/10

 9時前起床。少しも目覚めることも無く8時間以上も眠ってしまっていた。寝過ぎて頭が痛いくらいだ。さて移動開始だ。まだ列車まで3時間ほど余裕があるが、昨日の人手の感じからして早めに撮影場所は確保しておこう。コンビニで軽食を調達して喰いながら、昨日いくつか目星をつけておいた場所を見て回る。しかしどこも決定打になる所が無いまま決断ができず、もしかして他にもあるんじゃね?と昨日Uターンした常紋の先の方も見ておくことにした。その前に常紋峠の東側の麓の駅、2016年に信号所化した金華駅を見ておこう。



  

 この後、留辺蘂付近まで探索を続けたが、どこもピンと来る場所でなかったため、また深追いし過ぎると時間も厳しそうだったことで、また峠を西に越えてある地点に到着した。非常に駐車スペースの限られる場所であったがすでに1台の先客がいらっしゃり、2台目の自分は停められるかどうしようか躊躇していると、先客の方が手振りで「もうちょい大丈夫」「あ、ストップ」など誘導してくれて無事クルマを据え付けることが出来た。礼を伝え隣りにお邪魔させてもらう。通過まで1時間以上。少しづつ撮影者も増えてきたところで、本番前唯一の練習列車である「特急オホーツク1号」が背後から迫って来た。




2023.4/10   石北本線  生田原〜安国  EOS6D  100-400mm

短じかっ!!

 5両くらいで来るもんかと思いきやまさかの3両。本番7両はどうなんだろう。いっそ先頭とキロ3両が入ってくれればケツ切れも構わないと思い、フレーミングを微調整。さらに1時間ほど待つと、追っ掛け組と思われる方々も参戦してきた。相手は臨時とは言え一応特急。どこでどう抜いてそれを可能にしているのだろうか。自身の経験からすると追っ掛け撮影には3パターンに分けることができる。

@停車時間を利用した追っ掛け・・・ 乗降のための停車はもちろんそうだが、交換や時間調整のための数分に及ぶ停車時間ならよりありがたい。最もオーソドックスなタイプ。非電化区間や貨物列車などで発動できる場合が多く、並行して高速道路なんかがあれば無敵だ。

A線形、地形を利用した追っかけ・・・ 鉄道では迂回する区間を道路でショートカットするタイプ。当然可能なところは限られており、ここ石北本線の遠軽スイッチバックもこれに当てはまる。自身を振り返ると、客車現役時代の久大本線由布院駅前後のオメガループを道路で短絡し同じ列車を何発も頂いたこともあれば、四国キハ58イベントで徳島本線→土讃線の阿波池田折り返し区間、紀勢線の荷坂峠のオメガループ、磐越西線の若松→猪苗代への連続S字カーブ、米坂線の今泉駅への迂回区間、いすみ鉄道の大多喜駅周辺、などが思い出される。そして最後は、

B物理的に列車をぶち抜く追っ掛け・・・ 駅停車など無い列車より速い速度で移動し待ち構える方式。自身の経験では当時存在した山田線区界〜茂市ノンストップの快速リアス号を、並行する国道106号で抜き去り安全に?撮影したことぐらいしかない。

 今回の特急オホーツクではダイヤから見ても@は無さそうだし、Aができるのはこの先の遠軽だし、手前の区間ではできるようなところも無い。とくればまさかのB!? そこは北海道とは言え、さすがに・・・自分は遠慮しておきたいところだ。本番5分前には現場周辺にはいつしか20人ほどが集結。すると常紋以東で撮影したと思われるテツ車集団が続々と峠を降りてきて通過していった。昨日の遠軽スイッチバックでの追っかけを予測できた道警も、まさかのぶち抜き追っかけをするとは踏んでおらず、今日はペースカーの出動はないようだ。




2023.4/10   石北本線  生田原〜安国  EOS6D  100-400mm

 後ろは切れてしまったが連なるハイデッカー3両を収めることができ今回の目的は達成した。予約した帰りの航空便は夕方発なのでまだまだ時間もあり、遠軽中心部に一旦出てメシを喰って生田原温泉で汗を流そう。のんびり撤収して国道に戻ると、先ほどの現場にいたテツカーと、さらに追っ掛けてきたクルマで遠軽方面は大混雑となった。そこへ一日数便しかないと思われる路線バスも加わり50キロ程度の流れで西に向かっていると、どうもほとんどのクルマがこの先での迎撃のため、追っ掛けをしているようであることに気が付いた。様子見として、メシを喰うつもりだった遠軽市内に向かう交差点をそのままスルーすると、まだオホーツクは遠軽を発っていない時刻だ。これはもしや!? この先には旭川紋別道のインター。案の定多くのクルマは続々とランプを駆け上がってゆく。一体どこを目指しているんだろう。後追い撮影で白滝発祥の地でにも間に合いそうだが、前日の混雑を知っていたため難易度が高いと予測。瀬戸瀬、丸瀬布、白滝ICと続々テツカーは降りて行ったが、自分は決断を付けられないまま、最奥地の奥白滝手前まで来てしまった。もう石北峠を越えた先での撮影になるかと一瞬覚悟したが、昨日訪問した奥白滝信号所のロケーションを思い出した。インターからも近い上、列車より大分先行していると思われる。意を決して奥白滝ICで流出。信号所へ向かうと広い構内にはパラパラと数名待ち構えている程度。思わぬ穴場だったことに感謝し、後追い狙いでホーム跡に構えた。出発信号機は「進行」を現示。やがて踏切が鳴り始め、少し晴れ間も出てきた中、ゆっくりとキハ183は坂道を登って来た。




2023.4/10   石北本線  奥白滝(信)  EOS6D  24-105mm

 車内ではこちらに向かって手を振っている乗客もちらほら。構内の制限を過ぎると再びキハ183はエンジンをふかし本当に最後の石北峠アタックに挑んで去って行った。さて、本当に目的も達成したことだし帰還に向けて行動しよう。遠軽に戻りメシを喰い、最後の最後に生田原温泉を楽しもうと駅に到着すると、タラコ色のキハ40普通列車が峠から下ってきた。タラコが現役であるということは知っていたが、今回の主役はオホーツクなので運用などは全く調べていなかったので、予想外の登場だった。これは是非頂かなければならない。すぐに来た道を引き返し、撮影ポイントを探した。生田原の停車では完全に先行することができないばかりか、いつの間にか追い付かれてしまう始末で、窓を開けてビデオを回し並走シーンを動画撮影。次の安国では特急の交換待ちのため猶予もあるからその先で待ち構えよう。カーナビで目星をつけておいた踏切に到着。すぐに普通列車の交換相手である特急「大雪」が背後から迫って来た。




2023.4/10   石北本線  安国〜遠軽  EOS6D  100-400mm




2023.4/10   石北本線  安国〜遠軽  EOS6D  100-400mm

 タラコを見送り、いよいよ温泉へ入場。しかし思わぬタラコの出現で少し時間が無くなり、風呂上がりの至高のまったりタイムを満喫することを諦め、女満別空港を目指した。久々に充実した撮影行となったが、こんな遠征、これからできるのだろうか。年に1回でも、日々の生活の中でワクワクして心待ちにするような、そんな旅をしていきたいと思うのであった。