コデ165の再来、とそのルーツを辿るミニツーリング

2023.3/30

 昨年も撮影した、伊豆箱根鉄道大雄山線のコデが、駿豆線の大場工場からの検査上がりの出場牽引に就くという情報を得、休日だったので向かうことにした。ちょうど1年前の3月末、同じくコデ165の撮影に向かったのだが、寝坊のため小田原行きの単機回送に間に合わず、復路だけの撮影になってしまったのだが・・・、実は今回も全く同じことをやらかしてしまった。往路は諦め、コデが大雄山に戻ってくる30分前には現地に入っていたいと東名の渋滞を考えバイクで出発。予想通り東名下りでは10kmの渋滞が発生中。通過に30分かかるとのこと。クルマだったら完全にアウトだった。バイクの優位性をいかんなく発揮し、滅多にやらない車線間のすり抜けを決行。クルマで渋滞にはまるより遥かに速いが、それでも通常走行には到底及ばず、かなりギリギリになるかもしれない。海老名JCTで圏央道が別れると渋滞は一気に解消し、本来の速度に戻る。通過15分前。昨年撮影した狩川橋梁の反対側にやって来た。撮影者は2名。対岸に2名。春の陽気の中、今日も吊り掛けの音を待ちわびた。




2023.3/30  伊豆箱根鉄道 大雄山線  塚原〜和田河原   EOS6D 24-105mm

 出発時からずっと曇り空をキープしてくれていたものの、ここは晴れてしまうと逆光になるため、いつもと反対の祈りを天に捧げていたのだが、それが仇になったようで直前に晴れ間がのぞき、ご覧の成果となったのだった。このまま終点まで追いかけ、大雄山駅構内での撮影もしようかと当初は計画していたが、やる気も失せ、飯でも喰って別の課題のために移動することにした。まずは国道246を東へ。秦野市内に入り、そちら系統では大人気の某ラーメン店に立ち寄った。何度か訪れたことはあったのだが、この店では時折有名店にありがちな店員さんのエラソーな振る舞いは全く無く、全力の気合でいつも迎えてくれるので、客としても全力で渾身の一杯をかみしめたいと気合が入る。マー油系、今日もうまかった!



 腹も心も満たされ気分上々で再び246を東へ。厚木市内を抜け海老名市に入り、国道を逸れ、ある電車の車両基地裏に到着。今月、新横浜線の開通で熱いことになっている相模鉄道、かしわ台車両センターだ。狙うは東急直通用の濃紺ヌルテカの電車ではない。1か月ちょっと前、非テツの私用で相鉄線に乗ったことがあった。かしわ台発車時、ふと電留線を見やると、一番奥の留置線に何やら「かぐわしい」車両たちがゴロゴロしているのを発見した。多分検索すればすぐヒットするような物だと思うが、ここは敢えて自分の目で確かめることにし、今日の訪問となったのだった。どれどれ・・・



 おぉー!! まず迎えてくれたのはモハ6021! 旧6000系のアルミ車として試作された唯一のクルマ。自身幼き頃、通常塗装の6000系に1両だけこいつがくっついている姿を見たくて、相鉄に乗るときはいつもすれ違う車両の横浜寄りを確認していたが、結局一度も出会うことは叶わず、こうして〇十年の時を越えようやく出会うことができた。相鉄といえばつい近年まで採用を続けてきたこだわりの直角カルダン駆動。それゆえに車輪内に収めることができなかったブレーキディスクを台車枠外側に逃がし、ギラギラと、まるで機能美を見せびらかすかのような造りがメカニカルで大好きだったが、当然長いこと作動させていないブレーキディスクは錆て赤茶けている。道路から少し高い位置に線路があるため難しいが、ブレーキ以外にもできるだけ詳細に観察して満足したので次だ。



 みんな大好きED10! 車体は短く幅は狭く丸っこく、車体裾もRが付いているのでとってもキュート! 線内の貨物牽引に就いたのであろうから、最後は厚木基地への米タン輸送のはずなので、惜しくも21世紀まで活躍できずに終わってしまったのか。それとも現存の黄色い7000系みたいな顔した事業車が登場するまで、厚木貨物線から新車の輸送も担っていたのか。こちらも一度動いている姿を見たかった。



 相模鉄道の旧社紋。銘板には昭和26年製の文字が。72歳。大先輩じゃないすか。可愛いとか言って失礼しやした。



 トフ400。2軸車掌室付き無蓋客車。見事な凸型してますね。厚木基地輸送の頃には恐らく使われていなかったと思われ、そうなるとその前の貨物であると西横浜駅のセメント工場に発着していた1980年代まで現役だったのだろう。もう完全に骨とう品クラスですね。そしてその後ろに控えているのは、トフで顔を隠された旧6000系のトップナンバーである「6001」。もうちょい離してくれればお顔が拝見できるのに・・。この旧6000系、現役当時列車を待っていてコレが来た時はがっかりしたもんだ。キレイな7000系には及ばない薄暗くカビを連想させる緑じみた内装とくたびれた車内設備。当時は「ハズレ」の車両だったが、今こうして見てみると、かつて当たり前のように走っていた車両が時を経て目の前にいてくれることに感謝せねばならない。想い出補正も加わわっているのだろうが、当時に戻ってもう一度動いている姿を記憶に残したい。なので今は今で今ある風景を記録に残しているのだ。



 インスパイアーザネクスト、昭和36年生まれ。あんたもなかなかですねー。それにしても全員引退から20年前後も経っているのにキレイすぎじゃありませんか?多分静態保存と思われるが、誰かに見せたり仰々しく歴史的価値を伝える様子もなく、野晒しで、車庫の片隅にポイッポイッて置かれているだけのような気もするが、職員の方が頻繁にメンテナンスされているのだろう。こうして道路沿いの一番隅の留置線に並べていることも、誰でもいつでも逢いに行けるという会社側の配慮なのかもしれない。ありがとう。

 そして・・・最後は!?



 モニ2005  戦後復興の輸送需要の高まりから製造された、元国電をルーツとするモハ2000グループからの改造である事業車だ。旅客扱いは70年代後半まで、事業車としては2006年まで働いたそうで、晩年は本線の架線検測や車両基地内の入替えに活躍したそうだ。ところで実は本日のツーリングの第一目的であった伊豆箱根鉄道のコデ165は、この相鉄のモニ2000の譲渡車両であったのだ。何だか最後は無理やりつなげた感になったが、こうしてささやかなミニツーリングは幕を閉じたのだった。