2022年、今年もEF6627様がやって来た!

2022.2/15

 ここ数年ほど、配置された職場の営業時間から、人間らしいとても規則的な生活をさせていただいてる。夜勤も、早朝からの勤務も無いので楽なことは楽なのだが、もうかつてのような睡眠コントロールを求められるような職場では働けない体になってしまった。休みの日も自動的に規則正しく9時に起床してしまうので、ある日、有意義に休みの日を長く楽しもうと、目覚ましを6時にセットした。そして翌日。せっかく早起きしたのにまだ寒いので布団の中でスマホをいじりながら、何かネタは無いか検索を始めたが、それも飽き始め2度寝しかかったその時、EF66運用に差し替えが発生したとかで、ニーナことEF6627が白昼東海道線を上ってくるとのこと。時間はまだまだあるので、そのまま布団の中から撮影地を決める。なんとなくは分かっているけど、詳しいポイントまで知らなかったいくつかの撮影地を吟味する。日中は曇りのようだし場所は選び放題だ。いつもの標準EFレンズが全検で入場しているため、11年ほど前に購入したサブ機を久しぶりに防湿ケースから取り出した。バッテリーは上がっており、少し充電して作動確認。問題なさそうにシャッターは切れているようで安心したのだが、ふとレンズキャップを開けてみると、なんと極小さな胞子が4粒、水たまりの円心状の波紋のように、まさにレンズの表面を侵食し始めているところだった。カビである。かなり動揺した。一緒に保管してあるカメラ本体や望遠レンズまで侵されているのではなかろうか。ハードディスクの記録からこのカメラで最後に撮影したのは3年前。密閉容器の中に乾燥剤も入れていたというのに、これだけ動かさないだけでこんなにもなるものだ。しかし幸いなことにカビは標準ズームのフィルターのみだったようで、光にあてがって覗いてみても内部での発生は認められなかった。早速、どこのご家庭でも必ず常備されている「メタノール」を少し付けて磨くと、胞子と波紋は少し頑固だったが落とすことができた。

 そんなことがあって、結局普段とあまり変わらない9時半ころ出発。一般道をひた走り海沿いの西湘バイパスにでると眩いほどの太陽光が海に反射していた。今日一日中曇りの予報は何だったのか。目的地は晴れると半逆光になるところだが、曇天よりは遥かにいい。やがて箱根の上りにかかると霧で、さらに積雪が路肩に残っており、気温1℃の峠を越えて三島に下ると、また暖かい日差しが戻って来てくれた。今日は長大な本線貨物を撮るため望遠一本のみをキスデジに取り付けてきたのだが、富士川を渡っている時、重大なことに気が付いた。「標準使わないなら本務機の6Dでも良かったじゃないか!」 カビの除去に必死になっていた出発時、勢いでそのまま持って来てしまったのだ。それを目的地直前になって気が付く自分。大丈夫か?オレ!? しかし間もなく目的地。諦めて撮影場所を押さえなくてはいけない。上流情報ではコキの積載もまぁまぁなようなので、狭い目的地。さぞ人であふれ返るに違いない。場所取りに負けないよう1時間半前に到着。減速して車内から撮影地を見ると誰もいない。そのまま駐車スペースを確保すべく数百mほど離れた駐車帯にクルマを停め、大型車が猛スピードですれすれで通過するバイパスの路肩を歩き現地到着。一番乗りを果たすことが出来た。到着してみると現場はクルマ数台は停められそうな感じで、わざわざ遠くにクルマを停める必要のない場所で、初めて訪れる撮影地あるあるだった。そしてセッティング。連写もあまり効かずファインダーも小さくて使いづらいキスデジを三脚に据え付けて、やって来る様々な列車で練習して腕を磨き、本番に備えることとした。




最初にやって来たのはEF210。長大な編成を牽いてくるニーナが楽しみだ。
2022.2/15  東海道本線   興津〜由比  EOSkissX3 100-400mm

 いつしか空は厚い雲に覆われてきた。ツイッターでは上流の愛知県内での画像が公開され始めているが、ほとんどが晴天の中を行くEF66の素晴らしい作品ばかりだ。なぜここだけ・・・。でもあと1時間以上もある。さっきまで晴れていたし・・・。思わず晴れ間が出ることを願ってしまいそうになったが、過去何千回と経験している、「晴れを願うと必ず曇る説」を思い出して、練習に没頭することにした。




373系も登場から25年も経つんですね。多分一生乗ることが無いだろう特急「ふじかわ」




東海は白いお面が好きなようだ。たまにやって来る6連。




生粋の国鉄型国鉄色211系。15両で東海道線を疾走していた頃の姿からは随分寂しくなったものだ。




本命1092レ。EF6627見参! 連写機能がク●なので、一発勝負で成功した。

2022.2/15  東海道本線   興津〜由比  EOSkissX3 100-400mm

 やっぱり曇った。まぁシャッタータイミングもピントもまぁまぁだったので天気以外では満足し、再びあの危険な路肩を歩きクルマに戻り小1時間ほど昼寝。目覚めてから画像を確認するも、なんだか本務機の6Dのフルサイズで、後ろに続くコキたちをもっとぼかし気味に・・・とあらぬ欲求が出てきてしまった。リベンジするか・・な・・?どうせ休みの日と上手くタイミングなんて合わないだろうし、いつか思い出して運が良ければ実行すればいい。そんな訳で来た道を高速に乗らずフル一般道で帰還した。


 しかし、チャンスはすぐに訪れた!!


2022.3/4

 あれから2週間後。3月に入って最初の休日。またEF6627の運用が回りに回って、前回と全く同じ運用に入り、今日も1092レとなって上京してくるらしい。今回の目的の一つである本務機6Dと、望遠はもちろん全検明けの標準ズームも携えて、日中の西湘、箱根新道を下る。今回はもちろん!、いや今回ももちろん朝から曇りっぱなし。とはいっても太陽がうっすらと見え隠れする薄曇りって感じだ。いいよ、分かってる。どうせあれだろ?期待させるなよ・・・。と少しやさぐれながら沼津市内で安心の山岡屋ラーメンを喫食。恐怖の撮影間際の便意は、根拠のない自信から本日は大丈夫と判断し、中盛りではなく大盛を注文。店を出て前回と全く同じタイミングで現場に到着することが出来た。今日も先客は誰もおらず、一番乗りのオイシイ所に三脚に機材をセットさせていただく。キスデジの動体予測で本線貨物のスピードには追い付かないであろうと、前回は置きピンだったが、今日はバリバリAIに追尾していってもらおう。練習の足の速い普通電車でもピントはバッチリ。技術の進歩は大したものだなぁ〜と感心していると、いつもの恐怖の瞬間が襲ってきた。「ウ●コしたい・・」 三脚を立ててホッとすると便意を催す。それはもう条件反射的に脳にインプットされてしまったようだ。本気で今後はクルマかカメラバックに携帯トイレを常備しようかと思った瞬間だった。「オムツテツ」はやだなーとその姿を想像しニヤリとしている場合でない。現在、1092レ通過まで30分。こういう時は過去何度も「最寄のトイレまでの所用時間×便意の深刻度=タイムリミット」の公式に当てはめてきた。結果、今から10分後に決断を出さなくてはならないようだ。肛門括約筋をキュっと締め上げていると、黄色い帽子の小学生の下校集団3名がこちらに向かってきた。線路の反対側の集落に帰るのであろう。キュっキュっとやっている線路際の不審な中年男性に対して彼らは大きな声で「こんちは〜!!」と次々に挨拶してきた。こちらも挨拶を返したいのだが、声を出した瞬間緊張が解けてしまう気がしたので、上ずった声で返すのが精一杯だった。そろそろタイムリミットの通過20分前。結果は「この場を離れる」というエスケープ案だった。後から来るテツもいなさそうだしカメラを取り外してクルマに放り込み、三脚に場所取りを差せたまま1km戻ったところのローソンに向かう。「使う際は店員にお声かけください」方式だったので一言声を掛け、コトを済ませ、トイレ借りるだけも気が引けたのでタバコを1箱購入。すぐに現場に舞い戻ると、通過7分前。無事だった三脚にカメラを取り付け構図を取り戻し、落ち着くように深呼吸。やがて14:43。2週間前にも迎え撃ったニーナ様がやって来た。




パンタぎりぎり。ていうか天候といいフレーミングといい前回と何が違うんだ?

2022.3/4   東海道本線   興津〜由比  EOS6D 100-400mm

 とりあえずひと段落だ。しかし安心している場合でない。次のとある目的地に急がなければならない。すぐにクルマを発進させ国道1号で1092レの後を追う。いや1092レを抜いて撮影するわけでなく、以前から撮影のため訪問してみたかったみたかったある場所へ向かうのだが、到着タイミングが少し厳しいのだ。新東名の駿河湾沼津のスマートICで高速へ。きっちり120km/h出して1区間乗り、沼津で下道へ。ところが料金所を出たところで流出方面を間違えてしまいさらに時間が厳しくなってきてしまった。加算された遠回りに要する時間は+9分。伊豆中央道の函南で降り熱海方面の山道を駆け上った。そして標高を重ねに重ね、海抜約650mの十国峠登り口レストハウスに到着した。なぜここを訪問したのかというと、以前ツーリングの際、何気なく立ち寄ったこのレストハウスから、展望台のある十国峠までケーブルカーで往復したことがあった。このケーブルカーの存在は知っていたが、なぜ展望台に上がるためだけにたった300mの路線が建設されたのか、開業も戦後まもなくと古く、またこの時代に残存していることがとても興味深く乗ってみたのだった。ただのツーリング途中だったのでカメラは持ってきておらず、昭和30年代前半の年季の入った車両。かつてのレジャーブームを感じさせる施設群。また西武鉄道資本にあたっため近年まで奇抜な「レオカラー」だったが、古のツートンカラーに復元されていることから、いつしかちゃんと記録に残そうとスマホで何枚か撮影しただけであった。そして今日。帰りの駄賃にと訪問したわけだが、当然観光輸送が目的なので最終便が16:50となっており、頂上から行き交う車両を押さえるためには2本前に乗る必要があり、そのために急いだのだった。




麓に立つと全貌が見て取れる全長300mのミニケーブルカー。

 間もなく最終2本前の出発時間なのでカメラだけを手に切符売り場へ急ぐ。往復と告げ料金表にあった¥730を支払おうとすると、期間限定割引で¥660でOKとのこと。どうやらつい先月、長らくこのケーブルカーを経営していた西武グループから富士急グループ資本になった、その記念だったようだ。平日でこの時間ということもあり、駐車場やレストハウス内にもほとんど人影はなく、昭和の遺産と相まって侘しさが一層趣を殊とする。貸し切りだろうな、と予感して車両に乗り込むと、他に手ぶらの夫婦1組が乗車。どこでも物好きはいるもんだと思っているうちに、電鈴がなり、ゆっくりと昭和31年製の車体は動き出した。




車両にはそれぞれ愛称があり、青い方には「日金」。近くの日金山が由来で、「ひがね」と読む。




終点がすぐそこに見えるのもこのケーブルカーの特徴。




銘板。なんと66歳! あくせく働かないことが長寿の秘訣なのか。




とんでもなく狭いボックスシート。当時の日本人は皆小さかったんだろうと想像する。




赤い相棒「十国」号。彼女の体重と少しの電力で、自分と1組の夫婦と乗務員さんを引っ張り上げる。




休日はどのくらいの乗車率になるんだろう。確かめるすべは自分にはない。




乗車時間わずか3分で到着。レトロな改札がお出迎え。

 以前経験していたので、十国峠駅の何の無さは知っている。簡易な軽食設備はあるものの前回も今回も営業していなかったし、駅2階には開業時のパネル写真が無造作に展示してあったりするだけ。しかし展望は素晴らしく、伊豆半島の尾根に位置する十国峠はその名の通り、十の旧国領が見渡せるそうだ。でも本日は見事なまでの曇り。富士山すら見えない視界の中、記念にと、下界に向かって最終1本前として出発してゆく「日金」号を撮影しようと待ってみたのだが、出発時刻になっても全く動きが無い。5分ほど過ぎたところで、どうやら時間になっても乗客がいない雰囲気を感じた場合には運休させるシステムということに気が付いた。ということは今乗って来た青い「日金」号が最終となるわけで、ケーブル一本で運命を別つ「十国」号は撮影できないことになる。まぁいい。何もなさ過ぎてタバコを吸うことくらいしかないこの頂上駅には、そんな人向けにきちんと灰皿が用意されている。ひとまず一服。するとこの頂上広場の片隅にある祠のお地蔵さんに、ここまで連れてきてくれた乗務員さんが帽子を取って手を合わせていた。しばらくして深く一礼して立ち去る。今日の無事故の感謝と明日の安全の祈願をしたのだろう。こんな路線(失礼)でも公共輸送機関として安全への使命を感じさせられた、心に残った光景だった。




大きな建物だが、中身はほとんどがらんどう。




相模湾側。あれは真鶴半島ですな。晴れていれば江の島はもちろん、スカイツリーまで見えるそうだ。




ではそろそろ下界に降りようか。

 やがて16:50。最終便は先ほどと全く同じメンバーを乗せて音もなく動き出した。そして中間地点。赤の「十国」号が近づいてくると、若い女性の乗務員さんが乗っておられ、笑顔でこちらに手を振って来た。例の夫婦と自分も手を振り返す。でもあのまま最終便で頂上まで行った、あのオネエさんはどうやって下まで降りてくるんだろうか?距離も短いし歩いて戻れなくもないが、真冬でこの時間だったらかなり暗いはず。一抹の疑問を残しながらも短い行程は終了し下界に戻ってきた。17時には駐車場も閉鎖されるようなので、すぐにクルマへと戻っていると、なんと最終便が終わったはずのケーブルカーが遠目で動き出したのが見えた。なるほど! ああやって回送でオネェさんは降りてくることが分かり、すぐに最後の撮影をしたあと、自分は暗くなった箱根新道を下り、本当の下界に降りたのだった。




オネィさん帰還用に運転される回???レ。

 この撮影から数週間後、EF6627は本線上から姿を見せなくなり、ネットではこれまで何度もあった点検か、いつものように老朽化による故障で入場かと憶測を呼んだが、そのまま1か月ほど沈黙したままGWが過ぎ、突如としてJR貨物からなんと公式に引退が発表されたのだった。あの姿は引退直前の最期の活躍だったのか・・・。だったらもっと早く・・・とは言わない。雄姿を拝めた自分はまだ幸福だったのかも知れない。