思い付きで最北の地にて国鉄色に出会う旅 (津軽線キハ40)


  さて、日中のユルい高島貨物撮影から帰り、少し昼寝をし、翌朝までかかるという業者の立会作業のため夜勤に向かった。しかし業者の不手際から、なんとその日は作業中止になってしまい、日付の変わる前に帰宅するハメになってしまった。明日は夜勤明けのため特に予定は入れていなかったが、ひょんなことから2連休が誕生してしまった。年末年始の繁忙期も近いことだし、ここいらで英気を養うべく旅に出てみることにした。目的地は・・・

 ふと、3ヵ月ほど前、今年中に置き換えが完了してしまうと言われていた、秋田のキハ40を調べていた。タラコの運用も公式HPに公開していることだし、未訪問である津軽線末端部で撮影してみたいと考えていたのだ。華やかな海峡線とは裏腹に、本州最北端の厳しい気候と過疎化の進む町。まさに僻地というべき沿線を1日5往復の気動車が最果てを目指して走っている。かつては各地にそのような風情を残すローカル線は存在していたが、当然のように廃止が進み、もうこの津軽線を除いては他にないと思う。たまたま休みが近かったので早速国鉄色の運用を調べてみると、どうもその日は検査や五能線の運用に回ってしまっているらしく、津軽線内で目的を果たすことは難しく思え、その時は別の目的地に変更したのだ。

 そして今回。明日〜あさっての運用は・・・・、OK!! タラコ2両が手を組み、明日の昼の送り込み運用で青森から津軽線にやって来る。そのまま終日末端部を往復。翌日の午前中から昼にかけて津軽線内を往復し、昼過ぎの青森直通336Dで運用を離脱することが分かった。まさに最高のタイミング!一方天候はというと、2日間ともに曇り時々雪とのこと。普段なら二の足を踏むシチュエーションだが、自分的には冬の最果ての地を往くローカル線のイメージにピッタリだ。よし決めた! 今からなら津軽線内での運用開始まで12時間以上であるので、計算上では十分間に合うクルマでの終夜運転も一瞬考えたが、経験上、疲労と睡魔で無理なことはすぐに判断できた。ならばさっそくレール&レンタカーの予約開始。幸いにもレンタカーの予約は簡単に完了。というわけで明朝は早いのでビール1本だけを呑み、旅の準備をして床に就いた。

2020.12/8

 6時起床。用意していた荷物を背負って、近くの駅から某ターミナル駅へ。みどりの窓口のオープン時間に乗り込むことができた。いつもここを通る時、旅行者が長蛇の列で並んでいるため、この時間を狙ったのだ。すぐにカウンターへ。レンタカークーポンと往復新幹線チケットをものの数分で入手。東海道線に乗り込んだ。この時間の上り東海道線でも立客はいるものの肩は触れない程度で混雑しておらず、先ほどのみどりの窓口といい、新幹線の直前での窓際確保といい、この季節になってぶり返してきたコロナウイルス第3波の影響なのかもしれない。やがて東京到着。少し腹も減っていたし、出発まで時間もあるので軽く飯を喰おうと構内を散策するも、弁当か土産物店程度しか開いておらず、仕方なしにドトールで小ぶりな朝のセットを店内で喰って時間を潰し、いよいよ時間になったのでホームに上がった。8:40 はやぶさ9号出発。すぐにホームのコンビニで買った弁当をつつきだした。ドトールではとても腹の足しにならなかったため、お替りをしたのだ。本来であれば流れゆく景色を眺めながらビールと弁当で至福のひと時であるが、この後レンタカー移動なので我慢我慢である。坦々としたみちのく路を眺めているうちにウトウトしかけてしまったが、寝ていては勿体ないと、スマホのスピードメーターアプリで本当に時速320km/h出しているのか計測しながら眠気に耐えていた。結果は仙台以北で315`以上で走っており、以南は300`前後と少し余裕のあるダイヤ設定ということが分かった。盛岡からのトンネル区間は爆睡。そして11:51、新青森に到着した。ホームに降りると東京より10℃以上低く小雪が舞うほどの気温で一気に身が引き締まる。抑えることのできない高揚感でレンタカーの営業所に向かい、鍵を受け取ると、待っていてくれたのはスタッドレスと雪用ワイパー、シートヒーターで雪国仕様に武装されたHONDA Nワゴンだった。市街を抜け、左を新幹線、右を津軽線と並走しながら津軽半島北部を目指す国道280号のバイパスに乗りひた走る。中小国から沿線のロケハンをしながら、まず目指したのは本州最北端 津軽半島最北端の駅、三厩だ。1日5回しか列車がやってこない終着駅だが、なんとつい昨年まで有人だった模様。ひとしきり駅観察をした後、一本目の撮影地へと向かった。











 一度夏に訪問したことがあったけど、この季節、この寒々とした津軽海峡を臨むこの町の片隅に佇む雰囲気、サイコーじゃないか。駅舎の改札側も2重扉であったり、待合室で利用者を暖かく迎えていたであろうストーブの跡も北国の終着駅らしく、かつて列車到着時の賑わいを想像してみるのも楽しい。と、そろそろ青森からの送り込み 337Dがやって来る時間だ。先ほど見つけておいた海沿いの撮影地へと急ぐ。




2020.12/8   津軽線  津軽浜名〜三厩   EOS6D 24-105mm

 時間は現在15時少し前。しかしこの厚い曇り空と12月ということもあり、すでに露出が厳しいことになって来た。今日の青森の日の入りは16:09。返しの338Dは撮れるかどうかといったところだ。その前にいったん三厩駅まで列車を追いかけ、折り返しの間を少し撮影。その後薄暗くなった県道を戻り、今度はサイドから海バックで狙う地点に到着した。セットを完了しファインダーを凝視。するとタイフォン一発現れたキハ40は思っていたところより奥から登場し、足回りが隠れてしまった。「遠望でサイドから」、の時のあるあるであった。






かつて青函トンネルの建設資材の運搬にも使われた津軽線。草むらに隠れているが広い構内を誇っていたのだろう。




日没20分前の338D。手前の農道が線路だと思い込んでいた。
2020.12/8   津軽線  三厩〜津軽浜名   EOS6D 24-105mm

 走行写真可能な列車はこれが本日これが最後である。津軽線の列車はあと2回、ここ三厩にやって来ると本日の営業は終了である。当然バルブ撮影するつもりで、列車が蟹田から折り返してくる時間、三厩の集落中心部にあるコンビニでファミチキを喰らいつきながら一服。気温も急激に冷えてくると、そろそろ341Dが到着する時刻なので駅へと急いだ。全国の閑散線の夕方のこの時間の列車は、だいたいどんな路線でも下校客などで一瞬賑わうのが常で、果たして津軽線はどのくらいの利用なのか、と少し楽しみにし駅に到着すると、ありがちな迎えに来た実家の軽自動車が駅周辺に集う姿はどこにもなく、ひっそりと自分たった独りだけだった。17:24。341D到着。すると2両の列車からの下車客はたったの4人。しかもうち2名がテツという有様だった。実際日中撮影した列車から目撃した車内の乗客は2〜5名程度。調べてみると津軽線末端部の一日の利用者はたったの100人程度。しかもこの10年で半減しているのだ。近年、地方の過疎化が進み、路線バスの廃止も加速度的に進行している現状。遅かれ早かれ・・・とは不謹慎にも思ってしまうのだが、厳しい現状にさらされているのは間違いない。昨年、津軽線はスタフ閉塞を廃止しCTC化されたというのだが、それはスタフ扱い要員削減と、三厩での車両滞泊の解消が目的であったとのこと。しかし一方ではワンマン化されず令和のこの時代に全列車が車掌常務であることもなかなか珍しい。趣味的には魅力あふれるこの津軽線だが、先行きは決して楽観できない状況であろう。










 さて本日の撮影は終了した。まだ18時前であるが、これから旅の就寝前のお楽しみ、風呂とメシの時間だ。たっぷり時間がある。すぐに三厩集落の外れにある町営の健康促進センター、つまり公衆温泉に向かうも、なんと本日火曜は定休日とのこと。さもすれば今日青森から蟹田に向かう途中に見かけた蓬田(よもぎだ)の村営の温泉があったはず。念のため調べてみるとこちらも火曜が定休だそうだ。しばらく悩んでいたが、メシ目的も兼ねて青森市内まで60km、戻ることにした。いずれにせよ津軽線沿線で食事を取るのはコンビニ程度しかなく、今は猛烈に腹が減っている状態だったので、リッチな夕食。そして風呂のために青森市内まで向かうことにしたのだ。原生林と荒涼とした平野を1時間ほど走り、街の明かりが煌びやかな青森市内に到着。事前に調べておいた、割と口コミの評判がよいとの高評価を受けている、某ラーメン店に到着。まぁ確かに旨かったのだが、量が通常の1.5倍ほど多く、大盛なんて頼んでしまったので3倍ほどの大器でやって来てしまった。しまった、と思いながらもなんとか完食。身体的ダメージを受けながらクルマに戻ると、完全に風呂のことはどうでもよくなってきてしまった。今晩の寝床を探さなくてはならない。

 明朝の行動を考えて蟹田周辺で夜を明かすことにした。2015年、大惨敗だった急行「はまなす」撮影の時にも寝た、蟹田近くの海沿いの公園の駐車場を寝床と決めた。

2020.12/9

 翌朝、結果から殆ど寝ることができなかった。寒かったりしたわけではないが、背の高い軽ワゴンの座席はリクライニングを倒しても座面の高さと足の位置が悪く、それが原因だったようだ。でも早速行動開始しよう。もうすぐ一番列車が三厩から蟹田までやって来るので、以前2度ほど「はまなす」を撮影した中小国のストレートで迎え撃とう。本日の日の出は6:49。一番列車326Dは日の出11分前の6:38。晴れていれば陽は当たらなくても空の明るさで撮影できるだろう。しかし空が少しづつ明るくなって来るも、昨日に増して厚い雲に覆われていることが分かった。到着の10分前に現地に到着したが、まだ真っ暗。一番列車は諦めて、この旅3度目の小国峠を越えて、また三厩にやって来た。入線前ホームにお邪魔し、望遠に付け替え列車を待つ。ここからは津軽海峡をバックにやって来る列車を撮影できてしまうのを昨日気が付いていた。




2020.12/9   津軽線  津軽浜名〜三厩   EOS6D 100-400mm

 乗客ゼロの329Dを見届け、すぐに返しの撮影地へ急ぐ。国道脇の草むらにクルマを放置し、すぐにセッティング。今日も津軽半島北部は冬のそれらしく分厚い雲でどんよりした一日になりそうだ。




2020.12/9   津軽線  三厩〜津軽浜名   EOS6D 100-400mm

 撮影後すぐに追いかける。この先、今別町中心部の利便性を高めるためか、地方ローカル線にしては珍しく、津軽浜名〜今別の駅間は1.7kmしか離れていない。並走する国道はバイパス仕様の快走路。この2駅停車を使って追っかけしてみることにした。すぐに今別駅を出てすぐの跨線橋に到着。3分も経たないうち列車が今別駅を出発するのが遠目に見えた。



2020.12/9   津軽線  今別〜大川平   EOS6D 24-105mm

 ほとんど乗客のいない朝の学生用「通学列車」を見送ってしまうと、次は昼前後の高齢者用「通院列車」までだいぶ時間がある。せっかくなので津軽線末端部の各駅を記録しておこうと、この旅何度目かの小国峠を越えて、海峡線と分岐する新中小国信号所のすぐ目と鼻の先にある大平駅まで戻って来た。短い路線に大平(おおだい)と大川平(おおかわだい)と似たような紛らわしい駅が存在するのも面白い。砂利道の駅前通りを抜けてたどり着くと、貧弱な津軽線の路盤を、巨大な新幹線の高架が天空を突き抜け跨いでいた。





 大平を出ると線路は県道と大きく離れ峠越えをする。峠のトンネルで下りに転じると、津軽二股だ。日本一利用客の少ない新幹線駅として有名な北海道新幹線の奥津軽いまべつと隣接しているが、新幹線連絡用として機能しないであろう津軽線の津軽二股駅は別駅扱いである。かつて新幹線開業前、この駅は海峡線の津軽今別と名乗っており、快速「海峡」や一部特急列車も停車していたが、現在大きく作り替えられ、新幹線らしい巨大な駅に生まれ変わった。自分は20年以上前、津軽今別時代の下り線のホーム待合室で真冬に駅寝したことがある。海峡線の方はもう跡形もないが、津軽線ホームはほとんど当時と変化がなかった。
 次、大川平駅。津軽二股からわずか2km程度の距離で、峠の向こうの大平に似た名前の駅。集落の中にあり、周囲は住宅地が建て込んでいる。開業当初からおそらく交換設備の無かったであろう棒線駅でこじんまりとしたコンクリートブロックの待合室があるだけだ。





 いよいよ沿線の中心部でもある今別駅に向かう。町名を冠するだけあってかつてはさぞ賑わった駅だったのだろう。ホームに出てみると交換設備の撤去の跡も見られる。この駅も同様、住宅や商店に囲まれた集落に位置し、駅前は小さなロータリーまである。しかし現在では周囲はひっそりと静まり返っており、元有人駅と思われる駅舎は少しオシャレに改装されており、中に入ってみるととてもよく手入れが行き届いている。しかも1日5往復、極わずかな乗客のために石油ストーブには火が入れられており、様子から町が管理しているようだった。もし真冬の列車旅でふとこの駅で降りてみたら、北端の地で人のぬくもりを感じ、幸せを感じることは間違いない。







 続いて津軽浜名。こちらは開業以来無人駅の停留所タイプ。住宅地から少し上がった高校の目の前にホームがある。列車通学にはとても便利であるが、この旅で車内の様子を見てみても、ほとんど通学客が乗っているように見えなかった。古い待合室はそこそこ広く長いベンチがあり、水場はないが駅寝に最適な駅になるのだろう。





 で、次が終点三厩である。どの駅も極端に年季の入っていない簡素なコンクリート製なのは、蟹田以北の区間は昭和33年と戦後の開業だからである。ところで・・・昨日からこの付近をウロウロしていて道路脇にこんな案内看板に気が付いた。




!!!

 気が付いた、というよりは理解した、というべきだろう。何度も通りながら、近くにあることは知っていたつもりでも、全く意識していなかったあの有名な場所がこんなところにあるとは知らなかった。さっそく見物してみよう。その前に時刻表を調べてみると、もうすぐやって来てしまうようだ。小雪の舞い始める中、急げ!!




2020.12/9   北海道新幹線  木古内〜奥津軽いまべつ   EOS6D 24-105mm

 幼き頃より何度も映像で目にしていた、世紀の大工事、天下の青函トンネルの坑口がこんなところにあることを思ってもみなかったし、無知を恥じた。本坑貫通から31年。当初の目的であった新幹線がようやく通るようになったが、同じ区間を共有する貨物列車のため、新幹線であるにも関わらず160km/h制限が設けられている。写真のE5系も新幹線らしからぬスピードで、長すぎる鼻をヌルッと次のトンネルに滑り込ませて、去っていった。
 でも、撮るべき津軽線の次の列車まではまだまだ時間がありすぎる。今別町中心部のコンビニで、車内で飯を喰いながら暖を取りつつ、昨日の新青森出発時からずーっと聞いている北海道放送のAMラジオを聞きながら1時間以上待機。そろそろ時間になってきたので、このコンビニから数百mのところにある、今朝330Dを撮った跨線橋の反対方で、お昼の335Dを待ち構えた。




2020.12/9   津軽線  大川平〜今別   EOS6D 24-105mm

 寒々と、そして荒涼とした冬枯れの景色の中を、335Dは去っていった。そして次はいよいよ津軽線末端部での最後の撮影だ。随一の撮影地ともいえる大川平俯瞰だ。晴れていればバックの津軽海峡の先に北海道の大地まで抜ける壮大な撮影地だ。詳細な撮影地など調べなかったが、何度かここの国道を往復してみてだいたいの場所は想定できていた。急いで国道に抜けて飛ばした。急いだ理由は撮影「ポイント」まで知らなかったこと。そして先ほどの335Dの三厩での折り返し時間が13分と、全運行列車の中で一番短かったことだ。国道をしばらく走り、目星をつけていた崖上にある神社の麓の鳥居付近に接近。しかしよく見れば道路脇で何やら工事中。近くにクルマを停められないようなのでしばらく行くも駐車の余地が全くないことになっていた。500mほど行ったところで何とか駐車スペースを発見。機材を持って鳥居まで猛ダッシュ。というか俯瞰撮影ポイントはこの場所でない可能性もあり、登ったはいいが間違えていたら最後。もう移動している時間はない。神社にありがちな猛烈に急な階段を駆け上がっていると、ようやく画像で見たことのある光景が眼下に広がっていた。途中の参道から分岐する明らかなテっちゃんロードを発見。誘われるがままに靴を泥だらけにしてたどり着くと、まさにここから眼下の鉄路を見通すことができた。それにしてもこういう場所に限って雪が強くなりだした。北海道はもちろん、津軽海峡ですらぼんやり霞む。そして一瞬、その降雪が若干収まった時、昨日から何度も追いかけてきた秋田車キハ40首都圏色×2が姿を現してきた。




2020.12/9   津軽線  今別〜大川平   EOS6D 100-400mm

 さて、この旅最後の撮影かと思いきや、急いで参道の階段を駆け下り、例の500m先のクルマへ小走りに戻りすぐに出発した。追っ掛けである。というのも津軽線は全列車、秋田車両センターのキハ40で運用されており、基本蟹田〜三厩の折り返し運転であるものの、今撮影した日中の336Dだけは青森直通、同じく日中の下り337Dのみ青森始発になっており、この2つの列車で編成の送り込みと差し替えを行っている。そしてこの336Dと337Dは津軽線の青森に近い奥内駅で交換することになっており、本日の送り込みはこちらも国鉄色であるキハ40505でやって来るため、奥内ではタラコ同士の離合が拝めてしまうのだ。奥内駅は終着に近いことから336Dに先行して距離を稼ぐことができ、また並走する国道280号は超快走路のバイパスだ。さて先ほどの俯瞰撮影地から離れたところにクルマを停めてしまったため、随分先行されてしまったと思っていたが、峠を越え、大平駅付近の踏切に差し掛かると、ちょうど列車通過のため遮断機が下りたところだった。目の前を20分前に撮影したタラコ×2が通過。国道に合流して順調に距離を稼ぎ、やがてなんてことはない小さな無人駅、奥内に到着した。構内に入るとテツ1名。この方もタラコ離合を狙いにきているのだろう。




先に今日から明日日中まで津軽線で運用される編成が337Dで到着。
2020.12/9   津軽線  奥内   EOS6D 24-105mm




続いて昨日から津軽線運用に就いていたキハ48544+キハ401006が登場。

2020.12/9   津軽線  奥内   EOS6D 24-105mm




でもって離合。

2020.12/9   津軽線  奥内   EOS6D 24-105mm

 天候はそうでもなかったものの、運用に恵まれた2日間だった。この撮影の後、新青森でレンタカーを返却。指定していた新幹線までまだ時間があったので、一日まともに食事をしていないため新青森駅構内で遅いランチにしようかと店をのぞくとどこも激高だったので、勢い1駅だけ列車に乗り、青森駅に近いファミレスで激安ランチ定食と目的達成祝賀中ジョッキを腹に流し込み、新青森からはやぶさに乗車。無事首都圏に帰って来て今回の、勢いだけで旅だった充実した2日間は幕を閉じたのだった。