大都会の非電化路線  越中島貨物線に大注目

 
 まだまだ酷暑の陽気が抜けきらない9月初旬、ついに都内最後の非電化路線、越中島貨物線に試運転として初めてキヤが入線したとの情報が入って来た。需要も限りある専用線とは言え、ディーゼル機関車がレール積載用のチキを牽くという時代遅れのこの風景も、間もなく過去のものになりそうだ。という訳で

「いつまでも、あると思うな、国鉄色」。

都内といういつでも気軽に訪問できるからと伸ばし伸ばしにしていた越中島貨物線撮影を、少し本腰を入れて通ってみることにした。

 越中島貨物線。恥ずかしながらその路線の目的と、旅客会社用のレールの運搬という使命から一般的な鉄道貨物列車ではないため、JR東所属の原色のDE10がかなりの頻度で運転されていることくらいしか知らなかったし、今まで注目もしていなかった。その路線を今さらながら調べてみると、もう一度恥ずかしながら、この令和の時代によくぞまぁ残っていたというくらいの熱さを初めて知って驚いた。設定スジは午前、正午過ぎ、夕方前の豪華1日3往復。正午過ぎの1往復が定期便。前後が臨時という扱いだが、日曜を除く毎日、ほぼ2~3往復しているという。また充当する牽引機は高崎機関区のDE10。もちろん全機国鉄色。牽く貨車は昔ながらのチキが主体のようだが、時折ロングレール輸送に対応したロンチキも入るとのこと。次々と(自分の中で)明らかになる越中島貨物線の姿について、もう震えが止まらない。しかしその路線の舞台は大都会東京のど真ん中。各サイトの写真を見ても同じような場所から撮影したような構図が多く、また余計なものを写りこまないように努力したり、あきらめたような作品も多数見られた。撮影の環境は難易度高そうだ。とりあえず次の休みの日、現地の把握に努めるべく、運休のほぼない正午過ぎの便、配9295レを狙って出撃することにした。

 商業施設や住宅地など、大都会での移動しながらの撮影となるので、当然クルマではなくバイクでの移動だ。今日も激しく照り付ける太陽と、それを全力で受け止めるアスファルトの熱で、9月というのに酷暑は全く収まる様子はない。熱風を切り裂きながら少しも気持ちの良くない湾岸線を北上。少し早く到着しそうだったので大井PAで休憩することにした。越中島貨物線沿線で、生命に危険が及びそうなこの酷暑の中、時間を潰すのはどうしても避けなければならない。少し腹が減っていたが売店など無い首都高PAで食事といったらこれだ!



 首都高ツーリングのお供、ニチレイの冷凍食品だ。台湾飯とあるのでルーロー飯、かと思いきやパッケージには謎の「チューカハン」の文字が。他の商品も含めてどれも400円近くするのに内容量がそこそこっていうところでコスパはまったく良くないが、どのラインナップも濃いめの味付けがツーリングで疲れた体にガツンと染み渡る。というよりはまだ1時間も走っていないのだが、この1時間で発散した水分をポカリで補給し、そろそろ時間になった来たので出発することとする。バイクに戻りサイドスタンドを蹴って跨ると、なにやらケツが「フニャン♥」というイヤな感触を感じ取った。ま・さ・か・・・。



 ウソーッン!!! 自宅を出る時は全く異常はなく、普通のグリップ力を発揮していたので、刺さりたてホヤホヤなのだろう。次の出口まで低速で走行し、何とか高速から脱出しようと一瞬思ったが、それもできないほどに、タイヤの空気圧は、我々が生活しているこの空間の気圧とほぼ同じくらいになっている。これで無理に走行すればビードが落ちてDE10と同じ鉄輪走行になってしまう。当然この日の撮影は諦めて、加入していた任意保険のロードサービスを利用して自宅に戻り修理に取り掛かった。刺さっている異物をペンチで抜くと、なんと長さ5cm近くもある鉄片で、幅のある裂けパンクだったためダメ元で市販の修理キットで作業してみたが、案の定の結果。次の手として非常に手間のかかるリム脱着までもして汗だくになりながら内側からの修理も試みたが、あまりに大きな穴のためこれも失敗。写真でもお分かりのように溝もしっかりと残っている1000kmも走っていないほぼ新品のタイヤを後日泣く泣く交換。次の撮影できる日を待った。


2020.9/14

 あれから1週間。再びバイクで湾岸線を飛ばす。とは言え交換したてのバイクのタイヤは当たり前だがトゥルントゥルン。その恐ろしさは過去の経験から身に染みて判っていたので、交差点での転回、カーブ走行に気を使いつつ、前回と同じ大井PAでニチレイランチをすることにした。



 たこ焼きではない。チキンナゲット、とのこと。マイクロウェーブの力でベチョベチョになった水分と油分がケンカをしていて非常に旨い。体に悪いほど旨いというが、これには大変満足し再び走り出す。東京港トンネルを抜け9号深川線に入り、最初の枝川ICで一般道に降りた。まずは貨物線の終点、越中島貨物駅に近い新砂踏切で9295レを待つことにした。今日も前回と同じくらいとてつもなく暑い。通過30分前のはずだが、その30分も待たずして体力の限界が来てしまうほどだった。人通りがそこそこの踏切だったので、この暑さの中マスクをし、セッティングをしていると急激に、そして猛烈に腹が痛くなってきた。水分が失われつつあった体に、あのオイリーなナゲットが効いたのかもしれない。すぐに機材を撤収して、幸運なことに目の前にあったガソリンスタンドでトイレットを拝借することにした。バイクを移動させて敷地内に入ると、ツナギの女性店員が元気な声とともに駆け寄って来た。セルフスタンドのつもりでやって来てしまったが、どうやらここは最近では珍しい店員給油のGSのようだった。とくればトイレだけ・・・というのは気が引け、先に用をたす旨伝えてから「レ、レギュラー満タンで・・・」と言ってしまった。しかし給油は前回のパンク事件の日にしたばかりなので、距離と燃費から3リットルも入らないだろう。



 案の定3リットルに届かなかった。不審者のように恐縮しながらトイレを拝借。コトを済ませ再びセッティングを開始。しかしその時刻になっても9295レは現れない。ほぼ毎日運転のはずが今日に限ってウヤ? んなわけない。照り付ける白昼の太陽光線に朦朧としながら5分、10分と時が経過していった。そしていよいよ定刻から15分後、待ちわびた警報音が鳴り始め遮断棒がクルマの通行を塞ぐと、DE10が夏草の向こうから姿を現してきた。



 「初」越中島貨物は単機だった。そりゃそうだよな。荷だけを取りに行ったり、空車を置きいて帰ってきたり、当然単機の便も存在するわけだ。と同時に返しの9294レは荷があるはず。越中島発は13:42。あと1時間ほどあるのと、とにかく屋外にいると暑くてたまらないので、近くにある巨大なショッピングセンターに逃げ込み、フードコートの札幌味噌ラーメンを食し、発車ギリギリまで粘った後、先ほどから少し新小岩寄りにある踏切で返しの9294レを待った。

 しかしそれから定時の10分経っても、30分経っても列車は現れない。そうこうしているうちに夕方便である7233レが動き出す時間になって来てしまった。どういうことか訳が分からずにいるまま、ついに戦意喪失。夕方の便もどうでもよくなり、高速代をケチるため東京湾ゲートブリッジを渡り帰還した。帰宅してから本日の貨物運用情報を確認すると9294レはチキ4両を牽いていたとの目撃情報が。ショッピングセンターで涼んでいる間に少し早発して通過してしまった後だったのか? 貨物専用線なので運転時刻が多少ルーズなのかもしれない。次回は余裕をもって行動しようと、再戦の日を待った。


2020.10/5

 今日も正午便を狙って湾岸線を飛ばす。前回と同様、新砂の踏切で正午便を待っていると、やはり定刻になっても列車は姿を見せず、ややあって9/14の撮影の時と同じ時刻に9294レがやって来た。



 今日はチキ4両を牽いてきたが、正面がちのポジションで狙っていたため後方のチキが全く目立っていなかったのは失敗だった。さて、急いで機材を片付け、例のショッピングセンターの札幌味噌ラーメンで昼飯。前回の教訓から返しの9294レは早通するものと仮定し、15分前から待機していた。今日は若干雲の多い空模様。10月に入ってだいぶ涼しくなってきたので、貨物列車待機には過ごしやすい陽気になってきた。さて、肝心の列車は、やはり定時を30分過ぎても現れなかった。一体どういうことなのか? これ以上待っていても時間の無駄なので、今後将来の撮影のため沿線をロケハンしてみた。案の定、ほぼ全線に渡って都会の真ん中を貫いて走るため、開けて撮影できるような場所はほとんど無く、次回以降の撮影場所に悩む。もう午後の7233レ~7232レの撮影もどうでもよくなり、明治通りを数度往復。しばらくウロウロしているうち、あるサイトの記事を思い出した。この路線が総武線と分岐する亀戸駅の駅ビルの屋上から俯瞰撮影できるとのこと。亀戸駅を目指し周辺を何度も周回しながらバイクを駐車できるような場所を探すも当然見つかるはずも無く、駅ビル俯瞰をするにはパークライドするか電車で乗り込まなければいけないらしい。またの機会だ。午後の7233レも行ってしまっている時刻なので、以前から少し気になっていた近くのある場所を見て回ることにした。

 「南砂町貨物線」

 昭和40年代に計画されていた、総武本線と京葉線を結ぶ貨物専用の未成線、「南砂町貨物線」跡だ。明治通りの西に沿って南下する現在の越中島貨物線だが、終着の越中島手前から分岐し、そのまま明治通り沿いにさらに南下し、新木場付近で貨物専用線で計画のあった京葉線までを結ぶ予定だったのだが、用地買収の段階で計画は頓挫。現在でもそのかつて取得できた建設用地がそのまま残されているのだ。当時計画されていた京葉線は千葉方面から臨海部を通り、南砂町貨物線との結節点に有明貨物駅を建設。さらに臨海部を南下して進み、現在の東京貨物ターミナルへと結ぶ予定であったが、鉄道貨物の需要減少により、京葉線は旅客線として新木場駅付近からルートを変更し、次の潮見駅で、これもまた建設途中であった成田新幹線の用地に合流。すでに工事が行われていた新幹線用のトンネルを活用することによって東京駅を目指し現在に至る。紆余曲折の東京臨海部の鉄道計画。その歴史の遺産を見てみたいと思う。




ちょうど単線が敷けそうなかつての南砂町線予定地。




京葉線合流直前。奥が新木場駅。ここはヤードを建設する予定だったのか、広い敷地が確保されていた。




同じ場所から反対方向




上記写真を拡大。運河を挟んで対岸にもずっとグリーンベルトが続いている

 当時、この計画を進めるために動いた人々に思いを馳せながら、こうして現代に痕跡として残っている遺構は、残すために整備された「史跡」とかよりも数倍面白い。ひとしきり見学を終えた後、今日の今後の行動を考えるため、1発目に撮影した新砂の踏切に戻って来た。すると戻るや否や、30秒も経たないうちに突如として踏切が鳴り始めた。午後の7232レの越中島発の時刻までまだ30分以上あるし、まさか越中島行きの7233レが遅延しているというのか? どちらから来るか分からない列車。望遠に付け替えてどちらからでも撃てる体勢を取っていると、越中島方からDE10がチキ4両を牽いてこちらにやって来た。



 現在時刻は15:30。7232レの越中島発は16:04となっているのになぜか? あとで知ったことだがヒントは写真のDE10の後部標識灯が点灯していることだ。越中島貨物線線にはかつて中間地点に小名木川貨物駅があった。高度経済成長期、東京東部の貨物の重要な拠点となっていたそうだが、やがて小名木川発着の貨物は減少を続けついに駅自体が廃止。終端のレール積み込み基地のためだけにこの路線が残った。廃止された小名木川貨物駅は全ての側線が整地され、現在大型のショッピングセンターが建っている。しかし小名木川駅はどういう訳か閉塞の境界?のためか信号所のような機能を現在も果たしており、この旧小名木川駅跡から終端のレールセンターのある越中島貨物駅までの数kmが、すべて越中島貨物駅の「構内」扱いとのこと。今まで終端付近で撮影してきた列車たちは、構内を移動しているに過ぎないのだ。そのため旧小名木川~越中島貨物駅間を移動するDE10は厳密には構内運転になるため、上記のような後部標識灯を点けているのだそうだ。つまり貨物時刻表などに公開されている越中島発着の時刻は、旧小名木川駅発着の時刻ということになる。今さらだが、考えてみれば越中島貨物線の延長は9.4km。ほとんどの列車の所要時間は12分であるので、平均時速は47km/hとなり、場内信号などの減速を考えれば60km/h以上で走らなければならない。ディーゼル機関車牽引の支線の貨物列車があり得ない速度。早く気が付くべきだった。というわけで旧小名木川発着も含めたダイヤが以下のようになる↓↓




 それはそうとこの7232レの越中島貨物駅=旧小名木川発は16:06。今行った列車はショッピングセンター裏でその時間まで時間調整をしてから発車するのだろう。すぐに追撃に走る。そしてすぐに到着。案の定、都会のど真ん中でDE10は静かに時代遅れのエンジンのアイドリング音を響かせ開路を待っていた。あと20分ほどしかないが撮影地を探し始める。しかし密集して建て込んでいる家々やマンション。そんな都会の住宅街で大の大人が三脚と一眼レフを取り出してウロウロしていたら秒速で通報されかねない。別に悪いことをしている訳ではないのだが、ある一地点に目星をつけて、通過直前に現れて即撤収するという「撮り逃げ作戦」を敢行することにする。ということでビデオも三脚も準備できない手持ちで行くことにした。




古いレンガ積みの橋台が現役だった。



 沿線随一の小名木川橋梁のトラスを渡る7232レ。複線幅のトラスがこの路線のかつての賑わいを今に伝える。さて、撤収撤収。目の前の少し高級そうなマンションの住民数名がベランダからこちらの様子をうかがっていることに気が付いた。機材をあり得ないほどの早さで片づけ、脱出。そして帰る前にもう一つ、見ておきたい場所を訪れることにしていた。しばらく走り臨海方面へ。タワーマンションが林立し、街全体が映画のセットのような美しさの豊洲駅周辺を通過。そしてある場所に到着した。



 東京都港湾局専用線。今回のテーマである越中島貨物線に接続し、各港湾施設を結んでいた専用線。その最大の遺構がこの晴海橋である。付近はもともと港湾施設が建ち並んでいたエリアであったが、再開発で近未来的な街並みが形成され、1989年の廃止から30年以上経った今、こうしてベイエリアの華やかな街並みに埋もれて潮風を受け続けている。意図的に保存している様子はなく、逆にその忘れ去られた感がどうにも「エモい」。この橋脚の前後はブツっと途切れていて市街地が形成されているが、よく見ると橋上の路盤に線路が残されているではないか。残されている、というよりは置き去りにされているようだ。




2020.10/12

 今日は前回、駐輪場を見つけられず撮影できなかった亀戸駅ビル俯瞰に出かけようと思う。運転頻度の高い日中の9295レ~9294レが狙い目であろう。真南を向いての撮影なので晴れであると完全逆光になってしまうのだが、幸いにして今日は曇り。電車移動なのでどこかで昼間っからアルコールも摂取しつつ移動できれば楽しい一日になるかもしれない。品川で乗り換え総武快速線で錦糸町へ。緩行線に乗り換え次の亀戸で下車。起点の新小岩に近いので、ほぼ時刻表通りに上下やって来ると思われる。改札を出、駅直結の駅ビルデパートの上階に向かう。1階は食料品、2階以上はブティックや雑貨屋、最上階が飲食街と、どこにでもありそうな普通の駅ビル。そのビルの屋上が今回の目的地である。屋上はフリースペースとあって、この時間ベビーカーを押した子連れママさんたちの格好の社交場になっていた。そんな白昼の憩いの場に不釣り合いなカメラバックを持った中年男登場。キョロキョロするのも不審に見られそうだったので、敢えてわき目も振らず、はしゃぐチビッコたちの間をまっすぐに前だけを見つめ抜け、俯瞰場所へ。なるほど眼下には総武快速線・緩行線、そして貨物線の高架橋が一望できる。ただ残念なのが張り巡らされた目の細かいフェンス群。しかしたった一か所だけメンテナンス用の扉の取っ手の所に、レンズを抜くのにちょうどいい切り欠きがあった。今後この路線が注目を浴びることがあれば、定員1名という高倍率の撮影スポットになるのだろう。通過まであと15分。キッズたちの憩いの場の中心で、努めて存在感を消し空気になるよう神経を集中していると、一人の2.3歳児の女児がオレの存在を認識してしまい、近づいてきて一点の曇りの無い純粋な目でこちらを見つめてきやがった。距離にして1m。「頼む・・・無関心でいてくれ・・」と心の中で念仏を唱え続けて約3分後、その子の母親が名前を呼び、女児は仲間の輪の中へ戻っていってくれた。安堵したのも束の間、もうすぐ9295レがやって来る。先ほどと全く違う神経を集中させ、DE10が姿を現すのを待った。



 撮影後、すぐに現場を離れ返しの9294レまで1時間半もあるので飯タイムとする。繁華街の亀戸駅なので飯選びには困らない。しばらく駅周辺を見て回り、今日は中華の口になっていたので王将に立ち寄り、レバニラ定食と中ジョッキを注文。これぞ徒歩テツの醍醐味。ジョッキのお替りもしてしまいほろ酔い気分で先ほどの屋上にまた戻って来た。今度は横から狙うポジション。ここにも1か所だけフェンスの切り欠きがあり、まだ時間もあったのでその唯一の「穴」を守るために、その穴の前で少し昼寝。やがて時間になり眼下から車輪の軋む音が聞こえてきた。



 今日はこれにて終了。ただ帰るにはまだ早い時間であった上、酒も呑める自由な身。ということで、いつか利用してみたいと思っていたバスタ新宿へ向かい、手頃な高速バスを探す。行き先はどこでもよく、2、3000円くらいで行ける中距離路線が好ましい。すると房総半島、館山行きのJRバスがそろそろ発車とのこと。券売機を操作しているとどうやら座席指定もできるらしく、ガラ空きだったので大人げなく最前列「1A」席をゲット。乗り込むまえに併設のコンビニで普段は選ばないスーパードライなんかを購入。非日常を愉しむためのバスの旅が始まった。しかし出発してすぐに500mlを空けてしまうと、大型バスの心地よいエアサスの揺動に眠気が誘われるも、眠ってしまっていては勿体ない。必死に眼を開けアクアライン横断を見届けるとついに気を失ってしまった。気が付けば高速を降り間もなく終点館山。夕刻の駅前に降り立ち、そこから上り電車に乗り換え、途中浜金谷で下車。港まで歩き、東京湾フェリー乗船。東京湾一周で帰ることにした。当然船内自販機で、今度は一番搾りを購入。さらに下船した久里浜でもお気に入りラーメンと餃子&中ジョッキ。半日呑み続け、気持ち悪くなる直前の最高のテンションのまま、京急快特で華麗に帰宅の途に就いた。

2020.10/26

 今回も朝から良く晴れている。運転頻度の高い昼便の撮影のため、ズボラな時間に起床し、いつものように湾岸線を飛ばす。初めて越中島貨物を撮影した時は、まだ夏の酷暑のどピークの頃。あれから2か月ほど経ち、バイクで走るには気持ちのいい季節になって来た。もう何度目か、新砂踏切で、今日こそは後ろのチキもバチッと入れて編成写真「風」にしたい。やって来た9295レは、今日は、というか今日も単機だった。



 ま、しょうがない。それより今日は午後の便で別の目的があったので、この場所を後にし、例のショッピングセンターで味噌ラーメンを食し、時間を潰し、以前からじっくりと見てみたかった小名木川橋梁で7233レを狙ってみようと思う。川沿いの公園を進み、人目を避けるため、昆虫のように公園内の木々に自分の体を擬態するよう努め、近づいてくる壮大ジョイント音の主が画面に現れるのを待った。



 返却の便なので当然積み荷は無く、またもともと薄っぺらいチキなので煽りで撮るともう訳が分からない。でもこれは予想の範囲内。昭和4年製の古いトラスを渡っていった7233レを追いかけよう。この橋梁のすぐ先が旧小名木川貨物駅なので少々停車するため追っかけが可能なのだ。発進体制を整えていたバイクに跨り、ショッピングセンター脇を追撃。停車中の編成を追い抜き、すぐのところにある南砂線路公園に向かった。名前の通りこの貨物線に沿って伸びる南北に延びる遊歩道のような公園で、園内の案内板にもこの越中島貨物線の概略などの説明があり、珍しい都内のディーゼル機関車牽引の貨物列車を見学したり撮影しやすいよう整備されていると思ってしまうが、実は大間違いだった。チビッコたちは安全な柵越しに機関車を眺めれば十分であるが、カメラを持った「大きなチビッコ」たちは、この平和な区民の憩いの公園から排除せねばならない。なのでその柵は常に高く、撮影場所は非常に限られる。たまたま見つけた境界杭があったのでそれを足場にし、思いっきり背伸びするとどうにか線路方を臨むことができた。大きなチビッコの勝利だ。



 さて、返しの7232レまで1時間ほど時間があるので、いつものように近くの明治通り沿いのローソンに向かった。このローソン、最近の、そして都会のコンビニには非常に珍しく、絶滅危惧種ともいえる店頭の灰皿が残されている。この周囲の近代的なオフィスビルには喫煙室などという忌まわしく邪悪な設備など設けるはずも無く、昼飯時はおろかそれ以外の時間でも、数十人のスモーカーたちが集い、一斉に紫煙を東京の空に吹き上げる。あまりの過密ぶりに一度人数を数えたことがあったが、その時は何と40人! 追われに追われた企業戦士たちがようやく辿り着いた都会のオアシスに、自分もいつもお世話になっている。恐らくコンビニ本部とかコミュニティーからの圧力は相当なものであろうが、そんなマジョリティの言葉なんか関係ない、というオーナーの信念が感じられ好感が持てる。そんな人物にいつかはなりたい・・・と想いながらも、一服を終え本日最後の撮影に向かった。





 ここに通って何度目か、初めてロンチキを目撃した。25m定尺でない100m以上にも及ぶレールを運搬するため、カーブを通過する際にはレールごとグニャリと曲げるべく特殊な緊縛装備を持った車両を用いる。一度その光景を見てみたいものだが、後追いの写真では上下に少したわんでいることが見える。という訳で今日は今までと違った素材と出会えた一日だった。帰りの大井PAではいつものニチレイのおやつタイムで終了だ。





 もうね、ヌチョヌチョのグチョグチョ。なんかのネットの記事で見た北〇鮮の高●航空の機内食に似ているが味はサイコー。西に傾く夕陽を浴びながら湾岸線を快走した。

2020.11/26

 今日は朝から雲一つない見事な秋晴れだった。いつもよりは少し早い時間に起きてしまったので、クルマとバイクを同時進行で洗車。特に今日は予定はなかったものの
キレイに磨き上げられたバイクを見ながら一服していると、ふとお出かけしたい衝動に駆られた。この季節なら箱根とか道志とか、お手軽なツーリングスポットで真っ盛りの紅葉を見ながら流すのもいいだろう。早速出発準備に取り掛かっていると、いつものように、ふと、そしてなぜか機関車の運用が気になりだした。するとまだ未撮影だった首都圏のある貨物列車にEF65国鉄色が充当されることを知ってしまう。しかしその時間は夕方16時前。撮影機材を一式抱えて箱根から帰って自宅付近を通り過ごして撮影地に向かうのもなんだかバカらしく思えてきたので、越中島の昼便を頂いてから転戦することにしよう。



 毎度おなじみ新砂踏切。このDE101752号機はお初にお目にかかったかも知れないが、今日の目的はここではなく別の場所。こちらも毎度立ち寄るショッピングセンターの味噌ラーメン屋で昼飯を喰い、まだ少し余裕があったので一般道で湾岸線を西へ進み、そのまま神奈川県内へ。鶴見線扇島駅を目指した。そう、リニア建設に伴う工事で排出された残土を運ぶ、「リニア残土列車」こと8152レの撮影である。今から20年近く前、当時手に入れたばかりの初のデジタル一眼を持ってこの界隈をふらついていた。その頃は扇島や大川に接続する昭和電工の専用線だったり、昭和駅から道路を横断して工場内に入る東亜石油の専用線が現役であり、朝から暗くなるまで撮影を楽しんでいた。当時の記憶を思い出しながらホコリっぽい街を徘徊し、昭和駅で8152レを待ち構えることにした。この季節ではもう完全に陽は線路に届かなくなっており、単線並列の独特な配線の構内を、EF652097がゆっくりと接近してきた。




2020.11/26  鶴見線  昭和   EOS6D 100-400mm

 結局・・・、
この日の撮影を最後に越中島貨物線を訪問することはなかった。蔓延が収まらない新型コロナによる緊急事態宣言の発出。自分としては特段外出を極端に控えるようなことはしていないが、世の中の空気に押され、自然と足が向かなくなった。そしてその緊急事態宣言下、ついに3月の改正を持って東管内の機関車牽引による工臨の運転は終了することも発表された。近場であるし、もっと足繫く通えば大都会の中の小さな非電化路線の表情も愉しめただろうに。でもこうして最後の越中島貨物線のDE10を撮影できたことだけでも運が良かったのかもしれない。しかしダイヤ改正以降、3月はもとより4月に入ってからも、越中島支線にはDE10が出入りしている情報があり、1日3往復あった便の内、1往復、もしくは隔日運行が確認されていた。もしや新鋭のキヤと並行して運用に入り続けるつもりなのか?と期待もしてみたが、どうも越中島構内に残存している用途の無くなったチキを廃車回送として連れ出しているだけのようだった。その後、4月中旬になるとDE10の運用はいつの間にか終了し、長いこと越中島支線で活躍を続けていたDE10は、この地を去ることになったのだった。