京急800形、最後の2か月の記録

2019.4/19

 今から1年前の春、京急2000形が引退した。1982年に鮮烈なデビューを飾り、京急のフラッグシップともいえる存在で活躍してきたが、晩年は後に登場した2100形にその座を譲り、車体の真ん中に穴を開けて3ドアに改造。当時優等列車の証でもあった白い窓回りの塗装から赤線1本に変更され、地味な運用に就いていた。しかしながら現主力形式より遅い加速性能、3ドア魔改造により短くなってしまった車体寿命などから、次々に久里浜の無架線地帯で重機の餌食になっていってしまい、気が付けば最後の1編成が引退を記念して往時の窓回り白塗装に復元されていたが、2018年3月、その最後の2011Fも引退してしまった。小学生の頃、紙面で見た2000形は同じクラスのテツ仲間と一瞬で虜になり、ある日、当時1編成しかなかった2000形を、そのテツ仲間と乗りに行こうと某駅で待ちぼうけしていた。しかし何時間待っても2000形は姿を見せず、夕方になってきたので一旦終着の三崎口に行って次の電車で帰ろうと待っていると、ついにピカピカの2000形が入場してきた。その興奮たるや30年以上経った今でも鮮明に覚えている。仲間と集団見合い中央のクロスシートを占拠。従来の京急車両と全く違う、シルキーな走りと特急仕様の車内設備に感動した。そんな思い入れ一入の車両であったので、是非最後の記録をしたいという衝動に駆られていたが、遠く離れた福井にいるためその願いは叶うこともなく、ラストランの日にただただ思いを馳せるのみだった。


 あれから1年、この4月から転勤先の福井県を離れ、3年ぶりに関東地方に戻ることになった。すると昨年の2000形引退に続き、800形も来たる6月に引退するというではないか。通勤スペシャル仕様の800形。最新鋭の新1000形に匹敵する高加速高減速性能は、追い迫る優等列車を待避線でかわすために授かった能力。しかし加速性能のみに特化したため最高速は現在では本線急行運用にも就けない100km/h。一方ラッシュに威力を発揮する4ドア。しかしそれが仇となり、他車種との併結不可、唯一の4ドアのため今流行りのホームドアが設置できず、運用面での制約も多いことから、ついに後進に譲ることになったのだ。


 800形かぁ・・・2000形のような華やかさは無く、旧1000形ほど存在感があった訳でも無く、とにかくその名に相応しくまさに「普通」といった印象だった。しかしながら首都圏の大手私鉄が近代的な発展を続けていたデビュー当時、京急のアイデンティティともいえるおデコの1灯前照灯、片開き扉、アンチクライマーなどを頑なに堅持し、昭和50年代に登場したとはとても思えない時代錯誤な装備をまとい、趣味的には非常に魅力のある異端児ともいえる車両だ。また最後の1本となってしまった823Fには登場時の窓回りの白い塗色が復活し、ほとんどの車歴を白帯で過ごしてきた800形にとっては非常に新鮮に見える。そんなナンバーワンではなく存在はもちろん装備もオンリーワンの800形を、これから引退までの2か月間、個人的に注目していくことを決意した。


 桜の季節に首都圏に戻ってきたので、最後の桜と共演する800形を絡めてみようかと思っていたが、引っ越し業者の手配がつかなかったり、手続きなどの役所関係、仕事の引継ぎ関係などで忙殺され、いつしか桜の季節もとっくに終わっていた。そして4月も折り返しを過ぎた頃、ようやく800形と向き合う暇ができた。複雑怪奇な運用の京急線。しかもたった1編成の被写体を狙うにはどうしてやろうかといろいろ調べてみると、リアルタイムで京急車両の動向を把握できる某サイトを発見した。各編成の現在位置も自動で更新されており、運用予測もしやすい。こいつは素晴らしい。休み前日、EOSのバッテリーを久々に充電し明日を待った。


 当日、急な仕事ができてしまい職場に向かい、3時間ほど労働に勤しみ、開放されるともう13時だった。某サイトによると唯一の800形として残った823Fは今朝ラッシュ運用に就き本線を幾度か往復した後、昼前に文庫の車庫に入ってしまったようだった。運用順なら午後は14時ころに出庫となるのだが、車庫に入ってしまうと差し替えも大いにあり得る。とりあえずその時間になるまで上大岡のラーメン屋で時間をつぶしていると、運用通り文庫を出発して浦賀へ向かったとの情報が。浦賀から帰ってくる上りはどこで撮影しよう。駅に向かい、目的地も定まらないまま¥300程度の切符を買って入場。やって来た下りエア急に乗り込んだ。本日は電車移動である。曇りというこもあり敢えて気合を入れるでもなく、どこかの駅ホームで進入してくる823Fを撮影してみようと思い、いつもの撮影と違いノー三脚、ノービデオカメラ。移動に便利な小型のEOSKissも考えたが、労せずして成果は得られないだろうと、わざわざ重いフルサイズEOSだけを携行。しかし駅撮りなので大衆の目もそれなりにあるだろうから、キモいカメラバックは封印し、軽登山用のリュックにそのキモいカメラバックを忍ばせてきた。さらにキモい感じを極力消すために、最近はほとんどしないコンタクトレンズを装着。完璧だ。あとはお目当ての823F進入の数分前にホーム端付近で列車を待っているような素振りでウロウロし、到着2分前くらいになったら迅速にリュックからデジ一眼を取り出してレンズを付け撮影。撮影した後はすぐにカメラをしまい、何事も無かったかのように次の列車に乗って立ち去ればパーフェクト! そんな作戦を立てているうちにエア急は能見台駅に到着した。まだ30分ほど時間もあったので一旦改札を出て、タバコを吸いたかったので喫煙所探しに能見台駅周辺をウロついてみるも、ニュータウンの瀟洒な街にそのような施設は見当たらず、あきらめてまた¥300くらいの切符を買い入場。下りホームに降りる。ここからはS字カーブの上り線を見通せる。現場であるホーム先端に近づくと先客1名様。目的は同じであろう。823F到着2分前、シュミレーション通りに素早く準備しその時を待った。




2019.4/19   京急本線   金沢文庫〜能見台   EOS6D 100-400mm

 奥の咲き遅れた何かのピンクの花弁がいいアクセントになった。すぐに上りホームに移動し次にやって来た電車に乗り後を追う。

 ところでご存知かも知れないが京急は緩急を駆使したダイヤが特徴でもある。普通列車が各駅で乗客を拾い、次のターミナル駅へ。すぐにやってくる後続の優等列車に乗客を移し先に発車させ、またそれを先々で繰り返す。快特に代表される優等列車は停車駅で普通が運んできた乗客を拾い高速運転を維持する。快特・特急は速達性と普通列車との連絡に重きを置き、品川〜久里浜間で何と最大6本もの普通・エア急行を追い抜くものまである。京急沿線住民はどのような乗り継ぎをすれば目的地へ最も早く到達できるか、つまりこの列車はどの駅で快特に抜かれ、どの駅で先行の普通に接続するかと、種別ごとの停車駅などは全てインプットされており、これが「京急は乗客もプロ」と言われる所以である。そんな訳で自分も上大岡で上り快特に乗り換え北上する。すぐに南太田の待避線にいる823Fを追い抜き、かなりのアドバンテージをつけて京急川崎到着。後続の普通に乗り一駅行った六郷土手で下車。823Fは2本後にやってくる。この駅を選んだのは、かつてここを通過する際、しばしホーム際でカメラを持った集団を見ていたので、おそらく有名撮影地と踏んでのことだ。降りてみてまぁ確かに多摩川にかかるトラス橋の中を向かってくる列車を撮影できるのだが、完全に編成後尾までは写し込めそうになく、編成写真大好きな駅撮り諸君でも結構手を焼く撮影地ではないかい?散々迷った挙句カーブしたホームの恩恵を受けて正面から狙うことにした。







2019.4/19   京急本線   京急川崎〜六郷土手   EOS6D 100-400mm

 さて、撮影し終えると当然だが目の前に800形が停車しドアが開いた。撤収したら次の電車で追いかけようと考えていたのだが、思わず飛び乗ってしまった。フカフカの青いシートにスパンッと閉まる片開きドア、怒涛の加速をしたかと思えば、たかだか100km/hなのに叫ぶような唸りを上げる直流モーター。少し前まで当たり前のように走っていた「普通の電車」がここにあった。最初は京急蒲田で後続の快特に乗り換え、平和島で追い越し、品川で入線を狙うつもりだったが、この800形の走りをもう少し楽しみたいと思い、しばらく乗り続けることにし、終点の一つ手前の北品川で下車した。15分もしないうち折り返してくるので、ここもまた有名撮影地、八ツ山橋梁で迎えることにした。都内の有名スポットということもあり撮影者は5人ほど。各々の地点で配置につきたいのだが、この踏切は列車本数も非常に多く、また急曲線で25km/h制限のため遮断機が下りている時間が長く、反対側に行きたくてもなかなか開いてくれない。数分間の待機の後ようやく向こう側に渡ることができた。待っていた都バス2台もこのタイミングを逃すまいと急発進していった。






2019.4/19   京急本線   品川〜北品川   EOS6D 100-400mm

 撮影後、やや急ぎ足で北品川駅に戻ると、先ほどの823Fの1本後の普通に乗ることができてしまった。青物横丁で後続の特急に乗り換え、823Fを平和島で追い越し、さてどこで撮ってやろうと場所探しを検討した。もう夕方だし先へ行けば行くほど露出も暗くなりそうなので、できれば横浜市内でやってしまいたい。しかしなかなか撮影場所を決められないまま特急は俊足で南下し、ついには金沢文庫に到着するころだった。限られた駅撮りという条件の中、もうあそこしかないと普通列車に乗り換えた。横須賀らしい急峻な地形を貫くトンネルに挟まれた逸見駅で下車。823F到着まであと35分。たったあれだけの乗車時間でこれだけ先行することができた。さて下車したからにはコンビニを探す。タバコが吸いたかったのと、せっかくの鉄道での移動なのでアルコールを調達するためだ。駅すぐ近くにコンビニ発見。缶ビールを店頭でゴクゴクやりながらニコチンも摂取。それでも足りなかったので再度入店してお替りもしてしまった。10分程度の時間で缶2本も開けてしまうとかなり気分が良くなってきた。無敵状態のまま駅に入場し今度は上りホームの先端へ。逸見駅はカーブしており、ここに立てば下り線がいくつものトンネルを抜けて接近してくるのが遠望できるお気に入りスポットだ。もともと乗降客数の少ない逸見駅のさらにホーム先端なので人の目も気にならないし、退避可能な側線ホームからなので安全に撮影できてしまう。線内でもレアな「恥ずかし撮影地」ではない駅撮りスポットでもある。望遠に付け替えトンネルの向こうに焦点を狙うと・・・暗い。時間も間もなく18時、さらに山に挟まれた僅かな明かり区間なのでしょうがない。一定の限度まで感度を上げ、1時間半前、北品川で撮影した823Fを狙った。




2019.4/19   京急本線   安針塚〜逸見   EOS6D 100-400mm

 逸見から1本後の電車に乗り、横須賀中央へ。帰宅ラッシュで混雑する駅に滑り込んでくる折り返しの上り823Fの情景をイメージしてホームに降りると、なんだか妙に閑散としている。しかし考えれば混雑するのはこちらの下りホームに吐き出される人たちなので、すぐに改札を抜けていなくなってしまうという当たり前のことが、酒の力で考えが及ばなかった。まだほろ酔いのままホームをウロウロし、仕方なく先ほど自分がホームに降りた辺りから狙うべき神奈川新町行きを待った。




2019.4/19   京急本線  横須賀中央   EOS6D 100-400mm

 というわけで本日の撮影は終了。約半日移動しただけで下手クソながらまぁまぁ収穫はあったと満足した。京急に限らず近郊電車の撮影地ガイド的なものは、どれも似たような駅撮り編成写真のようなものが多く、個人的にはイマイチ食指が動かされない気がしてきたが、引退まで残りあと1か月ちょっと。地の利を活かして身近なこの路線を研究してみようと思う次第である。

2019.5/9

 前回の京急800形撮影で、これからはこまめに成果を残しておこうと誓ったものの、20日も空いてしまった。というのは元号改正に端を発した暦のマジックで、今年のゴールデンウィークは10連休というとんでもない祭りになっていた。連日テレビでは多くのホワイトカラーの人種相手に行楽情報などを浮かれた調子で垂れ流していたが、我々ブルーカラーは地獄の日々でもあり、怒涛のように過ぎ去る10日間をただ労働に耐える日々であった。というわけで、ようやく自分の時間が確保できた本日、お出かけしてみようと思い立った。例の誓いを思い出して平日の朝からビールを片手に800形をひたすら追いかけるのも悪くはないかとも思ったが、天気が一日中曇りとのことと、こちらに越してからバイクにちゃんと乗っていなかったことから、酒はやめてある場所へ寄ってから京急沿線に戻ることにしたのだ。

 当日昼前、バイクに久しぶりに火を入れ近くの首都高入口へ向かう。湾岸線、アクアラインを経て千葉に上陸。かつて久留里線に国鉄型気動車がいた頃、こうしてこのルートでよく撮影に向かっていたことを再現してみたくなったのだ。国鉄型気動車が引退した後も、撮影目的ではなくなっていたが、同じように久留里線沿線に走りに行っていた。そして必ずここに来るときはお気に入りのラーメン屋で昼飯がルーティーンになっていた。3年ぶり、まだ営業しているんだろうか・・・。と懐かしい景色を行くと、ありました! 絶賛営業中。味も値段も店のオヤジも何一つ変わらないまま営業中であったのがとても嬉しく、また定期的に久留里線非撮影ツーリングが始まりそうな予感がする。さて、また海を渡って今度は800撮影だ。今からの運用は14時前に浦賀を出発した普通品川行き。川崎発が15時過ぎ、すべてこの時刻を逆算して出発〜ラーメン〜川崎で行動してきたのだ。目的地、六郷土手に到着すると、午前中と少しも変わらない曇天で、赤い京急カラーも冴えないだろうから突っ走る京急をイメージして流すか。でも駅進入直前なので速度は落としてくるだろう。ひっきりなしにやってくる普通列車で、減速してくる車体に合わせてカメラを流す練習と同時にシャッター速度を吟味し、万全の体制が整ったところで本番のアイツが川を渡ってきた。




2019.5/9   京急本線   京急川崎〜六郷土手  EOS6D 100-400mm

 6枚の連写のうちトラス抜き成功はこの一枚だけだった。さて移動しよう。800は1時間も経たないうち、この周辺に戻ってきてしまう。国道15号で南下。あっという間に花月園前駅到着。花月園前駅ホームのすぐ品川方にある踏切。東海道、横須賀、京浜東北の6線をまたぐJRの踏切と、京急2線の計8線をまたぐというとんでもない巨大踏切だ。当然運転頻度も各線相当に高いので開かずの踏切という訳で、そういう理由からか自動車通行禁止であることと、JRと京急の間に避難地帯がある。どうやら2輪の通行は可能なようなので、その避難地帯にバイクを止めアングルを考える。しかし夕方のラッシュ時、4輪通行禁止とはいえ、歩行者と自転車の往来もかなり多く、また遮断棒が下りている時間も長いので、その避難地帯に取り残された多くの一般人と密集しながらカメラの準備をするというのは、これはこれで「恥ずかし撮影地」だった。




2019.5/9   京急本線   京急鶴見〜花月園前  EOS6D 100-400mm

2019.5/10

 その翌日である。昨日とは違い朝から大変よく晴れている。連休だったため、前回、前々回のリベンジと、気になっていた初撮影地を訪ねてみよう。布団に入ったまま天気予報と800の本日の動向を確認すると、早朝の5時台から深夜24時近くまで、ただひたすらに品川と浦賀を往復する運用に入っていることが分かった。新町とか文庫とかで昼寝をしないので、確実に一日中線内を動いていることになるので、編成の差し替えなどの心配も不要だろう。撮影効率を考え今日は電車移動。早速下り列車の乗客となり初回に日没で真っ暗になってしまった逸見駅のトンネル遠望に向かう。到着すると先客一人。挨拶してしばらく世間話などをしているとやがて時間になってきた。望遠をシュートし近づいてくる一灯のヘッドライトを確認すると背後から轟音が。やばい、、、被られると焦った結果こうなった↓






2019.5/10   京急本線   安針塚〜逸見   EOS6D 100-400mm

 危ない危ない、危うくブルスカの餌食になるところだった。撮影後上り列車で移動。行く先はやはり初回、曇りでイマイチぱっとしなかった能見台ホームからやってみることにしたのだが、どうもここは晴れているとこの時間完全な逆光になってしまうポイントのようだった。しかもホームの乗客もかなり多く、小心者の自分としては場所移動のいい言い訳ができた。とりあえず改札を出て駅間を探索してみることにした。国道16号線と線路は並行して南北に何度もカーブしながら走っている。ここでの撮影後駅に戻り快特で追い越し撮影という予定もあるので、せめて駅から10分圏内で撮影場所を見つけたい。汗ばむ陽気の中、金沢文庫方に向かって歩いていると、なんとか撮影できそうなカーブを発見! しかし国道はというと真ん前が交差点であり、信号で止まった車の視線が気になって仕方ない。いつものように何事も無いようにうろつき通過2分前になったらセッティングして撮影、そして足早に立ち去る作戦に出た。




2019.5/10   京急本線   金沢文庫〜能見台   EOS6D 100-400mm

 撮影後、すぐに撤収。というよりは本当に急がなければ823Fを追い越すことができなくなってしまうからだ。駅に到着し無事2本後のエア急に乗車。こちらも行く先は前回微妙な薄曇りで、しかも立ち位置を見誤った北品川の八ツ山橋梁だ。追い越した品川行きを撮影するのではなく、終点に近いのですぐ折り返してくるため一旦追い越したのだった。




2019.5/10   京急本線   品川〜北品川   EOS6D 100-400mm

 北品川に戻り今度は本当に先行して待ち構えなければいけない。どこかのサイトで海バックの大俯瞰を拝見したのだ。場所はおそらく堀ノ内。京急の海バックといえば野比〜津久井浜が有名だが、こちらは相模灘ではなく東京湾バック。そのサイトには撮影地とか案内などはなかったが、画面内の情報と方角からの予測で、地図上でだいたいこの辺りからだろうと狙いをつけてきた。蒲田から快特に乗り換え堀ノ内にワープ。例の写真には堀ノ内のホームの先端が見えていたので、そこに立てば撮影場所がここから見えるはず。と、乗ってきた快特がどくのを待ってからその地点を遠めに見ると・・・肉眼では遠すぎるのとなんだか住宅がごちゃごちゃあるだけでよく判別できない。まぁともかく向かってみようか。駅前には無かったのに、歩き始めて5分ほどでコンビニ発見。時間も少し余裕があるし、朝から殆ど乗りっぱなし撮りっぱなしだったので、自分にご褒美をあげることにした。店の前の灰皿で真昼間から500mlのロング缶片手に一服。普段はあまりしない電車移動撮影の恩恵を受ける。少し気持ちよくなったところで出発。閑静な住宅街の通りで元気よく遊ぶ青少年を横目に、たぶん真っ赤な顔をしていたテツヲタが撮影地を目指す。しばらく行くと高台の頂上に何か石碑のようなものがあり、その石碑に向かうための階段が、この撮影地だった。



 なかなか良かった。東京湾唯一の自然島である猿島の向こうには浦賀水道、房総半島まで見て取れる。思惑通りこの時間なら順光なので、車体が白飛びしないように露出調整を入念に行った。




2019.5/10   京急本線   堀ノ内   EOS6D 100-400mm

 ちょっと薄曇ってしまったが、十分に満足して下界に降り先ほどのコンビニへ。ささやかな祝杯を上げてしまった。駅に戻るとちょうど浦賀で折り返してきた823Fがやって来たが、これに乗るのではなく向かいのホームに到着した快特に乗車。今度は川崎へワープだ。・・・と思っていたら寝過ごして京急蒲田だった。短時間にビール2本呑んでしまったから当たり前だ。すぐに下り普通に乗り換えて六郷土手へ。こちらも多摩川橋梁のリベンジのつもりだったが、この夕方になってついに前回同様完全な曇り空になってしまった。まだ酔いがさめていないものの六郷土手の土手へ。乗り過ごしたせいで練習する暇もなく、すぐに823Fがやってきてしまった。


2019.5/10   京急本線   京急川崎〜六郷土手   EOS6D 100-400mm

 成功したらまた祝杯だ!と考えていたものの、プレビューで見る画像は前回そのもの。なので祝杯はやめにして六郷土手駅から対岸の京急川崎へ1駅向かい、腹も減って来たので餃子の王将でレバニラ定食を食す。しかし食していると店内のポスターに「1杯目から¥298!」という熱いメッセージを発見! 次の瞬間には呼び出しボタンを押していた。完全に気持ち悪くなり店を出て、すっかり暗くなくなった川崎の繁華街を抜け、京急の高架橋と並行する歩道橋へ。ここで最後の仕上げだ。




2019.5/10   京急本線   京急川崎〜八丁畷   EOS6D 100-400mm

 一日とても楽しかったです。最後のカットに自分なりに満足してしまったので、危うくまた祝杯を挙げそうになったが、今日は帰ることにする。

2019.5/24

 それからまた何日か過ぎ、5月も終盤に差し掛かってきた。公式発表では引退は6月中旬と告知されているものの、未だに正確な日程というものが公表されていない。おそらく最終日は週末だろうから、自分としては立ち会うことができないと思うが、残り限られた時間の中で、心配なのは梅雨入りしてしまい休日の日に撮影がことごとくできませんでした、というのだけは避けたい。本日は朝から夕方まで快晴の予報。なのでしっかり押さえていきたいポイントを、本日消化してしまうことにし、バイクで現地に向かった。
 本日も朝から夜の運用終了まで本線を往復し続ける運用。正午過ぎの高い光線で迎え撃つならココ!と決めていた田浦駅近くのトンネル飛び出しに到着。事前の先行電車をテストにシャッター速度を吟味しながら823Fを待ち構えた。




2019.5/24   京急本線   追浜〜京急田浦   EOS6D 24-105mm

 練習の結果、ピンはナンバーにしっかり合ってくれて一先ず成功。もう少しシャッター速くしてちょい広角気味にすればトンネル含め周りの情景も入れられたのにと、反省したのは自宅に帰ってPCで確認してからのこと。その場では「オレって天才かも!」と悦に浸っていた。気分は最高。意気揚々と返しのポイントに急ぐ。次は京急と横須賀線のクロス地点の俯瞰ポイント。小学生のころ買った当時のバイブルというべきヤマケイ私鉄ハンドブック「京浜急行」に掲載されていたアングルにずっと挑戦したく思っていた。場所のおおよその検討は付いている。下界から見上げると足場らしきものも見える。しかしアプローチ方法が分からず、当て勘で三浦半島を横断する二子山へのハイキングコースからと決めつけて挑戦することにした。住宅街外れにある登山道入り口にバイクを停め、カメラと三脚を脇に持ちいざ入山! まずは尾根に上がるための長い長い階段を登り終えるといよいよ山道の様相を呈してきた。先ほどの823Fが浦賀から折り返してくる時間は50分程度。地図上では目的地までは15分もないだろうからのんびりとハイキングを楽しむ。しかし様子が変だ。歩けど歩けど視界は一向に開ける様子はなく、うっそうとした深い森の小径が続くのみ。しかも尾根の反対側のほうを縦走しているようで、ここで初めてGPSを確認するとだいぶ行き過ぎてしまったようなので引き返す。目的地と思われる地点でも人工衛星の力を借りて周囲をうろつくも、どうやらこの道ではないようだった。ならば力ずくで、と道から外れて草木が生い茂る山の中を目的の方角に向かって藪漕ぎを始めた。どのぐらい進んだのか。気が付くとあれだけ余裕だった上り通過時刻になってしまい、撤収することにした。ボロボロになって藪から脱出。バイクに戻り改めてポイントへのアプローチ方法を調べることにした。そして20分後、意外なところから、それも随分とお気楽に到達できることを発見した。今行った上り品川行きが折り返してくるのは17:20頃。この時刻では東に開けているこの地点は背後の山に陰ってしまうかもしれない。まぁせっかくなのでやってみようと思い立ち、空いてしまったあと3時間を、飯を食ったり近くのホームセンターをうろついたりして時間をつぶした。やがて通過20分前。先ほどのお立ち台に戻ると、手前の影はこの季節ギリギリ大丈夫なようで一安心。谷底から吹いてくる気持ちの良い風に癒されながらその時を待った。




2019.5/24   京急本線   京急田浦〜安針塚   EOS6D 100-400mm


2019.6/12

 現在この文章を書いているのは6/12(水)。800形の最終日は、公式では、今春発売された800形引退記念乗車券購入者から抽選で、当選者だけを招待した専用列車となる、6/15(日)のお別れ運転が実質最後の運用になるとのこと。発表されているのは午前中に品川から客扱いで久里浜工場まで。このまま解体の運命をたどるのだろう。この日は一日中仕事で最後の雄姿にお別れすることは叶いそうにないが、以前700形や1000形の引退の際、公式のお別れ運転の翌日まで運用に入っていた実績があり、今回もまたそれを期待して翌月曜を休みにしておいた。というわけで最後の休みの今日、自分なりのお別れ運転のつもりで品川から浦賀まで全線2時間、乗り通してみた。

 先頭車にはチビッコ達が占拠し、各駅のホーム端にはほとんどの駅で撮影者を見かけた。京急は大々的にこの引退劇を告知している様子もなく、乗り合わせた一般の方たちは何事だろうといつもの様子と違うことに気づいたのか、ならば、と若い女性とか仕事帰りの普通のサラリーマンらが、スマホで車内の様子や通過待ちの時間にホームに降りて写真を撮っている光景が微笑ましかった。自分はというと、一応EOSは持参してきたのだが、チビッコに混ざって大人がフィーバーに乗って撮影に来たと思われるのもなんだか気が引けたので、撮影は乗降客の少ない浦賀駅と一部箇所だけにとどめておいた。

 京急最後の4扉車、一灯の前照灯、そして首都圏最後の片開きドア。いよいよ最期の時が迫ってきた。沿線随所では4扉車が1編成いるだけで設置のできなかったホームドアの準備工事も進んでおり、800の引退を今か今かと待ちわびているようで、それも物悲しかった。来週からは全列車の性能やドア位置なども統一され、運用する側にとっては好都合だろう。昔の京急を知る人間として、京急独自の最後のアイデンティティーを継承した800形は忘れられないだろう。




優等列車に何度も追い抜かれながら、品川から55kmを2時間。ようやく終着浦賀に到着。幕回しが始まってしまった。
2019.6/12   京急本線   浦賀   EOS6D 24-105mm




折り返しのひと時。ゆっくりと時間が流れる。
2019.6/12   京急本線   浦賀   EOS6D 24-105mm




幾度となく表示した「普通 品川」 本当の「幕」も少数派になってしまった。
2019.6/12   京急本線   浦賀   EOS6D 24-105mm




オデコはあだ名の通りまさに「ダルマ」そのもの! 伝統の一灯ライトが昭和の京急らしい。
2019.6/12   京急本線   浦賀   EOS6D 24-105mm




後期型は寒色系のシートと木目調の仕切り板。前期グループは赤のモケットで、さらに第1編成は遮光性のある金色の窓ガラスだった
2019.6/12   京急本線   浦賀   EOS6D 24-105mm




2019.6/12   京急本線   浦賀   EOS6D 24-105mm




爽快に開く片開きドア。これで見納めだ。
2019.6/12   京急本線   六郷土手   EOS6D 24-105mm

2019.6/17

 昨日、最後の800形のお別れ運転が団体臨時列車として品川〜久里浜工場で運転された。一方、実質的な営業列車としては6/14(金)の運行が最後であり、翌土曜日は一日新町検車区で待機。そして日曜にラスト運用となった。期待していたお別れ運転後の営業は案の定無く、久里浜工場に入ったのを最後に、営業線上には二度と出ることはなかった。休みにしていた月曜は突発的な業務で潰れ、ようやく夕方になって仕事が終わったので、久里浜工場へ800の動向を見に行くことにした。陽の長いこの季節。18時少し前ではあるがバイクで出発。横浜横須賀道路を南下し、久里浜工場に到着した。まずは工場裏の解体線、通称「無架線地帯」に行ってみる。営業終了2日後でまさか解体の準備に入っているとは思っていないが、ふと気になって立ち寄ってみた。するとちょうど1年前に引退した2000形トップナンバーの2011Fの中間車が相棒の数両を失って、今まさに解体を待っているところだった。すでに1年経過した塗装は退色が進んでおり、あの栄光の京急のフラッグシップであった2000形の成れの果ては直視できないほど痛々しい姿であった。その2000形の後方には最後に残った823Fの盟友でもある825Fが同様に哀れな状態に。夏の遅い残照に物悲し気な姿を照らされながら、運命の時を待っていた。バイクを置いてしばらく工場裏手を徘徊すると、いた! 昨日営業を終えたばかりの823F。幕は抜き取られパンタも降ろし、駆け抜け続けた41年の生涯を終え、ようやく安息の日を迎えホッとしているように見えた。2枚ほどシャッターを切り、再び薄暗くなってきた横々に乗って、800形の最後の2か月に立ち会えたことを振り返りながら家路を急いだ。




2019.6/17   京急久里浜線   久里浜検車区(車両管理所)   EOS6D 24-105mm



2019.6/17   京急久里浜線   久里浜検車区(車両管理所)   EOS6D 24-105mm