紅葉の越美北線  国鉄「色」だけの旅

2018.11/15

 ふと思い返すと、5か月もの間、撮影に出かけていないことが分かった。仕事はそれなりに忙しいが、全く休めなかった訳ではなく、少し業務に集中しなければならない時期でもあったので6月の中央西線以来、カメラを戦闘態勢にすることが無かっただけである。その業務もひと段落付き、とある休みの日、久しぶりにお出かけすることにした。平野部の福井市内はまだまだであるが、少しヤマのほうに分け入ればこの時期なら紅葉が美しいかもしれない。ということで地元中の地元、超地元である越美北線に初めて撮影目的で訪れることにした。福井に住んでしばらく経つが、越美北線に目を向けることはほとんどしなかった。使用機材がキハ120であることが大きいが、一方越美北線自体は越前大野を過ぎたあたりから徐々に深い山に分け入っていく風光明媚な路線で魅力的である。この路線に乗車した経験は2回ほど。1回目は20年ほど前、18切符を使って旅した冬の北陸旅行。そして2回目は福井に越してきたばかりの頃、暇つぶしに九頭竜湖まで折り返し乗車しただけだ。ツーリングやドライブでは何度も利用している国道158号線。今回は初めてテツ的な視点で訪問すべく、クルマを走らせた。

 ものの1時間程度で第一目的地の勝原駅到着。途中の中核駅である越前大野を出た越美北線は、大野平野を坦々と走り、平野の外れから上り勾配にかかる。いくつか駅を過ぎるとかつての終着駅勝原に到着する。越美北線の歴史はそんなに古くはなく、福井〜勝原の第一期の開業は昭和35年のことだ。勝原駅に到着すると「いかにも」昭和30年代の造りといったこじんまりとした駅舎が残っていた。











 もともと運行本数の少ない越美北線のほとんどの列車が途中の越前大野止まりなので、ここ勝原や終着九頭竜湖まで行く列車は一日たったの5本のみだ。その列車のいないほとんどの時間をこうしてのんびり駅は時を過ごしていた。かつては有人駅で交換もできる対面式のホームの跡が見て取れる。聞く話によるとこの駅には蒸気機関車用の転車台があったようで、大野まで貨物をけん引してきた蒸気機関車は、わざわざ単機でこの駅までやって来てターンテーブルで方向転換をしていたそうだ。昔の賑わいを想像しながら少しばかり時間をつぶし、いよいよ列車がやってくる頃になったので移動する。駅から数百m。昔からの名撮影地、第二九頭竜川橋梁に到着した。紅葉はもう少し先といったところ。しかし空はバリバリに晴れており、まさに秋晴れだ。ここは午前中順光になるところなので、午前中の2往復のうち唯一陽の当たる時間にやってくる725Dに合わせてこの時間にやって来たのだ。






2018.11/15   越美北線   柿ヶ島〜勝原   EOS5D 100-400mm

 列車はもう止まってしまうかといわんばかりの超徐行運転で第二九頭竜川橋梁を渡っていった。平日でしかもほとんど乗客の姿はないように見え、まさか観光徐行ではないだろう。ところで今回は車両目的ではなく、飽くまでも越美北線自体が被写体だったのだが、ド派手な地域色でなく、一応国鉄色であるタラコであったのがせめてもの救いだった。側面になんだかロゴのようなものが描かれてはいるが、本当に純タラコ一色の車両もいるらしいので、後半戦で登場することを祈った。さて、今行った725Dはこのあと九頭竜湖まで行って折り返してくる。この区間は超閑散線区でもあるので、越前大野〜九頭竜湖間21kmが一閉塞区間でスタフ閉塞であるらしい。同じタマを持った同じ列車が戻ってくるのは30分後。それまで駅周辺をクルマを置いて散策したりして時間をつぶした。






ヤマから降りてきた列車が勝原に到着。当然乗降はゼロだった。
2018.11/15   越美北線   勝原   EOS5D 100-400mm

 さてさらに奥地へ進むことにする。勝原から先は昭和47年に開業した区間。よって鉄道建設公団の手で建設された区間でもあるので、同時期に開業した他路線と同様、ほとんどがトンネル区間になり撮影は難しくなる。越美北線も勝原を出るとすぐに5km以上の長さを誇る荒島トンネルや下山トンネルで直線的に山を貫く一方、我らが国道158号はウネウネと大げさに蛇行する九頭竜川に寄り添いながら鉄道の倍近い距離で標高を稼ぐ。運転しながら窓を開け、吹き込む心地よい秋風を存分に浴びながら、越美北線の次の明かり区間である越前下山駅直前の温泉施設「平成の湯」に立ち寄ることにした。クルマだと自宅から1時間ちょっとの距離なので、たまに訪れているお気に入りの温泉。その魅力は何といってもいつでも「空いている」こと。・・・だけではなく施設もキレイだし泉質もいいし露天風呂は広いし料金も良心的だし魅力いっぱいなのだが、残念なのは供食設備がないこと。一応隣のホテルのレストランがその役割を兼ねているようなのだが、以前、そこで食事をしようと入店した後にメニューを見たらすべてがビックリ価格であったので、その中でも一番安い普通のカレーライスを喰ったことがあった。今日は腹は減っていないので、入浴後、畳敷きの休憩室で至福のゴロゴロタイム。30ほど昼寝して午後の最初の列車の時間になってきたので越前下山駅に向かった。以前より国道から何度も眺めてきたが、駅に立ち寄るのは初めてのこと。築堤の上に設けられた1面1線の停留所。このころの鉄建公団らしい簡素な待合室だけがあった。






2018.11/15   越美北線   越前下山  EOS5D 24-105mm

 午前の便と違いロゴの無いタラコ一色がやって来てくれた。それにしてもこの列車も乗客は1人か2人程度であった。大野から先の末端部。どう考えても存続している意味があるのかと疑問に思う。たいがいこのような閑散線の存在理由として、「代替道路の未整備」と「冬季の輸送の確保」が理由となることがよくあるが、平行する国道158号はよく整備されているし、沿線の通勤通学需要などほとんどありそうにないし、21世紀に存続していることは奇跡とも思える。いや、廃止すべきと言っているのではない。テツ的には残ってくれるのはありがたいが、もしかするとJR西本店はこの越美北線の存在を忘れているのでは?などと思ってしまう。だからどうか本店から越美北線が見つかりませんように・・・と願い、折り返しの次の撮影場所に向かった。九頭竜を出て最初のトンネルに入る直前、きれいな築堤をアウトカーブから狙う区間であるが、セッティングを済ませて落ち着くと、どうも逆光気味の光線が気に入らなくなってきてしまった。移動しようか、それともここで妥協しようか。時間もない中考えていたが、移動することに決定。列車はそろそろ九頭竜湖を出発する時間だ。列車は長大なトンネルで一気に下るので、先行できるか微妙なように思えるが、列車のほうが速いのは山岳区間だけ。大野の盆地に降りれば短い駅間や線形の悪さで、先回りできることは可能と思える。大野市街を迂回するバイパスで列車を先行。この先の撮影地など全く未知なのでカーナビを操作しながら、太陽の角度と線路の進行方向を見ながら、至ってただの田んぼの直線に出ることができた。傾き始めた西日もいい感じだ。




2018.11/15   越美北線   足羽〜六条  EOS5D 100-400mm

 西日をいっぱいに浴びてタラコ色をさらに輝かせながらキハ120は軽快に駆け抜けて行った。さぁ自分も家に帰ろう。夕方になって少し寒くなってきたので、今日の夕飯はキムチ鍋にしよう。帰りにスーパーで食材を・・・と考え事をしながら撤収作業をしていたのが悪かった。望遠から標準レンズに付け替えている最中、キチンとロックがかかっているのを確認せずレンズを持って持ち上げたところ、カメラ本体が突然抜け、固いアスファルトの地面にゴツンと落下してしまった。恐る恐るEOSを持ち上げてみると、凹んではないもののペンタ部分にかすり傷。背面にも少々・・。13年愛用してきて初めて傷物にしてしまったショックでしばらくその場所を動けなかった。作動確認してみると全く問題は無いようで、加えて高さ1mからの落下にかすり傷程度と、さすがタフネスはMade inJapanと改めて感心させられてしまった。進化の速いデジタルカメラ。13年前の機材でも自分の使用範疇なら性能は全く問題は無く、負傷した箇所だけを治療してこのまま愛用し続けようと決め、数日後キャノンのサービスセンターにパーツ交換できるか尋ねてみると、なんと該当機種は半年前に部品のサポートが終わってしまったばかりとのこと。傷の少ないジャンク品を手に入れて部品のスワッピングまで考えたが、こんな地方都市からでは現実的ではない。

 結局11月も終わりに差し迫ったある日、たまたま見た通販サイトで、後継機種の登場により在庫処分となっていた6Dが格安で売られていたので、「ポチッ」と押してしまった。しばらく罪悪感に駆られる日々だったが、考えれば5Dの性能に多少なりとも不満を感じたことも確かだったので、いいきっかけになったのかも知れない。しかし長年連れ添った相棒を裏切るわけにもいかず、第一線を退き今後はサブとして活躍してもらうことに決めたのだった。