国鉄色祭り初ジャンル 更新前の大山ケーブルカー

2015.5/11

 自分が中学〜高校生の頃、新年を迎える瞬間を、同級生たちと登った「ヤマ」で過ごすのが常だった。その「ヤマ」とは神奈川県民、心のふるさと「大山」である。標高こそ1252mとさほど高くないものの、蛭ガ岳、丹沢山、塔ノ岳など県内1,2の標高を争うほどの丹沢山塊の最も東に位置し、神奈川県東部の平野部からどこでもその姿を見ることのできる特徴的な山容。その存在感から古くは信仰の対象として奉られてきた霊峰でもある。学生時代大晦日の夜、友人4名ほどで出発。小田急からバスへと乗り継いで終点で下車。土産物屋が連なる参道をしばらく登ると大山ケーブルカーの追分駅(現:大山ケーブル駅)があった。ケーブルカーは元旦の深夜は下社駅(現:阿夫利神社駅)まで参拝客輸送のため終夜運転をしていて、多くの人は日付が変わる頃ケーブルカーに乗って神社で参拝、その後さらに上へと登り頂上でご来光、というのが定番コースだったが、我々の部隊はケーブルカーに乗るのは軟弱!と決め付け、深夜、線路と平行する真っ暗な氷点下の登山道を懐中電灯の明かりを頼りに山頂を目指していた。まぁそんなこんなで楽しい学生時代を過ごしていて、結局大山ケーブルカーには1回も乗らずに時は過ぎ、ふとしたことから昨年の夏、思い出したように初めてそのケーブルカーに乗ってみようと思い、バイクを麓に止めて1往復してみた。その時はほぼ手ぶら状態であったので写真はスマホで何枚か撮影した程度だったが、開業した昭和40年当時から使われている年季の入った車両に心を奪われ、いつしかちゃんと記録目的で再訪しようと思う間もなく、ある知らせが届いた。

「車両、設備更新のため、2015年5月18日から9月30日まで運休」

 どうやらバリアフリーとか施設の老朽化、より環境にやさしい・・・・なんちゃらかんちゃらで、線路、駅施設の大幅な改良と、例の昭和に生まれたあの車両は引退してしまうとのことだった。というわけで運休も押し迫った最後の平日、記録用の機材を持って大山に向かったのであった。ケーブルカーの撮影など当然初めてのこと。沿線から走行風景を撮れるのかどうかも分からないまま、麓の駐輪場に到着。今日はささやかだが山歩きもあるので、いつもダミーで使っている軽量の三脚、そしてEOSキッス、ビデオカメラをリュックに入れて超軽装備でやって来た。今日は平日ということもあって訪れている観光客もまばらで、ケーブルカーの駅までの参道の土産物屋はどこもヒマそうだ。その参道を10分ほど登り、大山ケーブル駅に到着。券売機が無く窓口で切符を購入し、いざホームに上がってみると緑色の車体の「おおやま号」であった。




2015.5/11  大山鋼索線   大山ケーブル   EOSkissX3  17-55mm




2015.5/11  大山鋼索線  車内から   EOSkissX3  17-55mm

 車体は派手な原色に塗られてしまっているが、1990年代までは親会社である小田急電鉄のロマンスカーに準じた塗装であり、そちらのほうが写欲はそそられるのだが、車内は昭年40年代の面影を色濃く残していた。じきに出発時刻となり電鈴が鳴ると車掌がドアを手動で閉めた。車内は新緑目的のハイカーが10名ほど、そしてすでに始まっている施設の更新工事のため、作業員も同じ人数ほどを乗せて、車両は音も無く動き出した。ケーブルカーに動力は付いていないので、線路と鉄輪の音がするだけでまるで客車列車に乗っているようだ。しかしボギー台車と違い二軸であるこのケーブルカーは独特の乗り心地で、「ダン!・・・・ダン!」と南部縦貫鉄道のレールバスのジョイント音を思い出させてくれた。2分ほど登り途中駅、大山寺に到着した。反対方向の列車とはここで交換するのだが、調べると意外なことにケーブルカーの交換地点に駅が設けられているのはこの大山ケーブルカーが国内で唯一とのことだった。ここで相棒である赤い車体の「たんざわ号」と交換した。




2015.5/11  大山鋼索線   大山寺(車内から)   EOSkissX3  17-55mm

 大山寺で赤い「たんざわ号」と交換し、勾配も徐々にきつくなって来たところで終点、阿夫利神社駅に到着した。駅周辺から今乗ってきた「おおやま号」が出発する光景でも撮影しようかとビデオの準備をしていると、まだ折り返しの時間で無いにもかかわらず、何の前触れもなく発車ベルが鳴り、突如出発していった。どうやら旅客ダイヤの合間を縫って、作業員輸送用の臨時便が設定されているらしく、やがて登って来た「たんざわ号」には作業員と幾つかの資材が積み込まれていたりもした。








(上)到着する専用列車  (中)駅全景   (下)出発していく旅客列車
2015.5/11  大山鋼索線   阿夫利神社   EOSkissX3  17-55mm

 一通り出発風景を撮影したので、沿線を下って歩いてみようと思う。駅舎内の自販機でポカリを購入。チビチビ飲みながら登山道を下った。登山道は線路に沿うとは言い難く、一直線に下界を目指す線路とは違い、九十九折をしてみたり大きく迂回してみたりするものの、勾配はかなりなもので、中学生の時分よくこんな急坂を登ったものだと我ながら感心していた。ちょうど途中駅の大山寺との中間地点に差し掛かった時、登山道の一角に三脚を立てて線路にレンズを繰り出す年配の「テツ」な方がスタンバイしておられた。ここは丹沢山塊の山の中。こんなところで目的を同じとしたテツ同士が出会うなんて、何というか奇跡を感じた瞬間だった。軽く挨拶をし、その方のすぐ横に三脚を立てようとすると突然「そこ怒られるよ!」と警告を受けた。ほとんど真隣だったので「イヤ、アンタはいいんかい?」と内心思ったが、この広い世界でこんな場所で出会った奇跡。この奇跡を汚したくなかったので素直に自分は引き下がり、撮影はせずさらに下界を目指した。途中登山道はケーブルカーのトンネルの上を通り、線路と寄り添ったり離れたりしながら下って行く。すると乗っているときには気が付かなかったのだが、沿線で唯一と思われる高架橋を見つけた。ここからは森の広葉樹で視界が限られ全貌は見えないが、山深いケーブルカーのイメージにマッチしていたのでここで撮ってみようと三脚をリュックから出していると、下界から息も絶え絶えになって登って来たもう1人のテツと合流した。お互いお立ち台などで交わすような挨拶をしセッティング。ほとんど木々に遮られ訳が分からない緑のフレームの中、赤い「たんざわ号」が姿を現した。




2015.5/11  大山鋼索線   大山寺〜阿夫利神社   EOSkissX3  55-250mm




山道を歩いていると菩薩様の団体に出会った。

 列車通過後、その方とお別れしてすぐそこにある大山寺駅を目指して歩いていると、下から登って来た方々が自分に向かって次々に「こんにちは〜」と挨拶してきた。「何!? 全員テツか!?」とその数に驚いたが、なんてことはない、一般の登山者で、彼らの世界で言うところの「お気をつけて」などの普通の挨拶で、我々の業界で言う「ちょっと隣お邪魔しますよ」とか「朝早くからご苦労さんですね」などと意味合いが全く違うものだと気が付いた。ここは北陸本線でも信越本線でもない。彼らのテリトリーの中での活動であるので、極力順化しようと努めてこちらも爽やかに挨拶していった。そうしているうちにいつの間にか中間駅である大山寺に到着した。対向ホームに線路を渡る跨線橋。地方の私鉄の交換駅の風情そのものだが、唯一違うのはその勾配。なかなか味わったことのないケーブルカーの途中駅の雰囲気を楽しんでみた。








とにかくもう、「いろいろスゲーな、おい」
2015.5/11  大山鋼索線   大山寺   EOSkissX3  17-55mm

 ちょうどこの駅には線路をまたぐ跨線橋がある。普通の鉄道ならこの程度の規模の駅なら構内踏切で事足りるはずだが、当然ケーブルカーは線路の間をケーブルが動いており、安全のため跨線橋になっている。その跨線橋に登って上下の列車を撮影することにした。




下ってきた「たんざわ号」
2015.5/11  大山鋼索線   阿夫利神社〜大山寺   EOSkissX3  55-250mm




上ってくる「おおやま号」
2015.5/11  大山鋼索線   大山ケーブル〜大山寺   EOSkissX3  17-55mm




そして交換
2015.5/11  大山鋼索線   大山寺   EOSkissX3  17-55mm




通常鉄道は左側通行だが、ケーブルカーは構造上それぞれの車体によって左右が決まっている。
2015.5/11  大山鋼索線   大山寺   EOSkissX3  17-55mm

 撮影後、一旦阿夫利神社に上り、最終の1本前の便の最前席を確保して前展ビデオを撮りながら下界の人となり、このゆる〜い旅は終了した。