「北越」「くびき野」 引退前夜のこと

2015.3/11

 毎年この季節になると必ずやって来る別れと出会いの季節。人間社会と同様、鉄道業界にとってもこの3月は多くの別れと出会いが交錯するシーズンだ。自分はこの改正前の2日間、休みを作っておいた。詳しく書くまでも無いが、今季定期運用を終了する新潟車485のお別れをするためだが、撮影は今まで数えきれないくらいに果たしてきたので、今回は普段の生活をしている間に遠くの地で引退する485系を紙面やネット上で後になって様子を感じるのではなく、現地に行ってしっかりと485が歩んできた歴史の最後の現場に一緒に立ち会いたいという衝動で旅立つことに決めたのだった。当日の現地の天候も思わしくないらしく、ちょうど良いかもしれない。一応記録機材も携えて新潟に向かうことにした。最終日の前日、午前中に私用を済ませて出発したのは日もまだ明るい15時前だった。時間もかなりあるので渋川まで関越で向かい、そこから一般道国道17号線で三国峠を越え六日町へ。そしてそこから北越急行線沿いの国道253号線で十日町へ。町外れにある公営の温泉施設で休憩をし、暗くなった国道をひた走っているといつのまにか小雨だったのが横殴りの猛吹雪になっていた。今年は春の訪れが早かったため、ノーマルタイヤに履き替えて来ようと思っていたところだったので、スタッドレスのままで正解だった。山道を走り下界に下りてくると先ほどまでの荒天は嘘のように収まり、月明かりが照らす直江津市街に到着した。ガス補給して今度は内陸へ。明日の予定など全く考えていなかったが、関山のセブンイレブンの駐車場で今日は夜を明かすことにした。

2015.3/12

 朝8時頃起床。8時間以上クルマの中で寝てしまい、乾燥した車内で喉が非常に痛い。それでも目覚めの缶コーヒーと一服をしながら何となく直江津市内に出てみることにした。今日はT18がくびき野運用であるA622、K1が北越運用であるA604に就いているが、空は冷たいみぞれの混じったにわか雨が降るといういかんともし難い天候。撮影はとても出来そうではないので、明日から3セクに移管されてしまう信越山線の「妙高」に乗車してみたいと思い、駅前のコインパーキングにクルマを入れ、長野までの切符を購入した。葬式テツと乗り収めの一般客、あと明日開業イベントでも行われるのであろうか、その練習に集まったと思われる地元青少年諸君。いつもと違い少し活気のある直江津駅構内で「妙高4号」を待っていると、やって来たのはあさま色のN102編成であった。この妙高も今日が最後。結構な混雑になるだろうと警戒していたが、出発前には窓際がようやく埋まる程度の乗車率だった。すると向かいのホームにT18編成「くびき野3号」新潟行きが到着した。




2015.3/12   信越本線   直江津   EOS5D  24-105mm

 10:13。定刻に直江津出発。あとはもう坦々と各駅に停車しながら長野駅を目指す1時間40分の行程だ。この直江津に戻ってくるのは4時間以上後でもあるので、売店で買っておいたビールを次の春日山までの間に飲み干し、移ろう景色を眺めているうちすぐに眠りこけてしまった。今まで何度も撮影してきた信越山線でもあるので、車内から撮影地を見てみたいと思っていたのにも関わらず、長野までで目を覚ましたのは二本木のスイッチバックだけだった。とは言っても国鉄特急型に乗りながら独特の駆動音と独特の車内臭を感じながらうたた寝をした1時間40分は至高の時間でもあった。やがて長野駅到着。帰路に乗るつもりである「妙高3号」まで1時間近く時間があるので、構内の立ち食いソバで腹を満たし、駅ホームで特急「しなの」や普電を撮影しながら、乗ってきたN102の扉が開くのを待った。






2015.3/12   信越本線  長野   EOS5D  24-105mm

 12:45。長野駅出発。今度は寝ずに車窓を楽しもうとしていたが、寝るどころか車内は暖房が効き過ぎていてとても不快だった。腕まくりをして汗をかきながら車内から撮影地観察。やはりテツに混じって地元の方々も多く線路脇でカメラを構えている。そういえば・・・今ここで思い出したが、今日、長野車スカ色115による臨時列車が運転される日ということに気が付いた。時間的にも午後1往復するはずだ。もし知っていればどこかでやっつけ程度に撮影したのであろうが、暑い車内にあと1時間以上閉じ込められなければならないこの身にとって、どうすることも出来なかった。止まらない汗をぬぐいつつようやく直江津到着の放送が入った。ホームに降り立ち久々の外の空気を吸い、やがてやって来るK1編成の「北越6号」を迎えることにした。他にも今日ラストランである「はくたか」も結構なお別れ乗車でにぎわっているようで、到着するたびに停止位置付近では撮影大会のようになっている。6号もこれ以上の状態であろうから、早めにホームの一番先頭で陣取り、屋根もないためミゾレにひたすら打たれながらK1の到着を待った。




憎き青電も今日が最後。横をK1が颯爽と金沢に向かって旅立っていった。
2015.3/12   信越本線   直江津   EOS5D  100-400mm




ずいぶん寂しくなってしまった乗車案内札も過去のものに。






まさに特急街道。将来伝説となる列車たちが東へ西へ。


「翼は消えず生まれ変わる。日本海よさらば。」 地元愛あふれる素晴らしいポスターに目が釘付けになった。

 しばらく構内で撮影した後、久しぶりにクルマに戻った。これからどうしたものか。某掲示板では先ほどまで冬季体勢でこの直江津に常駐していたDE15が、つい1時間ほど前、所属の新津に帰ったという書き込みが入っている。件の115もDE15もどちらも撮れずじまいになり、もうすぐやって来るT18「くびき野2号」を撮らんことには本日収穫ゼロということになる。もともと撮影ではなくお別れ程度にやって来たはずだったが、いつもの悪い習慣が出てきた。ミゾレも雨に変わったり雪に変わったりして、キチンと向き合って撮影することも出来ないだろうが、気が付くと当ても無いまま国道18号線を妙高高原方面へ急いでいた。しかし高田市街を抜けると突如として今回初の太陽が姿を現した。もう間もなく「くびき野2号」がやって来てしまう時間。慌てて線路を見渡せそうな場所をカーナビで検索し、通過5分前にセット完了した。




2015.3/12   信越本線   脇野田〜北新井   EOS5D  100-400mm

 こうして自分の人生で、新潟での485撮影はこのショットをもって終了した。北越地方を縦横無尽に駆け抜けてきた列車たちは、明日から新幹線にその役目を渡して第一線を退く。今後は唯一485の定期運用として残される糸魚川〜新潟間の快速に、R編成も含めて、残された485が公平に回ってくれればと思う。また今後も、運用を予測して天気図を気にしながら新潟出撃を実行したい。ただそれだけを願いながら、帰路に就くため高速ICを目指して走ったのだった。