くびき野485。5月編

2014.5/29

 ついに来たる7月、「いなほ」から485系撤退という情報が新潟支社より発表された。北陸新幹線開業の来年春までもう1周、まだまだ羽越線の四季の移ろいを楽しめるものだと安心していたが、それは適わぬ夢となってしまった。あと2ヶ月弱。入梅することに加え、最近ほとんど国鉄色編成はおろか、新潟色のT編成までもが羽越線の運用に就いておらず、こうしている間にも刻々とその時を迎えていることが、どうしようもなくたまらない・・。前回の新潟巡業から1ヶ月とちょっと。見たまま情報も最近少なく、羽越線狙いは止めてとりあえずある休みの日、あても無く新潟へ向かうことにした。T18、K1、K2の動向はここ3日間ほど伝えられていない。でもまぁいい。新緑は終わり、桜でもなんでもないこの季節。ほぼドライブ目的で関越トンネルを越えたのだった。

 最初からピンポイントでの撮影地の目的は無く、ただなんとなく新潟方面。向かう途中にでも新しい情報が入ればラッキー程度に考えていただけなので、北に向かう表定速度は著しく遅い。途中のSAで飯を食ったりしたあと、仮眠した大和PAで目覚めると、すでに午前8時だった。すぐに携帯で485掲示板を確認しても目新しいことは書かれていない。こうなれば自分で見たままを確認して運用予測で午後の撮影1本に賭けたいと思った。信越本線来迎寺駅に程近い長岡南越路スマートICで高速を降り、線路沿いに柏崎方面へと流す。心のどこかで少し期待していた新緑もほぼ終わりかけで、季節感を表現できるとすれば水張りの終わったばかりの田んぼぐらいだ。心地よい陽気に窓を少し開けて快走しながら思った。間もなく「くびき野3号」とすれ違うはずだ。この列車を確認しておけば返しの「くびき野2号」で戻ってくるはずである。すると遠目にやってきたのは美しい国鉄色の編成だった。しかし線路から距離は少し離れており、どの編成かまでは判別できないが、これで午後の2号はほぼ確実。軽い気持ちで来てしまったが、来た甲斐のある旅程になりそうだ。それにしてもまだ時間がありすぎるので、線路沿いの県道の路側帯にクルマを停め、昼寝しては起きのセルフ見たままをすることにした。北越3,4,6号と見送ったがどれもR編成。こうなれば到着した時に見送った「くびき野3号」の返しである「くびき野2号」の唯一1本に絞ることになってしまった。絞るといってもあまりにもダラダラ過ごしていたので時間が無くなり、特に撮影地を探すでもなく、少々水鏡を期待して、田植えの終わったばかりの田んぼのあぜ道に広角のレンズをセットして待つことにした。




これが日本一旨いコメになります。作付けの終わったばかりの田んぼを横目に「くびき野2号」が舞う。
2014.5/29  信越本線  塚山〜長鳥   EOS5D  24-105mm

 広角、サイド、線路からの距離なので相変わらず編成は分からぬまま。でも無鉄砲に出撃して1本でも撮れただけでもよかったことにしよう。うん、そうしよう、となぜかいつも以上に満足しながら機材をしまいこみ、この旅唯一だった撮影地を後にした。明日の仕事は遅いし、なんとなくこのまま、また関越に乗って帰路に就くほど急いでなかったので、日本海側の柏崎に出て美しい夕陽を見ながら一般道で海沿いを走り、かなり遠回りだが直江津から長野経由で帰ることにした。まだ日没には少し早い時間だったが、のんびり国道8号線を流し、開けたウィンドーから吹き込む心地よい海風を楽しみながら西へ向かった。途中鯨波の撮影地を通過すると、突然脳内に閃きが・・! そういやさっき撮影した「2号」はいつ戻って来るんだろうか?ということだ。早速クルマを停めて調べると、新井で折り返し「くびき野5号」として戻ってくる事が判明。気になる通過時刻は18時少し前。夏至まであと1ヶ月であれば十分撮影可能だ。さてどこで撮る? 考えあぐねて出した結論は青海川〜笠島間のラブホテル裏のポイントだった。到着すると岬に下りる獣道で海側から狙えば陽が当たる。急いで草むらを掻き分け道を下った。この季節では草木が背丈ほど伸びてしまい、アングルは限られるのだが、雪の上で撮影する時と同じように周囲を踏み固めていると、周囲がようやく開けてきた。太陽はぐんぐん地平線に近づきほぼ真横から国鉄色を照らすだろう。期待しながらその時を待った。




2014.5/29  信越本線  笠島〜青海川   EOS5D  100-400mm

 ファインダーに飛び込んできた485は特徴のあるオデコの2灯ヘッドライト。今日一日撮影していたのはT18編成と最後に知った。この後は暗くなった国道を直江津まで走り、内陸に折れてひたすら一般道で長野市内〜軽井沢を目指す。気温4℃の碓井バイパスを下り、そろそろ眠さの限界を感じてきたので松井田妙義ICから高速に乗った。少し走った群馬県内の甘楽PAでついにダウン。4時間も寝てしまい、ようやく起きて走り出したものの、すぐにまた関越に乗った花園PAでもう一度気を失い、ラッシュの終わった環八を通過し、やっと我が家にたどり着いたのは正午前という近年稀に見る散々な帰還であった。