紀勢貨物。最後の春編。

第1回 2013.2/25

 深夜0時に仕事を終えると職場の駐車場のクルマに飛び乗った。クルマにはいつもの撮影機材フル装備と着替え、資料などが積まれている。ネクタイを締めたまま東名のインター向けて走り出すが、今日はこのままナイトランを続け、翌早朝の2089レを捕まえる作戦である。距離にして450km。この季節、撮影の北限であるだろう2089レの多気発が6:35なので、頑張ればやってやれないことはなさそうだが、厳しい戦いが想像できる。ともあれ午前1時前には横浜町田ICで東名には乗っていたい。時間も無いのでインターまでの間にある吉野家で腹ごしらえをし、保土ヶ谷バイパス〜東名に入ると0:50分であった。忘れ物もないようだしここまでは順調順調。高速入ったころ、出勤前に時間が無かったので充電できなかったカメラの電池を、運転しながら片手で取り出し充電器にセット。少しでも時間が惜しいので距離を稼いでおきたいため、MP3プレーヤーも走りながらカーステレオにセットしたりして御殿場から新東名へ。いつもながら快適な路面についついスピードも乗ってしまうが、どのくらい時間を縮めるだろうか? しばらく走ると新静岡ICを過ぎたあたりで強烈な眠気を感じてきた。あーやっぱり無理だったか・・・。半分無理だろうとは思っていたが、案の定運転の限界を感じてしまった。かろうじて到着することができたPAは遠州森町という名だった。ここまで順調に来ることができたが終了である。シートを倒してそのまま気を失った。

 翌朝、目が覚めたのは、本来の予定であれば一発目の貨物を撮影している6:30だった。狙うべき列車はここから200km離れた紀勢本線多気駅に到着するころだ。何となく出発時からたどり着けない気はしていたので、すぐに諦めてとりあえずは気になる、本日の2089レのカマ情報だ。有難いことに紀勢本線の掲示板では早朝の三重県内を通過する2089レの上流の目撃情報がほぼ毎日書き込みされてて、自分含め紀勢詣で関係者にとって大いに助かる情報源になっている。頑張れば撮れた「であろう」本日の機関車は・・・昨年7月にも撮影した更新機891号機であった。ともあれ更新色で良かった。このままのんびり紀勢線入りして午後の上り2088レをどこかで撮ってみようか?などと考えるうちに、仕事が終わってそのまま出発したこともあり風呂に入りたかったのを思い出した。そういえば以前新東名のSAにはどこも長距離ドライバー用のシャワー室があったことを思い出し、次の浜松SAまで少し走る。施設内に入りシャワー室へ。受付のおばちゃんに更衣室のロッカーのカギを受け取り脱衣所へ。¥200を入れると10分間シャワーが使えるようだ。風呂のように足を延ばせるリラクゼーション感は全くないが、仕事終わりでそのまま長距離を走って来た体には非常にありがたい。しかし利用時間のカウントダウンが始まって1分ほど過ぎた頃、石ケンの類が用意されていないことに気が付いた。あの受付で購入するシステムなのか。残り時間もだいぶあるので一旦浴場から出て服を着、石ケンを求めに受付に申し出ると、「ない」とのこと。主な利用者であるトラックの運転手は石ケン持参でこういう施設を利用するのか、と少々驚きながら残り時間5分になったシャワーを浴び、中途半端にスッキリした感じでクルマに戻った。ギラギラ照り付ける朝の光を浴びながら三ヶ日から東名、そして伊勢湾岸道へ。2時間も走らないうち再び睡魔に襲われて長島PAで少しの仮眠・・・・のつもりであったが4時間も寝てしまい、起きると正午を過ぎていた。全くダメダメだ。仕事の後、家帰って寝て早朝出発した方がまだまだ早かったようで、そんな情けなさにゲンナリした。こうなるととことん今日はどうでもよくなり、追い討ちをかけるように東名阪道に入ると今度は事故渋滞のお知らせ。通過に2時間ほどかかると電光掲示板に言われホンマかいな?と疑いながらも渋滞に突入すると、ホンマに2時間を要し、目的地の勢和多気ICを降りると14時を過ぎていた。たった400km走るのに13時間かけたことに自分でも呆れ、久しぶりの国道42号線を南下した。あまり手前で2088レを迎えてしまうと日没で光も厳しいだろうからとにかく南に向けて走る。荷坂峠を越え紀伊長島を過ぎ、尾鷲に到着するころには夕方の紅い太陽光線になっていた。しかしこの付近の2088レの通過時刻からするとすでに日没する時間なようで、仕方なくどうでもいい道路からの見下ろしポイントにたどり着き、もうすぐ尾鷲を出発してこちらに向かってくるだろう891号機を待つことにした。


2013,2/25  紀勢本線  尾鷲〜相賀   EOS5D  100-400mm

 2088レを見送ると太陽が沈み、辺りは暗くなってきた。1日1往復の貨物列車撮影。明朝まですることがなくなり本格的に風呂に入りたいのと飯を食いたいので、少し大きな街に出てみることにし、北上して松坂市内を目指した。すると松坂手前の多気市街にとてつもなく巨大なショッピングセンターを発見。ちょっと休憩がてらにクルマを駐車場に入れてみると、同じ敷地に日帰り温泉が併設されていたため迷わず入湯することにした。平日とだけあって空いていて、露天風呂を一人で貸切り設置されているテレビを見ながら、疲れていたこともあって半目でボヘーッと30分ほど脱力していた。ここにはかなり満足し浴場を出て、今度は腹も満足させなければならないと駐車場から国道に出ようとすると、またもや同じ敷地内にラーメン屋があるのを見逃さなかった。特に感動するほど美味いわけではなかったが一気に用事を済ますことができてしまったため、今度は寝場所を探す移動を始めることにした。明日の朝イチの撮影場所へのアプローチに便利そうで、落ち着いて寝られそうな場所にするため、高速に1区間だけ乗り、紀勢道の奥伊勢PAで一夜を明かすことにした。

2013.2/26

翌朝、空が白み始めてきた奥伊勢PAを出発。次の大宮大台ICで降りた。目的は深い峡谷となった宮川を一気に長いトラスで渡る三瀬谷橋梁。この季節列車の通過時間には陽が差し込むかどうかのギリギリの場所になるが、今回の旅程の中でもぜひ押さえておきたい場所だった。7時前、2089レの通過予定時刻が徐々に迫ってくる。そして背後の東の山の稜線もどんどん明るくなってくる。どうなるか!?まだ来ないでくれ、と思いも儚く、太陽光線のまだ届かない雄大な橋梁の向こう側からDD51のホイッスルが聞えてきた。あと5分遅ければ、あと1週間遅ければ・・・・。そして気になるカマは!? 橋梁の向こうのカーブから姿をあらわしたのは側面の「JRF」の文字も勇ましい更新色1028号機だった。



2013,2/26  紀勢本線  三瀬谷〜滝原   EOS5D  24-105mm

 せっかく来たことだし追っかけしてみることにした。出会ったことのない新しい撮影地に巡り合うかもしれない。この時間、この場所では陰ってしまったが、今日は天気は良さそうだ。すぐに大宮大台ICから紀勢道に乗りこみ撮影地を考える。間に合わないなら間に合わないでいい。とりあえず次の大内山ICで降りて、10数年前、学生時代に撮影したことのある大内山〜梅ヶ谷の築堤カーブで狙ってみることにした。

【昔の写真

九州行きツーリングの途中に立ち寄った紀勢本線。当時はワムからコキに変わっていたが、牽引は重連であった。
2001.8  大内山〜梅ヶ谷   EOS55  28-105mm

 しかし現地に到着してタマげた。背後に来月延伸開通予定の紀勢道の紀伊長島区間の築堤が背後にバッチリ写ってしまうではないか。昨年夏にここを通った時、あの時の風景の場所とは知らずに目の前を何往復もしていたが、全く気が付かなかった。しかしここでジタバタしても列車はもうすぐやってきてしまうので、仕方なしに線路にへばりつき、望遠を据え付けて、「引き」ではなく「撃ち」に急遽変更することにした。



やっぱり入ってしまう紀勢道の法面。10年経てばなんとやら。
2013.2/26  大内山〜梅ヶ谷   EOS5D  100-400mm

 今回の旅も駄作を量産している。いっその事ダメ元で先月RM誌に撮影地ガイドとして紹介されたあの場所に行ってみようと思う。キャパは狭いとどこかのサイトで聞いていたが、どうせこんな日だし気楽に見物でもできたらと思う。高速道路バックで撮影を終えると特に急ぐでもなく、列車の後を追い荷坂峠を越える。列車はこの先、紀伊長島で数分の停車があるのみで目的の撮影地にはギリギリの到着になってしまいそうだ。でも間に合わなかったらそれでもいい。まだ帰るには早すぎるのだ。さて国道42号線は交通量は多いものの流れはかなり順調で、例の目的地に通過15分前に到着した。よく写真でしか見たことのない構図。いったいその周辺はどんな風景なのか、と楽しみに訪れることはあるのだが、今回はなんてことはないただの道路脇からの撮影だった。しかしながらこの時間の光線状態は抜群で、背後の雑木林もいい感じだ。こういうところを最初に見つけた人はいい目を持っているね、と感心しながらクルマを停めると、すでに3名ほどの先客の方が高い脚立の上のスタンバッておられた。噂に違わぬキャパの狭さ。道路からこの直線をスコーンと気持ちよく抜くには、一番乗りするか2m以上の脚立を持ち込む必要があったようだ。仕方なしに手前に柵が入ってしまうもののかろうじて道端から抜けるアングルを決定してとりあえずの一服。脚立の壇上で待ち構える三重県内の方としばし談笑しながら平和に列車を待っていた。



ご立派です!今日こそ言うまいと思ったけど、やっぱり「国鉄色だったらどんなに・・・」
2013.2/26  三野瀬〜船津   EOS5D  100-400mm



2089レの続行の普通列車。
2013.2/26  三野瀬〜船津   EOS5D  100-400mm



 第2回 2013.3/5

 前回から1週間ほど経った3月の第1週。夜勤明けと翌日が休みだったので、すぐに熊野詣の計画を立てた。いつものようにまずチェックするのは天気予報。すると三重県南部地方は降水確率0%の一日中晴れ。さらに最高気温17℃の見込みというではないか。まるで4月の陽気になりそうなので、これならバイクで行っても快適なツーリングも堪能してしまえそうだ。当然今年初のロンツー。普段から毎日のように二輪車には乗っているが久々の長距離なので、タイヤの空気圧を少し高め、エアクリーナーを掃除し、そろそろ厚みの残りが少なくなっていたので買っておいたリアのブレーキパッドを交換。そして最後に軽く洗車した。ここまで正味1時間。クルマと違って走るための準備をしなければいけない二輪車のライトなメンテナンス。結構自分的にはこの時間が大好きである。夜勤を終えてから早朝にこの作業をし、午前中昼寝。14時過ぎに出発した。インターまでの間、自分は飯を食ったり、バイクにも飯を食わせたりして東名〜新東名へ。浜松の手前、掛川付近で日が暮れてきた。気温17℃というのは明日のことで、いつもより少し暖かい程度だった今日の陽が落ちてしまうと急激に気温が低下してきた。出発時には久々のロングツーリングでオラオラのテンションであったが、気温が7度を下回って来ると急に弱気になってくる。一服休憩のつもりで入った掛川SAで、今夜の寝床を探すことにした。最初はどこかのSAの屋内でゴロネでもいいかと思ってきたが、弱気な時はとことん弱気で、スマホで「  松阪市  津市  健康ランド  サウナ  カプセルホテル  」などと検索していた。しかし良さげな物件はあまりなく、最終的には「  マンガ喫茶  ネットカフェ  」も追加検索したがどうしても風呂に入りたかったので諦めることにした。仕方ない。先に進もう。高速道路の流れは至って順調で伊勢湾岸道刈谷SAに到着。ここが自宅から西へ進んだ際、バイクの航続距離の限界であり、いつもこのSAで給油する。ついでに体の芯まで冷え切っているので昼飯から4時間しか経っていないが夕飯にしよう。とかくバイクに乗ると腹が減るのだ。名古屋といえば味噌カツ丼定食。いつものように当然美味く、何よりも凍える長距離走行の後のオマケの味噌汁が堪らない。食べ終わると疲れと安心感から食器もそのままにテーブルに突っ伏して気を失ってしまった。 やがて・・・蛍の光に起こされた。時間は22時前で3時間近くも寝てしまっていた。食堂がどうやら閉店するようなので出発準備に取り掛かることにした。ここで夜を明かすのではなく、なるべく距離を稼いでおいて一番気温の低くなる早朝の移動はできるだけ避けたいのが人情だった。施設を出て場内のガソリンスタンドで給油。そして闇夜の高速へと走り出す。時速100km+自転車のスピードくらいで走りながら考えた。今夜はどこで寝ようか?昨年の夏、同じく2089レを撮るために来た際、この先の安濃SAで寝たことがあったが、あの時は施設の改装工事をしていたため自販機コーナーの床にゴロ寝した。さすがに工事は終わって快適で立派な設備に生まれ変わっているに違いないと残り100km余りを走り抜き、安濃SAに到着した。果たしてリフレッシュ工事の終わった安濃SAの建物は少しおしゃれなカフェレストランのように改修されていた。食堂や売店は営業していないようだがその食堂の座席は解放されていてここで宿泊できそうだ。時刻表を枕に長椅子にごろ寝。0時ころになりウトウトしてかけていると突然照明とエアコンが消された。周囲には何やら鍵の束を持った人物がウロウロしていて、何かを施錠しているようだった。マズイ。追い出される。今日ここで追い出されてしまったら屋外で夜を明かすことになる。別に隠れているつもりはなかったが、なるべく自身の存在を消そうと息を殺しているうちに深い眠りに就いてしまった。

本日の走行距離 394km

2013.3/6

 5時半にセットしておいた目覚ましが鳴った。結局あのまま施設からは追い出されずに快適に屋内で就寝することができた。見つからなかったのか?それとも見逃してくれたのか?どちらにせよ感謝感謝である。身支度を整えていざ出発。やはり自動ドアのカギはかかっていて内側から開錠して外に出ると猛烈な寒さだった。当然わが愛車は霜に覆われており、スクリーンの霜を少し磨いてから暖気を長めにして本線へと合流した。まだ陽は昇っていないが、空は快晴であることがわかる。今日の撮影に期待した。20kmちょっと走り時間があったので撮影地の一つ手前の勢和多気ICで降りる。インターからほど近い前回も訪れた鉄橋見下ろしアングルに到着すると、先客が1名いらっしゃった。セッティング開始。時間が経つにつれ続々と撮影者が増え、かと言って広いお立ち台なので皆さんそれぞれ分散して総勢10名が見守る中2089レの前に通過する上り普通列車がやって来る時間になった。キハ40であるが通勤通学輸送用に5両編成のこの列車。たまに国鉄色も入ってたりするものだからなかなか捨てがたい列車だ。それはそうとこの322D、今日は時間になってもやって来ない。遅れているのか5分経ち、10分経っても姿は見せない。この322Dが遅れてしまうと下りの2089レは本来交換するはずである川添駅で待機か、時変をかけて交換駅の変更かもしれない。そうするとこの先の大内山での8分停車も分からなくなり追っかけ組はやきもきしだした。と、そんなころ背後からディーゼルの咆哮が聞えてきた。約14分の遅れだ。



亀山行き322D。今日の国鉄色はサンドイッチ編成だった。
2013.3/6  紀勢本線  滝原〜三瀬谷   EOS5D  24-105mm

 本命の2089レはどのくらい遅れてくるのだろうか?時間的にも貨物列車を三瀬谷で交換させるのがベストであろう。念のため本来の通過時刻にスタンバイをしていると予想通り定刻の7:13。轟音が近づいてくるのが分かった。本年度4回目の訪問。更新機か?ついに国鉄色か!?



更新機だった。しかもナンバープレートまで赤い825号機。
2013.3/6  紀勢本線  滝原〜三瀬谷   EOS5D  24-105mm

帰ることにしましたよ。色は違えどDD51はDD51。山あり谷ありの素晴らしいロケーションの紀勢本線を名車DD51が駆け抜けるってだけでも有難いのだが、期待していた分、なんだか足がこれ以上南の方に足は向かなかった。現場で撮影していた一同は1分もしないうちに全員が列車を追っかけて立ち去り、取り残された自分ただ独りになり少し一服。今日走って来たルートをそのまま帰ることにした。帰り道は予報通りポカポカの春の陽気でバイクにはとても心地よい気温であったが、いよいよ今年もスギ花粉が飛び始めているようで伊勢湾を渡り終えるとどうしようもないくらいに鼻と目がグジュグジュになってきた。ほとんど一つおきのPAに立ち寄り顔を洗ったりしているうち16時ころには横浜到着。来週も2連休の休みがあるので再び紀勢本線を目指すべく、近所の行きつけのバイクパーツ屋に立ち寄り、冬用の処分品の激安グローブと、マツキヨで花粉対策の薬を調達して2013年初のロングツーリングは幕を閉じた。

本日の走行距離 505km
今回の旅の総走行距離  899km
燃費 31.1km/l



 第3回 2013.3/13

 あれから1週間が過ぎ、とうとうダイヤ改正直前、最後の週になってしまった。ダイヤ改正は3/16(土)。そして滞在予定は3/13(水)〜3/14(木)。ダイヤ改正の前日の15(金)が紀勢貨物最終日となる訳だが、ダイヤ改正当日の16(土)に鵜殿からの返却回送をするわけにもいかず、15(金)の2089レの行程は恐らく鵜殿に前日送り込まれたコキを返却するための単機回送である可能性が非常に高い。本当にラストランである。当方としても気合が自然と入って来る。前回の熊野詣での帰り際、次回のバイクでの参戦のため花粉対策を調達して、実戦投入の日を待ちわびていたのだが、3月も中盤に差し掛かるとどうしようもないくらいの花粉の多さに、とてもではないが往復1000km近い距離をイエローパウダーの中を走る自信が全く持てなかった。職場への数十分の距離もしんどいくらいだ。というわけでクルマで行くことにした。ラストランのフィーバーともなればクルマでの撮影地到着、からの追っかけは経験上無理なような気もしてくるが、こればっかりはいたしかたない。仕事終わりの20時過ぎ、家を出た。さすがに深夜帯ではないので新東名の交通量は多少あるように思えるが、順調に伊勢湾も渡り、午前2時前、現地にほど近い道の駅「大宮」に到着することができた。広い駐車場に止め4時間ほど仮眠を取った。

 翌朝。起きてすぐに上流情報を確認。毎日こうして三重県南部で2089レを待ち構える不特定多数のテツに対して情報提供してくれるのは本当にありがたいことだが、恐らく管理人さんの日課であると思われる観察日記もあと3日で終わってしまうわけで、ご本人の気持ちはいかばかりか?ともあれ今日も一テツとしては多いに感謝する。・・・で肝心のカマは・・・。今日も更新色の857号機だった。昨年6月の遠征開始から通算5回。ついに一度も国鉄色を拝むことはなかった。神様の意地悪に「一回くらいいいじゃん!」と心の中で思いながら、撮影場所を探すことにした。国鉄色なら今日のように曇っていても三瀬谷橋梁で撮っておくつもりだったが、ふいに面倒くさくなってしまい、何となく見つけた跨線橋で朝の一発目をやることにした。



2013..3/13  川添〜三瀬谷   EOS5D  100-400mm

 今日も更新色であるがそのまま追っかけ。列車はこの先の大内山まで停車は無く、坦々と紀勢本線を走るので、いつものように紀勢道を1区間だけ使い大内山へワープした。ここでは上り南紀の通過待ちがあり、いくばかりか運転停車がある。そのわずか数分のドラマを見たかったのだ。現地に到着すると、先ほどまであんなに霞んでいた大気は澄み渡り、昇ったばかりの朝陽が駅構内を静かに浮かび上がらせていた。やがて、大げさなほどの賑やかなブレーキ音で2089レが到着。静かな山間の駅にディーゼルエンジンのアイドリング音だけが響き渡り、特急の通過を待っていた。



2013..3/13  大内山   EOS5D  100-400mm

 名古屋へと急ぐキハ85が通過してしまうとすぐに出発信号が青に変わり、DD51がコキをゆっくりと牽き出しを開始した。自分もさらに後を追うように進路を南へ取り出発。2089レは荷坂峠を越え紀伊長島で数分の停車があるので、ここから先の追っかけは非常に厳しい。平行する紀勢道が荷坂峠を越え下界の紀伊長島まで開通するのは今月末。もし追っ掛けするために紀勢道を使えれば長島以南の追っかけ撮影も可能であっただろうが、高速の延伸を待たずして2089レは無くなってしまう。あと少し開通が早ければ可能性はより広がっていただろうに2089レの引退には間に合わなかった。一方自分は一般道で峠を越え順調に長島市街に突入。そのまま市街をスルーして前々回訪れた船津のストレートを目指した。海沿いも走る国道42号線。キラキラと朝日が海に反射してキレイだ。貨物列車よりわずかに先行しながら例の撮影地に到着すると、案の定、すでに定員オーバーな状態。すぐに切り替えて踏切脇で正面から待ち構えることにした。



2013.3/13  三野瀬〜船津   EOS5D  100-400mm

 行ってしまった・・・。今去って行った857号機は午後の2088レで帰ってくるのだが、何度も期待した原色ではなかったので、今さらながらテンションがダダ下がり撮影する気にもなれず、ここからはもう一日中何もすることが無くなってしまった。キハ40の一般色も流れてなさそうだし、午後は雨っぽい予想だし、どうやって一日過ごそうか。しかしその前に腹も減っており、ちゃんとした米も喰いたかったので、遠いを承知で尾鷲にあるすき屋を目指して走り始めた。先ほどの撮影地からしばらく走り、尾鷲市街をパスする国道のバイパス沿いのすき屋到着。朝の納豆定食をおいしくいただいた。しかし飯を食い終わっても時間はまだ10時前。明日の2089レまで22時間以上待ちがあるので、目的地も無いまま、なんとなく北に向かって走り始めた。途中道の駅「長島」で2時間ほど昼寝。それでもまだ正午なので名松線でも見学してみようかと思い、松坂市内をショートカット。やがて名松線の中核駅「家城」に到着した。中核といっても2009年に発生した水害によって名松線の末端部分である家城〜伊勢奥津間は現在災害復旧中であるとのことなので、この家城が現在の終点になっている。時刻表を見ると間もなく列車が到着する時間だったので、ヒマつぶしに松坂まで往復乗車してみることにした。しかしこの家城駅、駅周辺まで結構家屋が立て込んでおり、クルマを置いておくようなスペースが全く無かった。当然このようなところにはコインパーキングなどある訳なく、仕方なく隣の関ノ宮に移動するが、こちらもクルマを置けるような場所がない。さらに次の伊勢川口へ。田圃の中に少しまとまった集落がある程度のこの駅周辺は昔ながらの駅前の風情を残しており、ここに一時駐車させていただくことにし、家城行きの列車を待った。やってきたキハ11単行に乗り込み2駅走って家城到着。改札を出て松坂までの切符を買い再び乗車。ややあって折り返しの松坂行きになったのだが、この列車、終点間近まで乗客は自分独りだけだった。終点松坂では折り返しまで約30分程度あったが、腹も減ってなく何もすることが無かったので、ロータリーの喫煙スタンドでモクモクやってから、再び名松線の乗客となった。列車が山間に入ると雨が降り出してきた。明日は紀勢貨物の実質的な最終日であるのにこの天気。何度も車内で携帯で天気予報を確認するも、降水確率50%とという何ともいかんともし難い確率。モヤモヤの自分とは対照にキハ11は相変わらず元気に走り抜き、クルマの置いてある伊勢川口に到着した。列車を見送ると雨の降る音と、田圃の虫の声だけ。空は雲に覆われているものの、すでに昼の明るさは無く、何とも言えない侘しさだけが辺りを支配していた。



列車に乗る前の伊勢川口駅。



帰ってくると雨が降っていた。



駅前の商店はなぜか「時計屋さん」1件。どんな需要があるのだろう?

 クルマに乗り込み出発。するといよいよ雨足も強くなり、ワイパーを最速にしなければならないほどの大雨になってきた。松阪市内に到着。餃子の王将があったので迷わず入店して、いつものように一人旅であるので大量のニンニクを入れたネギラーメンの餃子セットを完食。前々回も利用した多気市街のショッピングセンターに併設された温泉に行ってみた。飯も喰って風呂も入ってしまうとあとは寝るだけ。まだまだ早い時間だったので携帯のワンセグでテレビをしばらく見た後、そのまま場内のマックスバリューの洗面所で歯磨きした後、アルコールを調達。明日の撮影地はここからかなり近い距離であるので、目立たぬようこの広い駐車場の片隅にクルマを移動させ、一夜を明かすことにした。

 2013.3/14

 翌朝。雨は上がっているものの、起きる直前まで降っていたようで周囲にはモヤがかかっている。撮影には最悪すぎるコンディションだ。前述したが今日は木曜日。明日はおそらく朝の鵜殿行き2089レは鵜殿に今日送り込まれたコキを回収に向かう単機である可能性が非常に高い。つまり2089レのスジに乗ってDD51がコキを牽いて紀勢本線を南下するのは実質今日が最後ということになる。日の出から時間が経っても一向に明るくならない東の空を恨めしく思いつつ、昨日目を付けておいた撮影地に向かう。さて最後のカマはどれか? ほどなく現地に到着し、あえて上流情報は確認せずセッティングしていると、続々と同業者が増えだしてきた。聞えてくる会話を盗み聞いていると、どうも最後の最後に原色が入ったらしい。JRFの粋な計らいなのか、本来であれば超絶気合を入れる場面であるが、この天気からしてすでに敗北は確信している。やがて遠くの踏切が鳴ると、ついに待ち望んだオリジナルカラーの853号機が爆煙を上げながら姿を現した。しかしっ!よりによってハイビームだ。



咲き遅れた梅が見送る踏切にて。通算5回目にしてようやく国鉄色と出会うことができた。
2013.3/14  紀勢本線  栃原〜川添   EOS5D  100-400mm



高速使って2発目。山間に入るとついに晴れ間が出てきた。
2013.3/14  紀勢本線  伊勢柏崎〜大内山   EOS5D  24-105mm



と思ったら陰る。大内山の南紀退避で3発目。
2013.3/14  紀勢本線  大内山〜梅ケ谷   EOS5D  24-105mm

 どれも仕上がりに満足いくものは無かったが、3発いただくことができた。この先は長時間停車がほとんどなく、また各撮影地には先客がいたりして厳しいのは容易に予想できる。でもまぁダメ元で追っかけてみようかと思い出発することにした。国道42号線はそれなりに交通量のある片側1車線の道なので無理しようにも無理できないのでため、4発目、撮れればいいだろうくらいに考えていた。するとどうだろう。かつてないほど国道42号線の流れはあり得ないほどスムーズになり、荷坂峠を越えて紀伊長島の街に着く頃には列車より5分先行していることが判った。でも船津のストレートはキャパが狭いのでもう一杯だろうし、道瀬の海バックもクルマを停められるスペースはもう無いだろう。市街を抜け焦りながら考えているうちに跨線橋からチラリと線路が見えた。ココだ!と意を決してクルマを停めすぐにスタンバイ。すでに紀伊長島を出発しているDD51のヘッドライトが見えている。いつも露出はマニュアルで設定するのだが、その時間も惜しく、めったに使わない「P」で迎え撃つことにした。



2013.3/14  紀勢本線  紀伊長島〜三野瀬   EOS5D  24-105mm

 朝陽を浴びながらDD51は南紀を目指して勇ましく去って行った。明日は早朝からの仕事なので、自分はこれにて引き上げなければならない。初めてその姿に出会ったのは今から21年前。ことあるごとに熊野詣したいと思いつつ、実現したのは最後の1年間だった。多くのテツの先人たちが遺していった言葉を思わずつぶやいてしまった。

「もっと早くから撮っときゃ良かった・・・」