長野電鉄2000系

2011.6/15

 予てから長野電鉄2000系は撮りたいと思う被写体だった。地方私鉄の特急専用車として昭和32年に登場した、特徴ある湘南スタイルの2枚窓。沿線の風景にぴったりマッチするラインカラーが国鉄色を連想させる。その色合いと丸っこい風貌から、名産品にちなんで「リンゴ電車」とも呼ばれる。いつしか、いつしか行ってやろうぞ、と思っているうちについに今年2月に2000系は定期運用を終了してしまった。転入してきた小田急HiSEや成田エクスプレスが長野電鉄の特急運用をこなすことになり、その座を奪ってしまったからだ。しかし長電のHPによると残った2編成のうち長電オリジナル塗色のA編成だけは夏まで籍はあるようで、それまでの期間は団体や臨時スジで残る余生を細々と送るようだ。HPにもA編成の運用は掲載されていた。いずれもほとんどが須坂〜長野間の往復運用で、夕方少し足を延ばして信州中野に1往復するといった程度。また「特急」ではなくて普通列車の代走という往年の活躍とは比べ物にならない扱いだ。でも2000系は2000系。最後に記念撮影程度に撮ってやろうと思い立ったのは出発のわずか2日前という、ほとんど思いつきだった。

 仕事を終え、風呂も入らずにバイクで夕方出発。練馬から関越に入り飛ばす。先日エンジンオイル、ドライブベルトを交換したばかりで、気のせいか走りはいつもより快調だった。また今まで装着していたHIDも装着から4年ほど経っており、バルブから発する紫外線の影響かリフレクターもくすんで光量が無くなってきたため、思い切ってソーラム製の新品のHIDと、さらに左右のリフレクターも新調したばかりなので、ナイトランも愉快快適だ。そんな訳もあってか今日も250ccではありえないほどの巡航速度で北上し続け、途中一服した以外はほぼノンストップで走りきり、自宅から3時間ちょっとで目的地である更埴ICで高速を降りた。事前に下調べをしておいたインター近くの健康ランドにバイクを寄せチェックインした。少々造りは古いが非常に大きな施設であり、また平日ということもあってかほとんど貸切状態。風呂はというとこれもまた閑散期のコスト削減か半分ほどの浴槽のお湯が抜かれていたので、仕方なくサウナとジェット風呂をただ一人満喫した。燃料節約のためか非常にぬるい風呂に浸かりながらも今朝からの仕事の汗を流し誰もいない大広間で面白くないテレビなどを見ていると、体がいつものアレを欲する。広い施設にただ一台だけ稼働していた満身創痍のアレの自販機に500円玉を投入しお買い上げ。喫煙室でだらしない恰好をしながら呑む風呂上がりのビアーの旨さは筆舌に尽くしがたい。(以下割愛) 結局ダラダラと4本も呑んでしまい完全に出来上がったまま仮眠室に潜り込んだのだった。

翌朝、チェックアウトの放送に起こされる有様。撮り始める予定だった朝の2往復はもう間に合わない時間だ。最近こんなんばっかだなと反省。ストイックに駅寝でもしたほうが良かった気もするが後の祭りである。嘆いていてもチェックアウトも近付いているので朝風呂も諦めて出発の準備を整えすぐに撮影地に向かった。朝の2本が行ってしまったため幸か不幸か次の3往復目まではかなり時間があり、長電は初めての撮影ともあって充分にロケハンに充てることができた。ゴミゴミとした長野市内を抜けて大通りから一本路地に折れると、そこは閑静な住宅街。その住宅街を突っ切って行くと桐原駅があった。平屋の木造駅舎と対向ホームのただの地方都市の郊外駅。駅全体が鉄道模型のレイアウトのような造りでなかなか好ましい感じだ。次の2000系長野行きはここでやってやることにした。まだ時間もあるので駅前のセブンイレブンでガリガリ君を食べながら通り過ぎる電車を見学。やって来るのは元営団3000系、東急8500系、そして連節車のジョイントを響かせて通過して行く元小田急HiSE。小さい頃本で見たOSカーの印象が強かっただけに、こうして都会で活躍していた電車を見る事が出来るのは新鮮だ。やがて遠目に丸っこい2000系が隣駅を発車するのが見え、踏切が鳴り、桐原に到着した。




チャリ&ライドで生活感漂う桐原駅。




2011,6/15   長野電鉄長野線  桐原  EOS5D 24-105mm

 駅での出発を見届け、その後を追うように長野方に移動する。別に追っかけする訳ではない。長野からの折り返しを地下からの飛び出しを撮るために移動したのだ。また住宅街を走り、トンネル出口の歩行者専用の小さな踏切で待つことにする。地下へと下る33‰の急坂が始まる区間だ。セットしながら一息つく。通り過ぎる人も疎らだ。初夏の日差しが降り注いでいる。ここは複線区間のため頻繁に地下へと吸い込まれたり、地上に顔を出して坂を登って来る電車をのんびりと観察しながらリンゴ電車を待っていた。




ここは二子玉か!? 都会を走っていたころは「信州」なんて表示するなんて思いもよらなかっただろう。
2011,6/15   長野電鉄長野線  善光寺下〜本郷  EOS5D 100-400mm




おおっ! 普通なのに通過灯が点灯中。
2011,6/15   長野電鉄長野線  善光寺下〜本郷  EOS5D 100-400mm




ふと近くを見るとスズメバチが通過電車に目もくれず捕食中。

 またまたバイクにまたがり移動開始。出発前少し調べた長野電鉄の撮影地ガイドではどこのサイトにも載っていた朝陽駅周辺に向かう。恐らく有名な撮影ポイントで「朝陽カーブ」とまで名がついている。その朝陽カーブに向かう途中、地図を見誤ったせいでしばらく迷い、ようやくその目的地に着くことが出来た。なるほど、山々をバックに田んぼの中、インカーブで上下方向に撃つことが出来る。ただ難点は田んぼと線路の間に農道が通っており、運が悪ければ軽トラと電車がグランドクロスしてしまう可能性がある。「まさか」なんて思うと本当に「まさか」になりそうだったので、邪念を捨て去りしばらく様子を見ていると、タマーに人と車の通行はあるようで、よほど運が悪くない限り被ることはないだろう。




アイヤー!! N'EXではないかい。知ってたけど目の当たりにするとこの風景とのミスマッチに萌える。
2011,6/15   長野電鉄長野線  付属中学前〜朝陽  EOS5D 24-105mm




心配を余所にオバチャリ出現。
2011,6/15   長野電鉄長野線  付属中学前〜朝陽  EOS5D 24-105mm


 撮影時は「アアァァーッ!」だったけど、出来上がりは意外に目立たず、まぁ風情もあって良い。さて次の撮影地に移動しようか。今度は千曲川に懸かる国道と鉄道の併設橋だ。昨年鉄橋の掛け替え工事が完了し、新線に切り替えられたばかりだが、併設橋は健在だ。現地に到着して道路+線路の併設が同時に写し込めるポイントを探したが、どうやら新しい橋のたもとにある高さ1・5mほどの親柱に登って望遠で覗くしか方法はなさそうだった。登ってみると結構恥ずかしい。かなりの通行量がある国道脇、歩行者もいない歩道に設置されている親柱の上に立つ男が一人。通り過ぎるドライバー達は何を思ったのだろうか。




旧橋と同じく道路と線路が同じトラスを共用する珍しい構造は健在。
2011,6/15   長野電鉄長野線  柳原〜村山  EOS5D 100-400mm




近代的な鉄橋の近くの村山駅はローカルな佇まいの交換駅だった。
2011,6/15   長野電鉄長野線  村山  EOS5D 24-105mm


 この長野行きが行ってしまうと、いよいよ次は本日最後の一往復だ。この列車だけは日中往復していた須坂からさらに足を延ばし信州中野まで顔を出す。出発前に調べた撮影地情報では桜沢付近に雄大に弧を描く大俯瞰ポイントもあるらしいので、すぐにその場所を探すべく北上を続けた。地形図を確認しながらココだ、と思うところを探索したのだが斜面に張り付くように建っている集落の中の狭い路地を、バイクの機動力を活かしながらウロウロとしていたが、結局発見できず。時間も押し迫っていたので泣く泣くヤマを降り、少し下調べをしておいた切通しに向かうことにした。県道脇にバイクを停め、腰丈以上も生い茂った草をかき分けながら小さな丘に登ると、そこは線路を見下ろすプチ俯瞰だった。




午後になりだんだんと曇って来た。直線区間を飛ばすA編成。
2011,6/15   長野電鉄長野線  都住〜桜沢  EOS5D 24-105mm


 この2000系最終は信州中野まで足を延ばしてくれたが、本当に長野電鉄らしい区間となるとさらに先の湯田中温泉方面になるようだ。遠い昔、「私鉄特急電車大集合!」みたいな本に必ずと言っていいほど乗っていたリンゴ畑を行く2000系の写真はどうやら本当に信州中野以遠のようだ。無理を承知で市内からここにくるまでずっとそんなイメージを描きながらロケハンをして来たのだが意外にも家屋が建て込んでいて、そのような場所に出くわすことは無かった。はて、困った。わずかな折り返しまでの時間。地形図を見ながら線路と交差する踏切を全て、しらみつぶしにあたってみると、意外にもすぐ近くにリンゴ畑の中の踏切を見つけることが出来たが、当然今は夏なので、ただの葉っぱだけの果樹園を進む2000系で今回の撮影は終了した。




2011,6/15   長野電鉄長野線  都住〜桜沢  EOS5D 24-105mm


 まだまだ16時前であるが、2000系はこの後長野まで往復し、車庫のある須坂に戻り本日の運用は終了してしまう。午後になって曇って来た空も今にも雨が降り出しそうなほど暗い。ある程度成果はあったのでこれで本日は撤収することにした。しかしまだなんとなくバイクの走りが物足りないような気もしたので、須坂から国道406号線で峠を越え菅平を経由して上田から上信越道に乗り帰還した。