EF64原色重連と諸々

2011.8/10

 いつものようにアツい走りで上信越道坂城ICを降りたのは、すっかり陽も上りきった午前5時だった。本日のターゲットはズバリロクヨン貨物である。昨夜、仕事が終わって寝る前の晩酌の時間を楽しもうとしていた時、パソコンで何気なくネタ関係の情報を見ていると、本日の中央東線89レにEF641006+1048が充当されたという情報を見てしまった。どちらも今や貴重な国鉄色を纏う重連コンビである。ふと反射的に一口目の缶ビールから口を離した。いつしかの記憶でこの中央東線89レのカマは、翌日そのままのコンビでしなの鉄道坂城往復の貨物に流れることが分かっていたからだ。調べてみる。やはりそうだ。89レで信州入りした重連コンビは篠ノ井でマルヨした後、翌朝の2088レ〜2085レでそのまま組成を崩さず坂城までタキを運ぶために往復するのだ。今から出発すれば確実に原色重連に出会う事が出来る。咄嗟に気付いたオレ、流石だ・・・。勿体ないが開けただけの缶ビールはそのままに、すぐに出発の準備に取り掛かった。そろそろバイクで長距離を走りたい気分だし十分間に合う距離だったので二輪テツにしようかと考えたが、今からではビデオやカメラの充電は間に合わないため走りながら車内充電をしようとクルマで行くことにした。

 というわけで思い立って30分で旅立ちを決め坂城ICに到着したのである。狙うべき列車まで2時間ほど余裕があるのでインターの事務所駐車場で仮眠。少し眠った後、目覚ましに起される前に暑さで目が覚めた。窓は開けていたが朝7時だというのにすでに気温はゆうに30℃を超えている。朝のラッシュで混み始めている国道18号線を走り撮影地へ。坂城駅進入のトンネル飛び出しに到着したが、せっかくの原色重連を記録できる立ち位置を探すが手こずり、セッティングが完了しないうちに踏切が鳴り始めてしまった。ピンチ! すぐにカメラは手持ちに変えてトンネル方に迎撃態勢を取った。












重厚なジョイント音で登場したEF64奇跡の重連原色。全て同じ立ち位置から撮影。
2011.8/10  しなの鉄道  坂城   EOS5D  100-400mm


 やっぱり今日もロクヨンはカッコイイ。いつ見てもイケ面だ。そのイケ面が山越えという難所に立ち向かうため、力を合わせて重連で任務に就くのだ。草食系男子がもてはやされるこの現代に、人知れず寡黙に働く電気機関車に熱いエールを送らない訳にはいかない。ハァ〜来て良かった。クルマに戻りレンズを標準に戻し余韻に浸った後、今度は返しの撮影場所を探すために出発した。良い光線で下り貨物を撮影するには、ここから数km先にある戸倉〜屋代にある田んぼ直線が有名だけど、実はこの後、時間の無い「高跳び」が控えているので、高速にすぐ乗れるインター近くで撮影したい。上信越道更埴ICに近い長野新幹線と並行しながら千曲川を跨ぐ鉄橋付近をうろついて撮影地開拓。少し逆光になってしまうが鉄橋にさしかかる前のゴミ処理工場脇の踏切で返しの2085レを待つことにした。まだ3時間弱あるので昼寝敢行。すでに太陽は容赦無く照りつけてるのでガソリン残量を気にしつつもエアコンガンガンで2度目の仮眠タイムを取った。




2011.8/10  しなの鉄道  屋代高校前〜篠ノ井   EOS5D  24-105mm


 この2085レを見送って余韻に浸る間もなくさっさと撤収して更埴ICから上信越道で北上を開始した。実はここ連日、新潟の485K編成が北越3号〜8号の完全ループ運用に入っており、今の坂城貨物を撮影した後、高速道路でワープすれば日本海側で北越3号に間に合ってしまうのだ。今日は晴れているので米山俯瞰で国鉄特急色をガツンとやってやりたい。距離にして120km弱。北越3号の米山通過時刻は12:50分頃なので順調に行けば間に合う算段だ。案の定、上信越道は空いており、心配された対面通行区間もチンタラ走るペースカーにも邪魔されず順調に北上を続け、上越JCTから北陸道新潟方面に折れて素晴らしい速度で走り切り、柿崎ICを降り米山俯瞰に到着した。10年ぶりに訪れる撮影地。かつて岬をぐるっと迂回出来た旧道は2004年の新潟中越地震で大崩壊し、行き止まりの展望台への一本道になっていた。眼下を見下ろせばささやかな海水浴場に繰り出した疎らな人とビーチパラソル。そして半逆光のため黒光りしている黒い瓦の家々。北国の短い夏を精一杯謳歌している情景がそこには広がっていた。




昼下がりの米山駅を高速で通過する北越3号。
2011.8/10  信越本線  米山〜笠島   EOSkissX3  100-400mm



同地点より。今回も2丁切り。日本海の短い真夏と485K1編成。
2011.8/10  信越本線  米山〜笠島   EOS5D 24-105mm

 今の北越3号が新潟まで行って折り返してここまで戻って来るまであと4時間。昨日から1,2時間の仮眠を繰り返してきただけなので非常に眠く、しかしそれ以上に腹が減っていたので鯨波の有名撮影地にほど近いラーメン屋で昼飯を喰った後、先ほどの北越3号が折り返し8号としてここに帰って来るまでの3時間ほど昼寝をすることにした。




北越8号。目が覚めると快晴は一転。ドス曇りになっていた。
2011.8/10  信越本線  鯨波〜青海側   EOS5D 100-400mm


 撮影後すぐに出発。実は明日に控えるメインイベントのために今日中に移動距離を稼いでおかなければならないのだ。柏崎市内から高速に乗り新潟市内に突入。そのまま市内をスルーしさらなる北上を続ける予定だったが、急にあることを思い出し高速を降りた。あることとは、2009年春の定期運用離脱まで米坂線、一部磐越西線、信越、羽越線を担当していた新津のキハ52×7両。引退の後2年以上新津に放置プレイされていたのだが、数日前、その放置されていたキハ52がフィリピンだかミャンマーへと海外譲渡するために新潟港まで回送されたのだ。白新線黒山駅まで機関車牽引で回送され、臨海鉄道に乗り入れ新潟東港へ。さらにそこからトレーラーで運ばれ岸壁に移動して旅立ちの時を待っているはずである。想い出の多かった新津のキハ52達。一度最後にこの目に焼き付けてお別れをしたいと思ったからである。東港にほど近い豊栄ICで降りて埠頭を目指す。といっても広い新潟港、どこに置かれているかも分からない状況で、しかも夕闇がすぐそこまで迫っている。闇雲に片っ端から港をくまなく探しまわった。せわしなくUターンを繰り返し夕暮れの埠頭内を爆走し、諦めかけたその時、日没前の微かな光を浴びて佇む見覚えのある顔が遠くに見えた。アクセル全開。近づくと紛れもなく新天地への旅立ちを待っている7両のキハ52だった。傍らには引退したばかりのJT「こがね」や常磐線で活躍した203系の姿も見える。カメラを取り出し近付く。詳しいことは分からないが保税の関係だろうか、頑丈なフェンスの向こうに鎮座する十数両の鉄道車両がいた。夕闇も迫っており露出も限界に近かったので夢中にシャッターを切る。あれだけ乗ったり撮ったりした新津キハ52は、すぐ目の前にあるのにもう手の届かない別の世界にいる。これからどんな世界で活躍するのだろうか?住み慣れた日本の雪国から一転、赤道直下の熱帯地方でちゃんと大切に整備され、異国の地の人々に愛されるんだろうか?写真を撮り終わった後も、しばらくその場所でタバコを一服しながら、心の中で誇り高き日本のキハ52に別れを告げた。




「ちゃんとご飯は食べさせてくれるのでしょうか?」



「これから毎日仕事で大変だと思うけど、疲れた時は休ませてくれるのでしょうか?」



「母さんは心配でたまりません・・・」

 闇に支配され始めた新潟東港をあとにして、もう一度高速に乗り北を目指した。いつの間にか延伸開業していた日東道の終点、朝日ICで降り、昨年秋にも利用したことのあるインター近くの道の駅の温泉で本日の汗を流した。風呂上がりのさっぱりした体で少しのんびりもして行きたかったが、先を急がないといけない訳があった。すぐに道の駅を出発。北進、ひたすらに北進。酒田市内で土砂降りのスコールのような雨に遭遇し、気になって携帯で運行情報を確認すると、羽越線は抑止がかかっておりそのほかの線区も大いに乱れている模様。ヤバい。明日の撮影に影響しそうだ。心配しても始まらないのは分かっているので雨の中ペースを上げ、その先羽後本荘で日本海沿いの国道から折れ内陸へ。低い峠を越えて本日の目的地、秋田県横手市に到着したのは23時前だった。


続く