大糸線国鉄色 final

2010.3/12

 いよいよダイヤ改正を翌日に控えた木曜日。事前に仕事は休みにしておいた。しかしながら、なんやかんやで休みにできたのは当日の3月12日のみ。今日も睡魔と闘う長い道中が待っている。22時、職場を出て駐車場に停めてある車に向かう。いつもは原付で優雅な通勤を楽しんでいるのだが、今日ばかりは仕事で大荷物を動かす必要があったので車で来てしまった。慣れない駐車場に止めた車に向かい、夕方頃切り上げるつもりだったのに遅くなってしまったので1秒でも早く糸魚川に向かおうと、はやる気持ちを抑えてキーを回した。すると・・・!? 「カチチチチ・・・」と頼りない音を上げるのも束の間、プツンとセルの反応が止んだ。これはもしや?

「バッテリー上がり」


 そういやちょい前にルームランプを点けっぱなしで上がらしてしまったばかり。恥ずかしながら通算2回ほど。新車で丸3年経っているし2回も上がらせてしまっては、もうパワーも虫の息だろう。そんなことより1秒でも早く糸魚川だ。まず同僚の車から12Vをもらおうと仕事中のT君に聞いてみた。「ねぇねぇ、ブースターケーブル持ってない?」とオレ。「なんすかぁ、それ??」・・・・。そうだった、T君はまるでメカ音痴。「あのさ、赤と黒のケーブルで車のバッテリー同士を繋ぐ・・」と説明してもまるで分かっていない様子。聞く相手を間違えた。ならばJAFに電話。家から10分の職場でJAFの救援を依頼する情けないオレ。TELして40分後、やたらとハイテンションな隊員が車から降りてきた。「スイマセン!!遅くなっちゃって、もう今夜はガシガシ依頼が入っちゃって。あははは!」と何が楽しいんだか爆笑しながらボンネットを開けてケーブルを繋げた。準備が終わり言われるがまま始動のためキーを回すと当然あっけなくエンジンはスタートした。テスターを端子に当てながら「コイツもう完全に死んじゃってますねー、あははは!!」と隊員氏。「信号ではライトを消して1時間ほど走って充電してくださいね。止まっちゃたらまた呼んでくださいね。あははは!!」と言い残して去って行った。

っていうか「時間がない」


 1時間どころかこれから糸魚川に向けて4時間以上走り続けるので充電の心配はないが、ふとエンジンを止めた時再始動できなくなる恐れは大いに有り得る。3月とはいえ氷点下の高地でのエンジンストップは生死に関わる。
 
 明日は大糸線キハ52最終日。現地ではまともに写真を撮れる状況ではないだろうから、最終列車の一往復に乗れればいいと思っている。だとしたら車で行くのはやめて、朝を待って「あずさ」で行けば事足りるのだが、問題は翌日の仕事が午前中からなので最終で糸魚川に着いても急行「能登」で帰って来るしか他にない。しかも当然「能登」も最終日。連日のように上野や金沢では数百人規模の撮りテツによる激パになっているっぽく、その最終列車に途中駅から乗るなんて考えただけでもおぞましい。車で糸魚川から帰って来るしかないだろう。ならば!!→@朝を待って近所のカー用品店でバッテリーを交換してから出発。Aこのままエンジンを止めずに糸魚川に向かい現地でバッテリー交換!! 最初は7:3で前者を選んだが、一刻も早くあの大糸北線のキハ52に逢いたいという一心からAを選択して糸魚川に向かうことにした。確か姫川から糸魚川市街に入る直前にイエローハットがあったと思う。そこでバッテリーを交換しよう。

 自宅に到着しエンジンをかけたまま機材を積み込みすぐに出発。給油をしなければならなかったので途中の夜間無人になるGSを探して、禁断のエンジン掛けっぱの給油。そして八王子から中央道に乗った。ひとまず安心してマックのドライブスルーで買った夜食を食いながら日本海を目指す。OK。ここまですべてがうまくいっている。


 そんなこんなで途中の梓川SAで仮眠して小谷村に入ったのは午前10時を過ぎていた。特に今日は撮影がメインのつもりではなかったが、何気に晴れている。なんか良さげな被写体があることを期待して、何の気なしに北小谷駅に出向いてみた。


車両は変われども佇まいはそのまんまの北小谷駅。陽だまりが心地よい。



その北小谷に貼ってあったチラシ。そうなんだ・・。今日が最後なんだと改めて思う。


 写真を撮り終えてから気付いたが、駅のトイレを拝借する際、車のエンジンを切っていた。用を足してからその重大性に気付き、車に戻り恐る恐るキーを回すと弱々しくもかろうじてセルは回りエンジンが始動した。「これでは恐ろしくて撮影どころではないな・・・」 そう気にしつつも、もうすぐ428Dがやって来る時間だ。今日の運用予定はキハ52115一般色だ。こちらも気になる。時間が無いので近場の国道からの俯瞰で撮ってみたいが、撮影のためエンジン停止すると本当に停止してしまうような気がしてならない。まずは現場偵察、と北小谷からほど近い国道のポイントに向かうと、すでに数十人規模のひな壇が形成されており、なんとか潜り込めそうなスペースはありそうだった。集団の近くでアイドリングのままだと迷惑なので、その集団から100mほど離れた駐車帯に車を止め、崖下の線路が見えるとこまでダッシュ。急いで三脚を広げカメラを据え付けるとすぐに一般色が姿を現した。



2010,3/12   大糸線   北小谷〜中土   EOS5D  100-400mm


 すぐに車に戻り糸魚川方へ向けて出発。沿線もすっかり雪は少なくなり春はもうすぐそこまで来ていることを実感できる。風も幾分暖かい。窓を半開にして通りなれた国道148号を北上し根知を過ぎると雨飾山が見えて来た。今日はいつもに増して山容がくっきりと浮かび上がり美しい。雨飾山といえば頸城大野の直線が有名だが、たまには望遠でドカンと抜いてバックで決めるのもいいかも知れない。地図を見ると線路は頸城大野を出て姫川駅進入の前に緩くカーブしている。ここなら立ち位置次第ではドッカンが狙えるように思える。果たして現場に到着すると見事イメージ通り。死にかけの車のバッテリーのことなど完全に忘れ、気持ちのいい風が吹く踏切脇で長タマを装着し列車を待った。



427D。大野の直線は大盛況だったが、ここは自分ただ一人。贅沢を独り占めしていた。

2010,3/12   大糸線   頸城大野〜姫川   EOS5D  100-400mm


 気分は最高。すぐにバッテリー交換するべく糸魚川に向かうつもりでいたが、427Dが糸魚川に着いてすぐに出発する430Dの2運用は本日はタラコ。これも最後に撮っとかなきゃならないと思い、今まで何度もその前を通って来たが一度も立ったことのない姫川駅ホームで待つことにした。



初めて訪問する姫川は、なんてことのないただの棒線駅だった。

2010,3/12   大糸線   姫川   EOS5D  24-105mm


 430Dを見送り、いい加減度重なる始動で本当に虫の息になってきた我が愛車を国道沿いのイエローハットに入場させる。幸いピットは空いていて約20分で作業は終了。請求金額¥6500也。安っ! バイクの1/4でやんの。セルもよく回るようになり、これでひとまず安心してテツ活動に勤しむことができる。まず向かった根知では次は一般色、タラコの交換とあってすでに大混雑。今日はもう撮影は終えて最終列車乗車のため行動を開始しようと思うが、日も差してきたので気の迷いで根知の国道オーバークロスで最後の撮影をすることにした。なにせ糸魚川地域鉄道部のHPでは最終列車では乗車制限をします。。。みたいなことが書かれていたので、もしかして糸魚川では今頃大変なことに・・・と想像してしまい、最終出発まであと4時間以上あるが早めに並んでみたいと思う。ともかくここでの撮影を終えたらすぐに糸魚川へ向かおう。


2010,3/12   大糸線   根知〜小滝   EOS5D  100-400mm



最後のキハ52走行撮影。多客対応のため、ペアを組む52115+52125。4台のディーゼルの咆哮が轟く。

2010,3/12   大糸線   根知〜小滝   EOS5D  100-400mm


 この432Dを見送りすぐに糸魚川に向かう。駅前の駐車場に停め構内を覗くと、特段いつもと変わった様子は全くなく最終列車乗車希望が殺到してパニクっている様子もない。同じく最終日である「能登」や「北陸」に分散してしまっているのかもしれない。ひとまず車を出して市内のマックスバリューへ向かい惣菜弁当を買い駐車場の車内で昼食。あの様子なら1時間前に行っても大丈夫なようだ。まだまだ時間はあり帰りの道中のことを考え少し仮眠をとることにした。
 アラームに起こされる。最終列車出発まであと1時間半だ。駅に向かう。さきほどと同じパーキングに車を止め、駅で南小谷までの¥650の切符を購入。ホームには出発セレモニーの会場が設営されてはいるものの、並んでいる人は非常に少なく、20分、30分と経っても立ち客は出ない程度のようで、これならマッタリと楽しむことができそうだ。出発15分前。折り返しとなる435Dが到着。やがてその前の433Dで到着していたタラコが入線。目の前で連結され、ついに3両編成の最終列車438Dが組成された。



 ドアが開き乗り込むと最終車内は立ち客がパラパラいる程度。乗車制限など言うにも及ばず。特にマニヤが殺到するというわけでもなくお別れを楽しみたいという素朴な人たちを乗せた3両の最終列車は、20:01、名物の「なんとか太鼓」が打ち鳴らされるホームを滑り出した。走りだしてしまえばそれはもういつもと全く一緒。各駅に停車し、次第に深い山中へと入ってゆく。途中姫川や頸城大野の駅では見送りに来た地元の家族連れがほほえましく手を振り、近年話題になる罵声テツの傍若無人な振る舞いとは全く無縁の最終列車だった。小滝を過ぎると日本有数の大地滑り地帯を避けるかのように長大なトンネルで山を貫いて平岩に到着した。するとすぐに出発するかと思いきや1分経っても2分経ってもドアが閉まらない。車内がざわつき始めた頃、驚きの車内放送に耳を疑った。「ただいまこの先の鉄橋で強風による規制がかかっております。云々・・」 すると車内のテツは一斉に外に飛び出た。すぐに出発しないとあって直ちに平岩駅は大バルブ大会会場に変わっていた。当然自分も外に飛び出す。なるほど風は確かに強いが抑止がかかるほどのものだろうか?おそらく深い渓谷にかけられたV字峡の橋上では風が通り道をなくし増幅されて鉄橋に吹き付けているのだろう。数カットを撮影しただけで完全に体温を奪われてしまい寒かったので、車内に戻って運行再開を待った。



抑止をいいことに祭り会場に変わる平岩駅。ここぞとばかりにホームに降りる同志たち。
2010,3/12   大糸線   平岩   EOS5D  24-105mm

 すぐに車内に戻り、自分はいい子にして出発を待っていると車掌が巡回してきた。「南小谷で松本方面へ乗継されるお客様〜、出発の目途が立ちませんので駅前の代行バスに乗り換えてください」・・・!?そ、そ、そんな・・・!?最終列車がこのまま打ち切りかいな!? 気の毒に何人かの乗客は無念そうに荷物をまとめて席を立った。ていうかバスの手配が早すぎじゃねぇのか? 自分はというと車が糸魚川に置いてあるので何が何でもキハ52と運命を共にしなければならない。列車が折り返すにしろ糸魚川行きの代行バスが来るにせよとにかく待つしか方法がなかった。30分ほどするとまた車掌がやって来た。今度は「糸魚川に戻られるお客様、乗り換えの列車をお知らせください」とついにこの平岩で運転打ち切りとも取れる発言。多くの同乗者は「能登」「北陸」など車掌に告げる。能登北陸といったら糸魚川発は0時ちょい過ぎ。2時間以上遅れて糸魚川に着くつもりなのか、これから代行バスを用意するべくバスが回送されるてくるのを待つのか、全く先が読めなくなってきた。さっきまで大勢いたホーム上のバルビニスト達はすることがなくなって車内に戻ってきている。ついに平岩で抑止を喰らってから1時間以上経った頃、車内放送が入った。「コホン、えー・・・」 皆一斉に沈黙し耳をそばだてる。「強風が止んだので、只今より運転を再開します。」 一同「オォーッ!」 どうやら南小谷に向かうらしい。ついに動き出したキハ52×3連。おそらく強風で渡れないというのは、駅を出て長いトンネルの手前の第8下姫川橋梁。そこさえ通過できれば多分大丈夫。やがて列車はスピードも落とすことなくいつも通り橋を渡り長い真那板山トンネルに突入した。

 そして列車は約1時間遅れで南小谷到着。定時だとしても6分で折り返すのだから、遅延しているならなおさらすぐに出発するだろう。駅放送に急き立てられるように撮影組は列車に乗り込み、簡便なセレモニーの後、また暗闇へと走りだした。これこそが大糸線、いや国内最後のキハ20系列最後の定期列車だ。自分はそんな感慨にふける間もなく、昨日からロクに寝ていなかったので、中土を出発すると眠りこけてしまった。このゴリゴリとした台車とエンジンの鼓動と、コイルばね独特の跳ねるような乗り心地に身を委ねながらうたた寝をするこの心地よさ。将来はこんな乗りテツの醍醐味も味わえなくなってしまうんだろう。なんだか考え事をしながら浅く寝ていたせいか、夢を見ていたらしい。どんな内容だったかは覚えていないが、とにかく列車に乗っていた。しばらくして目が覚めると小滝を出て根知に到着するころだった。停車しドアーが閉まってすぐに発車するものと思いきや、また車内放送。「・・・この先、強風のため運転を一時見合わせます。糸魚川にお急ぎのお客さまは駅前の代行バスにご乗車ください・・・」 それを聞いて一同騒然。もうこの先、強風に煽られるような橋梁や吹きだまりなど無い平野ばかりのはずなのに何故!? それはさておき気になるのはすでに駅前に代行バスが止まっているということ。いくらなんでもさっきの平岩と同様、手配が良過ぎなような気もするが、「北陸」や「能登」に乗り換える人にとっては最後までキハ52に別れがたく乗っていたいと思うのだろうが、いつ発車するか分からない列車で待たせて乗継失敗になるよりはいいのだろう。JRの優しさを感じていると、やはり多くの乗客が駅前の2台のバスに吸い込まれていった。自分は車が糸魚川に置いてあるので時間は関係なく、そろそろタバコが吸いたいのと代行バスの発車を見送るため駅前の軒下で一服した。



あともう少しで終着だというのに、またもや抑止。波乱万丈の最終列車  根知駅前で客扱い中の代行バス。



根知停車中。「能登」「北陸」乗車組がいってしまいガランとした最終列車車内。


 バスが行ってしまうと突如として待合室の明かりが消えた。そうだった。もうすでに定期スジの1時間以上遅れているのだから当然だ。さてどうなる事やら。席に戻り落ち着くとすぐに突然車内放送が入った。「間もなく出発します」  !! これには驚いた。代行バスが行くや否やといった間合いだ。焦ってバスに乗った乗客たちはさぞ無念だったろうに。これならバスより早く糸魚川に着いてしまいそうだ。やがて何事もなかったかのようにドアが閉まり出発した。

 そういえばさっきから車内に知人の姿を見つけていたので、車内も空いていることだし移動して話しかけると、やはり過去旅先で知り合ってから、その後も何度か一緒に駅寝をした人物だった。10年ぶりの再会にお互い驚き、積もる話もしているとすぐに糸魚川に到着してしまった。やはり最終なのでセレモニーは一応するべきなのだろうか、1時間以上遅れて到着しても花束を乗務員に渡す係のオネーチャンは寒いホームで待ってていた。まだ先行したバスは到着していない様子で、ホームには列車からおりただけのまばらな人影しかなく、車庫に引き上げるキハ52は静かに見送られて定期運用としての役目を終えた。いろいろあったけど最後は本当にあっけなかった。自分は定時なら明日の仕事に備えてすぐに帰ろうと思っていたが、あと数分待てば「能登」、続いて「北陸」もやって来るのでこちらも見送っておこう。待っていると先行した代行バスが到着したのか続々と撮影者は増え、停車位置にはあっという間に人だかりができた。やがて489系ボンネットが入線。別に最後の姿は記録するつもりはなかったが周りの勢いに押されているといつしかベストポジションに移動していた。短い停車時間の後、テールランプが暗闇へと消え去って行く。その後も5分遅れの「北陸」も同様に撮影。ついに「キハ52」「能登」「北陸」が引退してしまう。昔から追いかけてきた列車がなくなり、淋しい気持ちの反面、今後の自身のテツ活動のことも考えるとどうしても意欲的に活動するモチベーションが湧いてこない。いろいろ考えながら南小谷で購入できなかった帰りの切符代¥650を窓口に支払い駐車場の車へと急いだ。市街を抜けて何度も何度も往復した国道148号線を大糸線沿いに南下し、いくつもの想い出を振り返りながら豊科ICを目指して走った。