ついに京急1000形最後の日がやってきた。間違いなくオレが今まで一番多く乗った鉄道車両。当たり前すぎて空気のような存在だった。餓鬼のころ初めて写真を撮ったのは1000形だった。高校の通学では毎日1000形の急行逗子行きに乗った。生まれて初めてデートしたのも1000形に乗って出かけた。就職して初出勤の日に乗ったのも1000形だった。そんな1000形が今日で営業線上から姿を消すという。にわかに信じられない。明日も来週も来年も、いつものあのホームに立てば1000形がやって来て、爽快に開く片扉がまたオレを迎えてくれるような気がする・・・。希望に満ち溢れていた時も、絶望のどん底に立っていた時も、オレを運んでくれたのは黙々と仕事をこなす1000形だった。惜別の念を胸に、1000形に逢いに行こう。


2010.6/28


 昨日の日曜日、1000形お別れ列車が金沢文庫〜三浦海岸〜京急久里浜で運転された。往年の種別ヘッドマークを付け快特〜特急で最後の雄姿を披露したらしい。この日は当然仕事で行けなかった。このお別れ列車が突然公式発表されたのは4日前。休みの調整などする間もなく1000形は姿を消した。当たり前のように存在し、ド派手なセレモニーも無く、突然何事も無かったかのように姿を消すなんていかにも1000形らしい。なんて京急のHPを見ながらほくそ笑んでいると注釈に「28日まで営業運転に入ります」と書かれてあった。お別れ運転は6+2両でそのまま久里浜へ入場したならば、残る編成は4両1本のみ。ということはラスト28日は大師線運用になる。別に撮影はどうでもいい。オレの人生の3/4関わった1000形に最後の餞をするべく大師線に向かうことにした。

 大師線に到着したのは正午をとうに過ぎていた。まずは川崎に向かおうと産業道路駅で待っていると最初にやって来たのは1000形だった。いつものように高音で唸るコンプレッサー、フワフワと支える空気バネ。ただいつもと違うのは自分と同じようにお別れに来たテツの多さ。今日ばかりは日常の1000形ではいられないようだ。京急川崎到着。何十人という撮りテツが頭端ホームに陣取っていた。改札を出てすぐまた切符を買い、1000形に乗って港町で降りる。例のS字急カーブは以前撮ったことがあるので、鈴木町方面の運河を渡る勾配が面白かったので、折り返しを待った。今日はお別れ乗車が目的なので三脚や望遠レンズは持ってきていない。お手軽にビデオと標準レンズ装備のEOS5Dだけを片手に散策をしてみようと思ってきた。


おでこから姿を現した1000形がユラユラ左右に揺れていた。
2010.6/28 京急大師線 港町〜鈴木町  (ビデオカメラのキャプチャーから)


東門前から産業道路駅を望む。直下は地下化工事の真っ最中。陽炎に揺れていた。
2010.6/28 京急大師線 東門前〜産業道路  (ビデオカメラのキャプチャーから)


構内踏切の残る東門前。
2010.6/28 京急大師線 東門前 EOS5D 24-105mm






2010.6/28 京急大師線 京急川崎
 EOS5D 24-105mm

 

 乗ったり撮ったりを沿線で繰り返しているうち、港町〜川崎の撮影地で見送ると、1000形が電留線に引き上げるのが遠目に見えた。まさか今行った列車が最後の営業運転ではないだろうか?そう思うといてもたってもいられなくなった。さっそく京急川崎駅北の電留線に向かうと一番奥の線路で1000形がコンプレッサーの唸りを一人で上げていた。最初はギャラリーもパラパラいた程度だったが、しばらくすると沿線から続々とファンが集結し、金網のフェンスの向こうでじっと待機している1000形を皆で見守っていた。一体いつ動くのだろうか。いつの間にやら正面の運用表示が89に変わっていた。おそらく夕方のラッシュ運用として出場すると思われる。全員いつ動き出すのかと遠巻きに見守っていると、やがてポツポツ雨が降り始めた。どんどん雨脚は強くなり、いつしか雷鳴轟く夕立になってきた。多くのファンたちは現場を逃げるように後にし、自分含めて5名ほどが残った。幸い電留線の前に公園があったので、自分は滑り台の下で雨宿りをして時が過ぎるのを待った。。



待機する1000形最後の編成。本当の最後の仕事のために体を休めていた。



しばらくして同じく夕方ラッシュ運用の1500も本線から降りて来た。

 後からやってきた1500形が先に出場し、いよいよ1000形が最後の運用に入りそうだ。オデコの前照灯が点灯し、ゆっくりと駅構内に向けて動き出すと雨はさらに強くなってきた。先回りしようと濡れながら駅にダッシュ。そこから入線してきた1000形に揺られ小島新田へ。駅前の酒屋でビールを購入。雨も止まないので軒下で一服しながら飲み干した。一日中湿度も気温も高く、まとわりつくような梅雨ならではの不快な陽気だったので、ビールの旨いことといったらなかった。この後はどうしようかといろいろ調べるとこの89運用は22時過ぎまで大師線折り返し運用ということなので、あと6時間以上、間がある。最終となる京急川崎到着2210の列車には必ず乗りたい。そこで時間を潰すべく川崎に戻りヨドバシを1時間ほどふらつき、まだまだ時間もあったので羽田空港に行ってみることにした。京急川崎のホームの売店でまたもやスーパードライを購入。ゴクリとやってから今年5月から新設されたエアポート急行に乗り込んだ。完全にいい気分。流れる車窓に目を向けながら、このまま飛行機でどこかへ行ってしまいたい気分だった。羽田空港で降り、改札を出た手ぶらの酔っ払いは出発ロビーで旅情に浸り、しばらくして満足するとまた京急に乗り込み川崎に戻ると、ちょうどいい時間になってきた。1000形最終の2本前の列車で小島新田へ。最後の営業運転に乗ろうとマニアが大挙して押し寄せるものと思っていたが、滑り込んできた1000形は拍子抜けするほどの賑わいだった。やがて22:00。小島新田出発。小さい頃から乗り親しんだ1000形に乗るのはこれで本当に最後だ。いつもと変わらない乗り心地。いつもと変わらない音。いつもと何一つ変わらない立ち振る舞いがいかにも1000形ぽくてとても嬉しい。でもそんな感慨に浸る間もなく約10分で終着京急川崎に到着してしまった。ホームに吐き出されるとテツ約30名。罵声もなく穏やかな雰囲気の中、引き上げる最後の姿を見ようと全員静かに時を待った。







 しばらくすると1000形は警笛一つ鳴らさずに引き上げていった。この後すぐに本線に戻り神奈川新町へ回送される。大師線ホームで撮影していた同志たちはダッシュして本線ホームへ。すぐに引き込み線を上って来た1000形が入線してきた。一旦停車の後、神奈川新町へ向けて出発。最後の最後は何事もなかったかのようないつも通りの引き上げだった。むしろそれが1000形らしい。50年もの間、京急の顔として最大勢力を誇り、一時代を築いてきた車両の最後の姿は、いつも通りの普段着のままだった。そんな名車の最後に立ち会えたことが少し幸せだった。



最後の仕事を終え新町検車区に回送される1305編成。




2010.6/29


 翌日、昨日新町に取り込まれた1305編成が久里浜工場へ廃車回送されると聞き、夕方から仕事だったので撮影してみようと思い立った。情報によると13:30ころ久里浜到着とのこと。早速昼頃近場の撮影地を何箇所か訪れるもテツの姿は誰一人として見当たらない。すでに行ってしまったんだろうか?1時間ほど張り込んでみたが来る気配は無い。すでに通過してしまったことも考えられるので、いっそのこと久里浜工場まで出向いてみることにした。横浜横須賀道路に乗り佐原ICで降りる。久里浜工場構内を遠望する踏切から観察してもその姿は無かった。何となく工場裏に行ってみると一昨日さよなら運転を終えた1345編成が留置されているのを発見した。1345編成はパンタも上がっており時折コンプレッサーも作動している。乗務員室には人の姿もなく、全く動きはなさそうだった。何枚か撮影していると、その先の無架線地帯にユニットを解かれた1000形の中間車が4両佇んでいるのが見えた。近づいてみると、車両ナンバー、サボも外され、半開きのドアから車内を覗くとシートも取り外されていた。どうやら解体の真っ最中のようだ。昼休みらしく付近に人影は無くひっそりとしており、周囲にはムシムシした気だるさだけが漂っていた。












 魂を抜かれた鉄道車両のなれの果て。ここで数々の京急車両達が葬られていった。まさに墓場だ。


 こうして感傷に浸っている間も、デジカメを持ったテツに2名ほど出くわした。1000形は昨日、一昨日とハレの舞台から一転、誰も見向きもしないような工場の片隅で、静かに永い生涯を終えようとしていた。ご苦労様。誕生した時から「高速運転で東海道線をぶっチギれ!」との使命を受けた1000形は、今こうしてその役目を終え、夏草香る解体線で鉄道車両から「部品」へと姿を変えるのだった。