つばさ118号。近未来的なフォルムの400系。本当に引退?
2009,2/18 奥羽本線 庭坂〜赤岩 EOS5D 100-400mm
ちょっとイメージしていた画にはならなかったけど、山形新幹線のシンボル、ウィングマークが颯爽と駆け抜ける。
2009,2/18 奥羽本線 庭坂〜赤岩 EOS5D 24-105mm
降り止まぬ雪。そんな状況でも他にテツ3名と一緒に三脚を立てる。
2009.2/19 米坂線 羽前沼沢〜伊佐領 EOS5D 24-105mm
この1123Dも出来たら追っかけようと思っていたが、除雪のために国道が至るところで片側交互通行になっており、ほどなくして追っ掛けは諦める。午後の1131DDまで結構時間があったので、少し舞台を移して羽越本線に移動することにした。今日は前日の特急「いなほ」運用にT18が入っており、前夜はどうやら酒田で滞泊した模様であったので、T18は今朝「いなほ6号」で折り返してくるはずと睨み、いつかは撮りたいと思っていた笹川流れでT18を撮影することにした。ここから50kmほどの距離ではあるが充分間に合うし、国52の1130Dまでには帰って来れる。すると前日陸羽西線で特雪があったという情報が!全ては後の祭りでもういくらあがいてもしょうがない。聞くと雪もあまりなく、投雪もあまり派手でなかったということを心の慰めにしようと邪念を振り払い、山間の米坂線沿線を抜け坂町へ。ここから日本海沿いの国道345号を北上し、初訪問である笹川流れを目指す。山間の米坂線とは違って、時折晴れ間も見えるような空模様。まだ午前中で太陽は東から差しているので、運が良ければ順光の国鉄特急色を頂くことが出来そうだ。しかし笹川流れと言っても肝心の撮影ポイントを良く知らない。行き当たりバッタリで探すことにしたが、通過時間が刻一刻と迫る中で、国道を折れては高台に上がり、線路と風景のマッチを考えること4箇所目、ついにイメージしていたのと同じ冬の日本海を行く単線の羽越本線の線路が見渡せる段々畑にたどり着いた。強烈な海風で凍える手でレリーズを握りながら待つこと20分。美しい国鉄特急色が目の前に現れた。もうレリーズ握りっぱなし!
雪景色の露出は難しい。ちょい露出オーバー気味でT18ゲット。
2009.2/19 羽越本線 今川〜越後寒川 EOS5D 24-105mm
一発限りの羽越本線での撮影を終え、再び米坂線に戻る。今朝寝過ごしたため撮り逃したA5運用の午後の坂町行き1131Dが、向かってきているので、どこかで鉢合わせする直前に撮影し、そのまま坂町方面へ追っ掛けをしようと考えた。小国を過ぎ伊佐領でタイムアップ。すると今回の旅で初めてみる太陽が雲から顔を出した。
2009.2/19 米坂線 伊佐領〜羽前松岡 EOS5D 24-105mm
2009.2/19 米坂線 越後下関〜越後片貝 EOS5D 100-400mm
この1131Dはようやく越後下関まで行って追いついた。国道の除雪作業のためにノロノロ進むグレーダーに行く手を阻まれたり、工事の片側交互通行で足止めを喰らったりしながら列車に先行すること約5分で上の写真の所で追いついたのだった。道路からはケーブルなどが邪魔で少し線路に近づく必要があったがそこは深い吹き溜まり。ここで前回購入したカンジキを緊急装着。近くのパーキングに駐車している車内からや、近くの道路工事のおっちゃんにジロジロと暖かい視線を受けながら、ガニ股かつ大股で怪しく線路に接近し、望遠を装着した。
さて夕方の撮影まで時間もあったので、ひと風呂浴びようと道の駅「下関」に併設されている温泉に¥500を支払い入場。本当にコレが温泉かと疑わしくなるような無色透明のカルキ臭い湯船に浸かり、雪景色を見ながら疲れを癒すことしばし。昨日出発時に不良だった体調のことなどすっかり忘れ気分もよくなったところで、先程の国52が坂町で折り返してくる時間なので、別れ難いが道の駅を出発。越後下関付近での撮影は失敗したが、その後も暗くなった国道113号を追っ掛け。夜の踏切をテーマにしようと、3年前ラッセルを狙った羽前松岡の踏切にやってきた。当時狙ったラッセル車DE15や昨年夢中で追いかけたロータリー車DD14は、今年ついに米坂線には姿を現さなかった。暖冬だったということもあり、また新型の除雪車両であるENR1000が今年から東日本各地で配備が完了したため、DD14は予備車となった結果、今年は奥羽院内特雪と前日の陸羽西線の2回の運転だけであった。そんな想い出の地、羽前松岡に到着すると、あたりはすっかり日没し宵の入りの光で車両を流すのにはもってこいの光量だった。
十数回ほどこの道の駅温泉の前は通ったけれど、訪れたのは初。湯上りを畳でのんびり休憩できるのって最高!
静かな雪原に存在する遮断棒もない踏切。滑るように列車は通過していった。
2009.2/19 米坂線 羽前松岡〜伊佐領 EOS5D 24-105mm
陽も完全に落ちた国道を手ノ子に急ぐ。別に追っかけをするわけではなく、手ノ子駅前の食堂「いわはなや」で夕飯を食おうと思っていた。こぢんまりした店内に入ると、清潔な割烹着を着たおばちゃん2人が愛想良く迎え入れてくれた。もつ煮定食を注文して食堂のテレビでニュースと天気予報を見る。「明日の山形県は庄内、最上、村山、置賜地方はいずれも曇り・・」 地方に行って地元チャンネルの天気予報で地元しか通用しない県内の地域名を聞くと、ますます旅情が湧く。とても幸せな瞬間だ。もつ煮定食が運ばれてきた。んまぃ。お替り自由とあったので遠慮なくお替りを申し出るとちょうど1杯分がないため今から炊くけどいいですか?ととても恐縮しながら言われたので、「あ、いいですよ、このぐらいが丁度いいです」と遠慮した。というか最初から大盛りの定食だったので充分満足していた。いわはなやを出て今泉のコンビニでビールを仕込み、昨日と同じ道の駅で寝ることにした。風呂入ったし飯食ったしあとはもう寝るだけ。あ〜幸せ・・。
大満足だったいわはなやをバルブ撮影。というのはウソですが心も体もみたされました。ごちそうさま。
雪に埋もれた主のいないチャリ数台。急行色58の1126Dが出発するいつもと変わらない光景。
2009.2/20 米坂線 南米沢 EOS5D 24-105mm
やがて雪はミゾレに変わり、撮影には最も適さない条件になってきた。この急行色58ももう一往復羽前椿まで運用があるのだが、なんだか3日目となるとこの天候と疲弊感でまったく写欲が湧かず、こんなんではいくら足掻いても傑作なんて生まれるはずはない。撮れば撮るほどストレスが溜まるという無限ループに陥っていた。しかしこんな日でも数年後、いや来月には岡山と富山にわずかしか残らなくなってしまう貴重な国鉄色をみすみす黙って見送って後悔するのだけは避けたい。最後にがむしゃらになって後悔するほうがよっぽどマシだと気付き、今日もまたA1運用快速べにばな3822Dのタラコ47+国52のゴールデンコンビを迎え撃つべく宇津峠を越えて伊佐領に着いた。もうコマ数を稼ぐことしか頭に無かった。そしてそんな自分に嫌悪感・・。
ゴールデンコンビがべにばなに就いた。今となってはもうちょっと遊んでみれば良かったと思う。
2009.2/20 米坂線 伊佐領〜羽前沼沢 EOS5D 24-105mm
別に急いでないつもりが間瀬橋に間に合ってしまった。それにしても今冬は雪が少ない。
2009.2/20 米坂線 羽前沼沢〜手ノ子 EOS5D 24-105mm
間瀬橋でべにばなを見送ると、本当に力が抜けてきた。このままではいかん。一度頭をリセットして仕切り直さなきゃいけないと思い、この間瀬橋脇の国道のパーキングに車を停め少し昼寝。1時間ほどして車外に出て、仕切り直しのつもりで一服した。一昨年、同じように盛岡の国鉄型が置き換わる時、やはり夢中で追いかけ回したことがあったが、本当に心から愉しんで撮影に没頭できたのにこの違いは何なんだろう?盛岡より遥かにスケールは小さいが、58、47、52と盛岡より国鉄色のバリエーションは富んでいるし、自宅からも半分程度の距離なので頻繁に訪問することが出来た。この違いは・・? 結局結論は「愛着」の一言で片付けた。天候のせいにするつもりは無い。十数年前から通っている山田・岩泉・花輪線と違って、ここ米坂は国鉄色が復活したから来ただけのこと。これがキハ110しかなかったら多分一生来ない。一方新制気動車に置き換わっても盛岡にはまた行くつもりだ。米坂ファンには申し訳ないが、今はそういうことにしておこう。でも国鉄色は愛しているので米沢よりやって来る次の1131Dを撮って今回の旅は終わりにしよう。気付くと3年前の真夏、全く同じキハ58 1022+キハ28 2371を同じ場所で撮ろうと明沢俯瞰の時に停めたトンネル脇の駐車帯に車を置き去りにして、長いトンネルを歩き、出口ポータルの雪壁をよじ登った。カンジキ装着。完全に小雨になってしまったが、3年前と同じ立ち位置で三脚を立て、雪原からやがて姿を現すキハ58に照準を合わせた。
1131D。このキハ58に夏は二度とやって来ないと思うと、切ない。日本の名車キハ58がついに幕を閉じる日が近づいている。
2009.2/20 米坂線 羽前沼沢〜手ノ子 EOS5D 24-105mm
2006,8/16
米坂線 羽前沼沢〜伊佐領 EOS5D 100-400mm
先客が一人いたため、已む無くこんな位置で撮影。
2009.2/20 米坂線 越後片貝〜越後金丸 24-105mm
この鉄橋で急行色58を見送り、今回の旅は終了となった。このまま国道113号を坂町へ。17号を時間が許す限り南下して、ETCの通勤割ギリギリの20時直前に塩沢石打から関越に乗り、有効距離の100kmである高崎インターで一旦降りて、次は早朝夜間割を使ってすぐに高速に乗り、練馬を目指した。