200系新幹線国鉄色と秋の逢瀬。
秋の風を切り、颯となって駆ける200系。
2009,11/26 上越新幹線 高崎〜上毛高原 EOS5D 100-400mm
さて、この「たにがわ405号」は越後湯沢で折返しなのですぐに次の撮影場所探しを始める。峠を越え上毛高原側へ。前に訪れた時、国道からチラッと見えた新幹線の高架橋を俯瞰できる場所に移動。車を降りてリンゴ畑の農道を行くと、弧を描いてトンネルに突入する軌道が一望できた。遠すぎるような気もするし、防音壁がまた足もとを隠しそうだが、それを確認する通過列車もないほど時間がなかったので、とりあえず望遠で画角を決めた。
「たにがわ410号」 あまりにも遠かった。このトンネルのすぐ向こうが上毛高原駅。
2009,11/26 上越新幹線 高崎〜上毛高原 EOS5D 100-400mm
場所選びに失敗した。言い換えれば課題がまた増え、ここに来る口実ができたも同然。次の折返しは夕方なので、それまでたっぷりある時間を仮眠と上越線115系撮影に充てようと渋川方を目指して走り出した。国道17号をひと跨ぎする上越線のガーター橋があったので、上下線の間からもうすぐやってくる115系普電を待った。
2009,11/26 上越線 沼田〜岩本 EOS5D 24-105mm
さてさて、先ほど上り列車として見送った「たにがわ410号」は、一旦、東京新幹線車両センターに取り込まれてから「とき331号」になって新潟を目指すので、これも是非押さえておきたい列車だったが、高崎発が16:27なので陽の短いこの季節、走行写真はまともに撮れないだろうと駅撮りをすることにした。もっとも近い上毛高原駅の通過時間では完全に露出は限界を越えているだろう。ならば少しでも明るいうちに撮影できるようにと高崎の停車をいただくことにした。でも群馬県最大の交通の要所、高崎にまで車で行って駅近くの駐車場に駐めて駅に赴くのもかなりダルイ感じがしたので、いっその事、列車で高崎に向かうことに決めた。ただでさえ込み合う夕方の上越線なので三脚やカメラバックを手持ちしたまま乗り込むのも気が引けたため、上毛高原に車を置いて新幹線で行ってみることにしよう。上毛高原を経つのにはまだ早かったので、移動中に見つけた後閑駅北側の谷川岳バックでちょっと寄り道して115を押さえてから新幹線の駅に向うことにした。
谷川岳バック。115が来るのかと思ったら107系だった。1988年登場なのでぎりぎり国鉄型ではない。
2009,11/26 上越線 後閑〜上牧 EOS5D 100-400mm
気を取り直して上毛高原に向かう。いつ来ても閑散とした駅前と駅構内だ。80年代建設の無機質な駅舎が余計に寒々しさを感じさせ悲壮感が漂っている。でもこのミスマッチ加減がなかなかシュールで萌えてしまう。誰もいない巨大なコンコースにポツンと2つある券売機で¥1600を投入して次の高崎までの乗車券と特急券を購入。電気代がもったいないほどのエスカレーターに乗ってホームに上がるとこれまた自分一人。その後発車時間になると4、5名が集まりだしたが、うら寂しいことこの上ない。やがてやって来たMAXに乗り込み、激しい下り坂とSカーブで減速を余儀なくされる中山トンネルをくぐり、15分ほどで大都会の高崎に到着。少し腹が減っていたので構内の立ち食いそば屋に入る。麺を箸で持ち上げるとすべて千切れてしまうというノビノビの流動食のようなきつねそばを食して、ホームに戻り東京方の先端に来た。架線柱が邪魔になるが、隣の本庄早稲田では中線と側線の間の防護壁が邪魔になるし、上毛高原も駅裏を山に囲まれ昼なお暗い雰囲気だったので、高崎にして正解のようだった。「とき331号」到着まであと20分。陽は西に傾き本日最高に赤い光線を発している。しかし秋の陽は釣瓶落とし。待っている間にも猛烈な勢いで露出はさがり、ついにシャッター速度とISOが限界に達したころ、K47編成新潟行き「とき331号」がやって来た。
あと10分早いか、あと2週間前に来ていれば・・・。日没した高崎に到着。
2009,11/26 上越新幹線 高崎 EOS5D 24-105mm
車体更新で少し精悍になっているが、0系顔の愛嬌ある顔立ち。ファインダー越しに「あ、とても好きかも」と思った一瞬だった。
2009,11/26 上越新幹線 高崎 EOS5D 100-400mm
こうしてようやくまとも(?)な200系国鉄色をゲットすることができた。撮影場所も詳しくない上越新幹線。次回また運用をつかみ次第、再びK47を追って出かけることにしよう。とりあえず今日は満足だ。上毛高原へ帰る新幹線の車中、EOSのプレビューを何度も見返した。豪雪地帯に特化した逞しくも可愛い国鉄型車両に、どうやら恋をしてしまったようだ。また逢いに来よう!
どうしても200系を追いたかった理由が実はある。先月の10月23日、Yahooトップページの今日のトピックスで、ある記事をたどっていったら、とある2chの過去スレッドに行き着いた。そこにはあの実話の事件に巻き込まれた、上越新幹線の悲運の物語があった。
「(・○・)痛かったよう、でもお客さんには怪我させなかったよ・・・」
そう、新潟中越地震で走行中に被災した「とき325号」のことだ。2004年10月23日17時56分、長岡付近を200km/hで走行中のK25編成「とき325号」はM6.8の新潟中越地震に遭遇。そのまま脱線・滑走したものの転覆は免れ、乗客155名のうち死者・負傷は0名であった。マスコミは安全神話の崩壊などとして非難を浴びせることになるが、高速走行中の新幹線の脱線ということにも関わらず死傷者ゼロというのは奇跡的であった。しかしこの後、被災しボロボロになったK25編成は廃車。身を呈してまで乗客を守ったK25編成が2chにて擬人化され、感動的な書き込みで賑わうことになる。かくいう自分もリアルタイムではなかったがこれらのスレッドに涙した一人であった。個人的には鉄道車両など、所詮「産業機械」の擬人化は好きではないが、その後派生した200系の物語に感動を覚えられずにはいられなかった。そんな単純なわけでこの秋、200系に逢いたかっただけであった。