381系を撮って・・・さて、どうする!?
2009,8/20

 横浜を出発して3時間。休憩も取らずひたすら西進して300km。最初の休憩を伊勢湾岸道の刈谷SAで取った。ガソリンを満タンにし、1服しただけですぐに出発。東名阪道〜名阪国道〜西名阪道〜阪和道を乗り継ぎ、大阪府南部の岸和田SAに到着すると午前4時少し前だった。バイクで500kmを休憩1回のみくらいで連続走行すると、もう疲労困憊で立っていてもフラフラしてしまう。また今夜もこの時間になっても30℃以上と思われる熱帯夜を走り抜けて来たが、熱風でも何時間も切り裂いて走っているとジャケットを着ていても歯の根が合わないほどに寒い。よろめきながらSAの食堂に入り暖かいソバをすすり、深夜は営業していないレストランの入り口の床に、直にゴロ寝して朝を待つことにした。
 2時間ほど寝ただろうか。外はすでに明るくなっており、上がり始めた気温で蒸発する朝露が体中にまとわりつき、不快なことこの上ない。岸和田SAから次の泉南ICで高速を降り、昨年の秋に国鉄色381「はんわライナー」を狙った時と同じ山中渓周辺で撮影地を探すことにした。昨年は和歌山港のフェリーターミナルで夜を明かし、この峠にやって来たのだが、前回は出来なかった特徴的な381の屋根回りを表現してみようとお立ち台的な場所を探したが残念ながら時間切れしてしまい踏切でただの編成写真を撮っただけだったので、今年は前回は出来なかったそれをテーマにしようと撮影場所を探し始めた。すると道端に高さ3mほどのコンクリートの仕切りがあったのでバイクを踏み台にしてよじ登ると、丁度トンネルを飛び出してきた線路が見下ろせる場所だった。通過まで15分、無理な体勢で381を待った。

 



「はんわライナー2号」。曲線通過速度を上げるため徹底的に低重心化されたため、屋根上設備の少ないスッキリした381。
2009,8/20  阪和線 山中渓〜紀伊 EOS5D 100-400mm


 今日は一応8連休の夏季休暇4日目だ。1,2,3日目は仕事で潰れ、残る5日をエンジョイしたいところだが、なぜかテンションが上がらない。写欲の沸くモノが少なくなってしまったのが大きな要因だが、旅に出てみてその時の気分で目的地を選ぼうと、今回はこの後の予定は全く考えていなかった。差し当たってお次は、この和歌山発「はんわライナー2号」の後続の「はんわライナー6号」も国鉄色381なので、とりあえずそれも撮ってみることに決めていた。6号は熊取始発なのでこの山中渓のような自然が残る沿線ではなく、ほとんど住宅が立て込んでいるところを通過するので駅撮りに妥協しようかと思っていたが、国土地理院のWEBで沿線を調べると、始発の熊取を出てすぐの和泉橋本〜東佐野の間に、僅かであるが田んぼが広がっている拓けた直線を発見したので、そこを目指して走り始めた。やがていつの間にか太陽が真夏の光線を直射し始め、7時前だというのにすでに猛烈に暑い。大阪への通勤で混雑している国道26号線を北上。ほどなくして地形図で見た都市の中の一角の田園地帯に到着した。順光側から狙うと極太の通信ケーブルが邪魔をするため、かわすための構図決めでやや難儀した。



「はんわライナー6号」。都会に残された僅かな緑。今日も2往復だけの運用に就く日根野の381系国鉄色。
2009,8/20  阪和線 和泉橋本〜東佐野 EOS5D 24-105mm



6号通過からわずか2分後。2号の折り返し回送が下ってきた。ということは数キロ先で国鉄色381同士が交換していることになる。
2009,8/20  阪和線 和泉橋本〜東佐野 EOS5D 24-105mm



延命工事されているとはいえ国鉄色103系がビシバシとやって来る。関東人にとっては刺激が強すぎる!
2009,8/20  阪和線 和泉橋本〜東佐野 EOS5D 24-105mm

 さて、朝の381が行ってしまうと次の行動を計画しなければならない。この界隈だと撮るべき物がパッと思い浮かばなく、城東貨物でも行こうかと一瞬ひらめいたが、この猛暑の中に加えて徹夜走行の眠さもあいまって、これ以上の都会にバイクで乗り込むのは考えただけでも気が重く即座に断念。とりあえず横になって仮眠をしたい。車なら適当に駐めて車内で寝られるが、こちとらバイクなので仮眠場所確保もかなりの労力を要する。しかたなく近くの貝塚ICから阪和道に乗り、昨晩過ごした下り岸和田SAの向かいの上りの岸和田SAに向かった。到着するとお盆ラッシュの名残なのか、エリア内は家族連れで大混雑。涼しい休憩所で・・との思惑ははかなく散り、炎天下の屋外ベンチで横になる。2時間ほど寝ていたが、暑さで寝ながらも全身を流れ落ちる汗を感じるほど。蚊の攻撃も不快だったがそれを払う体力も無かった。マズイ・・・脱水症状かも。避難しようにも動けない。なんとか命からがら自力で自販機までたどり着きアクエリアスを一本飲み干し、それでも足りなくてもう一本摂取した。1時間ほど冷房に当たって体力が回復してきたところで出発。しかし走り出したはいいが目的地を全く決めていなかった。とりあえずは北に向かい自分の「庭」でもある北陸に逃げれば、何か良い事と出会うんじゃないかという期待を抱いて、富山に向かうことにした。近畿道、名神、を経て東海北陸道へ。途中何度も昼寝をしたせいで全く距離を稼ぐことができなく、陽が暮れかかってきてしまった。標高900mほどの高地にあるひるがの高原SAでの休憩で、東京から来たという同じFORZAとマジェの二人組み大学生と仲良くなり、一緒に温泉でも行こうかという話になったが明日のことを考えて遠慮し、自分は高山に近い飛騨清美ICで降りた。高山から高山本線沿いに北上を続け、完全に日没した頃に富山市内に入った。走っている途中に思いついたのだが、高山本線の富山口では、日本最後のキハ58の定期運用が唯一残っており、所属の2本の編成のうち1本は国鉄色である。明日はそれを撮ろうか。しかし運用に入るのは1本だけで、しかも58が入るのは朝と夕の富山〜越中八尾間の数往復だ。さらに同じ編成を1週間使用し続けるそうなので、今夜の越中八尾往復で58の確認をすれば、明朝の使用編成が分かる。早速越中八尾駅に到着すると、残念。ホームで折り返しを待っていたのは趣味の悪い紫色の高岡色のキハ58だったので、明朝の撮影は他にすることにした。ならば今日は飯でも食って風呂に入って思いっきり寝よう。寝袋も持ってきたがこの暑さでは到底する気になれず、健康ランドでも探そうか。八尾から富山中心部へ走らせていると、北陸地方に一大チェーン展開をする●番ラーメンの店があったので入り、いつものように暴食メニューを注文。店を出て感想・・・「マッズー!」。気を取り直して寝床探し。以前富山港線3セク転換前に訪れた時にあった城川原駅前の健康ランドを目指した。しかし到着すると更地になって潰れていたので、その場で携帯で安宿を検索すると、今年6月に立山バックで激Vを収めた撮影地の至近に健康ランドがあるとの結果。今まで何度もその前を通っていたが全く気付かなかった、と現地に着くとこちらも廃業。検索2軒目の24時間営業のサウナに投宿することにした。明朝は呉羽トンネル飛び出しで「能登」や「日本海」の夜行を撮ってさっさと帰ろう。風呂に入り缶ビールを2本呑んでガンガン冷房の効いた仮眠室で眠りに堕ちた。

翌日、当然寝坊した。8時だった。でもそれでもいいと思った。昨日の脱水症状といい、完全に体力気力ともにすっかり失せていたからだ。丸一日あるのでのんびり温泉にでも入って帰郷しようと、出発の準備をしてから富山ICを目指し、数十キロ走って富山市街をパスし朝日ICから国道へ。ややあって糸魚川に着いた。まだ正午前。時間も早いのも手伝って突然、大糸線キハ52に乗りたい衝動に駆られ、南小谷まで1往復。2時間ちょっと。ビデオカメラだけを荷物にしてDMH17の走りを堪能した。糸魚川に戻り、小雨の中出発。松本から中央道で横浜に向かった。

・・・ていうか一体何の旅だったのか?収穫も少なく撮ったのは「はんわライナー」だけって・・・。2009年最大の休暇≒381だけで終わってしまうなんて。まだ休暇は4日ある。一旦作戦を練るために今回は撤収するだけだと自分に言い聞かせた。