2009年朝錬 第二弾 本州最北で急行「はまなす」を撮る! そして・・・!?
2009,6/24

 予てからの計画をついに実行に移す時が来た。日本最後の客車急行、「はまなす」を撮る! 機関車、客車ともにオリジナルの塗色を保ってくれており、また定期列車であることも有り難い。しかし「はまなす」は青森着が5時39分と早いため、その走行写真を撮れるのは陽の長い夏至前後と限られる。さらにこの季節は当然梅雨時でもあるので、早朝の昇ったばかりの朝日を浴びての走行写真の撮影成功は、大げさに言えば一年の運を使い切ってしまうに値すると思われる。6月に職場が異動になり、なかなか時間が取れずにいた6月末、一応事前に3連休を取得していたが、前日に青森の天気予報を見ると当日は「晴れ」の予報。こうなったら何が何でも休みを全うして青森に赴くしかないと、猛烈に仕事を片付けた。
 当日。出発時の横浜は土砂降り。ニュースでは交通機関に影響が出るのではとのこと。しかし青森の予報は依然晴れのまま。疑心暗鬼になりながらも上野に向かった。今回は遠く青森の一地点で一回の撮影でもあるので、車、バイクはやめにして昼行バスで行くことにした。上野〜青森の高速バス、その名も「上野青森号」だ。このバスは片道¥8000で格安である上、さらに往復ではなんと破格の¥10000で青森に行って帰ってくることが出来てしまう反面、片道11時間を2+2シートの窮屈な車内で過ごさねばならない。まぁ車窓を見ていれば自分にとっては11時間は全く苦痛ではないし日本最長昼行バスを体験してみたかったので、出発前からエキサイトしていた。しかし前日の夜、ネットでバスの予約をしようと検索すると深夜だったため空席照会も出来ない様子。翌朝、当日の電話での予約受付が9時からだったので、10時上野発には間に合う試算になるが、満席の可能性もあるわけで、そうだったら新幹線で行けばいい。とりあえず東海道本線で東京に向かい、品川で9時前だったので一旦下車し、弘南バスの予約センターに電話をかけた。「空席はありますが通路側になりますがよろしいですか?」 これには3秒ほど悩んだが予約完了。受付番号を告げられた後、「ローソンかファミリーマートで発券してください」と言われた。発車まで1時間を切っている状況で、さらに大荷物を抱えながらこの土砂降りの中で、LかFのコンビニを探さなくてはいけない。結構タイトかも・・・とちょっと焦りながら上野で下車。出発15分前、丁度バスがやってきたところで、運のいいことにそのバス停の目の前がローソンだった。ロッピーを操作しながらなんとか発券。つまみとビールも買ってバスに乗り込んだ。



雨足は弱まらない中、出発を待つ青森ナンバー。上野駅前にて。(携帯電話のカメラで撮影)


 乗車率70%ほどで10時定刻出発。通路側だったが前日はほとんど寝ていないので酒を呑んで爆睡しようとビールを開け、独り旅立ちにカンパイ! 自分の隣の窓際の席にはこれから青森に帰るという初老の男性が親しげに津軽弁で話しかけてきた。また車内のかしこで津軽弁が飛び交い、これを聞きながら呑む酒はまたオツかなとビール2本目に手を出した。都内をノロノロとしばらく走り、扇大橋から首都高、東北道へ。いつの間にか深い眠りに就いた。
 間もなく休憩のためSAに入るとのアナウンスで目が覚めた。ここでは昼食のため40分ほど止まるそうだ。降りると那須高原SAで、いつの間にか空はウソのように晴れ渡っていた。隣の席の男性とラーメンを一緒に喰った後、タバコを一服二服しているとすぐに出発時間になり、また退屈な変わらない景色の東北道を坦々と北上するが、景色も見られない通路側の席でもあるので、走行中はウツラウツラしながら、休憩中はタバコをふかし、長い長い11時間の旅の果て、ついに青森に到着した。


 
今までこんなにバスに乗ったことはなかった。青森駅前に到着。


さて今回の撮影地であるが、中小国駅周辺と決めていた。中小国と言えばJR東日本と北海道の境界の駅として有名で、テツや時刻表好きには知られた存在ではあるが、実際にはJR東日本の津軽線とJR北海道の津軽海峡線の分岐が中小国から少し北に行ったところの新中小国信号所で、この中小国はいくつかの集落が点在するだけの秘境駅である。よって市街地中心部は一駅南の蟹田で、夕方青森に到着しても蟹田止まりの列車しかなく中小国までたどり着くことはできない。また「はまなす」の通過時刻は蟹田発の一番列車の前であり、「はまなす」を中小国で撮影するには、現地で夜を明かさねばならなく、今回も当然寝袋を持参してきた。ただ心配なのは夜、蟹田に到着してから中小国までの移動手段で、5kmほどの距離でもあるので徒歩も考えたが、さすがに真っ暗な道を重い撮影機材を背負って1時間以上も歩くのはダルいので、タクシーを選択した。しかし蟹田に最終列車で到着してもタクシーが待っているとも限らず、事前に蟹田周辺のタクシー営業所の電話番号を調べておき予約することにした。何事も早め早めの行動が肝心・・・。バスから降りてすぐにテレフォン。「23時の最終列車で蟹田に着いて中小国駅までお願いしたいんですけど〜」とオレ。よく利用があるのか「あ〜はぃはぃ。渡辺さんね」と返された。渡辺さんではない事を告げて、電話を切り、ひとまず安心した。最終列車まで時間があったので、腹も減ったし飯でも食おう。だが2時間を駅前の吉牛やファミレスで粘るのもなんだと思い、一人カメラバックを抱えたまま、駅近くの魚民へGO。カウンター席に案内され少し贅沢をしようと目に付くもの片っ端からオーダーしていき、生涯2度目の一人居酒屋を楽しんだ。



北国の居酒屋でジョッキを開ける鉄ヲタ一匹。
生中5杯ともろもろで¥4300也。(携帯電話のカメラで撮影)


 喰った喰った。そして呑んだ。当初の目的を忘れかけ、かなり上機嫌。始めは明日の撮影が成功するよう酒で身を清めるつもりでいたが、後半はもうどうでもよくなっていた。完全にいい気分になって魚民を出て駅に向かい、蟹田行き最終列車に乗り込んだ。1時間ほどキハ40に揺られて酩酊気分のまま蟹田到着。待っていたタクシーの運転手に「こんばんは、渡辺です。中小国まで」と酔っ払いのノリで言うと、案外ウケなかった。真っ暗な道を走り¥1700で中小国到着。駅周辺は噂に違わずいい感じで閑散としていた。空は満点の星空。目の悪いオレでも肉眼で天の川が見えるほどで、否応無しに明日の撮影の期待が高まる。記念に星空と駅舎をバルブしてから寝袋に入った。



北端の駅。本当に星が降ってくるかのようだった。2分30秒露光。
2009,6/24    津軽線  中小国   EOS5D  24-105mm




2009,6/25


 明るさに目が覚めた。寝袋に入ったまま窓の外の空を見上げると真っ白。どうやら遠路はるばる青森まで来て曇ってしまったようだ。昨夜の酒による清めも効果はなかったらしい。適当に撮ってさっさとバスで帰ろう。そう言えば今年になってからの撮影で天気に恵まれたことはほとんどなかった。本当にコレばっかりは仕方ないと思いつつも「絶対に負けられない戦いに負けるオレ」にもう笑いがこみ上げてくる。寝袋を片付けホームに出てみると、駅舎内からみた白い空は雲の一部だったようで、その雲以外は全くの快晴状態だった。「キタたかも、今日キタかもコレ・・」と独り怪しくつぶやきながら勇んで徒歩10分の撮影地に向かった。現在時刻は4時30分。背後の山から今まさに昇らんとする太陽光線がまるで後光のようだった。そして10分後、光線が線路に届き始める。「オォー!ビカビカぢゃないかー!!」とまた独り言。絶対に負けられない戦いに勝利する予感だ。すでに1人のテツが三脚を伸ばしており、やがて2人が加わった。そこにいた4人、全員テンション高く「あやーす!!(おはようございます)」と挨拶を交わしセッティングに入る。何度も構図とピントを確認しながら直前に通過するEHをテスト撮影。プレビューで今日の勝利を確信した。



金太郎で確認。ん!行ける予感。

2009,6/25    津軽線  中小国〜新中小国(信)   EOS5D  100-400mm



本番。草が一本被ったが、感無量・・・。

2009,6/25    津軽線  中小国〜新中小国(信)   EOS5D  100-400mm



その後の高速貨物はJR貨物更新色の重連。空コキが多いが青函連絡に任に就く姿は勇ましい。

2009,6/25    津軽線  中小国〜新中小国(信)   EOS5D  100-400mm


 さて余韻に浸っている間もない。帰りのバスが青森8時発なので時間が無いのだ。ここからすぐの中小国発の一番列車で乗り継ぐと青森に8時に到着できない。あと1時間で蟹田に自力で移動しなければならず、とりあえずタクシーを呼ぶことにしたが、昨日電話した蟹田のタクシー会社は0120発信だったため、携帯からはかけられないため、中小国の集落で公衆電話を探したが当然見当たらず、とりあえず蟹田まで1時間歩くことにした。1/3ほど歩いたところで時間と距離を計算すると、間に合わない可能性が50%ほどと試算できた。ここで新たな閃き。104で0120発信ではないタクシー会社の番号を聞けばいいだけのことだ。ほどなくして迎車を要請し、蟹田に無事到着。待機していたE751使用の贅沢な普通列車に乗り込んでいると、三厩からの一番列車が向かいのホームにやって来た。驚いて時刻表をもう一度確認すると、あのまま中小国で待っていれば青森に8時前に着くことができるということが分かった。自分としたことが何たる失態。落ち着いて行動することの大事さが身に良く染みた。そして青森到着。乗換えが5分しかないので急いで跨線橋を渡り、12時間前に降りたバス停から昨日と同じバスに乗り、また長い長い東北道をひたすら上野を目指してバスは走るのだった。


がっ、しかし


 青森を出発して次の停留所の弘前BTを出た時、ふと携帯で見たある地方の明日の天気予報に心を大きく揺さぶられた。「富山 晴れ 午前の降水確率0%」  ふーん・・・そうなのか、と最初は気にも留めなかったが、無意識のうちに意外な計画を立て始めていた。そう、先週撃沈に終わった富山での夜行3発のリベンジである。天気予報では今日から3日間、降水確率0%。今後休みはあっても晴れるとは限らないし、陽の長い6月は梅雨の季節。これだけ天気予報が自信を持って晴れを保障してくれるのはそうそう無いことでもある。行っちゃおうか行くまいか。今回の旅の運はついている。このままのテンションで行けば明日も必ず成果が得られる、と根拠の無い自信により、富山へ再出撃することに決定。行かないで後悔するより、行って後悔した方がよっぽどマシだ。それではここからの物理的な障害を考えることにした。今乗っているバスは18:50上野着予定で、それから新幹線と「はくたか」を乗り継げば今夜中に富山に着くことはできる。決めている撮影地は東富山〜水橋の立山バック。ここを夜行列車3兄弟が通過するのは5:20〜5:30。まだ普通列車も動いていない時間なので、富山駅周辺で宿泊して明朝に現地に着く手段はない。また東富山、水橋、富山も有人駅なので朝まで時間を潰すことは出来ないので、今夜中にタクシーで撮影地に移動しても真夜中の屋外で4時間以上ヒマを持て余すことになる。・・・レンタカー・・・。今からでも予約は間に合うか心配だったが、iモードで調べると富山駅と富山空港に営業所があり空車もあったが、いずれも営業時間が21時までとなっており、その時間に富山に着くことは出来ないので、諦めかけたその時、ふと考えが過ぎった。「陸路がダメなら空路があるじゃないか」 飛行機に乗っちゃおう!恥ずかしながら人生初の飛行機に乗ることにした。時刻表で調べると羽田発20時→富山着21時というANA便がある。こちらも携帯サイトで調べると空席が残り僅かだがあり、一挙に計画が具現化してきた。では精査に入ろう。懸念される事案は全部で3つ。@バスの上野到着が遅れたら? A搭乗は何分前までにすればいいのか? 定時に上野に着いたとしても、1時間10分で飛行機に乗り継ぐことはできるのか? B21時に富山に着いても営業時間が21時までのレンタカー屋は間に合うのか?  @は高速道路の路肩のキロポストから、先程のSA休憩からの距離と時間から表定速度を出し、上野到着の時間を予想する。今のところ順調なようで渋滞もこの先ないようだし、実際往きのバスは30分ほど早着でもあった。Aは時刻表をよく見ると出発の15分前に手続きをするよう記載があった。羽田に19:45には着けばいいので楽勝。Bは営業所に電話で聞いてみた。OKとのこと。 よし。これで全て上手くつながるはずだ。早速、航空券、レンタカーの予約を行うと、急に安堵したのか深い眠りに就いてしまった。気がつくとバスは首都高を順調に快走していた。やがて一般道に降り、30分早着で上野に到着した。京浜東北線に乗り浜松町からモノレール。もうほんの少しの距離で自宅に着いて布団の上で寝られるというのに、あえて富山に旅立とうとしている自分。なんなんだろう。この背徳感は・・・。ターミナルビルに降り立ち、さてどうしたものか切符の買い方が分からず、自動発券機らしきもののタッチパネルを操作しているがイマイチ操作方法が分からずにまごついていると、空港係員が話しかけてきた。まるで年寄りにATMの操作を行員が教えるように「パスワードを・・・」「入力を・・」などと説明してくれる。これが非常に恥ずかしいもんで、この5分間で大いに自分のエネルギーを使ってしまった。無事に航空券が発券され今度は手荷物検査のためX線のゲートをくぐれと言われる。案の定、リュックの中の3本のアルミパイプがモニターに映し出されストップがかかる。「取り出して長さを計らせていただきます」と三脚を出すよう促され、多くの一般旅客の前でスリック5段にメジャーをあてがわれ計測された。恥ずかしいことこの上ない。ゲートをそそくさと通過しロビーで待っていると改札が始まった。雰囲気はまるで乗り慣れた長距離フェリーのターミナルのようで、なんだか少し緊張感が和らいだ。改札を通り長い廊下を歩き、初めての航空機機内へ。航空機の第一印象は「狭い!」。新幹線ほどの天井の高さの車内、いや機内に新幹線のシートピッチよりも狭い座席が並んでおり、意外と窮屈だった。指定された座席は中央の列の本当の中央。左右は隣人アリという最悪な着座位置だ。飛行機の小さい窓があんなに遠い。外も見えないし・・。また携帯の電源も切っているので今何時か、いつ出発するのか全く分からず精神衛生上よろしくないことこの上ない。やがて時間になったのだろう出発のアナウンスのあと機体が動いている気配がした。しばらく滑走路の端まで動くのだろうか、タイヤの感触が伝わってきて5分ほどすると突如ガダガダと凄まじい振動に変わった。離陸したっぽい。おぉー!!飛んだ、オレ初めて飛んだと万感の思いに浸っていると離陸中だというのに客室乗務員が私のところにやって来て、「お客様、そのお荷物危険ですので前の座席の下にしまってください」と注意されてしまった。緊張していたため三脚入りのリュックをしっかりと抱きしめていたのだ。緊張しているのを悟られないよう、「失礼」といいながらリュックのチャックを開け閉めして何かを探すふりをしてみる。って言うかまだ離陸してないということに気付いた。やがて飛行機は離陸の態勢を整え猛然とダッシュを開始。あれよあれよと言う間に上昇、そして着陸。飛行時間は実質40分ほどで北アルプスを越え富山空港に着陸した。
 「ほんとうにここがもう富山なのか?」 これが初めて飛行機に乗った感想だ。羽田の何十分の一の小ささのターミナルビルの一角にあるレンタカーのカウンターに向かい、待っててくれた係りのおっちゃんに鍵を受け取り、ターミナルビル前に止まっている車に案内されると、我が家と全く同じ旧fitだった。乗りなれたCVT車で市街地に向かい、カーナビで検索していたスーパー銭湯に向かった。2日分の汗を流し、いざ撮影地へ。近くにサンクスがあったので駐車場に車を停めて寝ることにした。夜中、ボディを叩く雨の音で目が覚めた。ここまで出費を重ねて雨か・・。晴れなかったら適当に編成写真を流して・・・と考える間もなく眠りこけた。




2009,6/26


 4時半。携帯のアラームに起こされた。日の出の時間は過ぎたがまだ外は薄暗い。曇りの予感が的中した。車から降りコンビニで缶コーヒーを買って飲んでいるとだんだん今の大気の様子が分かってきた。晴れそう・・。空は不気味なほどオレンジ色に染まりだし、空気中を覆っていた靄が水蒸気に変わると視界は一段とクリアーになり、待望の立山連峰の雄大な稜線がシルエットとなって彼方に見え始めた。山は東に見えるので太陽はまだ姿を現さないが、この富山平野を急速に明るくした。もうやばい!居ても立ってもいられず、早速車を2kmほど走らせ、神社裏の撮影地に到着するとすぐにセッティングを開始した。幾重にも重なる山々。その山の向こうでは太陽が今にも顔を出さんとしている。最高だ。まもなく10分という短い時間に3本の夜行列車たちがやって来る。最高のステージ、そして最高の役者。なんて贅沢なひと時なんだろう。もうすぐ最高のショーが始まる。



5:21 まずは青森からの寝台特急「日本海」通過。

2009,6/26  北陸本線  東富山〜水橋   EOS5D  100-400mm



5:27 2発目「北陸」は広角で。

2009,6/26  北陸本線  東富山〜水橋   EOS5D  24-105mm



5:32 〆はボンネット489急行「能登」。真夜中のランナー達の終着はもうすぐそこ。

2009,6/26  北陸本線  東富山〜水橋   EOS5D  100-400mm


 そしてショータイムは終わった。一定の成果を得られたが、仕事がまだ残っているのに遊んでしまった背徳感、この10分間だけのために飛行機+レンタカー+帰路の新幹線という出費を重ねてしまった罪悪感は消え去り、本当に来て良かったという満足感に浸っていた。リベンジもしなくて済むという安心感もあっただろう。
 この後、レンタカーを返却するため、営業所が開く8時までこの撮影地で時間を潰し、「はくたか」「上越新幹線」という陸路最速コースで横浜に帰り着いた。