暴風雪警報発令中! 磐越西線583系と飯山線キハ58を無理矢理に撮る!

2009,12/19

 世間では週末高速料金¥1000がすっかり定着しているというのに、自分はというと全くと言っていいほどその恩恵を受けていない。この割引制度が始まる時、よくニュースなどで話題になっていたが、大都市圏の一部がこの割引から除外ということで木村太郎が「都市圏住民の差別だ」などとコメントしているのを見て違和感を覚えた。こちとら¥1000+αどころか、週末休みにできない人種にとって、深夜割が効いたとしても新潟往復数千円の出費になるのは、これこそ不公平ではないのか。まぁどっちもどっち。主観的に見てしまうのはオレも木村太郎も同類である。
 各所の忘年会に顔を出すことに少々辟易していた年末の頃、12/19土曜が休みになった。さっそくDJで美味しいネタの検索を開始するが、さすがに年末のこの頃になると遊びネタは少ない。磐越西線に583の舞浜臨、飯山線に新津キハ58の団臨があるだけだそうな。どっちへ行くまいか。さんざん悩んだ挙句、磐越西線583に決定した。そこでさらにダイヤを吟味する。583は舞浜を夜出て早朝猪苗代に到着。一方、飯山線のキハ58は昼過ぎの運転。繋がるか?繋げるか?繋がってしまうか!? 距離を計算すると無理せず両方、手中に収めることをできるのが分かった。この時点では移動時間のうち睡眠時間を考える余地など皆無である。距離÷速度=時間。可or不可、みたいにいつものように魔の旅路が始まろうとしていた。

 仕事が終わり家を出たのは21時。首都高〜東北道を経由して北を目指す。予報では日本海側は大荒れ、暴風雪警報が出ているくらいだが、第一の目的地である会津地方は割と平穏な様子。撮影地は決めていなかったが、この程度なら川桁付近で磐梯山バックでも狙えるのではないか。やがて高速の気象情報にこの先チェーン規制との情報があった。雪雲はだいぶ予報より南下してきているようだ。那須塩原を過ぎると雪が積もり始め一気に巡航速度が落ちる。現地に着いてから4時間ほど仮眠しようと考えていたのに、これではそれも危うい予感。おまけに睡魔も襲い始めている。磐越道にたどり着くことなく、名前は忘れたがどこかのとあるPAで仮眠。ギリギリまで寝込んでしまったので撮影地である現場に急行すると、雪はさらに激しさを増してきた。当然磐梯山なども視界に無く、厚い雲によって露出も無いことから、間もなくやって来る583をどう調理してやろうかなと気を揉んでいるうちに、通過時間になってしまった。もう流すしか方法はなかった。


9221M。冬の583なら、雪の舞い上げがよく似合う。でも少々物足りなかった。
2009,12/19  磐越西線  関戸〜川桁  EOS5D  100-400mm


 この583は次の次の猪苗代で客扱いをした後、すぐに帰区のために折り返してくる。その時間およそ30分間。それまでに撮影場所を決定しなければならない。こんな暗くて雪の降る中で・・。近くの線路沿いの道をうろうろしているとついに時間切れになってしまった。あわてて車からカメラを取り出し、鳴り始めた踏切の脇で広角で構えた。しかし待てども一向に583は現れない。するとしばらくして突如として音もなく583は姿をあらわした。降りたての雪に音を吸収されて全く気付かなかった。



カッツり正面撃ちのほうが着雪したマスクをカッコよく収められたのに・・・。無念。
2009,12/19  磐越西線  関戸〜猪苗代湖畔(臨)  EOS5D  24-105mm

 
 さてあまり長居してもいられないので、遠く200km離れた飯山線にすぐに向かうことした。あと5時間ある。高速と一般道で平均時速70km/hで移動しても3時間。でも雪道のことは全く考えていなかった。かなりおバカだが机上の計算では全てがうまく繋がるはずだった。磐越道に再び乗ったものはいいものの、圧雪となった道路は80km/hが限界。それに加えて除雪車が道をふさいで作業するものだから笑ってしまうほどに距離が稼げない。そして襲ってくる睡魔。ついに走り出して30分ほどで限界を感じ、阿賀野川SAで少し寝ることにした。この時点では往路の十日町行きにはすでに間に合わなく、仕方なく返し1本に絞ることにした。2時間ほど寝てしまい、目が覚めると雪は止んでいた。晴れ間ものぞき路面の雪は解け、巡航速度が気持ち上がる。新潟を通過、北陸道、関越道で再び内陸に入り、越後川口ICで降りる頃には、雪は本降りになっていた。とにかく凄いの一言。厳冬期の新潟には何度も行っているがここまで降られたことは初めてだ。こうなったら駅間での撮影は危険と判断して、大人しく駅撮りに徹することにしよう。越後岩沢駅に到着。普通列車は定時で運行されている模様だが、さっき行ってしまった列車から30分も経っていないにも拘わらず、道床、レールが完全に隠れてしまうほどの降り方だ。とにかくなるべくカメラを濡らさないよう首からかけたままジャケットの中に入れ、ホーム先端で通過を待つ。その間にも無防備な状態の自分に容赦なく雪は降り積もる。耳の穴の中まで雪が「ボフッボフッ」と音をたてて入って来るほどだ。つ、辛過ぎる。やがて乳白色の彼方から光の塊が近づいてきた。近づいて来てはいるが列車の音は聞こえず、「プ〜ン」という新津キハ58独特のタイフォンだけが聞こえてきた。その鳴らし方も異常なほどで、連発というよりも鳴らしっぱなしに近く、この視界ほぼゼロの中では前展を確保するのが難しい運転士が、とにかくもう列車が接近しているから、お前らどいてくれという叫びのようでもあった。









ピント合わない合わない・・・。驚くべきはこの状況でも定時運行だった。。
2009,12/19   飯山線  越後岩沢   EOS5D  100-400mm


 聞く話によると、この後、この列車は終着までたどり着くことはできず、途中で運転打ち切りになったそうな。自分はというと駅前に駐めた車に逃げ帰るように戻り、カメラに水分を侵入させないようよく拭いてから乾燥させて、この飯山線を後にすることにした。今日は走行距離の割に一体収穫はどれだけのものであっただろう。雪中ドライブとしてはとても楽しいものだったが、新津のキハ58はこれでほぼ引退確実。思えば5年前、初めて訪れた米坂線で出会った美しい国鉄色キハ58。こいつとの永遠の別れはまともに直視できないほど大雪の中になってしまった。悲しいのか、いや、豪雪の中をたくましく進むその姿がキハ58にとって一番似合っているのかもしれない。ささやかな夢をありがとう。