祭りは終わっていなかった。ばん物第2弾! 「DD51ばんえつ物語」
2006,11/18

11月の連休に運転され大きな話題を呼んだ、「DD53ばんえつ物語」の運転から1週間後とその翌週、今度は牽引機をDD51に替え、「DD51ばんえつ物語」が運転されることになっている。第一回の先週末は、DD53の時ほどではないが各撮影地では、やはりかなりの祭り状態だったらしく、最初は行く気の無かった私も、あの興奮冷めやらぬ現場に再び居たいという欲求が湧き、DD51最終週の11月18日に出発することにした。
 前日は深夜3時まで仕事。翌日の午前中に新潟まで自力で移動することは困難と思われ、上越新幹線の下り1番列車、MAXとき301号で新潟入りした。ほとんど寝ていなかったため新幹線内では爆睡。携帯に起こされ目覚めるともう新潟市街で、列車は減速していた。着信は毎度おなじみK1トップ氏からで、実は彼だけ前日現地入りしており、今日は行動を共にすることになっている。最初は新幹線から乗り継いだ自分を新津まで迎えに来てくれる予定だったが、氏によれば現在、新関の撮影地にいるが、
鉄が増え続け、新津まで私を迎えに行くと、朝イチに取った場所の確保が危ういらしく、新津からバスで直接現地入りしてくれとのこと。終点新潟で快速「あがの2号」に乗換え新津に836着。彼の指示通り、駅前のターミナルにはバスが待っており、私が乗り込むとすぐに出発した。古いバスに15分ほど揺られ撮影地に到着。K1トップ氏と合流。なるほど、言うとおり遠方にトラスを望む狭い踏切脇には、すでに30人ほどの鉄たちが狭いお立ち台にひしめき合っていた。彼が確保しておいてくれた最前列でカメラをセッティング。遠くの汽笛を待った。

ピカピカの895号機だが、曇天には映えない。次撮影地に懸けよう。
2006.11.18   磐越西線  東新津〜新関  EOS5D 100-400mm

 今回ももちろん追っ掛け!彼の軽自動車に乗り込み、一旦新津市内に戻りインターから磐越道に入る。次のポイントを決めていなかったので、「なんとなく」で西会津ICで降り、「なんとなく」良さげなポイントがありそうな野沢〜山都の区間でロケハンをする。あまり奥地に入ってしまうと、磐西追っ掛けのメインルートである国道49号に戻り辛くなってしまうので、逆光が目にしみるほどの尾登荻野のSカーブに三脚を立てることになった。


まだ晴れず。紅葉もビミョー。なんだか眠くなってきた。
2006.11.18   磐越西線  尾登〜荻野  EOS5D 100-400mm

 列車が来る直前に曇ってしまい、テンションがやや下がり気味になり、上りDD51はこれ以上追っ掛けることは中止にした。返しの若松発までかなり時間があるので、本日キハ40タラコが投入されている228Dの撮影場所を探した。


47青を従えてやって来たタラコ先頭228D。こうしてみると昭和50年代生まれの均整の取れた顔つきだってことを再認識した。
2006.11.18   磐越西線  荻野〜山都  EOS5D 100-400mm

 さぁ返しの新津行きばん物まで本格的にすることが無くなったぞ。いつも磐西貨物のときにお世話になっている山都のファミマで飯を買ってみたり、車中で昼寝をしてみたり、ダラダラ午後のひと時を過ごしてみたり・・。やがて夕方になり会津地方を覆っていた薄雲は晴れ、日が差してきた。返しの撮影地は二人とも知ってはいるものの場所が良く分からなかった、山都荻野の田園ストレートを探し当て、秋深まる田圃の土手で黄昏ながらDD51を待った。


練習。午後が順光。「本当にこの世に戦争ってあるんだろうか?」ってくらい平和な磐越西線沿線。
2006.11.18   磐越西線  荻野〜山都  EOS5D 24-105mm


上写真と同じ場所。翳ってしまったが夕刻の帰路を急ぐ客レの雰囲気が出ています  か(?)
2006.11.18   磐越西線  荻野〜山都  EOS5D 100-400mm